「この外国人をつまみ出せ」
11月上旬、アフガニスタン政府と反政府勢力タリバンの「対話」窓口となっている和平合同委員会のヘラート支部。10月以降に武装解除に応じた元タリバン兵64人との協議を取材するため訪れた記者に、元兵士たちが激高して叫んだ。元兵士らは今も米国を憎悪しており、外国人記者を「米国のスパイ」とみなす一方、報道がタリバンの報復につながると恐れているためだ。
彼らはなぜタリバンに参加し、なぜ離脱したのか。支部にいた元司令官6人が取材の意図を理解し、匿名を条件に応じた。
32歳の男性は3年前、人口約3万人の居住地域を統括するタリバンの地区司令官となった。村の若者20人を率い、米軍や国軍の車列を攻撃した。「03年に始まった政府のDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)に参加し、軍閥組織から足を洗った。だが、政府は約束した生活保障をほごにした」とタリバン参加のきっかけを語る。
「ロケット砲の撃ちすぎ」で難聴となった53歳の男性は、4年前に地域司令官となり、10~30代の兵士100人を抱えた。01年のタリバン政権崩壊で避難先のイランから帰国した元難民で、「仕事がなく、故郷の若者に食いぶちを与えるためでもあった」と明かす。
こうした困窮を逆手にタリバン指導部は、月1万~2万円の支給を約束。「敵(米兵ら)を何人殺したか」の歩合制だったケースもあるという。しかし、月給の支払いは滞ったり、最初から支払われなかったりで不満が高まっていった。
一方、30歳の男性は、2年前に隣の村が空爆され多数の住民が巻き込まれた事件で米軍を憎み、タリバンに自主参加。今年10月、再び近くの村が空爆され、村の長老から「このままでは我々の村も爆撃される」と離脱を説得された。
同委メンバーには地域情勢に詳しい宗教指導者が多く、タリバン指導部の「約束ほご」などの情報を入手。政府による職業訓練に加え、電気や水源などの開発を逆に約束することで、タリバンからの“引きはがし”を続けているという。
ただ、現段階で和解に応じているのは、末端の司令官と配下の戦闘員にすぎない。離脱後にタリバンから脅迫を受けている元兵士らの生命・財産の保護も大きな課題だ。家族らと夜逃げするように転居した31歳の元司令官は、「戦争が続く限り、裏切り者としてタリバンから命を狙われる。米軍の空爆などを警戒し、24時間緊張し続けた生活の中で、元兵士たちは心も病んでいる」と語った。【ヘラートで栗田慎一】
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タリバンとの和解は前途多難だ。「戦争より和平」を願うアフガン人の取り組みを最前線から報告する。
毎日新聞 2009年11月20日 東京朝刊