2009-11-21 Carchemishさんへの返信。その4。

またCarchemishさんからお返事をいただいたので続けます。
Carchemish 2009/11/20 18:04
まず一つ目の質問にお答えします。
私が自身に対して許容できるのは私から見た良し悪しまでです。ていうか、私だってドリームキラーは嫌いだし日本の社会システムの特定部分は嫌いだし市井の人の無遠慮なやり口も大嫌いなんですが、かといって彼らのすべてを否定すべきだとは思いません。彼らは彼らなりの最適解に生きているのだし、そして彼らには彼らの世界がある。それに対して耳蝉さんが行っているのはスタンスの表明ではなく彼らへの攻撃です。耳蝉さんから見た彼らは「誤りは事実」であり、ゼロであり、彼らの世界は無いも同然である。つまり耳蝉さんは彼らを裁き、死刑台に登らせようとしてしまっている。そういったやり方を許容してしまえば、それは回りまわって私の世界を殺すかもしれないし、それどころか耳蝉さん自身の世界を殺すことにだってなるかもしれない。この手の暴力を目の前にするとき、私は心から怖気立ちます。死の気配を感じる。
そしてまた、これこそがドリームキラーの一番ヤバいところだと思うのですが。彼らが「現状維持勢力」であるということなんて、つまり彼らが「虚偽意識」に囚われていることだなんて、ほんとうに枝葉に過ぎないと思うのですが。ドリームキラーが危険であるのと同じくらいに、ルーチンキラーもまた危険性を帯びています。重要なのはそれが「キラー」であるという点、権力の名の下に死刑宣告を下そうとする性質のものであるという点なのです。
そして私は耳蝉さんの「私から見た傲慢さ」を否定するつもりはありません。というか、そこを否定してしまったら耳蝉さんのすべてを足蹴にすることになってしまう。ドン・キホーテが「我輩は騎士である」という意識を失ってしまったらもうそれはドン・キホーテではなくただの草臥れた凡夫でしかありません。言うまでもないことかもしれませんが、私は「傲慢だから改めろ!」という気はこれっぽっちもないんです。それこそ「キラー」的で、もっとも恥ずべきやり口。ただ私から見た耳蝉さんは幾分傲慢に見えるというだけのことで、そしてまたおそらく、耳蝉さんから見た私というものも、場所によっては傲慢に見えているのだろうと思います。
例えば、すべてを否定せずに一定の価値を認めるというやり口は、結局のところ多数派の専制を許すということでしかないのではないかという、これは耳蝉さんが最後の二段落でおっしゃっていることとかなり近いと思いますが、まあそういった点だとか。今のところ私には「必ずしもそうではない」としか言えません。まだそれについて検証するためのツール(経済学だとか)を身につけようとしている段階なので。多数意見と少数意見の取捨選択割合のモデリングだとか、色々行われているみたいなのですが、やっぱり複雑系は難しいみたいですね。
あと、アスペルガー的な人種が抽象的思考回路に損傷を受けているというのは、私も実感としてそれは正しいと思います。ただ、脳は補完力が高いので、大なり小なり欠落した部分が補われるために、抽象的思考も不可能ではない。そしておそらく私はその補完が平均よりもかなり巧くいっているほうなのでしょう。ただそれがあくまで壊れた部分を無理やり治しただけでしかない以上、走らせると何かしら齟齬が生まれてしまう。その齟齬こそが私の言う「ノイズ」なのではないかな、と推測するとわりとすっきり纏まる感じがしますね。まあこれは肉体の問題であって、上段の話とはだいぶんズレてしまっていますけど。
Carchemish 2009/11/20 18:47
追記:なんで「キラー」的な人間の未来が「病床に臥せって妄執に取り付かれながら徐々に徐々に衰弱していく見るも無残な」ものに見えるのかと言うと、その手の人間の末路は大なり小なりそういったものではなかろうかという私の偏見から出た表現でこれまた褒められたものじゃないです、はい。
もうちょっと論述の練習をすべきだなあ……やれやれ。耳蝉さんと違って、日頃文章を書くに際して他人にお目もじするということをさっぱり考慮していないのが物凄いネックになっちゃってる感が。
ドリームキラーや社会システムの問題を僕がなぜ攻撃するのか?というと彼らが有害だからです。彼らも彼らなりに生きているというのは確かですが、それを言ったら僕も僕なりに生きています。しかしながら彼らは僕のことを攻撃してきます。日本の社会システムは人間をダメにします。ワープアや多い自殺者を見れば明らかなように、これははっきり言って異常事態です。こんなものを僕は放っておけないし、システムなんだからしょうがないとか、ドリームキラーもそれなりに生きてるんだからしょうがないとは言えないんです。僕はこういうのを殲滅しないといけないと思っていますが、さすがに殺すわけにはいかないので、だから苫米地さんのように「ドリームキラーに気をつけろ!」と警告しつつ、彼らの分析を行っているわけです。ドリームキラーがどういう風に思ってドリームをキルしにくるのか?といったような傾向と対策的なものですね。
で、実感としては彼らは最悪だと思うし、まぁ幼稚な例えになりますが、いじめっこみたいなもんです。いじめって自殺者が出ていますよね?そんなものを容認できますか?僕はできないですね。彼らの存在を否定することになっても僕は彼らの存在を否定し続けますね。人の夢や命を奪うものなど存在に値しない。なにしろ彼らこそがキラーそのものなわけで、普通に考えれば殺人犯とかは捕まらないといけないわけです。でも現状では彼らは野放しになっている。ただキラー共を殺すわけにはいかないので、ただ「その存在に気をつけろ!」と言っているわけですね。もちろんそれプラス批判もしていますが、これは僕は批判し続けますね。彼らは最悪ですからね。本当に。何かを殺すようなものは僕は容認できないというそれに尽きます。
で、虚偽意識に囚われているというのがどれほど危険か?というと、今回の話で例えるなら殺人システムや殺人犯を「彼らは彼らなりに生きている」と容認してしまうのが危険なのと同じぐらいです。健全な社会ではシリアルキラーが世に放たれているべきではありませんが、虚偽意識に囚われている連中といいますか、これは日本の社会システムに当てはまると思いますが、あんな狂ったような自殺者が出ている社会を「維持」するなんて気違い沙汰です。だから僕は「なぜ何も起こらないんだ?」っていつも言うわけです。フランスとかアメリカとかだったらとっくに暴動が起きているレベルなのに暴動が起こらないのがおかしいんですが、これがまさしく虚偽意識とか奴隷意識の現れなんですね。だからこれらは全然枝葉ではありません。むしろ「ステイツ」を構成するコアの部分です。
ある意味で諸悪の根源の一つであるので無視できないし、だからこそ虚偽意識は無くすべきだって思うんですね。それは虚偽意識を持った人達を殺すという意味ではなく矯正するという意味です。ドリームキラーは無理でしょうからまぁ無視するというか、関わらないということでしか回避できませんね。僕が仮に権力者でボタンを押せば彼らの虚偽意識やドリームキラー意識を一掃することができるとしたら僕はボタンを押しますね。虚偽意識なりに生きているとかドリームキラーマインドを持ちながらも生きているんだっていう言い方もできますが、特に後者が殺人者みたいなものである以上、それは僕は矯正しますね。殺人者も殺人意識を無くせば生きる価値はあると思います。元殺人犯が反省して更生しているなら僕は彼らを肯定します。でもいまだに殺人意識を持って人を殺そうとしてる人間を僕は野放しにはしません。仮に彼らが殺人を続けるのであればそれこそ死刑台に登らせることもやむを得ないと思っています。それぐらい彼らは危険な存在です。ただのキラーは命を奪いますし、ドリームキラーは夢を奪いますね。でも彼らだって生きているんだみたいな呑気なことは僕は言えませんね。なにしろ他人の何かを奪っているわけですからね。殺人犯キラーって悪いことでしょうか?
ドンキホーテに関しては完全に理解しています。なのでこれについてはもう言及しませんね。ただ数字で「結局どのモデルがいいのか?」って把握できることは強いことなのでお互い頑張りましょう。イデオロギーとかではなく数字で「これなら回ります」って言えるというのはある意味で最強ですね。それと政治哲学が結びつけば最強なんですね。
アスペルガーに関してはまだまとまった本を読んでないので今度読んでみます。
なんというかまた返事いただけますか?虚偽意識とかドリームキラーの話をもうちょっと続けたいと思うんです。
保守的な人間がどうしてイノベーションを打ち砕こうとするかというと、それが彼ら個人にとっては合理的な選択だからです。ですので、ドリームキラーのナントカさんが耳蝉さんの思いを殺そうとするとして、その選択そのものは彼あるいは彼女にとっては正しいのですが、社会全体から見ると明らかに損失であるため、その(ある種の)殺人が為されないようなシステム構築が必要、というのは同意して頂けると思います。ですが、重要なのは殺人が防がれること、つまり「殺人の意志が挫かれ、それによってより効率的な選択がなされること」なのであって、「意志そのものを抹消したり、変革したりすること」ではありません。後者は起点がどちらかという違いがあるだけで構図としてはドリームキラーと同じもの、つまり「キラー的な精神」です。
もちろん構図が同じなのだから、ドリームキラーの精神を処刑することは耳蝉さんにとって合理的な選択です。耳蝉さんがただエージェントとして振舞う、システムの内側にいて「意志を否定する人間の意志を否定する=キラー・キラー」を主張するというのならそれはそれでアリです。しかしながら耳蝉さんはシステムを構築する側、つまり“モデリングを行う側に回ろうとしている(ように私には見える)”し、またそれをこなせるだけの地力がある。そのような人間が用いるキラー的な精神は、モデルの中の恣意的な変数として君臨する可能性がある。これは非常に危険なことだと考えます。システムの目的は「最大効率化」をもって他ならず、それ以外の目的を掲げて構築されたモデルというのは、何処かしらに歪みを来してしまうものだからです。「キラー的な精神」は往々にしてその歪みの大本になり得るものです。
私が耳蝉さんの言説のある特定の部分に関して感じている不安感や不快感というのはおそらくこういった可能性に端を発するものなのではないかと推測します。もちろん、システムそのものが腐っているという批判も有り得ますし、それが正しい状況もまた有り得ます。ですがそういった場合に置かれても、あくまでメタ的な視座に立ってそれぞれのシステムを計りにかける、つまりシステムへの裁定もまた、より上位のシステムに従ってなされなければならない。目指すものは同じく最大効率化です。
……というのが、まあ私の実感というか、モラルみたいなものなのですが。どうでしょう。
虚偽意識については、私はマルクスをいわゆる「解説本」のレベルでしか知らず、ぶっちゃけ語れるだけの資格がないような気が。耳蝉さん視点からすると、当コメントのような私の物言いは丸々虚偽意識的だということになるのでしょうか? そうだとしたら、正直、虚偽意識でいーや、とか考えてしまうのですが(苦笑)