ちぎれ雲

熊野取材中民俗写真家/田舎医者 栂嶺レイのフォトエッセイや医療への思いなど

第2回!岩尾別小中学校同窓会

2009-11-20 | 知床
 
岩尾別の馬頭観音さんにお経を上げる菊地さん。「馬はどの家庭でも大事だったから。でも馬だけじゃなく、ウサギも、鳥も、食べた動物も、全部の動物に(お経を)ね」と。



 斜里町で当直、和歌山で古道の調査と行事の取材、和歌山の病院でも当直、戻って斜里町で当直という連続の3週間をやっていました。しかし斜里町ではあちこちから「ねえまだ斜里町に来てんの?いるの?」と言われがっくしです。病院の外に出る余地がなくなって外で目撃されなくなっただけで、前よりも国保病院で勤務している日数は増えているのにかなしいなあ。
 斜里町は来年4月から旭川医大から内科常勤1名の派遣が決まって、今年6月の「常勤医が一人だけになってしまう、大変だ!」とチラシを配布した時のふりだしにやっと戻ったのですが(4月からやっぱり内科が一人しかいないことには変わりない)、9月頭にその先生が決まった時点でみんな「よかったよかった」になってしまい、その後なんにも医師招聘活動なんかやらなくなってしまいました。「一人になってしまう困った」が、いつの間にか「でも一人来るからいいでしょ」に変わり、町民の人も話を聞いてくれなくなりました。今は根も葉もないのに「二人めも決まった」「4月からは三人になる」という話が流布していてみんな喜んでいます。もうだめなのかなあと落ち込みます。


 そんな折ですが先日11月7日に第2回「知床開拓スピリット2世の集い」が開かれました。知床の開拓地、自然センター周辺から五湖までにあった幌別・岩尾別2つの集落の「岩尾別小中学校」の同窓会です。今年は参加できる人数が少なかったのですが、どっこい、集まったら喋ること、喋ること、喋ること、皆さん火山の噴火のごとく語り続けて、今年もやっぱり、午前様になっても朝が近付いてもまったく眠る様子がありません!
「その後の人生を振り返った時にね、開拓地で育って、何にも動じないしたたかさが身に付いて、本当によかったと思うんだよね」と吉原さんが喋っています。
「NHKが来て『開拓時代の辛かったことを語ってくれ』と言うから、楽しかったことばかり3時間語って、VTR3時間撮った、ぜ〜んぶカットされた。オレはあの頃楽しかった!辛かったことなんか一つもない!」と斉藤さんが叫んでいます。いや、叫ばないと、聞こえないんだ、みんなすごい喋っているから。

 翌朝は場長さんの許可をもらって、岩尾別小中学校の跡(今は岩尾別孵化場になっている)から岩尾別川の河口の海岸まで歩いてきました。姿かたちはオジオバですが、歩く動作やお喋りはもうほとんど小中学生の遠足、皆さん一挙に50年のタイムスリップです。

「小学生の頃、海岸の大きな岩の上に蓄音機を置いて、みんな集まって、音楽会をやったんだよ」と度々聞かされていたので、自分なりにその光景を思い浮かべたりはしていたのですが、

 ↓実はこんなにデカい岩だった・・・・・
「ここにちょっと平らな所があるもん、ここに蓄音機を置いたんだよ」と吉原さん。



「あの頃、大きな岩と岩の間から水が湧いていて、みんなで飲んだの。おいしかった」と探しに行くと、

 ↓ありました!
 今も変わらずに湧いてる、知床すげー(笑)
 50何年ぶりに喉をうるおす同窓生たちです。



 今後のことなども皆さんと話し合いました。これからもずっと同窓会が続いていってほしいです。
 今回私は全然準備など御協力できず申し訳なかったのですが、これからも知床に暮らした人々の歴史が絶えることなく語り伝えられていくことを祈っています。


コメント (0) | トラックバック (0) | goo

小栗の不播(まかず)の稲

2009-08-29 | フォトエッセイ

 小栗判官の物語は、江戸時代から説法や浄瑠璃で繰り返し取り上げられ、近年はスーパー歌舞伎にもなって、いまだに人気が衰えることがありません。
 常陸の国の城主小栗(おぐり)は、強引に盗賊横山の養女照手姫の夫になり、怒った横山に家来ともども毒殺されてしまいます。閻魔大王の計らいで生き返ることができたものの、墓から這い出た姿は「餓鬼」で、目も見えず、歩くこともできない有り様。しかし僧侶大空上人がこの餓鬼となった小栗を引き車に乗せ、「この者を一引き引けば千僧供養 、二引き引けば万僧供養 」と書いた札をつけたため、多くの人々の力で次々にリレーされて、ついに熊野に辿り着き、湯の峰温泉の壺湯につかってもとの姿に甦る物語です。途中、放浪していた照手姫も、その餓鬼が自分の夫であるとは知らずに車を引き、最後はめでたく結ばれるハッピーエンドです。
 この物語の凄さは、死んだにもかかわらず地獄から甦り、餓鬼になっても壺湯の力でもとの姿に甦るという、「殺しても殺しても甦ってくる」小栗判官の、胸のすくくらいぶっとんだ生命力の凄さにもあるのですが、同時に、(熊野の神の力で甦るという形をとってはいるけれど)貴賤様々な多くの人々の力のリレーで次々と助けられていく、という「無名の人々の情と活躍の物語」であるところが人気の秘密ではないでしょうか。実際、見知らぬ人々の助け合いの力で、常陸(茨城県)から熊野(和歌山県)まで行ってしまうんだから、凄い話です。

 この話の凄みの裏にあるのが、小栗の餓鬼の姿とは、実はハンセン病患者であった、と言われていることです。ハンセン病(過去らい病と呼ばれていたもの)は誤った認識のもとに、ずいぶん最近まで差別されてきました。いまだに誤解している人のいないよう説明しておくと、ハンセン病は結核菌と同じ抗酸菌の一種であるらい菌が感染して起こるもので、感染力は非常に弱く、現代では抗生剤で普通に治る病気です。温度が高いと生きていられない菌なので、体温の低い皮膚で発症するという情けなさで、多くの餓死者が出るような鎌倉時代とか江戸時代とか戦前とか、そういう極端に人体の抵抗力が弱っている時代に感染があったという話なのですね。結核が現代においてもいまだに撲滅されず、完治できない人がいる一方、ハンセン病は日本では元患者さん全員が完治しています。結核が強力な感染力と致死率を持っているにもかかわらず、文学や歴史物語なんかで深窓の美少女とか不治の病とか美化され、現代でもほとんど野放しにされているのに、ハンセン病は皮膚の病変が目に見えるというだけで忌み嫌われて隔離政策がとられ、現代でも元患者の宿泊を拒否する事件などが起きている、というのは実にヘンな話で、私たちがいかに見た目に惑わされるのかといういい例だと思います。

 ハンセン病は全世界にある病気で、映画ベンハーでも"キリストの奇跡"でハンセン病患者が治る場面が出てきます。この小栗の物語も、"熊野の神の奇跡(湯の峰の湯の力)"でハンセン病が治るという形をとっていますね。でも実際は「熊野の神」を共通に信じるお互い見も知らない人々が、神への信心を糧に小栗を助けていく話なのですね。

 そして、熊野で私が驚愕したものがありました。私は「うーん」と唸って、しばらくその場で動けませんでした。
 湯の峰温泉には小栗にまつわる史蹟がけっこうあるのですが、その中に「不播の稲(まかずのいね)」というのがあります。湯の峰の小さな川の谷底に、猫の額ほどのほんの小さな水田があるのです。

『餓鬼の姿で湯の峰温泉に辿り着いた小栗の髪がほどけて、髪を結っていた稲わらが地面に落ちました。その稲わらから稲が芽吹き、それからは毎年稲が実るようになりました。』

 私が驚愕したのは、(当時世間では忌み嫌われていたはずの)ハンセン病の小栗が、この湯の峰の地では、稲をもたらした豊穣の神の役割を与えられていたからでした。
 今でこそ減反政策なんかがとられていて、米は余って困っているような言い方がされていますが、かつてはいかに稲をつくり稲を食べるかが人々の最大の目標であり夢でもありました。「一度でいいから白い飯を食べたい」と言いながら死んでいった人はたくさんいたのです。全国の民俗行事を取材していて、いかに稲作が人々の生活の最大の関心事になっていて、いかに稲と豊穣をもたらす「神」を迎えることが行事の中心であるかを目の当たりにしてきた身としては、ハンセン病患者の髪からほどけて落ちた稲わらを、万人の生命を満たす食物の源として神格化している姿に、ひどく打たれたのでした。湯の峰という谷合いの、田を拓くことも容易ではなかったと思われる狭い土地に、今でもちゃんと「不播の稲」の水田が保たれているのだから、すごい話なのです。ここでは単に差別がなかったという話ではなく、人間一人一人の存在はもっと混沌として、「病人も女人も貴賤も問わず」と語られた熊野の人々の生活が、確かにあったと思われるのです。

 湯の峰温泉の老舗旅館のご主人が言います。
「自分が子供の頃は、ハンセン病患者さんもたくさん暮らしていた。患者さんが飯盒で炊いた御飯を、しょっちゅうお呼ばれして一緒に食べて、楽しかった。それで感染した人もいなければ、困る人もいなかった。ここは昔からそういう場所だ。湯の峰の湯が私たち全員を守ってくれるんだから。九州の方で患者さんの宿泊を拒否する事件があったが、温泉として信じられない。患者さんをよそへ移住させる話が出た時は、村をあげて反対し中止させたんだ。それで村の誇りは保たれたんだよ」
 湯の峰の湯のもとで、皆がともに暮らしてきたのだ、というものすごい誇りに、私はまた打たれました。「熊野の神」というキーワードで繋がった人々がお互いに助け合う、それは小栗の物語の中だけでなく、今この現在も確かに続いているのです。


小栗を運んだ土車を埋めたという車塚
(和歌山県湯の峰温泉)



コメント (0) | トラックバック (0) | goo

哀愁のサネモリ様

2009-08-18 | 写真
 明後日8/20(木)から始まる「第3回妖怪展」用につくっていた写真で、意外にウケていたこの怪しい写真。

 むかしむかし源平の合戦で、平家の斉藤別当実盛は、稲に足をとられて転んだところを討ちとられてしまいました。それを恨みに思った実盛は、ウンカとなって、毎年稲を食い荒らしに来るようになりました。それで人々は、実盛様を田んぼの外へ導いて、燃やすようになりました。

 稲に足をとられて首をはねられちゃう情けない展開も、稲を恨んでウンカになっちゃう飛躍も、だからといって実盛様を毎年毎年燃やしちゃうというのも、一応ストーリーとしては繋がるけれど、むちゃくちゃやねん!
 実盛様を燃やすとは、今も毎年6月から7月にかけて西日本一帯で行われている「サネモリ送り」(虫送り)のことです。みんなで藁人形のサネモリ様と松明をかかげて田の間を練り歩き、最後に松明についてきた虫とサネモリ様(=害虫代表)を燃やしちゃう。

 一説には、ウンカの顔をよく見ると実盛の顔をしているそうで。
 武将の頭のくっついたウンカ・・・怖っ。
 (いや、そうじゃなくて、ヘイケガニみたいに、ウンカの背中の模様がカオっぽく見えるっていう話なんでしょうけどね)

 斉藤別当実盛は、本当は源平合戦の時はもう72才の老人で、白髪を黒く染めて戦い、討ち取られた後の首実検でも、黒髪のせいですぐには本人だとわかってもらえなかった・・・(by 平家物語)という涙をさそう悲劇の主人公です。後世の人々がよよよ・・と泣いたはずなのに、どうして稲の害虫ウンカなんかにされてしまったのか?

 実は、うんと西の地方では、サネモリ送りではなく「サバー送り」だったり、サバー様とサネモリ様の両方が送られたりするのです。「サ」の接頭語は、「サオトメ」「サナエ」「サナブリ」などのように、稲作に関する語句であるとの指摘があって、どうも、サネモリ様はその語呂から、稲作と結びつけられてしまったようなのですね。
 実盛は死後祟ったという話もあるので、実盛の祟りと農作物の害が結び付けられていったのかもしれません。
 なんのかんの言って、藁人形のサネモリ様が乗る藁の馬の股間には、ナスとサツマイモで出来た巨大なイチモツがぶら下がっているので、やっぱりこれも、豊穣豊作と子孫繁栄を祈る行事ではあるのです。

 かくして、高齢をおして頑張った実盛おじいちゃんは、今年も田んぼの虫と一緒に村の外へ追い出され、燃やされ、あの世へ送られていくのでした。あっという間に燃えてしまうサネモリ様の姿に、ちょっぴり哀愁を感じる夏の夜です。


実際に、サネモリ様とともに導かれていくウンカ↑
(愛知県稲沢市祖父江牧川地区の虫送り)

コメント (0) | トラックバック (0) | goo

毎日小学生新聞「沖縄の夏祭り」

2009-08-13 | 写真

 毎日小学生新聞の「沖縄の夏祭り」シリーズに記事を書かせていただいています。
 お盆らしく、あの世から帰ってくるご先祖様も悪霊も〜〜って内容になってます。子供たち、喜んでくれたかな。

8月10日(月)掲載 「神様も豊穣も海を越えてやってくる」黒島の豊年祭
8月11日(火)掲載 「あの世からご先祖様が帰ってくる」石垣島石垣字のアンガマ
8月12日(水)掲載 「あの世の悪霊も迎える獅子たち」石垣島白保の獅子舞
8月14日(金)掲載 「男も女も神になる日」沖縄本島国頭村安田のシヌグ

 ちなみに私は今日から各地の盆行事の取材に行くはずが、頑固な腹痛に悩まされて断念。おとなしく原稿書いています・・・(^^;
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

「第3回 妖怪展」2009.8.20(木)〜25(火)

2009-08-04 | 写真
 「第3回 妖怪展」に参加させていただきます♪

 絵画、オブジェ、写真、百物語・・・・めいめいが考える「妖怪」を、形にしたものを展示していくユニーク&楽しい展覧会です。暗闇の中を懐中電灯を持って展示を見ていく「暗室展示」も大好評で、ついに第3回目開催となりました。
 私は昨年、第1回妖怪展と同じ時期に札幌市資料館で写真展をやって以来のお知り合いなのですが、今回ありがたくもお誘いいただいきました。自分の民俗・信仰のストックから数枚、写真を展示させていただく予定です。
 今回30人ほどが参加されるとのことで、意欲的な皆さんの「妖怪」をすごく楽しみにしています。
 現在真駒内アリーナでも「妖怪フェスティバル」やっていますが、妖怪大好きな方、「第3回 妖怪展」もぜひ♪

    「第3回 妖怪展」
    2009年8月20日(木)〜25(火)
    10:00 - 19:00(最終日のみ17:00まで)
    パフォーマンスも毎日予定! 13:00 - 13:30、15:00 - 15:30
    場所:アートスペース201
       札幌市中央区南2条西1丁目7ー8 山口中央ビル6F
コメント (0) | トラックバック (0) | goo