斜里町で当直、和歌山で古道の調査と行事の取材、和歌山の病院でも当直、戻って斜里町で当直という連続の3週間をやっていました。しかし斜里町ではあちこちから「ねえまだ斜里町に来てんの?いるの?」と言われがっくしです。病院の外に出る余地がなくなって外で目撃されなくなっただけで、前よりも国保病院で勤務している日数は増えているのにかなしいなあ。
斜里町は来年4月から旭川医大から内科常勤1名の派遣が決まって、今年6月の「常勤医が一人だけになってしまう、大変だ!」とチラシを配布した時のふりだしにやっと戻ったのですが(4月からやっぱり内科が一人しかいないことには変わりない)、9月頭にその先生が決まった時点でみんな「よかったよかった」になってしまい、その後なんにも医師招聘活動なんかやらなくなってしまいました。「一人になってしまう困った」が、いつの間にか「でも一人来るからいいでしょ」に変わり、町民の人も話を聞いてくれなくなりました。今は根も葉もないのに「二人めも決まった」「4月からは三人になる」という話が流布していてみんな喜んでいます。もうだめなのかなあと落ち込みます。
そんな折ですが先日11月7日に第2回「知床開拓スピリット2世の集い」が開かれました。知床の開拓地、自然センター周辺から五湖までにあった幌別・岩尾別2つの集落の「岩尾別小中学校」の同窓会です。今年は参加できる人数が少なかったのですが、どっこい、集まったら喋ること、喋ること、喋ること、皆さん火山の噴火のごとく語り続けて、今年もやっぱり、午前様になっても朝が近付いてもまったく眠る様子がありません!
「その後の人生を振り返った時にね、開拓地で育って、何にも動じないしたたかさが身に付いて、本当によかったと思うんだよね」と吉原さんが喋っています。
「NHKが来て『開拓時代の辛かったことを語ってくれ』と言うから、楽しかったことばかり3時間語って、VTR3時間撮った、ぜ〜んぶカットされた。オレはあの頃楽しかった!辛かったことなんか一つもない!」と斉藤さんが叫んでいます。いや、叫ばないと、聞こえないんだ、みんなすごい喋っているから。
翌朝は場長さんの許可をもらって、岩尾別小中学校の跡(今は岩尾別孵化場になっている)から岩尾別川の河口の海岸まで歩いてきました。姿かたちはオジオバですが、歩く動作やお喋りはもうほとんど小中学生の遠足、皆さん一挙に50年のタイムスリップです。
「小学生の頃、海岸の大きな岩の上に蓄音機を置いて、みんな集まって、音楽会をやったんだよ」と度々聞かされていたので、自分なりにその光景を思い浮かべたりはしていたのですが、
↓実はこんなにデカい岩だった・・・・・
「ここにちょっと平らな所があるもん、ここに蓄音機を置いたんだよ」と吉原さん。

「あの頃、大きな岩と岩の間から水が湧いていて、みんなで飲んだの。おいしかった」と探しに行くと、
↓ありました!
今も変わらずに湧いてる、知床すげー(笑)
50何年ぶりに喉をうるおす同窓生たちです。

今後のことなども皆さんと話し合いました。これからもずっと同窓会が続いていってほしいです。
今回私は全然準備など御協力できず申し訳なかったのですが、これからも知床に暮らした人々の歴史が絶えることなく語り伝えられていくことを祈っています。
