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エネルギーでみる大東亜戦争


伴 一孝


大東亜戦争を,「エネルギー」の面から見直してみる授業である。具体的資料をもとに,「石油 電力等のエネルギー問題は,戦争をも引き起こす」という側面を教える。



以下のグラフを配付して,次の指示をする。

日・米兵器生産力(昭和16年〜20年)

(クリックするとグラフが表示されます。)

航空機
戦車
砲弾
火砲
小銃
砲一門あたりの砲弾

<指示1>このグラフを見て,気づいたこと 考えたこと 思ったことを,ノートに箇条書きにしなさい。

3分後,列指名で12名に発表させた。

<説明1>これらのグラフは,この前の戦争,「大東亜戦争」と言いますがその当時の日本と,対戦相手の中心だったアメリカ合衆国との兵器生産力を比較したものです。グラフを見ても分かるように,当時日本は、20倍の力をもつ相手と戦っていたのです。

「○○君がプロレスラーと喧嘩したようなものだ」と言うと,笑いが起きた。

<発問1>今のみなさんだったら,このような相手と戦争しようと思いますか。

子どもたちは「絶対にやらない」と言う。

<説明2>当時,日本は,年間400万klの石油が必要でした。しかし,国内でとれる石油は30万klしかなかったのです。(数値を板書)

<発問2>残りの石油は,外国からの輸入に頼っていました。どこの国に頼っていたと思いますか。

アラプ ロシア 中国 アメリカ合衆国が出された。

<説明3>輸入する石油のほとんどを,日本はアメリカ合衆国に頼っていたのです。

「どうしてそんな国と戦争をするんだろう」と言う子がいた。

<発問3>もし,このアメリカ合衆国から来る石油を,止められたら,どうなると思いますか。

<指示2>ノートに,考えられること 思ったことを書いてごらんなさい。

3分後,列指名で12名に発言させた。

次に,他の意見を書いている子を起立させ,全て出し尽くさせた。

<説明4>石油が止められたらどうなるかというのを,今から20年ほど前に本に書いた人がいます。今は大臣になっています。経済企画庁長官の堺屋太一という人です。その人の本では,次のようになっています。

以下の文章を,子どもたちに短く予想させながら,板書していった。


<石油輸入量が70%減った場合>

10日後 変化なし

2O日後 政府の規制によりGNP少し低下:96

30日後 更に低下 GNP:80〜90台

40日後 更に低下

50日後 更に低下 GNP:88

60日後 備蓄石油O GNP:40〜60台

70日後 GNP:78

100日後 死者 数千人

150日後 死者 30万人 GNP:34

200日後 死者 300万人 国民の財産の7割が消失 GNP:23

「油断1」(日本経済新聞社)


100日後からは,驚きの声があがった。

<説明5>200日後の状態は,大東亜戦争の3年9ヵ月間と,同じ被害になるのです。時代は違いますが,「石油を止められる」ということは,戦争よりもずっと大きな被害をこうむることになるのです。

子どもたちは,じっと聴いていた。

<説明6>そしてアメリカ合衆国は,日本に対して,それをやったのです。1941年8月のことでした。その上,他の国からも,日本に石油が入らないようにしました。

<発問4>みなさんが当時生きていたとしたら,どうしますか。

「なんとか,他の国に一所懸命に頼むだろう」「黙って死んでいくよりは,やはり戦いを挑むだろう」等の意見が出た。

<説明7>当時の人々は,「じっとして死を待っよりは・・・」と,20倍の方をもつアメリカ合衆国と戦う決意をしました。そして12月,ついに大東亜戦争が始まりました。石油を確保するために,当時フランスやオランダが侵略していたインドシナに兵を進めました。

ここで,下記の表をプリントしたものを配った。

原油生産高推移

授業で使用した図表の出典「日本軍敗北の本質」(新人物往来社)


<説明8>この表は,当時の世界の原油生産高です。これを見れば分かるように,日本が石油を手に入れようとするならば,蘭印つまり「オランダが侵略していたインドシナ」に進むしかなかったのです。

<発問5>これは「偶然こうなった」のだと思いますか,それとも「こうなることが分かっていて,アメリカ合衆国が石油を止めた」のだと思 いますか。

挙手で意見を確認した。ほとんどの子が,「こうなることが分かっていて,アメリカ合衆国が石油を止めた」に手を挙げた。

<説明10>戦争が進むにつれ,じりじりと日本は弱っていきました。インシナから石油を運んでくる船を,沈められていったからです。

次のグラフを印刷したプリントを配付した。

石油の生産推移

<説明11>昭和20年,ついに日本の石油はほとんど底をついてしまいました。そして8月,つまり戦争が始まってから3年9ヵ月後に,広島と,この長崎とに原子爆弾を落とされました。日本にはもうほとんど戦う力はなかったのに,落とされたのです。こうして戦争は終わりました。石油,つまり,エネルギーの源となるものがあれば,戦争を始める必要はなかったし,敗れることもなかったのです。今の日本でも,これは同じなのです。


(『総合的な学習の時間に行う「エネルギー・環境の授業」』エネルギー教育全国協議会九州支部 著、pp.17-21)

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