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そうそう

 投稿者:旅人君  投稿日:2009年11月20日(金)22時01分39秒
  招き猫よ


お前、この頃
テレビに出てんだろ?

<あヒル>に負けんなよww
 

招き猫

 投稿者:旅人君  投稿日:2009年11月20日(金)21時57分57秒
  おおばか

女子に傘入れてもらって喜んでやがんのww

息がくせえとよ!

歯みがけよ





じゃあな


さいなら!
 

そこに突然!

 投稿者:旅人君  投稿日:2009年11月20日(金)21時53分20秒
  モーターボート

和船

横波受けて

ひっくりかえる
 

葉山は

 投稿者:旅人君  投稿日:2009年11月20日(金)21時51分4秒
  ヨットの発祥地

あの〜
そこで和船を漕いでる人

ヨットの邪魔なんですが
 

えんやこら!

 投稿者:旅人君  投稿日:2009年11月20日(金)21時48分41秒
  今年の夏、天皇は日本人らしく葉山で和船を漕いだ

♪海はよ〜
海はよ〜
親父の海はよ〜♪

かっこわり〜の
 

即位20年

 投稿者:旅人君  投稿日:2009年11月20日(金)21時40分13秒
  なんか、天皇やる気ねえみてえ  

民族

 投稿者:イレギュラーず  投稿日:2009年11月20日(金)21時26分42秒
  これこそ、「近代」の産物ではないですか。

儒だけではないですね〜「非合理」は。

左翼が民族を固定化するだって???日本の場合ありもしない「民族」云々するのは、左翼ではありませんが。
 

民族という区分けをどう考えるか

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2009年11月20日(金)21時07分44秒
  あー。そういう反応もあるとは思った。

左翼が民族を持ち上げ、民族を固定化したようなもんだから。

民族は遺伝子は関係ない、どのような文化のルールに帰属するのかという意識である。
私がいいたいのは朝鮮民族(というものがあるとすれば)というあり方がそもそも
やっかいなもので<近代化>とは相容れないのではないかということだ。

 <近代化>は一方で<合理化>である。

儒という道徳は実に<非合理>である。ところが、この儒が朝鮮民族を朝鮮民族たる
特質の一つなのだから始末が悪い。近代化するということは、近代化によってもたら
された民族意識そのものを否定することになってしまうのだ。

 日本においてはもともと実は<合理的><功利的>だったために、逆に近代がもた
らすそういう側面をやすやすと受け入れた。(なにしろ哲理がないし、宗教によって
道徳が決められるわけでもないので)

 朝鮮民族や漢民族にとっては、同じ人間である前にどこの人なのか、氏はなんなのか
が大事であろう。(日本人にその文化は共感できなくても尊重することはできる。)
日本においては血縁よりも地縁、地縁よりも同一組織の一員かどうかが意識されること
を考えればそう難しくはない。

 だから、そう簡単に同じ人間だからうんぬんという言説には乗りたくないのだ。

 なので、私は日本人らしく「この朝鮮の○○さんを」「この中国の○○さんを」という
極私的なつながりで考えればよいと考えている。
 

「司馬史観」にドップリのサヨクの微笑ましさ

 投稿者:児玉源太郎  投稿日:2009年11月20日(金)20時38分7秒
  乃木の作戦はむしろ妥当なものであり、無能との批判は「要塞攻略には多大な犠牲が避けられない」という当時の軍事上の常識への無知からのもの、と今日では広く認識されているようですね。現に約十年後の第一次大戦でも旅順をはるかに上回る犠牲者を出した要塞攻略戦が幾つもあります。
それにしても、「チャングム」とか「水戸黄門」と同様、単なる娯楽歴史ドラマに過ぎない「坂の上の雲」如きがNHKで放送されるぐらいで青筋立てて必死でイチャモンつけてるサヨクが、司馬の創作を史実と信じ込んでるさまはまことに微笑ましいですね。
 

ほほほ

 投稿者:旅人君  投稿日:2009年11月20日(金)19時31分51秒
  JAMES BROWN<the next step>

最高!
 

ケロケロ

 投稿者:旅人君  投稿日:2009年11月20日(金)19時15分45秒
  日本は本当の馬鹿だな!

靖国で会おう!
しかし、本当に靖国で会えたのだろうか?

マインドコントロールしやがってよ
挙句の果てにヒロポン打って

どうしょうもねえ国だ!

しかし、日本刀を振りかざして突撃ってゆうのは
アメリカ人の心の中にそうとうな何かを残したんじゃないだろうか?

でも良くねえねえ!
戦争は良くねえや

アメリカ人反省してねえし
オバマの演説聞いても
原爆落としたことに対して素直に謝ってねえしな

日本もアメリカも狂ってら

オバマも短命に終わるだろう

そうそう
まっぺんの戦争好きも
日本人そのもの<F>
 

誤解をまねくので訂正

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年11月20日(金)12時35分44秒
  全員が日本刀を持ってるわけではないので
「白刃をかざして突撃」というのは指揮官だけで
兵士の大部分は「銃剣突撃」ですね。
ドイツやアメリカが実用化していた突撃銃を日本軍は持ってなかった。
38式歩兵銃では到底撃ちながらの突撃はできない。
 

『失敗の本質−日本軍の組織論敵研究』

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年11月20日(金)11時28分6秒
  これは分かりやすい。
発行は2001年になってるけど、それより前に読んだ記憶があります。
日本軍が起こした6つの主要な作戦について論じていて、指摘は的確。超お薦めの書です。(=^^=)/
パソコン通信(ニフティ)時代に、日本の侵略戦争について11人の右派とひとりで対戦しましたが、
この書はそのときに非常に役に立った。

日本軍が最後までこだわった戦術には白刃をかざして突撃するという戦法があった。
これは装備の貧弱な中国軍相手には絶大な効果がありましたが、
米軍相手では全く役立たず、日本軍の突撃部隊は敵に到達する前に全滅していきました。
アメリカは近代工業技術の発展によって、機関銃を装備した「戦闘群」戦闘方式が主流となっており
突撃戦法は全く通用しなかったわけです。
しかし、工業技術力の差もありますが、当時の軍部は前近代的思想に支配されていたため
この戦術を改めることはなかった。

この突撃戦術って、どこから生まれてきたか知ってますか? 西南戦争ですよ。
日本刀で敵に向かって突撃してくる薩摩軍によって甚大な被害を受けた中央政府軍側が
これに対抗して旧武士階級に属す警察隊などから選抜し「抜刀隊」を組織したものが始まりです。
この戦術は日露戦争の時にも採用され、機関銃に向かって突撃をくり返すという稚拙な戦法で
多くの被害を出しました。「軍神」乃木まれすけの無能ぶりがよく分かる。
「坂の上の雲」でも出てくるでしょう。乃木に作戦を任せたままだったら二百三高知はとれなかった。
突撃戦術は第一次世界大戦の塹壕―突撃戦で、その有効性が失われたことが証明されています。
機関銃と戦車の登場、普及が原因です。しかし日本軍は
第一次世界大戦ではこういう本格的地上戦には参加しておらず、教訓に出来なかったんでしょう。
その後、硬直化した軍部は、この明治の時代遅れな戦術をほとんど「神格化」してしまった。
「抜刀隊」は軍歌となり行進曲となって、日本軍の精神主義と一体化されてきた経緯があります。

「抜刀隊」…背景となった精神、歴史などを度がえしして「音楽」としては好きなんですけどねー。
 

日本人の恥「あ」

 投稿者:伊達 純  投稿日:2009年11月20日(金)10時38分28秒
  「実は、朝鮮民族の悲劇は朝鮮民族だからなんじゃないかと思えてくるぐらいだ」などという発言は、差別意識丸出し。

「経済は近代化したが、文化は近代化できなかったのじゃないだろうか? 中国もその傾向がある」などとも書いているが、「近代化」できている日本人なんて、どれくらいいるよ?

 現在、『失敗の本質−日本軍の組織論敵研究』(中公文庫)を読んでいるが、アジア・太平洋戦争当時、日本軍は、ノモンハンやガダルカナルで、近代化された装備を持つ相手に貧弱な銃火器で突撃するという精神主義的、非科学的な戦法で戦った訳だ。『失敗の本質』には「作戦司令部には兵站無視、情報力軽視、科学的思考方法軽視の風潮があった」と書かれている。これのどこが「近代化」されていると言うのか? そして現在も日本人の中には、同様の精神主義的、非科学的な人間がいるのではないのか?

「実は、朝鮮民族の悲劇は朝鮮民族だからなんじゃないかと思えてくるぐらいだ」などという言葉は、まさに非科学的。このようなことを書く「あ」こそ日本人の恥。
 

原爆ができたのでソ連参戦を避けたくなったアメリカ

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2009年11月20日(金)06時10分39秒
  という構図も昨今は確かめられるようになってきた。

ポツダム宣言
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80

講和を求めてるのをソ連を知っていて、というか仲介を頼まれていて、どうして、
役割分担みたいな話になる。

明らかに、陰謀論に踊らされる人のための陰謀論だろ。

実は、朝鮮民族の悲劇は朝鮮民族だからなんじゃないかと思えてくるぐらいだ。
経済は近代化したが、文化は近代化できなかったのじゃないだろうか?
中国もその傾向がある。

そんな環境に鬼っ子のように近代化、現代化した日本や日本人はやはり、彼らの
ことが理解できないでいるのではないか?同じ人間だからという論理はこの場合
間違っている。同じ人間という人間主義は近代がもたらしたもので、近代に達し
てない文化に対しては理解不能な概念である。
 

あんたはアホか。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2009年11月20日(金)06時00分2秒
  カイロ会議において降伏条件に領土の問題が入っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%AD%E5%AE%A3%E8%A8%80

どこに日本の責任があるというのだろう。

そんなこと言ったら、太平洋戦争の原因はペリーの来日と言ったあの人と同じになる。
だれが決めたのか。決めたことに責任が発生するのが当たり前だ。

運転手が事故ったのだ、運転手の責任だという会社は問題にされる。
監督責任という責任(つまり、誰がその運転手にその時間、その荷物を運ばせて大丈夫
だと決めたのかという責任)があるからだ。

………ネタ?……ネタにマジレス!……でも、こればっかりは流石に石の黒いのも
日教組のせいみたいな話で承服できません。
 

ところで、38度線南北分断の責任

 投稿者:イレギュラーず  投稿日:2009年11月19日(木)23時37分46秒
  朝鮮半島の38度線南北分断の責任は確かに日本にあるよ〜

これは、米ソによる朝鮮の軍事占領にあたり、日本が朝鮮を最後まで手放さないことを前提とした日本軍の武装解除をするための「米ソによる役割分担線」だったのさ〜しかも、38度線を境に北は関東軍、南は朝鮮総督府・朝鮮軍がそれまで米ソ対決作戦のために作戦指揮下においていたからね〜

ちょっと、歴史を知ればわかりそうなものです。その後も朝鮮人民の悲劇は続いている。

>カラス→川ガラス ハト→伝書バト はたけ→桑ばたけ つつみ→こづつみ

朝鮮語の平音の発音に関する法則性に似ていますね。頭音では「清音」、それ以降は「濁音」に。発音されるという…もっとも「清音」「濁音」は日本語の概念ですけれど
 

誤解というより悪意ある曲解

 投稿者:伊達 純  投稿日:2009年11月19日(木)11時39分0秒
   邪悪な性根しか持ち合わせていない輩のやりそうなことである。  

猫さんそれは誤解

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年11月18日(水)11時52分59秒
  >そういう思いあがった猿の危険性

和多田さんが「バクーニン」を自称していたのではなく、周囲から奉られたアダ名ですから誤解なきよう。

ついでに「あ」氏

>日本語のほとんどは外国語である。

その通り。少し前、「みる」という日本語にはたくさんの漢字が当てはめられることを例にあげて説明した。これは、日本語自体のボキャブラリーはもともと貧しかったが、中国語と出会って豊富化されたことを証明している。まず言語は「骨格」としての「文法」が基本。それから、身体や数詞など。それ以外の名詞、形容詞などについて日本語は非常に貧しかった。それゆえ、外国語が大量に輸入され、今では「日本語」となっている。

同じことが現代でも進行中。幕末から明治にかけて、新しい思想概念や事物を翻訳するために意図的に作られた「日本語」がある。パシフィックオーシャンは「寧海」「太平洋」などと訳され、後者が残った。「自由」「民主」「民権」その他たくさんの単語が作られた。いずれ、「ナウでヤングな君のハートにジャストフィット!」・・・こんなのがふつーの日本語として定着するのかもしれない。だが一方、一時流行ったあと消え去っていくことばもたくさんある。「ナウ」は「ナウい」になり、「今い」、「ニート」「トレンディ」などと次々変化し続け、消えてゆく。「ハイカラ」は随分長く生き残った方だと思うが、もう通じなくなってきている。

こうした説明は、日本文化が以前とはまったく違っているので「日本人と外国人」の差にこだわるのは無意味であり、日本語も過去の日本語とまったく違っているという説明の中で行ったものだが、それは「あ」君の「日本観」のまやかしへの反論として行なったものだった。ほとぼりが冷めた今ごろになって、自分の主張を覆すようなことをつぶやき墓穴を掘る「あ」君。「日本人であることに殊更こだわる「アナキスト」。漫画だな。(^◇^)

「舌鼓」は、現在まだ「したつづみ」のほうが正解。「したづつみ」という言い方は「まちがって使った」のが訂正されずにいただけの事で、まだその言い方が定着したとは言いがたい。「現在まだ」と言ったのは、例え間違った言い方でも、それが定着し「正しい」ことになることがあるからだ。例えば、「新しい」は元は「あらたし」だったが「ら」と「た」が逆転してしまった。「新たなる」という言い方にその痕跡が残っている。言語は生きている。変化していく。

日本語は単語の頭に別の単語がつくと「濁る」傾向がある。

カラス→川ガラス ハト→伝書バト はたけ→桑ばたけ つつみ→こづつみ

しかし、「つづみ」のあたまに「舌」がついて「づつみ」」となるのは「小包=こづつみ」の場合とは明らかに違っており、日本語の用法からも間違い。おそらくこういう言い間違いが起こってきたのは戦後のことだろう。戦前は「鼓=つづみ」は日本人の生活の中に普通に存在していた。しかし戦後、欧米文化の流入と共に、打楽器の主流は、和太鼓・鼓の世界から、ドラムの世界へと移っていき、「つづみ」などはごく少数の古典芸能に親しむ人にしか知られないようになっていった。したがって、「舌鼓」を「したづつみ」という人の多くは、おそらく「鼓」というものをそもそも知らないからなのだろう。

もし「つづみ→したづつみ」が正しいとすれば、「かがみ→てかがみ」は「かがみ→てがかみ」でも正しいことになる。しかしそういう言い間違いは起こっていない。なぜならば「鏡」は誰でも知っているからであり、「鼓」を知らないから言い間違うのとは事情が違うからだ。ただし、「言い間違い」が長い年月のうちに「正しい言い方」に変わる可能性もあることは「新しい」の例からもあり得る。
 

プルトニウム猫の欺瞞

 投稿者:伊達 純  投稿日:2009年11月18日(水)09時26分45秒
   そもそもプルトニウム猫は、「四トロ同窓会二次会」掲示板において自分の投稿が削除されたことを批判していた筈だ。

 そのプルトニウム猫が「オイラはスターリンだけを尊敬する」『私が運動にかかわると、まず「あ」馬鹿はそっこく粛清ですね。議論の余地なしですわ。次に、やはりセクトや伊達は阿呆だと言うでしょう。これは間違いありません。こんなん要りますか?w』などと書いているのは、まさに矛盾、欺瞞だろう。

 要するにプルトニウム猫には、たみ象さんの言う「矛盾に満ちた現実との格闘」が無いのだ。だから「小難しい言葉」を振り回しても説得性が無い。

 たみ象さんがプルトニウム猫に、自分の欺瞞に気づくことはないのかということを訊いていたと思うが、プルトニウム猫に、そんな殊勝さはない。私がプルトニウム猫のことを劣化ウラン面皮と言う所以であるw。

 これまで、どれだけプルトニウム猫は自分の欺瞞を指摘されてきたか? それは「あ」なる人物についても同様。それにもかかわらず両者は厚顔無恥にも、この掲示板で暴れ続けている。まさにゾンビ2大怪獣と言っていいw。
 

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