Adams 女史はアメリカで学位を取得し、その後2 年間を日本の丹下健三事務所で、4 年間をドイツで過ごした後、NASA のJohnson Space Center に入所しました。ISS (国際宇宙ステーションでの利用を想定した居住ユニット「TransHab 」の開発に携わったことで国際的にも著名な人物です。
女史はまずSF 小説や映画の世界で宇宙の居住空間に関する構想がどのように変化してきたかを論じ、1961 年ガガーリンのボストーク1 号から始まる有人宇宙飛行の中で展開されてきた宇宙での居住空間の設計内容の変化と、回を重ねるごとに明らかになってきた技術的課題をわかりやすく解説した後、自ら開発に携わった有人火星計画における居住ユニットのプロトタイプである「Bioplex 」と「TransHab 」の開発経緯を紹しました。
これら二つは将来的 に長期化する月や火星の探査計画を考慮して開発が進められてきた居住専用ユニットです。火星までは片道の移動で6 ヶ月、期間までには800 日を要する計画となっており、この間宇宙飛行士は厳しい宇宙環境中で外界からほぼ遮断され、閉鎖型循環社会で生活することを意味しています。
Bioplex は火星上での居住施設であり、生物学的な再生手段を用いて、95 〜100 %の効率で閉鎖循環型社会を稼動させるものです。Adams 女史はこのプロジェクトに置いて、大きく場所をとる機械の居住スペースへの侵食をくい止め、機能的な内部空間のボリュームの確保、プライベートとパブリックのバランスの変化が乗員とその組織に与えるインパクト等を研究しました。
またTransHab は、宇宙航行用の居住施設であり、インフレータブル構造を採用した最初の有人宇宙機です。パブリックもプライベートもどちらの空間も取れないような狭く圧迫感のある閉鎖空間で、火星への半年間の移動を行うことは、肉体的精神的に多大な苦痛を伴います。少しでも広くゆとりのある空間の確保が必要ですが、スペースシャトルに一度に乗せられる容積にも重さにも限界があり、また何回にも分けて構造物を打ち上げ組み立てを行うには莫大な費用が必要となります。
そこで考えられたのが、インフレータブル構造であり、折りたたんだ軽く非常に強い膜を内圧をかけて風船のように膨らませるものでした。これにより、現在の組みあがった状態で打ち上げられるISS モジュールと同じ容積同じ重量で、その3 倍の空間を生み出すことが可能になったのです。
インフレータブル構造は、それのみでは軽量で完全に強度を持つとはいえませんでした。トランスハブの非常にすばらしく新しい点は、インフレータブル構造の内部にさらに剛構造を結合させたことでした。軽量で再構成可能なコア構造は打ち上げ時の加速度による力に耐えられるように複合材料で作られており、その内側の取り付けられた棚に収納された機械もまたこれに守られています。一ヶ月かけてコア構造のトラスの組み立てやインフレータブル膜の展開が行われるにつれ、これらの棚も機械を収納したままそれぞれの位置に移動していき、機械室や仕切り壁にと形を変化させていきます。 Adams 女史はこういった組み立て課程の推敲を主に担当していました。
また、全体の空間は位置の検討には宇宙飛行士も参加し、乗員の活動を容易にするため検討が行われ、3 つのフロアーに分割されたプランが展開されました。
ヒューマンファクターを専門としているAdams 女史は今回の講演で、いわば「居住可能な機械」であった宇宙建築物に、快適という要素が必要であるということを強く示しました。今後宇宙滞在時間の長期化に伴い、宇宙建築の設計には益々快適性が重要になっていきます。さらに多くの一般市民に向け、宇宙旅行を商業化しようとしている現在、この実現のためには誰もが快適と感じられる宇宙木や宇宙建築物が必要になります。そのため、ヒューマンファクターや快適性の追求は、今後の宇宙建築物の設計にあたりまさに重要な要素になっていくといえるでしょう。
Image: NASA's TransHab module, attached to the International Space Station. TransHab designed by Constance Adams
Image: NASA's TransHab module
Image: The TransHab, cut-away to reveal the exercise room and a "pressurized tunnel" no home in space should be without
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