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2004年1月15日
架橋で日本とロシアを地続きに

昨年12月、理事会が新体制確立による日ロ友好運動のさらなる発展を念願して、会長に選任を決定した鳩山由紀夫氏に、ロシアとのかかわりや北方領土問題、日ロ協会での今後の活動についての考えや抱負を聞いた。(聞き手 編集長羽田孝文)


架橋で日本とロシアを地続きに
祖父一郎の政治信条を大切にしたい



−−ロシアへの思いをお話し下さい
 祖父鳩山一郎の時代から、個人的にも暖かい交流があった。それは1956年の日ソ共同宣言にさかのぼる。
 こういうエピソードがある。祖父は体が弱っていた。生きて帰れる可能性は薄いと言われ、生命を賭してモスクワに行った。北方領土問題が論議されていたが、祖父の本音はシベリアに抑留されている日本人を一日も早く、日本に連れ戻したいということだった。領土は逃げないが、生命には明日がない。人間の命が大事だと思うからモスクワに行った。
祖父の友愛の原点はそこにあった。わたしは祖父の政治信条を大切にしたい。わたしが日ロ協会の会長を引き受けたのも、祖父が両国の国交回復に命を賭けたからだ。父親も弟もロシア人に親しく接している。わたしとしてはライフワークとして、この仕事をしていきたいと考えている。

−−ロシアには何回行かれましたか
 当選の翌年、1987年5月に当時日ソ友好議連会長をしておられた桜内義雄先生の「桜内ミッション」に参加し、モスクワ、リガに行った。また、1992年9月にサンクトペテルブルグを中心に歩いた。このときは鳩山家としてコンセルヴァトワール(音楽院)にシンセサイザーを寄贈することが目的だった。もう一度、領土問題などをテーマにしたシンポジウムに参加した。

−−北方領土問題についてのお考えは
 領土問題は重要である。ただ、論議するだけではなく、両国の交流を深めて行くことが重要だ。人間が、お互いに理解し合うことだ。それが、日ロ協会の使命だと思う。わたしは稚内からサハリンまで橋を架けロシア本土につなげたい。提唱している人もいるが、40キロメートルぐらいだし水深も浅い。技術的にも簡単であるという。日本とロシアの間にに橋を架ける。文字通り懸け橋。天然ガスのパイプラインもつなぎ、資源を利用させてもらう。日本側のメリットも大きい。地続きになれば札幌からパリまで車で行ける。こういう夢の事業で日ロ間の距離も縮まり、結果的に領土問題も良い方向に進んで行くと思う。高飛車に領土問題を論議するのではなく、おたがいにメリットがある事案を実行し、心をなめらかにしていくことだ。

−−日ロ協会でどういう仕事をしますか
 本当の意味で心と心をつなぐ事業をやって行きたい。子供同士の交流でもよい。ホームステイなどでの相互交流を積極的にやっていきたい。貧しくて大学に行けない子供たちがいれば、何らかの援助をする。日本人の暖かさを示して行くことが重要だと思う。協会にはスリーピング会員が多くいる。この会員たちが戻ってくるために、ロシアの人たちとまじめに交流の枠を広げて、暖かい土俵をつくっていくのが、協会の仕事だ。魅力が感じられる協会に育てたい。

−−日ロ協会のどこを変えたいですか
少数の人達が実質的にすべてリード している状況から、財政・運営に関し透明性の高い協会にして行くことが大切だ。


―「日ロ親善」 No.394 掲載より掲載
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