Natsuko Shiraki
白木 夏子
鹿児島県生まれ。南山短期大学卒業後、ロンドン大学キングスカレッジに留学。卒業後、国連人口基金ベトナム・ハノイ事務所とアジア開発銀行研究所でインターン。帰国後、投資ファンド事業会社勤務を経て、2009年4月、株式会社HASUNAを設立。
白木 夏子 さん(株式会社HASUNA代表取締役)
まばゆい光を放つジュエリーは、多くの人の憧れの的であり続けている。だが、報道や映画を通じ、「紛争ダイヤモンド」が知られるようになったことから、ジュエリーの影の部分がにわかに注目を集めるようになっている。
私たちが何気なく身に付けている美しいジュエリーが、その製作の過程で多くの血と過酷な労働を強いているかもしれないのだ。
欧米では、他者を犠牲にすることのないジュエリー、「エシカルジュエリー」を提唱する動きが近年台頭しているという。
エシカルとは、「倫理的・道徳的」を意味する。今回は、日本でエシカルジュエリーの普及を務める白木夏子氏に話をうかがった。
いま欧米ではエシカルジュエリーという概念が提唱されています。ジュエリーの暗部は、「紛争」に限りません。生態系を破壊する採掘や児童労働、搾取といった問題もあります。
そうした背景を踏まえ、欧米のジュエリー界を中心に環境や労働に配慮したフェアトレードに基づくジュエリーを“エシカルジュエリー” と呼ぶようになりました。
フェアトレードジュエリーではなくエシカルジュエリーと呼ぶ理由は、フェアトレードでは意味が狭くなるからです。エシカルの中には、鉱物のフェアトレードはもちろん、リングに使用する金や銀をリサイクルしたり、ビンテージの宝石を新しい形で利用することも含まれます。
残念ながら、日本のジュエリー業界は古いしきたりのある家業を守るという意識でビジネスを捉えている人が大半です。加えて、不況の影響からジュエリーの市場規模は小さくなっているため、安く買って高く売ることを考えても、あまりエシカルジュエリーに関して興味を持たない傾向があります。
たしかに「このジュエリーを買えば、売り上げの数%がNGOに寄付される」というようなチャリティーは行われています。
しかしながら、原材料の購入を公正にし、なおかつビジネスを途上国の開発とつなげている企業は見当たりません。
そうですね。ブラックボックス化しているところが多いのは事実です。たとえば、ある途上国の鉱山で採掘されたダイヤモンドの原石は、インドやタイ、ブラジルでカット・研磨された後、イスラエルのダイヤモンド取引所へ運ばれます。次にアントワープに回され、アメリカのジュエリーショーで取引され、やっと東京・御徒町にある問屋へやって来ます。
中間業者が多く絡んでいるため、わからないことが多い。資金洗浄のためのジュエリーなのかもしれない。密輸なのかもしれない。これらを紐解くのはとても難しいのです。
起業にあたっては、流通の不透明さを前に途方に暮れましたが、イギリスやアメリカで「途上国のひどい状況をなんとかしたい」と思っている人と知り合うようになり、幸いなことに賛同者を通じて仕入れることができるようになりました。
ボランティアに携わっている人を見て、「すごいな」と思いはしても、なぜ熱心に行うのかわかりませんでした。けれど短大に通っていた頃、ある報道カメラマンの講演会を聞いたことで、社会貢献や貧困問題に関心を抱くようになりました。
短大を卒業後、イギリスのロンドン大学へ留学し、国際開発を専攻。留学して1年目の夏にインドのNGOに2ヶ月間、在籍しました。貧困問題にじかに接し、何ができるのか探したかったのです。
最貧困層の村を支援する活動です。その村はカースト制度に属さない、差別された人たちの住む村でした。住民たちは子どもから老人まで大理石を加工する仕事を生業にしていましたが、一日一食しか食べられない。ひどい状況でした。
現地のNGOのスタッフは、「大理石だけでなく、ルビーやサファイアをはじめとする鉱物も多くが最貧困層の人たちによって採掘されており、いま私たちが目前にしている状況はどこも変わらない」と教えてくれました。ジュエリーと貧困が密接につながっていることをそのとき知りました。
衝撃を受けたあまり、こんなに大変なことになっているのだから、とにかくなんとかしなきゃと思い、使命感が芽生えたからだと思います。
現実を変えるためにはもっと勉強しないといけないと思い、イギリスへ行き、開発学を学んだわけですが、インドで気づいたのは、最貧困層にお金をあげたとしても、彼らを救えず、貧困を作り出している構造を根本から変えなければならないことでした。それが可能なのは、政治による働きかけであり、外国人としてできるのは、国連組織や国際機関ではないかと考えるようになりました。
現地のNGOのスタッフは、ボトムアップしようとがんばっていましたが、政治と対立関係にありました。インド特有のカースト制度や文化、宗教問題が背景にあるからですが、それを乗りこえて貧困対策を行うには、外部からの政治的な働きかけが必要ではないか。そう思うようになりました。
そこで目指す道を国連機関に定め、ロンドン大学を卒業後、インターンとして、ベトナムの国連人口基金とアジア開発銀行研究所で3カ月ずつ働きました。事業内容はエイズの母子感染防止プロジェクトで、エイズ感染に関する知識や薬の提供、病院施設での診療の勧めなどを行いました。
官公庁と一緒に行うプロジェクトがほとんどで、実績も上げ、助かっている人も多かった。
けれど、気になったのは、現地のベトナム人スタッフとアメリカやベルギーなど先進国から来ている国連スタッフ間の隔たりと、彼らの取り組みに対する意識の問題です。
海外から来ているスタッフは2、3年の出向なので深く現地に関わらないため、現地スタッフとの間で壁ができていました。
さらに問題なのは、両者の頭の中に、“援助を与える人”と“それを受けとる人”という図式があり、「自立できない子ども」を相手にしているような姿勢があるように感じられたことです。
施しを与えることもときに必要です。しかし、私は途上国と対等の関係を結び、貧困を解決していきたい。そうはっきりと思うようになり、国際機関とは違ったスタンスであるビジネスを通じて何かできないだろうかと考えるようになりました。それにはまずビジネスを学ぶ必要があるので、2006年に日本に帰国し、不動産投資ファンドの会社に就職しました。
そもそも不動産投資に関心があったわけではなく、お金を儲ける仕組みとお金持ちの人が何に興味を持っているかを知りたいと思っての選択でした。
働き出してわかったのは、どんなに不況だといっても世界のどこかにはお金はあるということです。
当時、オランダや中東をはじめ、アメリカやオーストラリア・アジアの銀行や年金基金、政府のファンドといった機関投資家が、日本の不動産を買い漁っていました。金融業界にいる、いわゆるお金持ちの人々の中で働いていましたが、彼らがお金を使っていたのは、高級な食事や車、クルーザーといったものでした。
いいえ、居心地が悪かったです。これまで接してきた国際開発業界の方々とは正反対の思想を持った方がほとんどだったので。最初の1ヶ月くらいは、「洋服がたくさん買えるからいいな」と思いましたが、それ以降はストレスがたまり、お金を使っても空しい生活が続きました。
お客さんからお金を頂戴する上では、確実を期するというプロフェッショナリズムの追求は大いに勉強になりました。たとえば、プレゼンテーションに必要なパワーポイントを一枚つくるにも何度も校正し、グラフの色が少し違うだけで怒鳴られました。ミスタイプひとつも許されない。お金を稼ぐことに伴う厳しさを思い知らされましたね。
2007年後半には不動産バブルも終焉し、ファンド業界の雰囲気が怪しくなり、会社の事業も縮小していたため、次の展開について模索するようになりました。
途上国の社会起業家に投資をするファンドをつくることやマイクロファイナンスなどを考えましたが、選択のひとつにジュエリーがありました。母がファッションデザイナーで、私自身小さい頃から興味を持っていたこととインドで大理石を採掘する村を訪れた際の経験が蘇り、ジュエリーで何かできないだろうかと調べ始めたのです。そこで出会ったのがエシカルジュエリーだったというわけです。
人が中心となっているビジネスにこだわりました。仕入れ先の人がハッピーであるか。仲介してくれている現地のパートナーに悩みはないだろうか。また、お客様に対しても、この商品で本当に満足していただけるだろうか。そういうことを考えています。
デザインだけで気に入ってお買い上げいただける方がほとんどですが、HASUNAの理念のお話をすると、共感してくれる方が多いです。たとえば、今日、私がしているネックレスには牛の角が使われていますが、「アフリカのストリートチルドレンだった青年に角を削る技術を教え、彼ら自らが自立できるような仕組みでジュエリーはつくられているんです」とお話したら、共感いただき、何度か足を運んでくれました。
ジュエリーの裏側には暗い問題がつきまとうので、あまりそれを強調すると、お客さんが現在持っているジュエリーのネガティブな面を引き立たせかねないので、「アフリカの人たちが助かっている」というような、プラス面を言うようにしています。
ジュエリーのリサイクルは手間がかかるので、嫌がる職人さんも多いのですが、アフリカの鉱山での児童労働の話をした上で18金やプラチナのリングは新しく掘り返したものではなく、リサイクルでつくりたい旨をお願いすると、心よく受けていただけました。少しずつでも理解をいただいていると思います。
「私のやっていることは正しいんだろうか」とか「資金が減った」とか苦しんだり、悩んだりすることもありますが、周囲の人にも一緒に考えてもらいながら、共に運営している。そんな感じがします。
いいえ。ただ、世界を飛び回る仕事をしたいという思いはありました。一人っ子で教育が厳しい家庭に育ったため、窮屈に感じ、高校3年生のとき、精神的にまいって、まったく勉強しなくなりました。その結果、自業自得なのですが、自分としては不本意な大学に進学せざるをえなくなった。総じて10代の頃は、精神的に安定しておらず、乗りこえるのは苦しく大変だったのですが、いい経験になったといまでは思います。
そういう経験を踏まえて高校生のみなさんに言えるとしたら、たとえば5年先の自分を具体的に描き、夢の像を設定することを勧めたいですね。思い描くだけでなく、自分がなりたいと思えるような人に積極的に会いに行くことも強くお勧めします。
やりたいことをできている自分といまの自分とはかけ離れています。そのギャップに焦るのではなく、そこに向かうために必要なことは何か。アンテナを張り、夢の肉付けを具体的に行っていく。
自分のやりたいことや好きなことを追求する過程で、うまくいかないときは、感情をさらけ出してみるのも大事なことだと思います。あまり自分を責めることなく、思い切り笑ったり泣いたりして欲しいですね。
[文責・尹雄大]
Natsuko Shiraki
白木 夏子
鹿児島県生まれ。南山短期大学卒業後、ロンドン大学キングスカレッジに留学、開発学を専攻。卒業後、国連人口基金ベトナム・ハノイ事務所とアジア開発銀行研究所でインターンを経験。帰国後、投資ファンド事業会社勤務を経て、2009年4月、株式会社HASUNAを設立する。
【HASUNA】
http://www.hasuna.co.jp