|
正直、掲示板であってもメディアであっても触れるものにいつも違和感を感じる。賛成や反対というようなレベルではなく、こういつらオツムあるんかいなという感想だ。それを正直に言うと不快に思う人はたくさんいるのは分かる。だが、一度たりともまともな反論にお目にかかっていない。
お前、運動してないだろw
こんなんばっか。
さて、
「刑事事件の取り調べ」を録音・録画する全面可視化の問題
これは民主党のマニュフェストにあることですが、公安のドンが反対している。治安が維持できないと。
まず犯罪の発生率を抑えることが先決だろうと思う。それとの整合性を考えると、イギリスのように監視カメラを街角に設置するのは悪くない。しかし、プライバシーがどうたら実にくだらん理屈で反対する花売り娘がいる。だが、日本でも商店街などで監視カメラを設置することで犯罪を抑止できるということが実証されている。
もちろん、カメラは取調室にも設置しよう。
これが整合的というものだ。
何かをあきらめよう。何かを捨てよう。そして、何かをしっかりと手に入れよう。
しかし、カメラよりもっと強力な装置がある。
弱くある自由へ
自由の平等へ
社会のグランドデザインががらっと変わるだけで、我々の意識や存在のあり方はコロッと変わる。これは間違いない。携帯を手放せないという意識から携帯を求める。これはまず意識が先にあったものではない。意識は後で作られたものでしかない。意識を作る「力」はいろんなところからやってくる。モノだけでなく、別の意識が喚起する場合もある。
トヨタが、ブリジストンが、F1から撤退するのは車の存在形式が変わってきたからだ。すなわち、安全で便利な移動手段というベースに付加された後付の意味や価値が剥ぎ取られたきたからだ。この剥ぎ取りは、持続可能な社会というデザインからの「力」に他ならない。
冤罪より個人のプライバシー優先なのか。
死刑廃止、それは「それでも生かし合ってしまう社会」というグランドデザインが要請するものに他ならない。その逆はない!
欧州が歴史的に拘束され続けたパワーゲーム?wという虚構から解放され、”反”パワーゲーム理念によって新しくデザインし直された社会であるということをあまりにも軽々しく考えてはいないだろうか。
そのようなグランドデザイン自体の変更に同調する形で死刑廃止は出てきたと見るのが正しい。EUは半世紀以上の歴史を持つ。彼らが”共同”に転ずるあたりの「哲学」に無頓着ではいけない。殺されないようにするために殺す、というリアリティを覆すには「哲学」が非常に重要なのである。哲学とは問うことである。対話とは問うことである。
たみ象さん
ご推奨の御本を読もうかと思いつつ、アマゾンなどを見るとちょっと萎えた。
科学哲学が専門ってw
要は、哲学プロパーで最後に哲学要らんwとオリジナリティ?
しかも業界には、科学哲学っていうのは本当は”科学”をしたかったけど頭が足りなくてできんかった奴がやるもんだという揶揄がある(そうだ)。
自死でオリジナリティww
たらふく食ったけど本当に美味い哲学は最後まで食えんかった奴
真理なんて要らんってw
そんなもん言う奴は囚われているにすぎない。それもズッポリと。
オイラの親父は「真理」なんていう言葉を知らない。知る必要もなかったし、今も今後も全く必要ない。
真理はもう食べ飽きたということしか言ってない。
それに同調できるのは、食べ飽きた人間だけであってそれ以外には妄言でしかない。
この冬は日本海に行って、カニを食べ飽きるまで食べようと思う。(これはマジネタ)
そんときは、カニなんて美味いもんじゃねえから食うなって言ってやるなw
公安委員長が「おとり捜査」や「司法取引」などをバーターで言い出してる。
これをサンプロで大谷がえらく怒って叩いてた。この大谷って敵だな、間違いなく。
この公安は正直でいい。大谷より数億倍もいい。
さて、録画だけどシラを切りとおして涙ながらに「やってない!」と言おう。
所詮、裁判員なんて猿だからコロッといけるよ。
冤罪防止のために刑務所はガラガラにしとくのが市民派の狙いのようだからね。
そういえば、伊達の阿呆が間抜けな憲法談義にすり替えたとき、まっぺんさんはこれまた間抜けな擁護をした。所詮、敵なら捏造するのは平気な頭の構造だ。それがお花畑の本質であるんだからぶったまげる。
そんな猿が拡声器を持つって、公安委員長さんどうよww
|
|