2009年11月16日

「アニメーターに不躾ながら色々聞いてきた。」についてアレコレ

「瞼がゴロつく一日(ライトにサブカル)」の「アニメーターに不躾ながら色々聞いてきた。」(http://d.hatena.ne.jp/yoko-sen/20090919/1253386370)がいろいろ話題を集めているようです。はてなブックマークでは良エントリー扱いのコメントも多いのですが、僕の目から見るといろいろ疑問が多い内容でした。どのへんが疑問が多いのか。twitterでの発言をまとめて、さらに増補してみました。

ひとことで言うと、ずいぶんヘンなエントリーです。アニメーターの仕事回りについてはある種のリアリティが感じられないこともないですが、製作まわりはかなりハテナがつく内容です。このエントリは、アニメーターさんが喋ったものを別の人がまとめた、という体裁なんですが、「発言者があやふやなことを言っている」「まとめている人がアニメに疎い」が重なり合った結果がこのヘンなエントリー、ということかもしれません。

一番の誤解は広告代理店の役割でしょうか。たとえば「電通っていうのは、ここで確実にスポンサーを集めてくることにその価値の大半があった。」というくだり。もちろん広告代理店もそういう働きをすることもあるでしょうし、企画の主体となることもありますが、深夜アニメなどでは一番大事なのは「放送枠を手当すること」。各局が大家だとすれば広告代理店は不動産屋。時間帯移動から放送上のトラブルシュートまで、店子(番組)と大家(放送局)の間で、あれこれ調整作業をするのが大きな仕事になっています。もちろんその仕事故に、大家よりも店子よりも声が大きくなることはあるでしょうけれど。

それから「広告代理店の制作費中抜きもあるが」という十年一日の「搾取論」。もとは経済産業省の報告( http://www.meti.go.jp/policy/media_contents/downloadfiles/kobetsugenjyokadai/anime200306.pdf)が火種と思われますが、こうした「搾取」といわれるものがどこまで「搾取」なのかはあやしいところ。単純な搾取というよりも、むしろそこにある問題は「出版社社員の給料が高すぎる批判」と似てるように僕は感じてます。

たとえば「ニセモノの良心」(http://soulwarden.exblog.jp/6469132/)
の指摘、あるいは先日の法政大学のイベントでの広報マンのコメント( http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-4077.html) などが、「搾取」という見方を否定しています。

広告代理店の「搾取」については、webラジオ「偽・うpのギョーカイ時事放談SUPER! 」第4回で言及があったそうです。ここで「なんであんたら通さなきゃなんないのよ、あんたらなにもしてないのに!」ということに対して、代理店の人が「既得権です」と言った、というエピソードがあるそうですです。これは現場の人だからこその「不満」であろうとは思います。でも、本当に「すべて」(ここ大事)の広告代理店が「既得権」だけで噛んでいるかどうかは、検討する余地はあるでしょう。とっくに広告代理店はずしが起きているでしょう。その取り分が適正かどうかはさておき、少なくとも仕事はあるし、仕事をしているから、坐組に入っているわけで。

このエントリーが製作関係に無知だなと思うのは特にこの部分。「たとえば最後のテロップに出てくるプロデューサーという役職。これはスポンサー企業から出向してきた人間。」という記述。アニメディアで連載中のアニメのできるまでを追う大河連載(?)「アニメ野望の王国(キングダム)」の第2回でプロデューサー、第3回で製作委員会を取り上げたので、読んでもらいたいなーと思いました(笑)。

プロデューサーと呼ばれるのは、「出資した会社の担当者」だけでなく「制作現場の責任者」「TV局の担当者」も含まれます。この中で誰がリーダーとして全体を統括するかはケースバイケース。出資比率の一番高い会社のPがやることもあれば、原作付きだったら出版社の担当者がやることもある。そもそも「出向」なんてしてないですしね。

プロデューサーの話になったので、このエントリーのジブリの鈴木PDのくだりもみてみましょうか。「ジブリはオリジナルがつくれる。これはどういうことか。ジブリにはバックに日テレがあって、そこと交渉できる徳間書店の鈴木プロデューサーがいる。」。確かにジブリの歴史において魔女宅で日テレと組んだことが大きかったのは事実。でも、ジブリと日テレの関係でオリジナル企画が可能になる、というのは、これまで世に出ているジブリ関係の資料を読めばちょっと微妙な結論の出し方でしょう。むしろオリジナル企画という高リスクをとるのは配給の東宝なので、東宝とのパートナーシップの強固さのほうが重要なのでは? このあたり、事実ベースでなく、印象で語っているように見受けられます。

あと「エヴァの時に業界にお金が流れてきたが、業界が儲ける構造を作ることができなかった」というのが、どういうビジネスモデルを想定されているのか、ちょっとよくイメージできませんでした。ヒット作の後に業界がお金が流れ込んでも、それはあくまで制作費のはずなので、構造転換を促す要因になるのかしらん、と。あと自転車操業は、エヴァの前からそうだったんじゃないかしらん、とか。ただDVDセールスがメインになった結果、出版業界と同じ「一つの売上げ低下は、発売点数でカバーする」という事態になったということを言っているのであれば、わからないでもないです。

あと、本質的でないライター的なひっかかりとしては……
元請けの例として「サンライズやシャフト、京都アニメーション」と並ぶところ。、シャフトや京アニは「下請けとしてまず力を発揮したスタジオ」として有名なので、元請けの代表としてサンライズと並ぶと違和感がちとありますね同じくDR MOVIEがサンライズと縁が深いという記述も?。サンライズ作品にも名前が出ることはありますが、やはりDRはマッドハウスでは? とか。

アニメーター関連の部分になると、デティールが増えて、生々しくなってくるのですが、ちょこちょこと疑問がある部分も。アニメーターの生活のところで、原画マンの「拘束料」にまったく触れていないこと。その一方で、「動画マン・原画マンは、契約社員として働いている」という言い回しが出てくること。「アニメを知らない聞き手にわかりやすく説明をした」結果かもしれませんが、ちょっと実態をうまく言い表しているとはいいづらい表現ですね。

文句ばっかり言ってもなんなので、よかったところも――。
いいなと思ったのは、新しく入ってくる動画が使い捨てとしてしか見なされないことが閉塞感の一因であると語っている部分。先日もちょっと自主的に某氏にお話を聞いた時に指摘されていたのが、「アニメ業界のネックはリクルートと新人育成」という話でした。端的にまとめると「原画マンになるには、それ相応の能力がいる(だれでもなれるわけではない)」「しかし実際は、玉石混淆の状態で大量に動画マンとして業界に入ってきて、安い単価で働くことになる(これが使い捨て化の一因)」「中国に出す動画と、能力ある原画マンを育てるためのプロセスとしての動画をわけて考えるべき」「そして後者には人材育成のための投資としてのお金がかけられるべきだろう(つまり単に動画の単価をあげればいいという問題ではなく、適正な投入が必要だということ」。この考えに立つと、エントリー中にもある京都アニメーションやP.A.WORKSの強さは、インハウスで動画を抱えることが人材育成に直結している、と言い換えることができるように思いました。

ちなみにJAniCA(エントリー中でいっている「賃上げの団体もあるが、それが当初想定されていた機能を果たしていない。」はこのことかな?)がアンケートを行い、業界の価格の平均値が発表されてます。今敏監督のブログの記事ですが、ご参考までに:http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/2009/05/28/aai/

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最後になりましたが「オタク大賞R5.5」にご来場の皆様ありがとうございました。それから工学院大学朝日カレッジにおける「アニメ史・試論」も現在3回を終え、無事進行しております。最近はtwitter(@fujitsuryota)でもちょくちょくつぶやいおります。ご興味あれば是非どうぞ。




personap21 at 01:12│TrackBack(0)この記事をクリップ!

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