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元靴職人、地域貢献に生きがい 仙台で革細工教室や格安修理

根白石小で小銭入れ作りを教える早坂さん。地元の児童館で習った子も多く、地域の恒例行事になっている

作業場でミシンに向かう早坂さん。手前のバッグやベルト、保険証入れなどはオリジナルだ

 半世紀近い靴職人の経験を生かしてボランティア活動に励む男性がいる。仙台市泉区根白石の早坂敏さん(74)。捨てられるはずの革の切れ端で小物を作ったり、リフォームの材料にしたり。地元で教える革細工教室も好評だ。地域貢献に生きがいを見いだし、充実した第二の人生を送る。(夕刊編集部・梅木勝)

 根白石小(大竹登校長、111人)で先日開かれた革細工教室。「今日は世界に一つしかない小銭入れを作ります。革細工はずっと残るので、作ったことを忘れません」。3年生19人を前に、早坂さんが元気な声であいさつした。

 子どもたちはポンチと呼ばれる工具を金づちで打ち、革にハートや星形の穴を開ける。裏からラメテープを張ると、刻んだ模様がキラキラ光って鮮やかだ。早坂さんが仕上げに留め金を付けると完成。教室は、地元の福岡小や児童館などでも行われている。

 靴職人だった早坂さんは59歳の時に職を失った。仙台市内のメーカーで紳士靴の上部(アッパー)作りをしていたが、安い海外産に押された会社の業容縮小などに伴い、退社を余儀なくされた。

 「職人だからもっとやるつもりだった。『早めに引退したと思えば』と周りから言われたが、下の息子がまだ高校生だっただけに、失業中はじっとしていられなかった」と振り返る。

 正規の働き口は簡単には見つからなかった。生活のため、靴磨きの道具を自転車に積んで近所を回り、スキー場のリフトの切符切りもした。だが、常に胸中にあったのは「革職人としての腕を生かしたい」という思いだった。

 ある日、縫製工場の知り合いから「半端物を使って革細工をやってみては」と勧められた。

 ポーチ、携帯電話のホルダー、トレー、コースターなど、独学で制作に励んだ。知人に「母の形見の帯で何か作れないか」と頼まれ、底や取っ手部分を革にし、帯を模様にあしらったバッグにしたら感謝された。人に喜ばれ、自分の腕も生かせる。やりがいと同時に、自分を生かせる道が見つかった気がした。

 早坂さんが靴職人の世界に入ったのは15歳の時。戦後、進駐軍のアメリカ兵が履いていたチョコレート色のブーツにあこがれたのがきっかけだった。職人が誇りを持って輝いていた時代。中学卒業後、仙台の靴屋に弟子入りし、以来勤め先は変わっても一貫して靴職人の道を歩み続けた。

 「若いころはバス代もなく、根白石から仙台市内まで自転車で片道1時間半かけて通った」。帰宅後も内職するなど生活は楽ではなかったが、好きな仕事は苦にならなかった。

 自作の革細工の大半は近所の人にプレゼントする。妻こよさん(66)も「とにかくまじめで一生懸命。町内会の旅行などでは、ビンゴ大会の景品用に作ったりするのよ」。修理も実費を受け取る程度で、収益の一部は社会福祉協議会などに寄付してきた。「貧しい時代に助けてもらった世間への恩返し」と言う。

 自宅離れの作業場では毎朝、ミシンや工具に「きょうも頼むよ」と声を掛ける。修業時代に身についた「もったいない」という思いから、半端物を使うことにこだわる。

 「ちっぽけな革細工を作ってばかなことやっていると思われても、これが生きがいだからね。手に職があることに感謝し、これからも丈夫な限りはやるよ」。「生涯現役」を貫こうとする姿勢は、あくまでも前向きだ。


2009年11月21日土曜日

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