2009年10月31日 土曜日

テロリストは英雄か?

Filed under: 日記 — miki @ 1時51分

10月26日、ハルピンで伊藤博文を暗殺した韓国人の安重根を英雄視する式典が行われ、韓国人の熱気ぶりを日本の新聞が伝えた。安は韓国から見れば英雄で、日本から見ればテロリストだ。安氏が獄中した日ならともかく暗殺日を記念日にするなど、世界の常識からみれば、日本の対して稀に見る無礼な振舞いだということを岡田外務大臣が韓国に苦言を呈するべきではなかろうか?まがりなりにも日本にとって、伊藤博文は元首相経験者で日本の近代民主主義の基礎を築いた人物である。

 例えば、第一次世界大戦の導火線となったサラエボのオーストリア皇太子暗殺事件。現在、この暗殺日をサラエボ市民が祝ったらオーストリアは黙っていないであろう。

 興味深いことに、中国はハルピンにおける韓国人の熱狂を警戒し、彼らが式典のためにハルピンの目抜き通りに安の銅像設置を許可しなかった。さもありなん!こういった民族主義を容認してしまえば、たとえばチベットやウイグルの闘士が胡錦濤を暗殺し、のちに「中国と戦った英雄」として、中国共産党崩壊後、ラサやウルムチにテロリストの銅像が建てられ中国は面子丸つぶれとなる。

  ともあれ過去の国家間のいさかいは、必要以上に触れないのが先進国のマナーである。それをやったらきりがない。そういった観点で日本のメディアが報道しなかったことこそ、いかに戦後日本が謝罪外交に慣れきってしまったかということの証に他ならない

2009年10月21日 水曜日

靖国神社に眠る兵隊さんに感謝

Filed under: 日記 — miki @ 15時50分

自民党の谷垣氏が靖国参拝したと一部のメディアが性懲りもなく騒いでいる。ならば靖国目くじらメデイアに問いたい。ブッシュ大統領やヒラリー長官が明治神宮に参拝するのは問題ではないのか?靖国を軍国主義の象徴だとして戦前の日本を糾弾するのなら、近代日本は明治維新からとくくることができる。明治天皇は統帥権を持っていた。彼らの論理でいうなら靖国神社より明治神宮に目くじらをたてるのが筋というものだろう。靖国神社に祀られている大半の英霊は一般庶民の人々だ。もちろん不本意ながら戦争に駆りだされ、戦死した方も多いだろう。しかし彼らが国難に殉じて亡くなったことは事実。それにA級戦犯合祀反対も論理破綻をきしている。A級戦犯には岸信介や重光葵なども含まれていたが彼らは戦後、復帰し、重光氏に至っては国連加盟復帰で国際社会から拍手喝采されている。A級戦犯で死刑になった者だけを永遠に罪人として糾弾し続け、生き延びた人間に対しては見てみぬふりをするのはいかがなものか?こういった矛盾の根底にあるのは「東京裁判」なのだから、メデイアが靖国云々などとくだらないことを言う前に、じっくりと東京裁判の検証でもしてみてはいかがだろうか?

 先日、チャンネル桜で私も取材した沖縄集団自決で名誉毀損の訴訟を起こしている座間味島守備隊長の梅澤氏のインタビューを流した。梅沢氏は『鉄の暴風』で「慰安婦と情死した」などと書かれ、大江健三郎の『沖縄ノート』では「罪の巨魁」とまで断罪されている。その理由が島民に自決命令を出したからだとか。単純に考えても、島民を守りに行った軍人が非常事態とはいえ、島民に自決を強要する理由がどうしてもわからなかった。近年、島民からも「軍命はなかった」という証言も出て、軍命によって援護金が支給されたという背景も発覚し、梅沢氏本人の「命令を出していない」という発言も信憑性を帯びてきた。収録の中で「何故私だけ92歳になっていまだ戦争が終わらないのか、、、」梅澤氏の苦渋を垣間見て私も胸がつかえた。梅澤氏のみならず家族の方も冤罪で苦しんできたのだ。真実を知る島民だって苦しかったろうに。”こんなに長年、騒動になっていたにもかかわらず、何故、大手メデイアやテレビが梅澤氏の肉声を取材して放映しなかったのか?”。日頃、正義とか人権を唱えるメデイアは何故、老兵士の声を封印し続けてきたのか?。番組を放映して数日後、梅澤氏から「テレビをみた甥っ子から”おじさんを誇りに思う”と電話がありました。取材してくださってありがとう」と電話があった。梅澤さんに限らず、靖国神社には先人達を誇りに思えるエピソードが山ほど埋もれたまま隠蔽されている。沖縄を守るために知覧から飛び立った特攻隊員も沖縄で戦った日本軍も靖国神社で眠っている。新政権は彼らの存在を無視して無味乾燥な国立追悼施設を作ろうとしているのだから神をも畏れぬ行為だ。

八ツ場ダムにしても羽田空港ハブ化にしても沖縄の基地問題にしても、もう少し言い用と、いままでの蓄積を無効にしないため、段階をへる手段があるだろうに、バッサ、バッサとまるで社会主義革命のようなスピードで、永田町が中学校のホームルームのように見えるのは私だけではあるまい。

鳩山氏も小沢氏もあまり調子に乗らないほうが日本のためだ。ロッキード事件の二の舞ということも大いにありうるだろう。アメリカにそういった工作をさせ、成功させてしまうことこそ、真の属国化を招くというアイロニーに気付いて国政を担っていただきたい。

2009年10月2日 金曜日

「チベットの至宝」は「中国の栄光」か?

Filed under: 日記 — miki @ 12時33分

 いま上野の森美術館で『聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝』と題された展覧会(平成21年1月11日まで)が、賑々しく開催されている。その入り口の挨拶文にこうある。「中国の大地は美しく荘麗であり、チベット高原の山河はとても重大です。遥か昔の時代、青蔵高原のこの不思議な土地に暮すチベット族の祖先は、独特な高原地域の文化を創造しました。(略)私たちの祖先は、とりわけ恵まれた自然環境のもとで、東西に連なる地理的条件を生かして、中国文化の養分を吸収し、また周辺民族の芸術の精華を取り込み、それらの全てを受け入れて一つに融合させました。そして質朴で、精妙で、奥深くとても美しい宗教と歴史の文化を育んだのです。それは中国栄光でもあり、また人類の文明にとっても素晴らしいことであったといえましょう。民族の文化を発揚し、文明の成果を共に享受し合い、中国を世界に向かわせ、世界の人々に中国を理解していただくこと、それらは私たちが心から願うことであります(以下略)」 入り口近くにいた学生らしい二人連れがこうささやきあっていた。「ひでえ、これ!中国がチベット人を虐殺して、盗んできたものだろう!」「こんなものを新聞社やテレビ局が主催していいのかよ?」。彼らの疑問も尤もだ。財団法人日本美術協会・上野の森美術館に次いで、主催者として朝日新聞社、TBSと日本を代表する新聞とテレビの名が麗々しく並んでいたからだ。中国がチベットを侵略したのは世界の目や耳が朝鮮半島(朝鮮戦争)に集まっていた1950年。第2次チベット民族の蜂起があったのは1959年。この時、中国の指導者であるダライラマは民衆のそれ以上(120万人が虐殺されたとされている)の流血を避けるため、インドに亡命、ダラムサラに亡命政権を樹立した。それから40年、昨年6月にはチベット各地で第3次民族蜂起ともいえる騒動が起き、三度、中国人民解放軍より弾圧され多くの血が流れた。背景にあったのは8月の北京五輪を控え、中国が聖火リレー等で、チベットを中国の一部として世界に喧伝し、チベットの完全支配を既成事実化しようと企んでいたからだ。このため北欧や英国、アメリカ等、世界各地でチベットに同情するデモや抗議行動が巻き起こった。日本でも一般市民のみならず長野県の善光寺や一部の僧侶、人権団体などが聖火リレーをボイコットし、中国に対する抗議声明を発表した。この騒動はわずか14ヶ月前のことであり、朝日新聞もTBSも嬉々としてその事を報道していた筈だ。

ちなみに「国境無き記者団」によれば、日本のジャーナリズムの自由度や真実追求の実情は世界180カ国の内の50位、先進国のダントツ最下位である。牢固な記者クラブ制度に胡坐をかいて情報利権を手にするだけでなく、こうした真実追求の姿勢の欠如もカウントされている結果であることはいうまでもない。一体「ジャーナリスト宣言」というCMの惹句は何処へ行ったのか。日本のメディアの劣化はとどまるところを知らない。

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