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生物学だけでなく、人間観を一変させたチャールズ・ダーウィンの名著『種の起源』が発売されたのは、ちょうど150年前の今日だった。
ダーウィンが生まれたのは1809年2月12日だから、生誕200年でもある。同じ日、後に大統領として米国の歴史を変えることになるエイブラハム・リンカーンも産声を上げている。
今年は、進化論にとって記念すべき年とあって本の出版や催しが続いている。進化の観点からヒトという生物を改めて考え直す機会かもしれない。
ダーウィンがビーグル号の航海で進化の着想を得てから発表するまでに、実に20年以上かかっている。熟慮の産物だ。教会はじめ社会の強い抵抗が予想されたからでもある。ローマ法王が「単なる仮説以上」と進化論を容認したのは1996年になってからだ。
すべての種は進化し、枝分かれしてできた。ヒトとチンパンジーとの遺伝子の違いは1.2%という最新の研究も、その近さを示し、ダーウィンの正しさを立証している。
ヒトは決して特別な存在ではない。
地球環境の大変動をくぐり抜け、ダーウィンのいう、進化の産物としての生物の「めくるめく多様性」ができあがった。それを人の手で損ないつつある今、ヒトの位置づけを知ることがますます重要になっている。
ところが、いまだに多くの人が天地創造説を信じ、教育現場でも進化論への反発が強いのが米国だ。科学の復権を掲げたオバマ政権の登場で、進化論の受け入れが進む社会への「チェンジ」も期待したいところだ。
進化論には日本の貢献も大きい。
ダーウィンは進化の原動力として、生存や繁殖に有利な変異が広がっていく「自然選択」を提唱した。
これに対し、たんぱく質などの突然変異の約8割は有利でも不利でもないとし、1968年に「分子進化の中立説」を唱えたのが故木村資生博士だ。残るかどうかは偶然、というわけだ。
当初は強い反対にあったが、今では、自然選択と並んで進化論を支える二本柱として認められている。
長谷川真理子・総合研究大学院大教授によれば、生物はそんな変異を数多くため込んでいる。その中のあるものが、環境が変わったときに働きだす。
例えば、南極にいる血液が凍らない魚は、大陸移動で海水が0度以下になる環境ができたときに、たまたま抱えていた変異が役立ったらしい。
一方、人類はこの1万年ほど、自らの手で環境を大きく変えてきた。その中で子どもの育ち方も一変した。五感のうち視覚情報が多様化する一方、他の感覚は平板になりがちだ。
自ら作り出した環境によって人類はどう変わっていくのか。ヒトの未来にも思いをはせてみたい。
動き出した公共事業は止められないのか――そんな疑問を改めて投げかける事例が、沖縄で起きている。
本島中部東側に位置する沖縄市沖の泡瀬干潟の埋め立てについて先月、福岡高裁那覇支部が費用支出を差し止める判決を出した。だが東門美津子市長は今年度中に新たな土地利用計画を作り直し、埋め立てを続ける考えだ。県も市に歩調を合わせている。
泡瀬干潟は南西諸島最大級で、100種以上の希少生物が生息する。その干潟を含む約187ヘクタールを埋め立てて人工島を造成し、ホテルなどを誘致しリゾート施設などを整備する。
この計画を実現するために国と県による埋め立てに約489億円、県と市による海浜開発に約300億円がかかる。原告側は、自然保護や経済性の観点から工事差し止めを求めた。
高裁は、経済的合理性がないまま事業を漫然と進めることは違法だと判断した。昨年11月の一審判決を踏襲する考え方である。ただ一審判決が「すべての公金支出差し止め」を命じたのに対し、高裁判決は、計画の見直しや埋め立て免許変更に必要な調査費と人件費の支出は適法だと認めた。
沖縄市長が控訴審判決を受け入れて上告せず、計画を作り直す考えを示したのは、これを根拠にしている。
だが一、二審で経済的合理性を否定されながら撤退に踏み切らないのは、判決の趣旨に沿っているだろうか。
確かに高裁判決は事業継続の可能性を残した。しかし見直し案が経済的合理性を確保するには「相当手堅い検証が必要」と厳しい注文をつけている。まず「継続ありき」の考え方であってはなるまい。事業の必要性をゼロベースで問い直し、だれもが納得できる経済的根拠を示す必要がある。
元の計画にもとづく今年度の入札を取りやめ、埋め立て事業を一時中断した前原誠司沖縄担当相には、新たな土地利用計画にも妥協を許さぬ姿勢で臨んでもらいたい。
そもそも埋め立ての根拠法となる「公有水面埋立法」は事業中止を想定していない。この事業をめぐって、そんな法の不備も明らかになった。
島根、鳥取両県にまたがる宍道湖・中海の淡水化事業は88年に凍結されたが、中止までに長い年月を要した。根拠法の「土地改良法」に中止の手続きがなく、01年の改正でようやく事業廃止手続きの項目が盛り込まれた。
ほかにも道路やダムの公共事業に法律上の中止規定がない。公共事業を中止する時には、政府や県が負担した事業費の精算や地元への補償などが不可欠だ。危機的な財政事情や経済効果を考えても公共事業を大盤振る舞いできる時代は終わった。
公共事業から撤退する際のルールづくりを急がねばならない。