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あー。そういう反応もあるとは思った。
左翼が民族を持ち上げ、民族を固定化したようなもんだから。
民族は遺伝子は関係ない、どのような文化のルールに帰属するのかという意識である。
私がいいたいのは朝鮮民族(というものがあるとすれば)というあり方がそもそも
やっかいなもので<近代化>とは相容れないのではないかということだ。
<近代化>は一方で<合理化>である。
儒という道徳は実に<非合理>である。ところが、この儒が朝鮮民族を朝鮮民族たる
特質の一つなのだから始末が悪い。近代化するということは、近代化によってもたら
された民族意識そのものを否定することになってしまうのだ。
日本においてはもともと実は<合理的><功利的>だったために、逆に近代がもた
らすそういう側面をやすやすと受け入れた。(なにしろ哲理がないし、宗教によって
道徳が決められるわけでもないので)
朝鮮民族や漢民族にとっては、同じ人間である前にどこの人なのか、氏はなんなのか
が大事であろう。(日本人にその文化は共感できなくても尊重することはできる。)
日本においては血縁よりも地縁、地縁よりも同一組織の一員かどうかが意識されること
を考えればそう難しくはない。
だから、そう簡単に同じ人間だからうんぬんという言説には乗りたくないのだ。
なので、私は日本人らしく「この朝鮮の○○さんを」「この中国の○○さんを」という
極私的なつながりで考えればよいと考えている。
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