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外務省に核密約裏付ける文書 保管資料調査で発見

2009年11月21日3時2分

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 岡田克也外相の指示を受けた外務省の日米密約調査で、核持ち込み密約の根拠をなす文書である「討議記録」の存在を裏付ける日本側文書が、同省の保管ファイルの中から発見されたことが20日、分かった。日本政府の「(討議記録は)承知していない」とする従来の立場を覆すものだ。

 外務省は、省内に保管されていた日米安保関係の2694冊、沖縄返還関係571冊、在米大使館にある約400冊のファイルを対象に、密約に関する文書がないか調べていた。調査は終了し、調査チームを率いた北野充・官房審議官(危機管理担当)が同日、外相に調査結果を報告した。岡田氏は来週にも第三者委員会を発足させ、文書の分析や意義の検証をする方針。

 討議記録は60年1月の日米安保条約改定直前に日米間で交わされ、核兵器の持ち込みに必要な事前協議の対象を定めている。米側で公開された文書には「米軍機の日本飛来や米海軍艦艇の日本領海、港湾への進入に関し、現行の手続きに影響を与えるものと解釈されない」と記され、米側はこの合意をもとに寄港・通過は「持ち込み」ではないとの立場を取ってきた。この米側文書は、交渉がまとまった59年6月に作られた討議記録の草案。

 今回の調査で見つかったのは、討議記録そのものではないが、合意内容が記された文書。60年1月6日に藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日米大使がイニシャル署名した最終合意の内容が分かるという。

 これまでの自民党政権は密約そのものが存在しないと主張し、密約を裏付ける日本側文書の存在を認めていなかった。討議記録も「そうしたものが米国の公式文書としてあることは全く承知していない」(00年5月、河野洋平外相)と存在を否定していた。

 最近も「事前協議制度についての日米間の合意は、(協議の対象を定めた)交換公文及び『藤山・マッカーサー口頭了解』がすべて」(09年7月、中曽根弘文外相=いずれも当時)と主張。調査結果は、これらの政府見解を真っ向から否定するものだ。

 ただ、この討議記録の内容をめぐっては、日本側は当初、核兵器を積んだ艦船の寄港などを認めたことになると気づいていなかった、との指摘がある。実際、日本政府が「寄港・通過も持ち込みに当たる」との国会答弁を繰り返し、米側が合意内容の確認を何度も迫ったことも分かっている。調査ではほかにも多くの文書が見つかっており、日本側でこうした解釈のずれに気づいた過程も判明。「苦悩した様子がうかがえる」(外務省関係者)という。

 63年4月には、ライシャワー駐日米大使が大平正芳外相と会談し、核持ち込みの解釈をすりあわせている。大平氏はこの日の会談で米側解釈を受け入れたとされるが、今回の調査では会談当日の記録は見つからなかった。外務省職員が同席せずに記録がもともと作られていなかった可能性があるほか、破棄された可能性も捨てきれない。(倉重奈苗、鶴岡正寛)

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