NPO法人 おうちへ帰ろうクラブ

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ハルウララ プロフィール

名前 ハルウララ(Haru Urara)
生年月日 1996年2月27日 生まれ
産地 北海道三石郡三石町
血統 父:ニッポーテイオー 母:ヒロイン
馬主 ㈱エムエイオフィス

3つのテーマ

Racing ハルウララ

すごくがんばったね、でも勝てなかった・・・
勝たせてもらえなかった・・・
勝たせてあげられなくて、ごめんね

Healing ハルウララ

可愛らしいご挨拶をして、たくさんの人を癒したね
でも、いつもあなたが皆に話しかけたことは
「私は勝てなかったの・・・だからあなたは、絶対に勝って!」
だった・・・

Dreaming ハルウララ

生きている限り、夢みよう
ウララは、ママになるの
きっと可愛い子が生まれる
強くなって、果たせなかった夢を叶える

オーナーごあいさつ

縁あって引き取った、4頭の元競走馬たちの運命が動き始めたのは、
今年にはいってから。
千葉県と栃木県でやっていたセラピー馬を一時休業させ、北海道に移動・・・。
私は自力で馬を題材にした広告を作って(もと売れっ子、コピーライターでしたから!)、
大きな企業相手に社運をかけてプレゼンテーションの日々。何も決まらず。
(題材として競走馬ってけっこう理解されない。
企業として理解があるのは、クレディセゾンくらい?)
そんなある日フジテレビから電話がかかってきました。
「50周年の特番で、ハルウララのことを取り上げたい・・・」と。
11月20日放送の、探そう!ニッポン人の忘れもの
笠井信輔アナウンサーが、わざわざ私の東京の事務所にいらしての出演依頼。
優しい物腰だけれど、鋭い視点と突っ込みに、決心が固まりました。
ここでハルウララのすべてを話そう、機は熟した・・・と。

4年前に他界した私の父は、TV局(NHK)アナウンサーでした。
スポーツ実況は、(競馬以外!)すべて経験しています。
ウララが走るから、絶対に勝たせるから死なないで、と泣きながら父を看取りました。
笠井アナの、ウララ休養放牧のころからの、権力に屈しない真実追求の勇気には敬意を表します。
今回のめぐり合わせは、おそらく天国にいるであろう、
正義感の強かった父からの最後のプレゼントだと思います。
★お会いしたことがないのに、電波を通じて応援して下さった草野仁さん、長嶋一茂さん、
本当にありがとうございました。この場を借りてお礼を申し上げます。
それから森田健作千葉県知事と、モスフードサービス櫻田厚社長には、身体を張って応援していただきました。とても頼りがいがあって、かっこよかった・・・心から感謝いたします。
高地競馬で無事にウララを出走させてくださった調教師宗石大氏、絶対勝てるはず・・と信じて
調教してくださった那須トレーニングファーム、オリンピック選手の広田竜馬さん、
ハルウララ他3頭をセラピー馬として命を守り、たくさんの人に出会わせてくださった、
ブルーベリーヒル勝浦、私の母校成蹊大学馬術部監督の松平正樹氏、
ビーエイチエス社長漆原摂子氏、なみあし学園の篠崎氏、勝浦のヒーリングの現場に
駆けつけてきてくれた、聖心女子学院高等科時代の友人4人、
今、馬たちの幸せがあるのは、皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

私がウララの心を知ったのは、とても最近のことでした。
いつもきっちりセラピーの仕事(人を癒すこと)をしていたウララは
それを教え命じた私に対しては、いつも怒ってばっかり、ちっとも優しくない・・・。
でも、北海道の、ウララたちの「おうち」のある放牧地で寝転んでいる私の傍に来て、
何かを感じ取った彼女は、青草を食べながら、大粒の涙を流しました。
初めてウララに伝えました、愛してるよ、と

このホームページを見てくださるすべての方へ。
生きていさえすれば、大丈夫。
もう一度夢をみることができるから
負け続けだったけれど、ボロボロになったけれど、
今も気高く美しく輝いている、サラブレッド・ハルウララのように。
どうかこれからママになるウララを、もう一度、応援していただければ幸いです。

エッセイスト
安西美穂子

ママになるウララの新しいおうち