官僚に関する五つの虚構
アメリカの対日政策、とくにアジア経済危機を前にした対日政策は、次に指摘する五つの仮説に基づいている。しかもアメリカの政策決定者、日本を専門とする学者だけでなく、数多くの卓越したビジネス・エグゼクティブ間においてさえ、この仮説はすでに信条と化している。しかし、これらのすべては、完全な間違いか、相当甘くみてもかなり根拠が疑わしい(そうした仮説とは次のとおり)。
@政策決定のほぼ全面的な独占、官僚による「行政指導」を通じたビジネスや経済の管理など、政府官僚の優位は日本に特有なものと考えられる。
A「専門家を頂点に置くのではなく、彼らをつねに利用できる状態にしておく」という本来のあるべき姿へと官僚の役割を軌道修正するのはそれほど難しくない。それに必要なのは政治的意思だけだ。
B日本の官僚のような支配エリートは、近代的な先進工業社会には必要でないばかりか、民主主義にとっても好ましくない。
Cとくに現在の金融部門を中心とする「規制緩和」に対する日本の官僚たちの抵抗は、権力を維持しようとする身勝手な試みで、(国にとって)深刻なダメージを伴う。どのみち避けることのできぬものを先送りするのは、状況を悪化させるだけだ。
D賢明な日本人は、われわれと同様、経済を第一に考えている。
だが、正しい仮説は次のとおりである。
@官僚支配は、ほぼすべての先進諸国に共通する現象である。アメリカ、そしてオーストラリア、ニュージーランド、カナダのような人口の少ない英語圏諸国(の状況)は一般的というよりも、むしろ例外である。実際、日本の官僚制は、フランスなど一部先進諸国のそれと比べると、そんなに威圧的でない。
A官僚エリートたちは、われわれが認める以上に(権力)ポストに居座る能力を持つ。彼らは、スキャンダル(が露見したり)、無能さが立証された場合でも、数十年にわたって権力をうまく維持する。
Bその理由は、唯一の例外であるアメリカを除けば、先進諸国の人々が支配エリートは必要だと確信し、それなしでは社会的な解体が起きると懸念しているためだ。だから官僚に代わる存在(新たな支配エリート)が普遍的に受け入れられない限り、人々は旧来のエリートを温存しようとする。そして、現実に日本では官僚に代わる存在は今のところ見当たらない。
Cこれまでの経験を通じて、官僚の時間稼ぎや先送り戦術が有効であることを日本人は理解している。日本はこの40年のうちに二度にわたって、解決できない大問題を「解決」するのではなく、最終的に問題が消えてなくなるまで対応を先送りすることによって克服してきた。だが、日本の金融システムの不安定な構造や支払い能力のレベルからすると、今回はこうした先送り戦略もおそらく失敗するだろう。とはいえ、これまでの経験から考えると、先送り戦術は非合理的な戦術ではない。
D実際、政治家、官僚、あるいは主導的なビジネスリーダーのだれであれ、日本の政策決定者が経済ではなく社会を第一優先としている以上、この戦略は理にかなっている。
「天下り」は日本に特有な現象か
45歳から55歳の間に役所のポストをまっとうした高級官僚が、大企業の「顧問」となる習慣である「天下り」は、日本に特有な現象であるとアメリカでは考えられている。この政府から民間への天下りは、日本の官僚制の優位性、権力、特権を最も明白に具現するものと考えられている。だが、この習慣は現実には、アメリカを含む先進諸国に普遍的にみられる現象である。
個人的な例を引けば、私の父は第一次世界大戦時のオーストリア商務省の事務官のトップポストにあったが、1923年にまだ50歳足らずで退職すると、彼の前任者や後任者と同様に、大手銀行の理事長兼最高経営責任者(CEO)に任命された。大蔵省の高官も同様である。オーストリアの主要な省庁の高官たちは、今日に至るまで「天下り」し続けている。
ただし、日本では天下りした顧問たちには高給が支払われるが、そのポストは閑職である。彼らは月に一度の給料日以外は、そもそも会社に姿を見せることさえ期待されていない。これとは対照的に、ヨーロッパのほとんどの諸国のこうした「半ば退職しつつある」官僚たちは、銀行のCEOとなるオーストリアの官僚同様に、(民間で)本当に仕事をする。
これが賢明なことか、ばかげているのかは、ここでは問題ではない。大切なのは、天下りが普遍的な現象だということだ。
ドイツでは、省庁ではトップになることのない中級官僚が業界団体の事務局長になるが、これは高給で本当の権力を持つ(民間)ポストである。ドイツの企業は業界団体への加盟が義務づけられており、巨大企業を別にすれば、この業界団体を通じて政府や労働組合とも折衝しなければならない。仮に官僚が社会民主党員の場合も、労働組合の主任エコノミストや事務総長など、(業界団体と同様に)高給で権力あるポストにつく。
フランスでは、一般に40歳から45歳の間に各省庁の財政(会計)監督官の高いポストに上りつめた者は、産業界や金融部門のトップへと転出する。フランスの経済・社会面のほぼすべての権力ポストに、かつて財政監督官を務めた人物たちが就任している。英国においてさえ、主要な省庁の高官が退職後に大銀行、保険会社の理事長になるのは今なお慣例である。
アメリカでも同様であり、たんに「天下り」が知られていないだけだ。将軍や提督の多くが、退役と同時に国防産業や航空宇宙産業の要職に迎えられる。数多くの議会スタッフ、行政府の高級・中級ポストに政治的に任命された人々とともに、ワシントンの支配エリート層は、通常、政府の要職から高給取りのロビイストとなるか、ワシントンの弁護士事務所のパートナーになる。
ヨーロッパの官僚に比べれば、その権力の絶頂期にあった1970年ごろでさえ日本の官僚たちのビジネスや経済への影響力や管理権限は低かった。フランスやドイツでは、政府が直接的に経済のかなりの部分を所有している。たとえば、ヨーロッパで五番目の規模をもつ自動車メーカー、フォルクスワーゲン社はザクセン州が所有しており、州が絶対的な(ビジネス運営面での)拒否権を持っている。また、フランスの大手銀行と保険会社のほとんどをごく最近まで所有していたのは政府だった。ヨーロッパ大陸で第三の規模をもつイタリア経済も同様である。
これとは対照的に、日本政府が所有するのは郵便貯金だけだ。日本の官僚は「行政指導」で済ませたり、説得を通じて(ビジネスを)管理下に置くが、よしあしはともかく、ヨーロッパの官僚は所有者あるいはマネジャーとして直接的な決定権を持っている。
エリート支配の耐久性
日本の官僚から権力を奪うのは、どのくらい難しいだろうか。だが結局のところ、官僚の業績といってもそれほどたいしたことはない。むしろ、官僚たちはこの25年間失敗を重ねてきた。彼らは、1960年代後半から1970年代初期における産業政策の勝者の選定を誤り、大型コンピューターのような敗者を産業政策の対象に選んでしまった。その結果、今日の日本は、情報産業やハイテク部門全般で大きく後れをとってしまったのだ。
官僚たちは1980年代にも間違いを犯した。穏やかなリセッションを前にパニックに陥った官僚たちは、行きすぎた投機的財政バブルへと日本を向かわせてしまう政策をとり、これが現在の金融危機を招いている。官僚の「行政指導」によって銀行、保険会社、事業会社は、正気とは思えぬほどの高い価格で株式・不動産投資を行い、最悪の不良債権をつくりだすことになった。
1990年代初期にバブルがはじけると、官僚たちはもはや日本経済を前へ進めることができなかった。彼らは、株価、不動産価格、消費、資本投資のレベルを引き上げようと、アメリカがニューディール期に試みた金額をはるかに上回る未曽有の資金を投入したが、まったく功を奏さなかった。
官僚たちは、九七年のアジア金融危機をまったく予想できなかったという、さらなるヘマを犯した。彼らは、アジア経済の足どりがおぼつかなくなった後も、日本の銀行や企業に対してより多くの資金をアジアに投資するよう働きかけた。
以来、官僚たちの腐敗ぶりが次々と暴露されるようになり、日本銀行あるいは大蔵省といった誉れ高い組織もご多分に漏れなかった。こうして官僚たちの倫理観が問われるようになり、官僚の堅固な支持基盤である大企業さえも彼らに背を向けるようになった。事実、今では大企業の経済団体である経団連も規制緩和と官僚の権限を抑えることを求めている。
とはいえ、現実には何の変化も起きていない。さらに悪いのは、官僚に対する優位を主張する、控えめで憶病な形ばかりの政治家たちの姿勢が、(いずれ元の場所に舞い戻るのがわかっているのに)彼らをとりあえず叱責するだけで、結局、しばらくすると何事もなかったかのような状態になっていたことだ。だが、どこか尋常ではない、どこか「ひどく日本的でない」ことが進行中だとアメリカ人は口にしている。
しかし支配的なエリート層、それも生まれや富ではなく、日本の場合のように、自らの役割を基盤とするエリート層は、見事なまでにその権力ポストに居座り続ける力を持っている。支配エリート層は、その信頼が失墜し、市民の尊敬を失った後も長期にわたって権力の座に居座り続ける。
フランスの軍部を考えてみるがいい。1890年代のドレフュス事件によって軍部の腐敗、恥部、不実が表沙汰となり、軍部が主張する社会的リーダーシップを下支えする「軍隊の美徳」が失われ、このエリート層の自負心は崩れ去った。しかし、第一次世界大戦でのどうしようもない無能さによって、この軍隊には無意味な大量殺戮しかできないことが実証された後も、フランスの軍部は権力を握ったままだった。第一次世界大戦後の西ヨーロッパでの平和主義の広まりによって完全にその信頼が失墜したものの、軍部は、文民エリートへ権力をシフトさせようとする1936年のレオン・ブルム政権による試みを打ち砕くのに十分な余力を残していた。
結局、フランスの共産主義者と連帯した軍部は、ブルムを権力の座から放逐した。さらに、それまで味わったことのない最も屈辱的な敗北をフランスにもたらし、完全な無能ぶりを再びさらけだした後の一九四〇年になっても、軍部は、ビシー政権の協力者たちに、他の軍人に比べれば名誉を傷つけられていなかったもののほとんど老いぼれていたペタン将軍を指導者として選ばせ、傀儡政権に正統性を与え、広範な支持を得させるだけの強さを持っていた。
自分たちを切り崩そうとする試みを邪魔だてする支配エリートたちの傑出した能力は、何も日本に特有なわけではない。先進諸国、とくに民主主義・先進諸国では、支配エリート層の必要性は広く社会に受け入れられている。それなしでは社会と政治が解体し、民主主義も崩れていく。
この必然的な必要性を免れているのはアメリカとひと握りの英語圏の小国だけだ。アメリカ社会には19世紀初頭以来、支配的なエリート層は存在しなかった。実際、トクヴィル以降の海外のアメリカ観察者たちのほぼすべてが指摘するように、アメリカ社会の真にユニークな特徴は、各集団がそれぞれに、たとえ差別されていないとしても自分たちが評価も尊重もされないと感じていることで、多くの人はこれこそこの国の偉大な力とみなしている。
ドゴールとアデナウアー
とはいえ、アメリカは例外であり、日本は支配的法則を免れていない。アメリカを例外とするすべての主要な先進諸国では、支配的なエリートがいなければ、政治的安定も社会秩序も望み得ないとされ、これは自明のことと考えられている。
ドゴールやアデナウアーを考えてみるがいい。彼らはともに、自国社会の支配エリート・コミュニティーから拒絶されたアウトサイダーだった。
フランスとドイツの支配エリートとは、それぞれ軍人、役人だった。その才能にもかかわらず、この二人の高いポジションや権力へのアクセスは否定された。ドゴールは第二次世界大戦が勃発するまでは将軍にはなれなかったし、その後でさえも小さな旅団の指揮官となったにすぎない。アデナウアーは、ドイツで最も機転のきく政治家として、そして例外的なまでに有能な行政官として一般に認識され、しかも、ワイマール共和国時代の平凡な政治家よりもはるかに優れた資質を持っていたのだが、首相ポストはもちろん、閣僚ポストさえ与えられなかった。二人ともエリートに拒絶されたことを苦々しく思い、エリートをあからさまに軽蔑する態度をとった。しかし、戦後になって権力の座を射止めると、両者とも新エリート層の構築にとりかかった。
1945年に大統領に就任して、ドゴールが最初に手をつけた仕事は、新たな官僚制を導入して新時代のエリートをつくりあげることだった。彼はこのために、競合する官僚制の破片をひとまとめにして中央集権的制度をつくり、政府や経済の要職のすべてを官僚の支配下に置き、財政監督官に全権を与え、さらに、新たなエリート校、つまり国立行政学院の卒業生という新たな信用基準をつくりあげた。実際、この40年にわたって国立行政学院は、すべての財政監督官を含む、フランス社会、政治、ビジネス部門の指導者のほぼすべてを輩出してきた。
かたやアデナウアーが1949年にドイツ首相に就任したとき、彼が引き継いだ官僚制は、ナチスへの従属によってひどく汚され、信頼は失われ、士気も低下していた。アデナウアーは即座にエリートの復権にとりかかった。彼はナチスによって二度にわたって投獄された経験を持つが、イギリスやアメリカからの強い圧力があったにもかかわらず、官僚制を非ナチス化の対象から外し、ナチスが廃止した官僚に与えられた雇用保障と特権を復活させ、地方の政治家による干渉からの大きな自由も与えた。こうしてアデナウアーはドイツの官僚エリートたちにそれまでにない高い地位を与え、彼らが皇帝(カイゼル)やワイマール共和国の時代のように、軍部の後塵を拝することもなかった。
ドゴールとアデナウアーはともに非民主的だと批判されたが、二人ともこれに対して、近代社会、とくに近代民主主義では、支配的なエリート層なしでは(社会が)解体すると主張した。彼らの指摘は的を射ていた。たとえば、最終的な拒否権を持っていたとはいえ、ワイマール・ドイツでは第一次世界大戦の敗戦によって軍部への信頼は失われていた。一方、1918年以前は軍部に次ぐひ弱なナンバー2の座に甘んじていた官僚は、共和制を受け入れるかどうかをめぐってひどく分裂していた。加えて、ビジネス・リーダーや専門職の人々など、社会的に新たに頭角を現した集団はまだ成り上がり者的な存在とみなされたままだった。その結果生じた、社会的に受け入れられている支配的なエリート層が何一つ存在しないという事態は、ワイマール共和国において決定的な意味を持った。
もう一つの例を引けば、支配的なエリート層の不在が、イタリアの政治的麻痺と社会的なアノミー(混乱)に関連していたのも間違いない。
先進諸国がその存続を必要としている支配エリートたちは、当然ながら自らも権力に固執する。すべての支配者はそうした行動をとるものだ。しかし、エリートが自らの権力を温存できるのは、ひとえに彼らに代わる差し迫った代替的存在がないという理由からである。そうした存在が出現するまでは、完全に信用を失い、機能不全に陥ったとしても、支配エリートは権力の座に居座り続けるわけで、代替的存在の出現には、ドゴールやアデナウアーのような人物がそのための努力をなす必要がある。
日本で官僚という支配エリートに代わる存在が出現する気配は、今のところない。(実際には、1930年代の軍事政権は、概して言えば将軍政治が再現されたようなもので、こうみると歴史のほとんどを通じて日本を支配してきたのは軍事的独裁制なのだが)この歴史的な支配エリートだった軍部も今では社会的にまったく支持されていない。
大企業が社会的にかつてなかったほどの支持を集めているとはいえ、社会の支配エリートとして受け入れられているわけではない。大学教授や専門職の人々もそうではない。これまでのところ、いかにその信頼が地に落ちたにせよ、官僚だけが要求を満たす唯一の集団なのだ。
この事実をアメリカの政策決定者が好むか、嫌うかは問題ではない。これが事実なのだ。したがって、アメリカの対日政策は、「規制緩和」のあるなしにかかわらず、今後当面の間は官僚たちが日本の支配エリート層、あるいは少なくとも最も力強い集団であることを踏まえたものでなければならない。
「先送りと無作為」の合理性
日本の支配エリートたちは、おおむねそれに該当するアメリカ人のような行動はとらない。アメリカのエリートは政治的集団で、行政府によって(政治的に)任命された者、議会スタッフらによって構成される(両者がエリートであることは、他の先進世界ではみられないアメリカ特有の現象だ)。しかし、日本の支配的集団は官僚であり、官僚特有の行動をとる。
ドイツの偉大な社会学者、マックス・ウェーバーは、官僚制が普遍的な現象であることをつきとめ、その役割は自らの経験を準則化し、その行動規範に自らを織り込むことだと定義した。今日の日本の官僚の行動規範、とくに大きな危機を前にした場合のそれは、行動規範形成期における二つの成功と一つの失敗によって導かれている。
最初の成功は、成功とはいっても一九四五年以後の最も深刻な社会的な病に処置を施すことではなかった。ここでいう病とは、農村の大多数の人々が失業するか、あるいは(老齢や障害などで)雇用不能な状態にあったことだ。今日、労働力に占める農民の比率は、日米双方ともわずかに2%か3%を超える程度である。翻って1950年当時、アメリカでは人口の20%を超える人々が農民だったが、日本ではほぼ60%の人々が土地を耕し、かろうじて最低限の生活を送る収入を得ていた。
1950年代初期の日本の農業は、どうしようもないほど非生産的だった。しかし官僚たちは、農業部門の問題への対策を講じよと政府に求める圧力のすべてをうまくかわしてみせた。官僚たちは「仰せのとおり、この膨大かつまったくもって非生産的な農業部門の過剰人口(労働力)が経済発展の大いなる足かせ」であることを事実上認め、さらに「日本の都市生活者が生活必需品を購入するに十分な所得を得ていないこのときに、何も生み出せない農家に補助金を与えるのは、日本の消費者をひどく不利な状況に追い込む」と結論した。
だが一方で、農民が土地を離れること、あるいはより生産的になること(これは多くの場合、とうもろこしや大豆のような穀物を新たに栽培するか、米作をやめて鶏や家畜などの畜産業へ移行することを意味した)を奨励すれば、深刻な社会的混乱を引き起こす危険があった。こうして官僚たちは、状況に対する唯一理性的な行動は何もしないことだと考え、実際、何も手を打たなかった。
経済的にみれば、日本の農業政策は壊滅的だったし、農業という観点からみれば、日本の農民の生活レベルは今でも先進諸国のなかで最も低い。日本は、生き残った農家には、アメリカを含む他の先進諸国と同様、可能な限りの補助金を与えているが、いかなる主要な先進諸国と比べても、より多くの食糧を輸入に依存している点で、この国は異なっている。しかし社会的にみれば、官僚が何もしなかったことは大きな成功だった。結果的には、日本は何ら社会的混乱を伴うことなく、他の先進諸国以上の農業人口をバランスよく都市生活者として吸収できたのだ。
日本の官僚たちの二番目の大きな成功も、考え抜いた揚げ句の無作為だった。彼らは小売流通の問題に対応しないことを決めた。1950年代末と1960年代初めの日本の流通システムは、先進世界のなかで最も時代遅れでコスト高、なおかつ非効率的なしろもので、19世紀型というよりも、むしろ18世紀型のシステムだった。日本の流通システムを担っていたのは、数千もの「パパ・ママショップ(夫婦経営の店)」で、たとえるなら、これらは壁に開いた小さな穴のようなもので、膨大なコストとそこに至るまでのひどく高いマージンゆえに、零細商店は食べていくのがやっとだった。エコノミストや財界指導者たちは、効率的な流通システムを整備するまでは、健全な近代経済を手にできないと警告したものだ。
だが、官僚たちは手をさしのべることを拒否した。逆に官僚は、スーパーマーケットやディスカウント・ストアのような近代的小売店の台頭を鈍化させるための規制を次から次へと制定した。
経済的には、既存の小売りシステムが大きな足手まといであることを官僚たちも否定しなかったが、一方で「これは日本社会の安全弁でもある」と考えていた。「失業者、あるいは五十五歳になってわずか数カ月分の退職手当で引退した人々も、親戚がやっているパパ・ママショップで働くことで最低限の生活を賄うだけの収入を手にできる」と。結局のところ、当時の日本には失業保険も年金もほとんどなかった。
それから四十年後、小売流通は社会的にも経済的にも問題ではなくなった。今もパパ・ママショップは存在するが、そのほとんど、それも都市部の零細商店はフランチャイズ店として新たな巨大小売りチェーンの翼下に入っている。暗くて古い店舗はもうない。今では小さな小売店は清潔で明るく、一元管理の下に置かれ、コンピューター化されている。今日の日本は世界で最も効率的で費用対効果の高い流通システムを手にしているのかもしれず、パパ・ママショップも今やそれなりの収益をあげている。
日本の官僚の行動規範を形づくった第三の経験も、これまた行動を起こさぬことを教えているが、最初の二つとは違い大失敗だった。実際、この失敗は、対応を先送りし延期することの英知を無視して、最初の二つの事例から学んだ教訓に背いた結果だった。
1980年代初頭、日本は、世界のほとんどの諸国であればリセッションなどとはみなされない、経済・雇用成長の穏やかな減速局面を迎えた。しかしこの成長の減速は、ドルと円の相場の管理固定制度が解体され、輸出依存国、日本がパニックに陥ったのと時を同じくしていた。
その結果生じた大衆の圧力に官僚たちは屈服し、欧米スタイルで行動するようになった。彼らは、景気を刺激しようと膨大な金額の資産を投入したが、災難はさらに続いた。日本政府は他の多くの先進諸国と比べてもさらに大きな財政赤字を計上し始めた。株式市場はブームに沸き返り、株価収益率は五十倍以上にまで押し上げられた。都市部の地価はさらに大きく上昇した。健全な借り手不足で資金を持て余した銀行は、憑かれたように投機家に資金を融通した。もちろんバブルははじけ(現在の金融危機はその遺産にほかならないが)、バブル崩壊とともに銀行、保険会社、その他の金融機関は、株式市場と不動産市場での損失と不良債権に悩まされる羽目になった。
その後の事態も、決定を先送りすることが行動を起こすよりも賢明であるという官僚の確信をさらに強めるものだった。だが、一部にはワシントンからの圧力もあって、この二年の間に日本の政治家と世論は、他の欧米諸国にもまして大規模な資金を経済に注入するように圧力をかけ、官僚の確信に反して、資金が投入されたが、これらはまったく役に立たなかった。
日本の社会契約の破綻
欧米の人々、とくに米財務省、世界銀行、国際通貨基金(IMF)などのワシントンの高官たちは、日本の銀行システムの危機に対する官僚の現在の取り組みぶり、あるいは、取り組まないさまを政治的憶病さのなせるわざだとみている。だが、東京のエリートの仲間内では、先送りと遅延策だけが合理的な政策とみられている。
日本の金融機関がバブルの崩壊によってどの程度苦しんでいるか、正確なところを知る者はだれもいない。国内的な損失に加えて、対中国同様に、日本の金融機関が他を大きく引き離した最大の貸し手である韓国、タイ、インドネシア、マレーシアなど他のアジア諸国での危機によって被るであろう痛手も、すでに視野に入ってきている。
日本は第二次世界大戦以来、他の先進諸国が経験したものと比べても最大級の金融危機に直面している。去る5月の「ビジネス・ウィーク」誌の評価によれば、アジア地域へのローンや投資の損失を別にしても、日本の銀行はほぼ一兆ドルに達する国内融資の回収を断念しなければならなくなる。この額は15年前にアメリカの貯蓄貸付組合が被った額を最大に見積もったとしてもはるかに上回り、しかもこれがアメリカ経済のほぼ半分程度の日本で起きている。この額は、驚くべきことに、日本のすべての金融機関の資金のほぼ12%に相当する。
より深刻で対処しにくいのは、銀行危機が伴う社会的脅威である。日本の金融システム全体はすでに急速にダウンサイズされつつあるが、日本にはあまりに銀行が多すぎる。金融機関の数はそれほどでもないのだが、銀行支店はかなりの数に達し、至るところにあるだけでなく、なにせ行員の数が多すぎる。
日本、そしてアメリカの金融専門家たちは、日本の商業銀行は1000件の取引を基準に考えれば、アメリカやヨーロッパの銀行に比べて3倍から5倍の行員を抱え込んでいるとみている。これによって日本の銀行は最も大きな雇用を提供する業種の一つとなり、しかもその賃金レベルは最も高い。高給を取りながらも人材が重複しているのは年齢的には中年の銀行員で、彼らが解雇されれば、専門知識も限られているため次の仕事を見つけるのは難しいだろう。すでに日本の失業率は、政府統計で見ても、この40年間で最高・最悪の4%を超えるレベルにあるが、日本がアメリカやヨーロッパの失業の基準を適用すれば、おそらく7%か8%に達しているはずだ。かえりみれば、政府公表の失業率はわずか2年前には3%未満だったのだが。
失業という脅威にもまして深刻なのは、この国の社会契約に対する脅威、とくに終身雇用制という雇用保障に対する脅威である。もし銀行が大勢の人々を解雇すれば、この社会契約は破綻する。危機のこうした社会的側面をいかに日本人が深刻に受けとめているかは、数少ない雇用を維持するために彼らがどれだけ踏み込んだ措置をとっているかに表れている。彼らは日本で4番目の証券会社である山一証券の主な支店を引き継がせるために、アメリカの金融機関であるメリル・リンチの参入を認め、(いやおそらくは招聘するという)これまでからすれば文字どおり考えられない措置をとった。その理由は、山一が1997年に自主廃業したときに、メリル・リンチが数千人に達する従業員の6分の1を引き継ぐと約束したからである。考えてみれば、監督官庁である大蔵省の高官が、日本国内では海外の証券会社の活動は認めないと声高に主張していたのは、そのわずか六週間前だった。
銀行危機は日本のビジネスと社会の構造を揺り動かした。この危機は、日本に最も顕著な企業形態である、主要な銀行を中核とする一連の企業集団「ケイレツ(系列)」を解体させることになるかもしれない。欧米で一般に考えられているのとは違い、ケイレツが一義的にビジネスに役立つわけではない。重要なのは、一連のグループ企業の事実上の役員会としての機能で、個々の企業の公式の役員会はたんなる内的な管理委員会にすぎない。(役員会としての)ケイレツは目立たぬように無能な経営者を退陣させ、ケイレツ企業のエグゼクティブの仲間入りが取り沙汰されている人物の昇進を審査する。
しかし、とりわけ大切なのは、ケイレツが相互協力のための連合体であることだ。その一翼を担うケイレツ企業は、ケイレツが効果的に所有権の管理ができるように、集団的に株の持ち合いをする。こうして彼らは、外部勢力から内輪を守り、敵対的な買収を阻止する。
さらにケイレツは、終身雇用制度の究極の擁護者である。社員を解雇しなければならないような深刻な危機に陥った場合には、他のケイレツ企業が彼らのために雇用を提供する。これによってケイレツの仲間はコストを切り詰めながらも、恒久的な雇用保障という約束を成就できるのだ。
では、ケイレツは現下の金融危機を生き延びられるだろうか。典型的なケイレツの中核に位置する銀行は、自らの損失を相殺するために、すでに所有するケイレツ企業の株式を売却し始めている。一方で、ますます多くのケイレツ企業が、自社のバランスシートを支えるための現金を得ようと、他のケイレツ企業の株式を売却している。だが、終身雇用制や雇用保障の問題はさておくとして、日本経済をとりまとめる基軸としてケイレツに代わる存在は何だろうか。
この設問への答えはない。したがって、日本の官僚たちにとってこの件に関する唯一の合理的な選択肢は、実際何の政策も持たぬことなのかもしれない。こうした先送り戦術によって、銀行の問題の一部が管理可能なレベルへと削ぎ落とされるとみるのは、おそらく希望的観測というものだろう。しかし、欧米世界、とくにアメリカはこの先送り戦術が再び功を奏すのを望むのみである。アメリカの政治、戦略、経済利益にとって、日本での社会的混乱は、現在ワシントンが東京に圧力をかけている金融部門の急速な規制緩和のような、米国の働きかけによって得られるアメリカ企業やアメリカ経済の利益など吹き飛ばしかねない深刻なものになると考えられるからだ。
問題は経済ではない
結局のところ、日本の官僚たちがどのように考え、機能し、行動するかを理解するための最も重要な鍵は、日本の優先課題を理解することである。アメリカ人は、国家安全保障が脅かされぬ限り、政治決定において最優先されるのは経済だとみている。一方、日本人は(これは官僚に限ったことではない)、社会を最優先に考える。
ここでもアメリカは例外であり、日本のほうが国際的な規範に近い。アメリカを別とするほとんどの先進諸国では、経済は、政策の唯一主要な決定要因などではなく、むしろその抑制要因とみなされている。イデオロギー、さらには(政策の)社会的衝撃がどのようなものになるかが第一の優先課題なのだ。
アメリカにおいてさえ、経済が公共生活や政策の優先課題とされるようになったのは最近になってからで、その時期を第二次世界大戦前まで遡ることはできない。それ以前はアメリカも社会を第一に考えていた。大恐慌にもかかわらず、ニューディールは経済復興よりも、社会改革をはるかに重視し、アメリカの選挙民はこれを大いに支持したものだ。
しかし日本に特有なことではないとはいえ、おそらくフランスを例外とすれば、社会を最優先にすることは、その他のほとんどの先進諸国以上に日本では重要である。海外の人々の目には、日本は異常なまでの社会的強さと凝集力を備えているように映るかもしれない。実際、歴史的にみても、途方もない課題と混乱をこれだけうまく乗り切ってきた社会はほかにない。たとえば、1850年代のペリー提督の黒船の出現によって180度の急旋回を迫られると、それまで二世紀にわたって国を閉ざしてきた、世界でも最も孤立していたこの国はまたたく間に近代化を受け入れ、西洋化した。同様に、大きな精神的痛手をもたらした1945年の敗戦以後の急速な社会的急旋回とそれに続く海外勢力による占領も、この国の社会は乗り切ってきた。にもかかわらず、日本人は自分たちの社会をひ弱だとみている。彼らはこれら二度の危機の際に、自分の国が崩壊と内戦の瀬戸際にあったことを理解している。であればこそ、たとえば終身雇用制が、日本の社会的な絆として非常に大きな重要性を持っているのだ。
日本社会が打たれ強いのか、あるいはデリケートなのかはここでは問題ではない。大切なのは、社会を最優先とすることを当たり前のこととみなしていることだ。
もしアメリカ人が、とくに困難な状況にある日本に対処する際にこの点を理解すれば、日本の官僚制が役に立たないという神話に今ほどこだわることもなくなるだろう。官僚制を擁護するのはもちろん今でも異端だが、この見解は一般に考えられるよりも真実に近いのだ。●
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