【ソウル大澤文護】韓国釜山市内の室内実弾射撃場の火災で大やけどを負い、同市内の病院で手当てを受けていた長崎県雲仙市の中尾和信さん(37)が22日午前5時20分(日本時間同)、多発性臓器不全のため死去した。釜山の日本総領事館が明らかにした。この火災での死者は計12人、うち日本人は8人となった。
病院によると、中尾さんは全身の90%にやけどを負い、皮膚移植などの手術を受けたが、同日未明に容体が急変した。釜山市事故対策本部は遺族と協議し、遺体の日本への移送日程などを決める。
火災ではほかに雲仙市の笠原勝さん(37)ら日本人3人と韓国人1人が重度のやけどで治療を受けている。
「涙、涙、涙です」。長崎県雲仙市の会社員、中尾和信さん(37)が死亡した22日、火災で先に亡くなった荒木英輝さん(36)、宮崎英生(ひでたか)さん(36)の葬儀が雲仙市内で営まれ、地元は改めて深い悲しみに包まれた。
中尾さんは中学時代、実家の農業を手伝い、部活動はしなかったが、高校で初めて野球部に入り活躍した。友人は「小柄だが運動神経に優れていた。野球のセンスもあった」といい、温厚な性格で誰からも好かれていたという。兄義明さん(38)=福岡県新宮町=は雲仙市の実家で「残念でたまらない。兄から見てもまじめな男だった。まだ雲仙市の3人の仲間が頑張っているので、皆さんには3人への支援をお願いしたい」と声を震わせた。
一方、21日に息子の大久保章(あきら)さんを葬儀で送り出したばかりの父信一さん(64)は、宮崎さんの葬儀場で、中尾さんについて「うちにもよく遊びに来て自分の子供のようだった。優しくて明るい子でした。負傷している3人には元気で帰ってきてほしい。残された家族で力を合わせ、助け合っていかんばと思っている」と振り返った。
まちづくり団体で中尾さんと活動した鉄工所経営、稲田信忠さん(40)は「中尾さんは安否不明から生存していると分かり、喜んだのに。でも、火災から1週間以上もよう頑張った。お疲れさんと言ってやりたい」と悲しみをこらえていた。
荒木さんの葬儀に参列した同市内の農業の男性(58)は「何で一生懸命働いている若者がこんな目に遭わんといかんのか。町を担う若者を失った」と苦渋の表情だった。【古賀亮至、下原知広】
毎日新聞 2009年11月22日 13時07分(最終更新 11月22日 20時27分)