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雨が、降りつづいていた。

それは戦闘の傷跡をさらす、第三新東京市を癒す恵みの雨なのか。

望まない戦いで傷ついた、少年の心を癒すためのものなのか。

あつい雨雲に覆われた空から、光はささない。














 新世紀EVANGELION −once more again−

 05話  偽りの家族から

 いつわりのかぞくから













大きく膨らんだリュックサックに、手提げ鞄が一つ。

全部ではなくとも、荷物の大部分はそれに収まった。

見上げれば、半月を過ごしたコンフォートがそこにあり。

あの女性と過ごした部屋が見える。

しばらくその場所を見あげてから。

さよならと、言葉にしないまま別れを告げる。




視線を外し、荷物を手にして歩き出そうと向いた先には。

彼が立っていた。




「ここを出るんだね?」




その彼が口にした言葉は、少年の予想した範疇とは全く違っていて。

ただ真向かいの彼の顔を凝視した。




サードチルドレン ・ 碇シンジ

チルドレン護衛役 ・ 渚シンイチ

二人の少年がこの夜、コンフォートから姿をけした。







朝も早くから鳴らされたインターホンに、葛城ミサトは弾かれたよう廊下を走り抜けた。

相手が誰なのかも確認しないままで、玄関のドアを勢いよく開く。

そこに立つ少年の姿に、目を見開いた。

同じ制服。

けれどすぐ、期待した少年ではないことに落胆する。

それを顔には出さぬよう心がけながら、目の前の少年たちに向く。




「おはようございます!」




二人が同時に、挨拶と共に頭を下げた。

一人はメガネをかけた、制服姿、やや癖毛の少年。

もう一人は背の高い、全身黒ジャージの少年。

シンジが一度として友達を連れてきたことなどないというのに、ミサトはその二人に見覚えがあった。




「あなたたち、確かあの時、初号機に乗った二人組よね!?」

「あ、相田です」

「自分は、鈴原言います。その節は、ホンマ、すんませんでしたっ!」

「「反省してます!」」




勢いよく深々と。

頭を下げる少年達の純粋さに、ミサトにも笑みがこぼれる。

ミサトは彼らの訪れた理由を察して、こちらから話を切りだした。




「ごめんなさいね。 シンジ君、最近ネルフで訓練なのよ」

「だから学校にもいけないでいるの。 せっかくこうして、迎えに来てくれたのにね」




作り物の笑顔の裏で、そんな嘘がつける自分に失笑してしまう。

外面だけ取り繕う大人。

目の前にいる少年達が、心から羨ましく思えた。







二人を見送った後。

ミサトは沈んだ表情で、シンジの部屋の扉を開けた。

そこにいない少年の姿を探して。




第四使徒との戦闘後。

碇シンジ。

コンフォートからサードチルドレンの姿が、消えた。




「……シンジの、馬鹿ッ!」




叫んだミサトの表情は、今にも泣き崩れそうな幼い少女を思わせた。







第四使徒殲滅。

それは偶然だけが引き起こした結末で、作戦そのものは失敗に次ぐ失敗を繰り返した。

通用しなかった武装。

損傷著しいエヴァ初号機。

命令を拒否したパイロット。

問題はそれこそ山積みだった。




作戦終了後。

初号機の回収を待ってから、ミサトは上官としてシンジを呼び出した。

護衛役の渚シンイチに連れられたサードチルドレン。

碇シンジの泣きはらした目。

少年を見れば肉体的にも精神的にも、消耗しているのがわかった。

けれど、彼には言わなくてはならないことが多すぎた。




「なぜ、私の命令に従わなかったの? あなたの上官は私でしょう?」

「……すみませんでした」

「私は、何故と聞いているの。 あなたの独断で、人類が滅んでいたかもしれないのよ」




謝れば済む問題ではない。

その重さが、少しも認識できていないのではないかと。

顔を背けたシンジを、両手でもう一度自分を向かせ。

少年の目をまっすぐ見て、呼びかけた。




「なぜ、私の命令に従わなかったの?」




一瞬だけ、視線を合わせて。

またそらしてしまう。

そんなシンジに、ミサトは堪えていた怒りを顕わにした。




「そうやって、表面だけ人にあわせていれば楽でしょうけどね」

「そんな覚悟でエヴァに乗ってたら、死ぬわよ!?」

「いいですよ、そんなの」

間をおかず返ってきたのは、シンジからの返答。

言葉をなくしたミサトから顔をそらしたままで、シンジはもう一度繰り返す。




「…いいですよ死んでも。 ぼくが死んだらまた、他の誰かを探してきて乗せるんでしょ?」




自虐的になっているのだろうか。

作戦や命令無視のことなどよりも、ミサトにはその”死んでもいい”という言葉が許せなかった。

少年の肩をつかみ、大きく揺する。




「あんた、自分の言ってる意味がわかってんの!?」

「ミサトさんは!」




声をあらげたシンジに、ミサトは怒りも忘れて彼を凝視した。

この少年が、自分を表に出している。

そのことに驚きを隠せなかった。

けれど、そのシンジが継いで口にしたその言葉は。

誰よりミサトの胸に突き刺さった。




「ミサトさんは―― 何もわかってない」




言葉を紡いだ、その表情は失われ。

ただ涙が、シンジの目からこぼれた。







ミサトがシンジに課した罰は、独房3日間だった。

それが終わった4日目の今日。

昨晩独房から出たサードチルドレンの姿はコンフォートになかった。




ネルフ技術課主任・赤木リツコの研究室で。

葛城ミサトはといえば自分の仕事をするわけでもなく。

こうしてただ時間を潰しに来ていた。

彼女がここにいることは、別段珍しいことではない。

作戦課にいない時は概ね、この場所で時間を潰しているのだから。

それこそ自分の部屋よりこちらにいることが多いぐらいに。




実際、彼女の職務は使徒撃退時のエヴァの指揮だ。

戦闘中以外に、仕事はそれほど多くない。

その僅かな仕事とて、実際は有能な部下におしつけているわけなのだが。

それで部下に恨まれないのは、彼女の人柄故だろうか。




「シンジ君。 その様子じゃ、連絡ないみたいね?」




そう言ったのはリツコだった。

コンピュータのキーボードを叩く手は休めぬままに、ミサトに尋ねる。




「…彼。 もう、帰ってこないかもしれない。 ここにいたって、きっと辛いだけだもの」




手の中の紙コップを玩びながら、ミサトも淡々と応じる。

感情的であるがゆえに、シンジのことが頭から離れない。

そんなミサトの性格を、リツコはよく理解していた。

親友というのは伊達ではない。




「わかっているはずよ? ミサト。 私たちには彼が必要なことが」

「……人類の存亡のため、でしょ?」

「そうね」




リツコの答えは、ミサトにだって十分すぎるほどにわかっていることだ。

ただ、それをはっきり口に出せるのが赤木リツコであり。

それを認めたくないのが葛城ミサトという女性だった。

理由はどうあれ。

エヴァなくして人は使徒に勝てない。

そして現状、EVAを動かすには碇シンジが不可欠。

それが現実なのであれば。

シンジの意思は関係なく、彼を連れ戻さなくてはならない。

それが今のネルフであり、それを命じなくてはならないのが葛城ミサトの立場。

だからなおさら、ミサトの心を深く重く沈ませるのだ。







夕焼けといういうのが、ただ赤いだけではないことを。

碇シンジは今初めて実感していた。

遠くに見える山に、まるで呑み込まれてしまうように。

時間が経過するにつれて、沈んでいく太陽。

夕焼け空の暗さが。

山の黒さが。

世界そのものが徐々に色を変えていく。

それら全てがひきたてあって、調和の元にこの光景を美しく見せているのだろう。

夕日もまた。

その一つであるがゆえに、紅く見える。




「…綺麗なものだね」




隣を歩く少年。

渚シンイチが、同じようこの場所から見える光景を前にそう言った。

家を出てから今日で2日。

その間。

行く宛のないシンジとともに、第三新東京市を放浪している。

シンジをどこに連れていくのでもなく。

ただシンジの行くままに、行動をともにする。

「今晩はどこで寝るか。 そろそろ決めておいた方がよさそうかな」

シンジと同じよう、大きなリュックを背に。

シンイチが尋ねた。

彼には未だ、ネルフに連れ戻そうとする意思は感じられない。

それが逆に気になって。

シンジは躊躇いがちに、彼へと問いかけた。




「シンイチさんは…どうしてぼくを、連れ戻さないんですか? ネルフの人なのに…。 そうしなくて、いいんですか?」




…シンイチは、無言。

ただシンジを、じっと凝視する。

実際には仮面で見えないため、顔の向きだけでそう判断しても。

予想外とばかりに、シンイチは驚いているように見えた。




「シンジ君は、帰りたい?」




逆に尋ねられて、顔を背ける。

そんなシンジの肩を軽くたたき、シンイチは言葉をかけた。




「今は自分のことを考えていいよ。 そのために家を出たんだよね?」

「でも、迷惑なんじゃ?」

「そういうのも今は無しだよ。 考えることが必ず、いつか君の役に立つから」




そう告げる、シンイチにつられて。

シンジは微笑んだ。

何故だろうか。

この人の事を信じはじめている自分に戸惑いを覚えながら。







ネルフ本部内。

実験用の大型プラグ管に身を横たえる、蒼い髪、赤い瞳の少女。

ファーストチルドレン・綾波レイ。

以前負った傷を覆う包帯と眼帯が、今も見る者を痛ましく感じさせる。

ミサトとリツコは現場の責任者として、この実験を監視していた。

綾波レイから採取されるデータを、制御室から確認。

未だ人の理解を大きく超えた使徒という存在。

同じよう、ブラックテクノロジー結晶と呼ぶべきエヴァ。

それらを解き明かすためには、一つでも多くのデータが必要となる。

怪我人とはいえ、データ収集には何ら支障ない程度に回復しているのならと。

綾波レイのテストは予定通り行われていく。

それが必要であるために。




少女のいつも通り、無機質な表情をモニター越しに見つめて。

ミサトは沈んだ声で呟いた。




「エヴァなくして人は使徒に勝てない。 でもそれを操るのは子供なのよね」

「レイにしても。 シンジ君にしても。 まだ14歳…」




ミサトに続けるよう、リツコが言う。




「そう。 14歳の中学生よ。 私たちはエヴァの操縦を、その14歳の子供達に委ねなくてはならないわ」




計測器から目を離さないままで、リツコ。

そんな彼女の言葉に、ミサトは自分の肩を抱く。




「酷よね。 人類の命運を、そんな幼い子供に背負わせるなんて…重圧に潰されて…当然か」




ミサトの言葉に、キーボードを叩く手を止め。

リツコは肩をすくめた。

モニターの数値を睨みながら、ミサトに対して。




「それでは困るのよ。 いつだって完璧を求めているの、私たちネルフは」

「都合通りにいかなくて当然よ。 シンジ君やレイは機械じゃ――」




リツコに言い返す言葉の途中で、はっと気づく。

シンジやレイは機械じゃない。

だから、誰かの思い通りに動くはずなどない。

シンジはシンジ、自分とは違う人間なのだと。




口にしたその言葉こそは、ミサト自身がわかっていなかった当たり前のことで。

それが分かっていなかったから…。

ミサトはシンジを、ただ責めるだけだった。




「…どうするの?葛城一尉」




まるで胸中を見透かしたようなリツコの言葉に。

ミサトはただ唇を噛んだ。




「…よく考えなさい。 時間はそう、残されてないわ」




リツコの言葉は不思議と、ミサトには温かかった。







小一時間、山を歩き続けた後。

背の高い草の生い茂る、舗装された道路を二人は歩いていた。

シンジ達が今いる場所は、バスも日に数本しかこない都心から大きく外れた地域。

人のあまり多くない場所を求め、彼らが移動してきたために。

…少しでも見つかりにくい場所を。

無意識にでもシンジは、そう考えていたのかもしれない。

そんなシンジと、並んで歩くシンイチが。

ふいに足をとめた。

シンジもそれに併せて歩みを止める。




「…どうかしたんですか?」

「……人の声がする。 こんな場所で」




シンイチが向いた先は、道路と平行してつづく草むら。

シンジも彼にならって、様子を伺った。

胸より少し上あたりまである高さの草むらの中を。

長い筒を構えた少年が走っていく。

迷彩服まで着込んで、。

手にした筒は、小銃のように見えた。




『 前方の草むらに敵小隊を発見!目標、敵地鉄条網まで、躍進距離50メートル! 』

『 突撃っ! 』




走り出す少年。

が、しばらくしてから身をひねり、軽く跳んで地面へと倒れ込んだ。

胸のあたりをおさえ。

空を見上げて声をあげる。




『 小隊長どのッ! 』

『 行け、相田ッ。行くんだぁ! 』

『 小隊長殿を置いてはいけません! 』

『 馬鹿もんッ! 』




…いくら聞いていても、人一人分の声しかしない。

一人芝居。

めまぐるしく、負傷した上官と、それを助けようとする部下を演じてみせる少年。

シンジとシンイチは、互いに顔を向き合わせ。




「行こうか」

「そうですね」




何も見なかったことにして歩き出す二人。

その背中にかけられた声に、シンジは戸惑いを覚えた。




「・・・・・・碇! 碇じゃないか!?」

一人芝居を続けていたはずの声の主。

被っていたヘルメットを、照れた顔で手で押し上げる少年。

その少年の名前を、シンジは呆然と呟いた。




「相田、君?」







「しかし意外だなぁ。 碇がこんな所にいるなんて」




相田ケンスケに案内されて、シンジとシンイチは彼のテントにおちついた。

サバイバルテントの中には、数丁の小銃が転がっている。

彼が先ほど所持していたそれも含め、全てがモデルガン。

それから手榴弾のモデル。

サバイバルに必要なのだろうコンパスや、作戦内容が書かれた掲示板なども見られた。

話し合うよりよほど、この相田ケンスケという少年がわかるように思えて。

シンジは少し安心した。

とうのケンスケは、テントの前で飯ごうを火にかける。

手つきを見ていれば、慣れているのがよくわかった。




「相田君は…」

「ケンスケでいいよ」

「…ケンスケはその、いつも、こんなことしてるの?」




シンジの問いに苦笑して、ケンスケはメガネをかけ直す。




「まあね。 ひそかなボクの楽しみさ」

「アウトドアと言えば聞こえは良いんだろうけど、ただのオタク」

「でも俺は、こうやってるだけで結構幸せなんだ」




そう言って笑えるケンスケから、シンジは顔を背けた。

そんなふうに言えるものが、自分には何一つ思いつかなかったから。

けれど。

それ以上に衝撃を与えたのは、ケンスケの次の一言。




「トウジがさ。 気にしてたよ」




鈴原トウジ。

意志の強そうな、背の高い少年。

自分を殴った、あの少年。

自分に謝った、あの少年の名前。




「…どうして?」

「…エヴァって、いうんだろ?あのロボット」

「あれに乗って、泣きながら戦ってる碇を、見ちゃったからさ」




シンジは、何も言えないまま。

ただ目の前の級友を見るしかなかった。

ケンスケは、そんなシンジには気づかず。




「何て言うのかな。 俺たちが考えてるような、格好いいものじゃないんだなって」

「必死に戦ってる碇の姿見て、そう思ったよ。 俺も。 多分トウジも」

「だからトウジ、ちゃんと謝りたいんだと思う」




ケンスケの言葉に、シンジは小さくかぶりを振った。

硬く、硬く右の手を、握りしめる。

逃げた自分に。

逃げ出した自分に…それを聞く権利などないと。

そんなシンジの様子に。

それ以上ケンスケも、その話題に触れてはこなかった。







木の枝を踏みつぶす、足音。

それが眠っていたシンジの意識を、ゆっくりとだが現実にひき戻した。

たき火の灯りに照らし出されて。

スーツに身を包んだ黒服の男たちが、テントを囲んでいる。

ネルフの人間だろう事は、今更考えるまでもなかった。

逃げ道は、ない。

…諦める時がきたのかと。

側でシンイチが、静かに立ち上がったのにならい。

シンジも同じように立つ。




「碇シンジ君だね」

「……はい」

「ネルフ保安諜報部の者だ。 保安条例第8項の適用により、君を本部まで連行する。 いいね?」

「それを決めるのは、あなた方でないでしょう」




…シンジが従うより先に。

黙っていたシンイチが、会話に口を挟んだ。

庇うよう、シンジとケンスケの前に進み出る。




「渚二尉。 邪魔をしないでもらおう」




男の言葉にも動かない。

それが答えだといわんばかり、シンイチは下げた両の拳を軽く握った。

空気が、かわる。

急激に重みをましたような、場の重圧感。

それはシンジにも、その側にいたケンスケにすらも感じとれるほどに強い。

そんな中。

ただ一人先ほどまでとかわらず、おちついた口調でのままで。




「シンジ君。 君はどうしたい?」




男たちに囲まれても。

なおも平静を保った、場違いなほどいつものままの、渚シンイチの言葉に。

シンジはただ、彼の背中を見る。




「君が本部に戻るというなら、オレはとめない。 でももし、君が今それを望まないなら――」

「オレはそれを叶えるよ」




口にした、シンイチの背中はとても大き見えて。

そして何故か。

こんな状況でありながらも、シンジを信頼させるにたるものだった。

―― だからだろうか。

一呼吸してから、シンジの口にした答えは――







深夜遅く。

保安部から入った報告を聞いて、赤木リツコはため息をついた。

受話器を戻し、冷めてしまったコーヒーを口にして、不味そうに顔をゆがめる。

黙り込んだ彼女を、ミサトは怪訝そうに見つめた。




「リツコ。 どうかしたの?」

「…保安部が、シンジ君に接触したそうよ」

「…そう」




ミサトは力無く、そう告げた。

彼女とて、シンジに保安部の人間がついているのは知っていた。

チルドレンは常にネルフの監視下にある。

どう足掻こうと、中学生の彼に逃げることなどできない。

その事を知っていたからこそ。

家を出た後もシンジの居場所を、ミサトは常に把握していた。

家を出たあとの時間を考えても。

シンジが連れ戻されるのはそう遠くないことも理解していた。

けれど――




「それでシンジ君。 いつ頃ここに着くの?」

「……着かないわよ。 当分」




リツコの、ため息混じりのその答えに。

ミサトは怪訝そうに眉をよせた。

どういうことかと、目線で問いかける。

対してリツコは、煙草を一息吸ってから灰皿におしつけた。




「…保安部。 シンジ君を回収できなかったみたいだもの。 たった一人の護衛役を相手に。 無様ね」




渚シンイチ。

シンジが家を出た日から、同じく姿を見せない彼の名前に。

ミサトは顔を強ばらせる。

渚シンイチこそが誰より、シンジの側にいる諜報部員。

シンジの居場所を逐一報告しているのも彼なのに―― その彼が職務を放棄したというのか。




「渚二尉が何故、所属する保安部に抵抗するのよ?」

「私は当人じゃないもの。 聞かれても答えられないわ」

「……居場所は分かってるんでしょ。 どこなの?」

「知ってどうするの? ミサト。 何と言って、シンジ君を連れ戻すつもり?」




リツコの言葉に。

ミサトが返せる言葉は、今もなかった。







夜の闇がうっすらと明けて、朝の色が空を染めようとする頃。

ミサトはようやく自宅に帰ってきた。

仕事が多くあったわけではない。

ただ家に帰りたくなかった。

帰ればそこに少年がいないことを、否応なく実感させられてしまうから。

その事が今は、他の何より辛い。

駐車場に車を止めて。

エンジンをきってから、ハンドルに額をのせた。

シンジは今日も、帰ってはいないだろう。

探しに行けばいい。

迎えに行けばいい。

居場所だって自分の権限になら調べられるのに。

正当な理由だってあるというのに。

それができないでいる自分にあきれる。

自分が悪かった原因に辿り着いた今なお。

シンジに会っても、何を言えばいいのか―― それがわからないから。

迎えに行くことができない。

自分から望んで、家を出ていった少年に対して。

戦い、死ぬために帰ってこいと。

そう言わなくてはならないのが、自分の立場。

冷酷な、作戦部長としての、葛城ミサト一尉。

ただそれだけの人間であったのなら、どれほど楽であっただろうか。

このまま逃げて欲しい。

戦いから。

痛みから。

そう願ってしまう自分は、甘いのだろうか。




溜息をこぼし。 顔をあげる。

ここでこうしていても、何も意味はない。




車を降りてすぐ、人がいることに気がついた。

つくづく今の自分は気が抜けている。

ミサトは護身用の銃をいつでも抜けるよう気を引き締め、そこに立つ人影に目をこらす。




「……渚、二尉?」




顔の大部分を覆う、鳥の嘴を彷彿させる視覚補正用のバイザー。

身を包む白のコート。

まごうことない護衛役。 渚シンイチがそこにいた。







「お疲れのようですね」




先にそう告げたのは、シンイチの方だった。

皮肉でなく、本当にそう思ったのだろう彼の柔らかい言葉に。

ミサトはついつい苦笑してしまう。

嫌みに思えないところが、この少年の魅力なのだろうと。

そんなふうにも思った。




「まあ、ちょっちそうかもね。 それでも、あなた程じゃないわよ?」

「…そうですか?」

「私はデスクワークだもの」




暗に、保安部とのいざこざを皮肉る。

シンイチの方はただ、僅かに肩をすくめただけ。




「オレはあくまで、サードチルドレンの護衛ですから。 シンジ君が望まないなら、保安部には引き渡しません」

「そのやり方は、ネルフという組織に反することになるわ」

「そうでしょうね」




あまりにあっさりと、そう口にする渚シンイチ。

本当に、その言葉の意味する事が分かっているのだろうか。

わかっているだろうに。

少年はただ、微笑んでみせる。

ミサトはそんな彼に対して、もう一度問いかけた。




「それでもシンジ君を、連れ帰る意思はないのね」

「彼が望まない限りは、そうです」

「……なら、私はあなたの敵ね」




言葉とは裏腹に、ミサトの目にネルフで見せる冷たさはない。

あるのは、真剣な面もち。

シンイチをまっすぐに見据えて、続ける。




「それが多分、私のとるべき立場なんだろうけど……ダメね」




あるのはただ、脱力感だけだった。

敵意を見せぬシンイチに、ミサトは力無く微笑んで。

淡々と、気持ちをつげた。




「シンジ君。 できることならもう、戦わなくてすめばとも思うわ…。あの子、この街で私たちといれば。 傷つくだけだもの」

寂しげに微笑を見せて、顔を逸らす。

彼の心からの笑顔なんて、この半月一度として見られなかった。

どうにかしてあげたいと思っても、何をしてあげればいいのかわからなかった。

ならせめて。

これ以上辛い目に遭う前に、逃げて欲しいと思う。




「…シンジ君は、待ってますよ。 あなたが見せたあの場所で」




シンイチの呟いたその言葉に。

ミサトは唖然とする。

待っている。

確かにシンイチは、シンジが待っていると、そう言ったのだから。




「シンジ君が、私を?」




そんなはずはないと、首を振るミサトに対して。

渚シンイチは諭すよう、柔らかな口調でこう言った。




「あなたは今、何を望んでるんですか? シンジ君に」

「それをそのまま、伝えてあげて下さい」







助手席にシンイチを乗せて。

ミサトは車を、この場所に走らせた。

シンイチが居場所を指示したわけではない。

けれどミサトには、ここだけしか思いつかなかったから。

だから迷わず車から降りた。

すぐに見渡せる程度の広さ。

ただ一人。

ベンチに座る少年の背中に、ミサトはかけるべき言葉を見つけられない。




「…大丈夫ですよ」




ミサトの迷いを全て、バイザーの下、見えない目で見透かしたよう。

シンイチが告げる。




「オレはここにいます。 二人だけで、話したい事が沢山あるでしょう」

「…ありがとう」




シンイチに、ただその言葉だけを返して。

ミサトは歩き出す。

一人孤独の内にいる少年の元へと。







背中を見つめながら、思い出すのは。

少年をここに連れてきたときのこと。

あの時。

自分は彼を、どんな気持ちでこの場所に連れてきたのか。







「シンジ君」




声を、かけた。

小さく肩をふるわせて―― 少年、碇シンジはゆっくりと振り返る。

その顔を、そらさず見つめた。




「ミサト、さん」

「…久しぶりって言うのは、何だか変な感じね」




シンジの隣に並ぶよう、ミサトもベンチに腰掛けた。

シンジはこちらを見ない。

ただこの場所から見える、第三新東京市を見つめている。

ミサトも同じよう、前を向いて景色に目をやった。

この高台からは、街が見渡せる。

自分が。

シンジが。

今を生きるこの第三新東京市が。

…この展望台を、シンジに教えたのはミサトだった。

彼をひきとると決めた日に。

その日自分は、どんな気持ちで彼を迎えただろうか。




「…すみませんでした。 勝手にいなくなって」




シンジの、今にも消えてしまいそうな声に。

ミサトは少年へと顔を向ける。




「どうして、謝るの?」




驚きをみせるシンジに、ミサトは微笑んだ。




「私はね、シンジ君。 確かに怒ったわ……命令を聞かなかったあなたにも。 勝手にいなくなったあなたにも」

「だけど、それだけじゃないの…私は私自身に、ずっと憤りを感じてたわ」




ミサトの言葉に、シンジの表情が曇る。

そんな彼に破顔し、ミサトは続ける。




「こんなふうに、あなたと話そうとしなかった」




シンジの目が驚きに見開かれる。

それは少年もまた、しなかったことだから。




「シンジ君、あの時私に言ったわよね。 何もわかってないって」




うつむく、シンジに苦笑して。

ミサトはまた、街へと視線を移した。




「わかってなかったのよ。 だって、わかろうとしなかったんだもの」

「あなたがあの時、何を私に言いたかったのか。 あなたが私に、何を言って欲しかったのか」

「考えてもいなかったわ」

「帰ってきたあなたを叱るだけで……それしか考えていなかった」

「シンジ君を、自分に都合のいい駒として見てる私が確かにいたのよ」




自分の中の溜まったものを、まとめて吐き出すように。

ミサトはそこまで言ってから、シンジに顔を向けた。

自分を見つめるシンジに。




「だから、ごめんなさい」

「シンジ君が、ネルフを辞めてこの街を出るにしても。 留まるにしても」

「これだけはちゃんと、謝っておきたかったの」




…ミサトを見つめる、シンジの顔がゆがんでいく。

どうにか堪えようとして、それでも堪えられずに。

肩を、震わせる。




「ぼくも、しなかった……」




涙を、しゃくりあげて。




「ミサトさんに、わかって、欲しかったのに」

「ちゃんと、伝えようとしなかった」

「何を、わかってほしかったのか、言わなかった…」

「……だから、ごめんなさい。 ミサトさん」




泣き出した、その目の前にいる14歳の少年を、ミサトは胸に抱き寄せる。

シンジからの拒絶はなかった。

その事に安堵する。




「……もう一度。 今度はちゃんと、二人で話しをしましょう。 シンジ君」

「私たちは、血の繋がりはないけれど」

「もう一度。 今度は本当の家族だって言えるぐらい、ちゃんと話をしましょう」




ミサトの胸に抱かれて。

シンジはただ、堰をきったよう泣き続けていた。

ごめんなさい。 ごめんなさいと。

そう何度も何度も、口にしながら。

泣き続けた。

ミサトの胸にかけられた、父の形見の十字架が。

その涙に濡れて光っていた。







抱き合った、二人の姿を見守るように。

渚シンイチは車の傍から、ミサトとシンジをずっと見ていた。

だがもう、それも必要ないだろうと。

遠くの空に顔の向きをかえる。

微笑み。

表情を隠すバイザーに、隠されない口元から、それがわかる。


“これで、よかったのかな……”


他の誰にも見せない。

迷いを含んだ、年相応に幼い少年の呟き。

服の胸元にしまいこんだ、首からかけたペンダントを引き出す。

銀色の十字架。

ペンダントの先につけられたそれを、硬く、硬く、手の中に握りしめる。




託された想いと生きる意思。

それがこの十字架には、確かに込められていた。




「なれますよ。 二人ならきっと、本当の家族に…」




口にした。

その言葉は、抱き合うあの二人に。

そして…。

ねぇ、ミサトさん…

少年の寂しげな呟きは、朝の風に運ばれて、空に消えていく。







暗く、長かった夜が今、ゆっくりと明けていく。

少年を胸の中に抱いた女を。

女の胸の中に抱かれた少年を。

優しく強く、照らす光の中で。

今。

ゆっくりと、夜が明けていく。











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