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新建築 2003年11月号 「宇宙建築への挑戦」 池田靖史 (2003年)10月1日よりお台場の「日本科学未来館」で開催されている第18回世界宇宙飛行士会議併設展示イベント「人類が作る宇宙史」の中に「建築家の卵たちが考えた宇宙ホテルの大広間 ―地球周回軌道建築をめざして」と題したセクションが設けられ、東京大学松村秀一研究室と慶応義塾大学池田靖史研究室が一学期間取り組んだ連携スタジオの演習課題作品が展示されている。建築という領域を超えて学生の制作活動を一般に展示する機会が得られたことは素直に嬉しい。 この展示に至るきっかけになったのは東京大学松村研究室が中心になって結成された「宇宙建築研究会」という建築関係者と宇宙開発関係者の研究コンソーシアムであり、その活動の意味についてはコラム「宇宙建築から地球建築への刺激」にすでに松村氏から紹介されている。私自身も一年ほど前に機会あってそのメンバーになった。日常的に仕事としている建築デザインの世界と違う視点で、実は建築行為の本質を考える上で非常に示唆的であることに気づいたからだ。 そして松村先生と調べるうちにミラノ工科大学やミュンヘン工科大学などに宇宙建築のスタジオがあることをいり、教育研究機関だからこそ扱うべきテーマとして、ぜひ学生たちに投げかけてみたいとの思いが一致した。そして二大学で「宇宙をめざす技術―極限設計に学ぶ」という同一のテーマで設計演習課題に取り組んだ。ここではこのちょっと毛色の変わったテーマを私たちがあえて選び学生たちと活動した様子をレポートしたい。 なぜ宇宙建築を学生スタジオでやるのか この連携スタジオは宇宙建築研究会の支援を受け、それぞれの大学の授業と平行して、相互に途中経過や成果を発表しあう機会を何度ももった。その場の学生たちは宇宙開発や宇宙構造物の専門家から課題への意見も聞け、大学間という意味でも、外部との接点という意味でも、刺激の多いスタジオだったと思う。 東京大学ではこれを大学院生と学部4年生の選択性の演習課題の一つとして、慶応大学では研究プロジェクト科目という研究室ごとの自由研究に参加している学部生と大学院生のうち、希望した数名の学生を対象としている。つまり双方とも自らこのテーマを選択し参加した学生ではあるが、それでもおそらく読者の皆さんと同じように、宇宙建築とは少し荒唐無稽な話で大人が真剣に論じるには気恥ずかしいかな、という雰囲気で始まった。あるいは逆に予備知識がほとんどない自分たちがいきなり取り組めるのだろうかという不安もあったと思うし、実際その通りでもあるのだが、支援してくれる宇宙開発関係者の純粋で生真面目な宇宙への思いに触れているうちに、それを乗り越えてこのテーマへの興味を深めていった。 それは簡単にいうと人間が何かをつくることへの積極的な想いである。理想のコンサートホールを夢見る音楽家や、建築を通じて純粋に宗教活動を目指している人々のように、人間の創造行為に対する確固たる自信がそこにはある。やむを得ずつくる建物をどのように矮小化できるかの議論ではない。 私自身もSF映画の世界を心底かっこよいと思って過ごした時期がある。多かれ少なかれみんなそういう時期があったからこそ、過去の自分の無邪気な感情が露呈することを警戒する。だがきっと初期近代建築の根底には船のデザインや量産工業製品の持つ論理に対する憧れがあったのと同じように、アポロ打ち上げや大阪万博に少年時代を過ごしたわれわれの世代にとって、宇宙構造物はストレートに表現することはできないながらもどこか惹かれる想いを拭い去ることもできない対象である。当時の私はキューブリックのように正面から取り組んだときに、われわれは宇宙技術から多くを学ぶと同時に、従来の建築技術を外側から見直し、人間と環境と技術の接点としてのデザインの考え方に焦点を当てられるような気がしてきたのである。 宇宙建築とはなんだろう さて、学生たちに考えてもらったのは地球周回軌道上の宇宙ホテルを想定した大規模構造物のデザインである。宇宙開発には実は無人宇宙開発と、人間が宇宙空間に行くことを前提とした有人宇宙開発があり、これは大きな科学技術目的と考えるとき、人間が宇宙に行くべき合理的な理由はない。機会に任せる無人探査の方が圧倒的に安価で、人間に命を危険にさらす必要もなければ、人間を確実に宇宙空間で生存させるための膨大な技術開発も必要ないからだ。 しかしよく考えてみると危険をおかしていく必要がないのは南極でも富士山頂でも外国でも同じことである。人間が自分の身体を移動して未知の場所を体験したいと考えることに理由を求めても仕方がない。それは人間存在や建築行為にとって非常に根源的な欲求であり、人間が宇宙空間に行くこと自体が目的なのである。課題である宇宙ホテルは地球周回軌道上に滞在して無重力体験や宇宙からの眺望体験ができる宇宙体験施設なのだが、荒唐無稽な用でいて実はもっとも正当な目標かもしれない。宇宙飛行の圧倒的な体験では宗教的啓示を受ける例も多いというが、一般人が宇宙空間を体験する施設は、むしろ未来のカテドラルとなるのではとも考えられる。ここで重要なのは情緒的な人間活動の存在で、これが宇宙空間をも建築にしてしまう。これまでの有人宇宙技術は基本的には航空機技術の延長線上にあり、生命を維持する実験カプセルに近い。 そこには科学的合理性では説明がつかない人間的活動が持ち込まれると、とたんに「宇宙建築」的になってくることに気づいた学生たちは、宇宙結婚式や宇宙スポーツなどを楽しく真面目に議論し始めたのである。無重力での身体姿勢の保持、他人との位置関係や方向感覚の維持など今まで考えてみなかった問題なのに、空間デザインの根本的基準になるのは人間の身体感覚と文化的であることが、不思議なことに普通の建築課題よりもずっと明確に意識されるのである。 宇宙に建築をどうやってつくるのか この議題を建築の技術として考えるように、提案要求の中心を「宇宙を目指す建築技術」と読んで地球周回軌道上大規模空間を構成するための部品と組み立て方法の考案とした。つまり「どうやってつくることができるのか」を徹底して考えさせる課題にした。建設場所に材料を運搬して組み立てる方法としての構法技術はもっとも根本的な建築技術であり、膨大なコストがかかる運搬、無重力状態での組立、組立作業の極端な危険性と無人化など特殊で極限的な条件である宇宙空間の特徴が現れる部分でもある。同時にこの「どうやってつくるのか」は残念ながら抽象的な空間操作中心の昨今のデザイン教育の中で忘れられがちな点でもある。また地上では慣習的な部分が多く自由な発想が難しい部分でもある。膜構造の展開メカニズムや、正多角形パネルの利用、テープ上に巻き取った構造材など、学生たちは様々なアイデアを模型にしながら生産・組立て方法と形態の間にある深い関係に気づいてくれたようだ。宇宙空間で「どうやってつくることができるのか」にこだわることで、地上では鉄筋コンクリートという自由度がありすぎる材料がその機会を奪っていた技術とデザインの関係が浮き彫りになった。むしろ常識が通用しない宇宙空間だからこそ「どうやってつくることができるのか」という問題に大胆な提案が可能になる。こうして「人間のために」「つくる」ことにこだわると宇宙構造物がまさしく建築的な課題となることが、環境のデザインと科学技術の関係を考える上でも興味深く感じたのである。 宇宙建築は学生を変えたか そして冒頭に述べたように、始めたばかりのわれわれの稚拙ともいえる取り組みが自然に受け入れられたことにこの分野の面白さが現れている。ここには技術的発想に論理性と柔軟性があれば少々奇異でも気にしない。むしろ新しい視点の単純な原理が飛躍的に違う答えを生み出すことに対して非常に歓迎する空気がある。経験の少ない極限状況ではそうした試みがブレイクスルーとなって実を結ぶことも多いからでもあろう。だから総合的デザインプロセスを理解する田茂の頭の体操として宇宙を舞台にすることは、デザイン教育の題材としては実はすばらしいと思う。池田研究室には宇宙建築だけでなく都市空間のデザインを中心として様々な研究課題に取り組む学生たちがいる。地球にたまった学生たちの間でも宇宙建築の面白さが理解されてきたようだ。私の研究室では実践的な方法論の取得ももちろん大事だが、同時に社会に出てからではできない発想の柔軟さが持つ可能性を経験することも非常に重要だと思っている。一般的な設計課題だって実際に立てるわけではないのだが、建築を巡る社会的状況の厳しさは私自身を含めて教えるほうまで萎縮気味にさせている。市民参加も地球環境もコスト主義もあまりにも重要かつ政党であるために、そこからいったん離れて発想することが難しくなっている。簡単にいえば夢を持ってデザインすることが少なくなってしまっているように感じる。デザインにおける自由な発想がもたらす豊かな可能性の経験をする機会がもっとあってよいと思う。 本文を書いている最中に中国の有人宇宙飛行成功のニュースが入ってきた。漢字が縦書きされたロケットが飛ぶ映像はSF映画を超えている。おそらくその姿に勇気付けられた大陸の少年たちの姿を想像しながら、建築家として少なくとも後に続く世代に夢を持たせることのできるデザイン教育でありたいと改めて思った。
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