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ウタリ協会が「アイヌ協会」に名称変更した意味

Esaman2009/04/02
 ウタリ協会が、「アイヌ協会」に名称を変更しました。ウタリ協会(アイヌ協会)の理事長によると、「名称変更は、翻弄されたアイヌの歴史を物語っている。これからは民族名に誇りを持って進んでいきたい」とのコメントを話していたとのこと。まさに、そのとおりかと思います。

●アイヌ協会でなくて、ウタリ協会だった理由は?

 知らない方もいると思うので、少し説明しますと、北海道には、アイヌの最大の民族団体である「社団法人北海道ウタリ協会」という組織があります。(いまは「アイヌ協会」になっているのですが、とりあえず、ここでは「ウタリ協会」としておきます)

 この組織は「アイヌ民族の尊厳を確立するため、その社会的地位の向上と文化の保存・伝承及び発展を図ること」を目的とした社団法人で、北海道に住んでいる(住民票のある)、アイヌ民族の人達と、その家族が参加しているものです。

 会員数は、参加の仕方が変わったり、社会情勢によって変化したりするので、その時々によって違いますが、どの数字を取ったとしても、最大のアイヌの民族団体であることは確かです。

 もちろん、色々な理由からウタリ協会に関わっていないアイヌも、それなりの数いるわけですが、何をもって「アイヌ民族」とするか、という話も、色々とあるので、ここでは、そのあたりの話は、とりあえずはおいておきます。

 参考: アイヌとは誰のことか? 人口は?(paetok puyar BBS)

 ウタリの(つまりアイヌの)生活相談をしたり、アイヌ民族文化祭や、各地のアイヌ民族の伝承活動なども行っている組織です。もちろん、ウタリ協会との関係の薄い、あるいは全く関係のない、そのような活動もありますので、ウタリ協会がアイヌ民俗の活動の、すべてではありません。ですが色々な意味で、ウタリ協会は、たいへん存在感の強い組織であることは確かです。

 (アイヌ文化振興財団ができてからは、文化や言語に関する活動の結構な部分が、財団からのお金でも、開催されるようになっています)

 さて、そのような団体なのですが、何ゆえに「アイヌ協会」を名乗ったのでしょう?

 ご存知の方も多いと思いますが、あくまでサラっと説明しますと、戦後、1946年に社団法人北海道アイヌ協会として設立して、しばらく活発に活動したものの、色々とあってしばらく活動が停滞。ある程度たって活動を再開したものの、当時はいまだにアイヌに対する差別が厳しく、アイヌ協会という名前では、ちょっと参加しにくい、という人がいたり、アイヌという名前を名乗るのが難しい、という人がいたりして、1961年、アイヌ語で「同胞・親戚・仲間」などを意味する北海道ウタリ協会に名称変更して、現在に至る、という話です。

 (30代という私の年代では、その変遷を実際に見たわけではないので、人から聞いた話をもとにした記述になります)

 ここで、必ずされるのが「どんな差別だったのか」という話なのですが、色々と年配の人に話を聞くと、確かに差別は色々なところにあって、大変だったということは、よくわかります。また「アイヌを名乗って」色々なところに顔を出して、それなりの年月を経てみると、確かに今でも、しつこく差別はあるなと、痛感します。ですが、その話は長くなるので割愛します。

 (差別について本当に知りたければ、記者のみなさんが取材をしてください。手間と時間をかけて取材すれば必ずわかります。ネットや集会などで片手間に聞くのではなく、本気で取材すればわかります)

 ここで誤解をしてほしくないのは、必ずしも「ウタリ協会」という名前が、悪い名前ではなかった、ということです。私も、まだ若かった頃「民族名を名乗れないからウタリ協会になっているんだから、情けないべや」という単純すぎるアホ丸出しの話を、あるご老人にしたところ、

 「別にウタリは悪い意味じゃないんだから、それで参加できる人が増えるならいいんだよ。」という、よく考えたら当たり前のことを言われて、妙に納得したことを、思い出します。

 その話を聞いて、帰りに、かでる2・7(ウタリ協会の入っているビル)に立ち寄った時に、ウタリ協会の看板には、英語では「Ainu Association of Hokkaido」と書いてあり、そのバランス感覚にといいますか、妙に納得したのを覚えています。

 もちろん、アイヌの協会なんだからアイヌ協会に、という意見の方もいて、ウタリ協会をアイヌ協会に戻そう、という議案は、ウタリ協会の総会では、過去に何回か出されていたけども、なかなか通らなかったそうです。そして今回の決議に際しても、反発はあったそうです。

 個人的には、英語訳と日本語が一致しているほうが、よいと思います。ですが『アイヌ』という言葉には、世代によって、色々な思いが交錯しています。もちろん、良い意味のものだけでなく。


●大切なのは『誇り』の中身。そして責任者の自覚。

 また今回の「民族の誇り」についても、すこし思うところがあります。個人的に、私は「アイヌであることに誇りなんか必要ない」と思っています。

 これは、ごく単純化して話をすると、自分は「日本人としての誇り」という言説を熱心に話している人たちを見ていて、不信感というか、相当にいい加減なことを言っている人が、少なくないな、という印象をもっています。そして、アイヌの場合も、そんなことをしたら、大変なことになるんじゃないか、と思ってしまうからです。

 とはいえ、

 「アイヌ民族として、アイヌ語を勉強して話せるようになったこと」
 「アイヌ民族として、民族の歴史を勉強して、理解していること」
 「アイヌ民族として、年寄りの話を聞いて、それを忘れないようにしていること」

 などの、具体的な「その人の努力の結果」にたいして「誇り」を持つことは、とても大切な意味があると思います。そのような、宙に浮いていない、中身のある『誇り』を、誰でも手軽に取り戻せるような社会が、はやく来て欲しいと思っています。

 そして、今回のウタリ協会の名称変更で謳われている『民族の誇り』というものもは、そのような機会を増やして欲しい、という意味なのかな、と思うことにしています。

 なぜかというと、親の世代が差別があって伝えなかったり、経済的な理由で関われなかったり、人間関係で色々あったり、すでに親の世代が何もしなくなっていて関わりがなかったり、色々な理由から、現在のアイヌの子孫は、アイヌ語やアイヌ文化やアイヌの歴史などに触れる機会は、一部の伝承活動に携わっている人や、その周辺の人たち以外には、極端に少なくなっているのが、現実なのです。

 その点は、和人の人たちと同じ、というよりは、単に身近な所に伝統文化がなくなっているのではなくて、差別や経済問題も加わっているので、よりハードルは高いと思います。

 もちろん、アイヌ民族の子孫の中には、和人の子孫がそうであるのと同じく、伝承文化には興味のない人たちもいます。すべてのアイヌの子孫が、文化伝承に携わる必要はありません。興味を持ったときに、気軽に携われる環境の整備が大切です。

 また、そのような人たちも『アイヌである』ということで、色々と不利をこうむってきたことは事実でしょうから、文化伝承や民族教育とは別の、なんらかの保障は必要だと思います。

 『日本に住む先住民族アイヌ』という言葉。これを翻訳すると、実は『日本政府と日本社会には、アイヌ民族に対する責任がある(アイヌを先住民族の状態にしたのは和人である)』という意味なのだ、ということを、改めて思い返した1日でした。


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関連サイト:
 ・社団法人 北海道ウタリ協会
 ・アイヌ文化振興・研究推進機構
 ・}{}{ Ainu puyarA }{}{ アイヌの生活と現在を考える窓
 ・アイヌウタリ連絡会
 ・ドキュメンタリー映画TOKYOアイヌ
 ・アイヌにまつわるQ&A(Esaman作成のQ&A)
ウタリ協会が「アイヌ協会」に名称変更した意味
札幌の「ウタリ協会」の看板(2008年7月撮影)

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[54615] 俺ルール男がアイヌの代表面している限りは逆効果
名前:明石晶
日時:2009/11/22 12:18
>あなたは何民族ですか?
>私は、名前の表記だけで、何民族か判断するほど不用意ではないので、直接
>お聞きいたします。
>そして、あなたの記事には、ぜひとも、あなたの民族の最大団体の不祥事を、
>あなたと関係がなくても、コピペさせていただきたく思いますが、いかがでしょうか?
>私の体験ではなくて、コピペを。
>
>私は、そんなアホ丸出しで中身のないことは、されたくありませんが、
>あなたは「やむを得ない」と思われるかも、しれませんからね。


バカ丸出し。
ここでは民族の括りが問題になってるんじゃないんだよ。
ある特定の団体の不祥事が問題になってるの。


恐らくあなたは日常生活でも、敵対心むき出しルサンチマンむき出しで和人に
つっかかってるんでしょうけど、これじゃあ嫌われて差別されてもしかたないね。
ただし、これはあなたの出自が問題になっているのではなく、あなた個人のパー
ソナリティが問題になっていることを自覚してください。
あなたに対する周囲の態度を、「民族差別だ」と出自のせいにしないように。
あなた個人の資質の問題です。





>ですが、そっちに目がいく、より気になる、のは良いとして、
>直接関係がない記事に「関心が向くのもやむを得ない」からといって、マス
>コミの記事をコピペしてよい、ということにはなりませんね。
>なんとも無作法かつ無関心、迷惑な話であります。
>
>そちらに関心が向いたのであれば、関係ない記事にコピペをするのではなく、
>自ら記事をおこすべきです。
>
>自ら記事を起こすほどの「関心がない」のであれば、
>それは、ほんとうは「関心」があるのではなくて、ただの野次馬根性の覗き見
>ではないか、と思います。


記事に起こすほどのものではないから、関連情報として記事を紹介したまでです。
宮内庁に関する記事で、宮内庁の不祥事の記事を紹介するのも問題なし。
アメリカに関する記事で、アメリカの不祥事の記事を紹介するのも問題なし。
ウタリ協会だって同じことです。





>大切なのは、自ら労力をかけて取材をして、自らの意見を、責任ある立場で
>発表することです。
>JANJANで記事を書く、といっても、オムニバスもあるわけでして、そんなに
>難しいことではありませんしね。
>
>自らの野次馬根性、あるいは覗き見趣味を満足させるめに、人の記事のご意
>見番で、迷惑をかけてはいけません。


別にそんなルールないから。
勝手に俺ルールを振りかざさないように。
そんなに、賞賛共感同情のコメントだけで埋め尽くされたいなら、御自分のHP
で思う存分どうぞ。




まああれだね。
あんたの記事を読んで、アイヌ民族に対する共感が広がることはまずないね。
近年のウタリ協会の暴走や不祥事、Esaman氏の俺俺ルールの横暴さ傲慢さが、
アイヌ全体に対する嫌悪感を増幅させている。完全に逆効果。
[返信する]
[54611] 「関心が向く」なら、関係ない記事に、コピペしていいんですかぁー?
名前:Esaman
日時:2009/11/22 10:25
>>藤田千秋さん


あなたは何民族ですか?
私は、名前の表記だけで、何民族か判断するほど不用意ではないので、直接お聞きいたします。
そして、あなたの記事には、ぜひとも、あなたの民族の最大団体の不祥事を、あなたと関係がなくても、コピペさせていただきたく思いますが、いかがでしょうか?
私の体験ではなくて、コピペを。

私は、そんなアホ丸出しで中身のないことは、されたくありませんが、
あなたは「やむを得ない」と思われるかも、しれませんからね。


>一般論として、協会の名称変更のニュースバリューよりも、
>助成金の不正使用のほうがよっぽどニュースバリューが高い。
>そこに関心が向くのもやむを得ない。
>と私は思います。


私もそう思います。
ごくあたりまえの話です。

ですが、そっちに目がいく、より気になる、のは良いとして、
直接関係がない記事に「関心が向くのもやむを得ない」からといって、マスコミの記事をコピペしてよい、ということにはなりませんね。
なんとも無作法かつ無関心、迷惑な話であります。

そちらに関心が向いたのであれば、関係ない記事にコピペをするのではなく、自ら記事をおこすべきです。

自ら記事を起こすほどの「関心がない」のであれば、
それは、ほんとうは「関心」があるのではなくて、ただの野次馬根性の覗き見ではないか、と思います。


とはいえ、野次馬根性や、良し。


大切なのは、自ら労力をかけて取材をして、自らの意見を、責任ある立場で発表することです。
JANJANで記事を書く、といっても、オムニバスもあるわけでして、そんなに難しいことではありませんしね。

自らの野次馬根性、あるいは覗き見趣味を満足させるめに、人の記事のご意見番で、迷惑をかけてはいけません。


>単にアイヌである、
>あるいは、単にアイヌのことが話題になっている、
>というだけで、そんなもの(アイヌ民族の最大団体の不祥事)をコピペされるのがOKならば、
>すべての「和人」の記事には、その支持政党に関係なく、日本の政権与党や主要な政党(民主党や自民党)
>についての不祥事を、コピペしてよいことになりますな。
>
>それは、非常に幼稚な行為です。



私の名前ですが、現実世界において、Esamanという名前で活動しており、この名前で発表されたものも多数あり、現実世界でも、この名前は私である、ということが、それなりに認識されています。

つまり「Esaman」といった場合、あいつのことか、とわかる人が、結構な数いるわけです。私の知らない人も含めて。

そのような事情で、芸能人の芸名(?)のような状態にあるので、この名前で書いたほうが読者もわかりやすいでしょうから、登録できないものか、と相談したところ、OKとなりました。

その当時は「Esaman」と検索しただけで、顔写真まで出てきてましたしね。もちろんJANJAN以外のページのものですよ。

私のほかにも、変わった名前の人はいるようですが、登録がOKされるかどうかは、その名前で現実世界で活動しているか、責任を取れるかどうか、ということではないかと思います。


しかしまぁ、入れ替わり立ちかわり、いろんな「名前」の人が出てきますねぇ。
そのなかの、はたして何人が、実在の人物なのだろう、と思ってしまいます。
藤田千秋さんも、現実世界で、その名前で存在している人だと、よいのですが。
[返信する]
[54590] 性と名は
名前:藤田千秋
日時:2009/11/21 21:22
Esamanさん

一般論として、協会の名称変更のニュースバリューよりも、
助成金の不正使用のほうがよっぽどニュースバリューが高い。
そこに関心が向くのもやむを得ない。
と私は思います。

ところで、貴方には性と名がないようですが、どうして登録できたんでしょうか。
JANJANでの特例なんでしょうか?
[返信する]
[54377] マジメに取材しろというのは酷ですかね? ただ名乗っているだけで、もっと酷薄な目にあう現実が、ございますが…
名前:Esaman
日時:2009/11/19 02:46
>>李喜鳳さん


少し前の記事ですが、ご投稿、ありがとうございます。
気がつきませんで、お返事がおくれました。

とかくアイヌのことを語る場合、いつも悩まされているのは
「聞き手が、背景を理解していない」
「聞き手が、必ず先入観を持っている」
「聞き手が、この時とばかりに、何でもかんでも質問して片付けようとする」
ということてあります。


李喜鳳さんは、お名前から察するに、
中国風の漢字名を使われる文化圏に縁のあるの方と思いますので、
似たような経験が、多少は、おありかと思いますが、
アイヌの場合、かなり極端な状態にあります。


ほとんどの「和人」のかたがたは、
自分にはアイヌについての先入観がない、という確信をもちつつ、
ほぼ100%、バッチリ先入観をもっておいでです。

本当に先入観がない、というのは、たとえば、
地球の裏側に住んでいて、存在すら知らないぐらいでないと、ありえませんよね。

アイヌというのは、日本政府が「先住民族の状態」にした、和人とは別の民族ですから、
日本の中において、アイヌについての先入観がまったくない、なんてことは、ありえないことです。
日本政府の政策として、支配同化を進めてきた対象なのですから、その日本にいて、なにも偏見がない、というのは、さすがにないでしょう。

とはいえアイヌに対するイメージが「自然とともに暮らしているおとなしい人たち」というイメージのまま、
長年変化していないというのは、アイヌを支配同化した歴史を端的に表している「大変わかりやすい」偏見であるとも言えます。

また、李喜鳳さんのご指摘のとおり、
アイヌのついて書かれた本には、あまり良いものがありません。

ですから、先入観をもった人が、よくわからない本を読んで、さらに摩訶不思議なアイヌイメージを形成してしまったりします。
そして、多くの場合、直接会ったことがない、あるいは話をしたことがない、という程度の事を持って
「私には先入観がない」と断言しつつも、そのような摩訶不思議なアイヌワールドについての質問を、
「初めて話をしたアイヌ」である人(自分もそのような存在になること多数)に、ぶつけまくる、という現象が、よく見られます。


つい昨日も「アイヌは縄文人だから石器で木彫りを作っていたのだろう、なのに、なぜあんなに良い木彫りができるのか?」
ということを、集会でも講師として呼ばれた場所でもないところで、よくしらない人の、自称・先入観のないアイヌのファン(←概念が自縄自縛です)に、しつこく聞かれて辟易しました。
ものすっごく、ウザイ話です。
でも、時々いるんですよね、和人には。

これが「この日本でアイヌとして生きる」という現実のひとつです。


このような状態は、大変「うっとおしいもの」であるので、
おおくのアイヌは、なるべく言わないようになっています。
昔は、貶める方向の差別が多く、いまでも根強く一部にあるわけですが、
最近の、名乗らない理由としては、むしろ「和人からおかしな質問をされる」ということが、多いのではないか、とも思っています。


単にアイヌである、というだけで、当人とはまったく無関係のない話、
たとえば、縄文人への憧れだとか、獣肉の話、熊の話、人種やルーツの話、ウタリ協会の不祥事であるとかを、しつこく言われる、というのも、これは考えようによっては差別ですよね。

たとえば、アメリカ人相手に、いきなり原爆の話題をふるでしょうか?
たとえば、アメリカ人にハンバーガーの話(韓国の人ならばキムチの話)をするとしても、それはコミュニケーションを円滑にするための「ネタ」であって、本来は、一人の人間としての相手と話をするのが目的であるはずです。
ですが、アイヌの場合は、そのような「ネタ」が、一人の人間としての相手をしるための導入ではなくて、ネタそのものが本題になってしまうことが、結構ある気がします。
相手は「アイヌ」を話題にしたいだけで、その人を見ていない、ということが、多い気がする。
和人は、アイヌについて話題にするときには、非常に「がっついている」という印象を持ちます。


たとえば、この記事。
この記事は、導入部が「ウタリ協会がアイヌ協会に名称変更」です。
ですが、それはただの導入部であって、
記事の主題は「大切なのは誇りの中身」であります。


この記事と、ウタリ協会釧路支部の不祥事は、関係がありません。 でもコピペされます。
この記事と、ウタリ福祉対策の奨学金が未返還が多い、という話は関係がありません。 でもコピペされます。
この記事と…というか、コロポックルは妖怪の一種で実在しないものですが、実在することが前提で話題(妄想)にされたりします。


これが「アイヌという現実」です。
ですが、もっと恐ろしいのは、この掲示板で起こっているようなことが、現実世界でも発生している、という点です。

不祥事コピペは、ネット上特有の、内弁慶行為だと思いますが、
コロポックル妄想のような、訳のわからないことを言ってくる人が、本当にいるんですよね。
しかも沢山。


「アイヌとして名乗る」ことで身につくものは
「民族の誇り」なんてものでは、到底なくて、実際には
「おかしなことを言い出した人を相手にして、場をうまいことまとめる方法」のような気がいたします。



ウタリ協会の不祥事を暴きたいならば、どんどんやればいいと思います。
でも、それとは関係ない記事にコピペをする、というのは、それを暴いたり糾したりすることには、つながりませんね。
ただの迷惑行為ですし、そんな程度のことで実態に迫ったなんて思う人が出ても、いけませんね。
それは、幼稚で迷惑な、ただのお遊びですね。


ただの新聞記事をコピペしているのを「鬼の首つかまえたように」などというのは、過大評価のしすぎであります。
鬼のバンツの柄を、自分で見たわけですらなく、人から聞いて言いふらしている、という程度のもんじゃないですか?

鬼のパンツを取ったのなら、まだ意味はありますが、自分の目で見てすら、おらんのでしょう。
もっとも、重要なのは「パンツ」じゃないんですがね…
[返信する]
[54368] 一番の甘えはマイノリティ利権に群がる連中だよ
名前:明石晶
日時:2009/11/18 23:07
私はアイヌという括りも和人という括りも興味ないですな。
=========================
ご意見板利用規定3に基づき削除しました(編集部)
=========================
[返信する]
[54339] 自ら記事も書かず、人の記事の掲示板でコピペ貼るのは「甘え」なのでは?
名前:Esaman
日時:2009/11/18 12:40
>>明石晶という方は、
まずは自らの「甘え」に目を向けられるべきですな。


ウタリ協会の会計処理について話題としたいならば、ネットで拾ってきたマスコミの記事をはりつけるのではなく、
ちゃんと独自に取材して、自ら記事を起こすべきでしょう。
ウタリ協会に直接取材しなくても、税金の会計処理については、調べられることは、山ほどありますよ。
というか、この手のネタは、直接取材しないほうがいい。
それに、これは釧路支部の話ですから、ウタリ協会の本部札幌に取材しても、よくしらんでしょう。


自ら記事を起こす気もなく、関係ない記事に、マスコミ記事をコピペをするだけ、というのは、迷惑行為です。


ウタリ協会の不正行為が暴かれるのが「迷惑」といっているのではないですよ、
むしろドンドンやってください(笑)。
でも、やるなら、適当にコピペするんじゃなくて、もっとマジメにやってください。
会計処理追求は、その気になれば、個人でもできます。


事件とは関係ない記事に、コピペしているだけ、というのは、暴いているわけでも、なんでもなく、ただの迷惑行為です

もっとかんたんに言うと「追求したいなら、マジメにやれ、自分でやれ、徹底してやれ」という意味です。

人の記事の付属掲示板で「甘え」ているのは、恥ずかしいですね。
[返信する]
[54337] このコピペは、記事とは関係がありませんね。
名前:Esaman
日時:2009/11/18 12:01
>>明石晶という方が、

なにやらマスコミの記事をコピペしておられますが、
この記事と、なんの関係があるんでしょうか?


この記事の主題は、長らくアイヌ協会とは名乗っていなかったウタリ協会が、
アイヌ協会という名前に変更になった、ということを、導入として、
「アイヌ」をめぐる周辺の事情を、自らの経験を元に、ごく軽く説明したものです。


記事の趣旨としては、ウタリ協会の助成金の不正云々の話は、まったく関係がありません。
そして、ウタリ協会を援護しているわけでもない。
ウタリ協会の存在は、この記事では、ただの導入部の「つかみ」ですからねー
本題は、そこではありません。
記事を読んでから投稿していますか?


確かに、税金である助成金の会計処理は、ちゃんとやらねばなりませんね。
でも、この記事とは無関係です。


私の記事に、ウタリ協会関連の不祥事を書き込まれても、だからなんなんだ、ですよね。
しかも、自ら取材したのならともかく、ただのコピペ…
迷惑です。


単にアイヌである、
あるいは、単にアイヌのことが話題になっている、
というだけで、そんなもの(アイヌ民族の最大団体の不祥事)をコピペされるのがOKならば、
すべての「和人」の記事には、その支持政党に関係なく、日本の政権与党や主要な政党(民主党や自民党)
についての不祥事を、コピペしてよいことになりますな。


それは、非常に幼稚な行為です。
[返信する]
[54067] 他人に厳しく、自分に甘く。
名前:明石晶
日時:2009/11/13 19:08
>最後に明石様。鬼の首つかまえたように、「アイヌ協会助成金の会計処理問
>題」を書きたてておられますが、 「事件」ですから、「調査」終了後、根拠の
>ある記事として書いてくださいますようにお願いします。


そういうことを言う前に、自分たちの民族の汚点「在日は強制連行された」等
の嘘を少しでも反省したらどうかね。
他人の欠点は捏造してでも追及し、自分たちの失態は「バッシング」だの「鬼
の首を捕まえたように」と逃げてばかり。そういう態度が一般国民の反発を招
いてるんだよ。
[返信する]
[54061] Esaman様。今後も、ご健筆を期待しています。
名前:李喜鳳
日時:2009/11/13 17:36
Esaman様。いつも、筆力のある記事をありがとうございます。
背後には、重層する歴史問題、政治問題、社会問題がありますのに
門外漢にもわかりやすく説明されていて、
その流儀をしばしば、心憎い、と感心していました。

ところで、
>「差別について本当に知りたければ、記者のみなさんが取材をしてください。
手間と時間をかけて取材すれば必ずわかります。ネットや集会などで片手間に聞くのではなく、本気で取材すればわかります」

と書かれていますが、もっともですが、それはやや酷ない言い方と感じます。
和人とアイヌの間に横たわる溝は、酷薄な事実です。とはいえ、普通の人々には、その実態は知る由もないと思われます。

アイヌであっても、つま先立って歩くよりないと諦念している人が大部分であると思います。
誰でも、逆境よりは順境がよいのです。足元すくわれまいと、やがて妥協していくようになるでしょう。
ですから、「在日」同様に、実は、当人がルーツを知っていない場合は多いと思います。
差別による経済的貧困は、精神的貧困ももたらします。

私は、必要があって、アイヌの歴史、ものの本、資料などにあたりましたが、良いものは稀にしかありませんでした。
アイヌの友人もいて、「ウタリ協会」の功罪というものを、肉声からも聞くことができました。
ほんとうに「知る」ということは、普通の人々にとって、非常に難しいことであるように思います。

「ご意見版」に、さもありなん、偏見と無知による投稿ばかりですから焦慮されたと思いますが、
とはいえ、縁あって「知る」ことになった人は、できるならば、こちらから側から、「心」に届くように書かなくてはと思うことがしばしばです。
「隔て」といっても…そもそも人間の妬み・嫉みの感情を洞察しつつ、権力側は恣意的につくってきたものであり、それが、長い歳月、温存されてきたというものです。

今後も、無頓着な「ご意見」を聞くことになると察せられますが、どうぞ、懲りずに、記事を書き続けてくださいますようにお願いします。
私のように、Esamanの記事を楽しみしておられる記者も多いと思います。ただ私とは違って、寡黙でおられるのです。

『日本に住む先住民族アイヌ』の概念の説明。的確と感嘆しました。日本における民族的マイノリティーの現在にも共通すると思います。

最後に明石様。鬼の首つかまえたように、「アイヌ協会助成金の会計処理問題」を書きたてておられますが、
「事件」ですから、「調査」終了後、根拠のある記事として書いてくださいますようにお願いします。
[返信する]
[54032] アイヌ協会も解同、朝鮮総連民潭と同じ道へ
名前:明石晶
日時:2009/11/13 07:36
アイヌ協会助成金 返還要求も

高橋知事は、12日の道議会決算特別委員会で、国が所管する財団法人から北海道アイヌ協会釧路支部
に支払われた助成金の会計処理に不明朗なものが見つかったとして、事実関係を調査し、必要な場合は
助成金の返還などを求める考えを示しました。

12日の道議会決算特別委員会で高橋知事は、北海道アイヌ協会釧路支部が昨年度、建造した伝統的な木造船を巡り、
国が所管する財団法人から210万円余りの助成金を受けながら支部の決算書には助成額を105万円と記載していたことを明らかにしました。

さらに、同じ財団法人から助成金を受けて昨年度行われた慰霊祭をめぐっても、釧路支部が謝礼金を支払ったとしている参加者の
人数が実際の参加者の数と異なるなど不明朗な会計処理が見つかったということです。

これについて、高橋知事は「現地調査を行うなど事実関係を正確に把握した上で必要な措置を講じて参りたい」と述べ、調査を行い、問題が見つかれば、
助成金などの返還を求める考えを示しました。その上で、高橋知事は「道の指導に十分でなかった点があったと反省している。今後は運営体制の抜本的
な改革について早急に指導助言していきたい」と述べ、道の対応にも問題があったことを陳謝し、再発防止に取り組む考えを示しました。
http://www.nhk.or.jp/sapporo/lnews/01.html
[返信する]

11月9日〜11月14日 

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