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猫君へ

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2009年11月 3日(火)19時15分37秒
  人は「すでにあることば」を使って「新しい概念」を作り出さなければならない。

友達も、友人も、仲間も、群れも、同じでは「ことばで表現することは不可能」になる。
ことばには由来があり来歴がある。

ことばを使うとはそのすべてに関わることだ。ニーチェが言っているのはジャンル的な
仕切り、ジェネレーション的な仕切り、死者と生者を分ける仕切りを乗り越えた<尊敬>
の話である。

だから、読めない君。

頼むよ猫君。もう少し丁寧に考えてくれないか?自分のコンテキストに当てはめつつ読む
ことも必要だと思う。だけれども、キミの場合、そのコンテキストを作っている教養が
偏りすぎている。

 もっとも単純な図式である。近代化=市場化が貧富によって階層的、共同体的道徳を
食い破っていくというような定式についても(柄谷がきちんと説明しないから)理解し
ていなかった。

 近代化=市場化されるまでは分配は能力によって行われるものではなく、地位におい
て行われるものだった。という押さえがなければこのこともよくわからない。

 少なくとも<基本素養>といえるような世界の名著は一通り読もう。
 ベルクソンの純粋持続という概念に出会ったときには大いに困ったが今ならなんとか説明
 できる。それは、これが時間についての概念であり、機械的文節としての時間に対置され
 ているのだという見方で読むことができるからだ。

猫君。、、、、変な勉強はやめた方がいいと思うんだ。
 

「憲法」「ローザ・ルクセンブルク」「欺瞞」

 投稿者:たみ象  投稿日:2009年11月 3日(火)16時55分33秒
  この三つに食指が動いたのですが、neluさん的なカキコになりそうなので・・・w
・・・リクエストがあれば・・・コピペします(汗)w

とはいえ「公約を守らせる」の話から
「憲法」に飛んだのは、猫さんご指摘のとおり・・・ry
 

いい訳

 投稿者:招き猫  投稿日:2009年11月 3日(火)15時14分57秒
  所得の話なのに

>完全保障

ってw
 

ほらねw

 投稿者:招き猫  投稿日:2009年11月 3日(火)15時08分57秒
  >>
仲間じゃねーよ。

 仲間=一緒に物事をする間柄。また、その人
>>

再掲
>>
言葉イジリが好きなんだね、この阿呆は。
都合が悪くなると、辞書を持ってきてその辞書的定義の瑣末な違いをことさら重要視する。そのときは、必ず用語を文脈から引き離す。
>>
 

群れならわかると言っているのに…

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2009年11月 3日(火)14時45分45秒
  星群

 仲間じゃねーよ。

 仲間=一緒に物事をする間柄。また、その人
 

立岩が言ったように

 投稿者:招き猫  投稿日:2009年11月 3日(火)14時44分31秒
  再分配に抵抗する奴はいるもんだw  

封じたらw

 投稿者:招き猫  投稿日:2009年11月 3日(火)14時42分10秒
  言葉少なくして守ろうとする。
思わせぶりとシッタカw

終了
 

また、シッタカw

 投稿者:招き猫  投稿日:2009年11月 3日(火)14時38分46秒
  うんざりするな、お前の見栄っ張りは

>ニーチェを読んで「仲間」を持ち出す感覚(センス)がよくわからない。

善悪の彼岸、第九章、二六五
『素朴なひとびとの耳には不快にひびくかもしれない危険をおかしてでも、はっきりと私は言っておく、エゴイズムは高貴な魂の本質に属する、と。私がエゴイズムと言っているのは、<われわれがそうである>ごとき存在には他の隷従しその犠牲となるべきであるという。あの動かしがたい信念のことだ。 (中略)
結局は自分と同等の権利を持つ者が存在することを認める。この順位の問題に決着がつくないなや彼は、自己自身に接すると同じく確かな羞恥心と繊細ね畏敬の念をもって、これら同格者や同権者らと交際をかわす。ーーーそれはまるで、すべての星がその精通している本然の天体力学の法則に従うのと同じようなものである。おのれと同格な者との交わりにおけるこうした繊細さと自制、これがエゴイズムの一段すぐれた点である。ーーーすべての星もこうしたエゴイストなのだーーー。彼はおのれの同格者たちのなかには、また自分が彼らに与える権利のなかに、自己自身を尊敬する。尊敬と権利の交換が、すべての交わりの本質として、おなじくまた事物の自然な状態にぞくするものだということを彼は疑わない。高貴な魂はその根底にひそむ熱情的で敏感な報復の本能からして、自分の取るだけを他者に与える。』

もっと要るか、見栄っ張りの読まない君w
 

ベーシックインカムにふれておいて青芝が出てこないのも?だったけど…

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2009年11月 3日(火)14時21分44秒
  やっぱりな。

 立岩を読んでも、深読みせず。

http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/03s3/syougaisha-moritani.html
 

はあ?

 投稿者:招き猫  投稿日:2009年11月 3日(火)14時16分43秒
  >読まれることを望む
http://www.eth.med.osaka-u.ac.jp/OJ5/nozaki.pdf

全くだ。
オイラが言ったとおりじゃあねえか。
戦略としての罵倒。罵倒によって言葉の粉飾を引き剥がし、差別性を露にする。
分配の問題として論者はテーマにしてるしねえw


完全保証??
何を言ってんの?何を言いたいのか分からんけど、お前は??

というか、お前の解説はコレ↓ねw

>大事なのは「否定」を契機とした「相互理解」が「真の福祉」だという構造である。

なんやねん、コレ?w

なーんも言ってねえじゃねえかw
 

なかよしって…

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2009年11月 3日(火)14時14分20秒
  少女雑誌に投稿でもするんですか。猫君。

そもそも、私がいつキミと仲良くしなきゃいけないんです。
望んでもいないことを否定されても、呆気にとられるだけでキミをただの変な人としか
認定できなくなるだけでしょ。

ニーチェを読んで「仲間」を持ち出す感覚(センス)がよくわからない。
群れならまだわかる。

そういうところが読めない君。
 

んでもって

 投稿者:招き猫  投稿日:2009年11月 3日(火)14時05分35秒
  お前、レス遅すぎw

足りない頭で考えても無理。検索しかのうがない人間に分かることはない。



最初から言ってるように、お前の罪は頭の悪さだ。見栄っ張りがその罪を加速させてる。
そこを正直に認めて生きたほうがいいぞ。

お前は 普通に存在する ことができない。
その理由は何か、分かるか。特別だっていう意識があるからだ。所詮、消防相手にお山の大将w お前、学力なんてねえじゃないか。

国語がぱあだというのは十分に証明されただろw
「は」と「が」の議論でよく分かったよ。消防相手に説法しているけど、国語辞典を一度も見たことないという無知蒙昧が露になっただけでしたね。


さて、ここでもあきれられるような発言を全方面から受けても、まだ厚顔無恥w
ネトでお前に賛同する人間は見たことない。ただの一人もいなかったね。

敵の敵は味方みたいな粗野な人間がときおり登場するけど長続きしたことない。

オイラの仲間かあ?
それはだなあ、たくさんいるけど、例えば まっぺんさん なんだよね。
後5年もしたら分かることだ。伊達ぽんとかセクト猿とか、そんなのも仲良しになってたりしてw

未来って分からんもんだよ。


ちなみに、G党幹事長とは最初にガチやり合った。G掲示板では足りなくて2ちゃんでやり合った。そうだなあ、やり合っていない人間なんてG党にはいないんだよ。


でも、これだけは言っとく。
お前とは仲良ししない。未来永劫ない。これ間違いない。生きるとはそういうことだからね。
 

猫君の言説は論理的じゃないから

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2009年11月 3日(火)13時48分38秒
  こちらを参照。
青芝が最終的に完全保障を主張した…とか…何も出てこない時点で
彼はやっぱり「読めない君」だと思う。

しかたないけど。

読まれることを望む
http://www.eth.med.osaka-u.ac.jp/OJ5/nozaki.pdf
 

雑魚ってるなw

 投稿者:招き猫  投稿日:2009年11月 3日(火)13時47分26秒
  >>
ただ、普通に存在することしかできない。
といってるだけでしょ。
>>

普通に存在するということは何人にも存在しないんだろwww
お前、自分の言ってることにも違うことを言うな。

>誰もが障害者であるという認識

誰もが障害者 っていうのが
普通に存在する になるあたりの言い分けは・・・・・要らんよw

普通に存在しえないという切迫した思いを強要する社会のデザインを変更してから、
そういうことは言うべきなんだよ。お前が、そんな呪文を何度唱えても

普 通 で は な い

という感覚(認識)は決して消えない。消えないリアルな思いを呪文で消そうというのが青芝の言ってることになるわけねえだろうにw

ほんま、お前は馬鹿だなあw

>>
そして、存在することが現前することによって制度や慣習そのものの
擬制があきらかになる。
>>

出たあw シッタカ
ここを詳しく説明しろよ。説明あるまで粘着するからw


お前のお答えを聞かずに、お前のインチキを暴いてしまう衝動を抑えているから、しっかり説明を頼むわ。見栄っ張りの猿くん

>そこからしか出発できないってこと。

正反対
お前はゴールの先を語ったw

我慢してるから、自分でいい訳or訂正をしてくれ。

でないと、また木っ端微塵にしてしまうw
 

暴力の正当化

 投稿者:招き猫  投稿日:2009年11月 3日(火)13時37分4秒
  「生かし合う社会」
このためにだけは暴力は仕方ないということ。

実に簡単なことだ。
刑法やらで逮捕拘禁あるいは死刑される理由は、生かし合う社会に反するからだ。

社会のデザイン自体が殺し合うことを許しているのなら、その社会自体を転覆させようというのが革命。革命の担い手とは「殺される側」。実に明瞭。本多勝一が言うような「殺される側」

殺される側をプロレタリアートとかなんとか、言葉イジリしても内実には無効。
また、殺される側の内を区分するのも無効。階級なんていう古い古い用語にこだわるのは趣味の問題であって、それ以外は何の意味もない。ただし、アンティークな趣はそれはそれで癒し系な部分があるからオイラも使うことにしよう。

殺し合う社会を生かし合う社会へ向かうとき、一挙に転覆させるのが革命ということは既に言ったことだ。このとき暴力は正当化される。何人も殺して篭城する犯人にスワットが銃撃することの正当化として生き続ける。

その正当化の明文化として憲法制定権力は生み出された。概念装置

顕在化した暴力「だけ」に反射する人間の多くは、潜在的なものには鈍い。
「顕在/潜在」という差異に「だけ」こだわるのは、暴力論ではトンデモ


暴力論においては、その強度だけではなく
方向を注視しなくてはならない。方向は常に自然法と照合される。

自然法との照合において、暴力は正当化される契機は生まれる。
それ以外は決してない。

国民主権とは、ある種の理想化であって実際の国民自体ではない!ここ、肝ね!!!
理想化された国民とは、既に自然法自体なんだね。

だが、日常を生きる国民とは実は猿なんだから、その理想化は危険この上ないという側面も生み出す。

社会や規範を自然法と照合する以前に、猿自体を自然法の型にはめないとならない。
これが暴力正当化の理論なんだ。


日本国憲法が、憲法制定権力ではなくむしろそれをも凌駕して絶対的にそびえ立つのは日本国憲法自体が自然法との照合によってある種の完璧さがあるという信憑に基づいている。

憲法制定権力というのは、理想化された国民(=自然法それ自体)を前提にしているわけだから、理想化されていない猿という現実を直視すれば国民の大勢が決めたからといって正しいとなるわけではないということが簡単に分かる。


革命においても、実はそのあたりはよく分かっていた。だから、前衛ということになる。
前衛が語る国民市民とは理想化されたものと目前の猿という両義性が常につきまとう。そのあたりは注意して読まないとならないだろう。


お花畑住人、それが前衛であれ国民市民であれ、自然法の照合の結果だとは思えない。
なぜなら照合とは絶えることのない懐疑だからだ。

拡声器の絶叫とそれに釣られる熱狂は懐疑させないことにしか機能しない。
完全なる照合と確信を示せ。次に、絶叫と熱狂を煽れ。
 

あさん

 投稿者:ヤマさん  投稿日:2009年11月 3日(火)13時10分23秒
  判定する立場




辛いものでしょう。
 

青芝はもっと単純だろ。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2009年11月 3日(火)13時03分52秒
  ただ、普通に存在することしかできない。
といってるだけでしょ。

そして、存在することが現前することによって制度や慣習そのものの
擬制があきらかになる。

そこからしか出発できないってこと。
 

僕は

 投稿者:ヤマさん  投稿日:2009年11月 3日(火)12時55分29秒
  許可を与える立原にいない。

猫さん
 

ヤマさん

 投稿者:招き猫  投稿日:2009年11月 3日(火)12時49分46秒
  あなたに注意されてたんだけど、この阿呆をやってしもうていいですか。

実は、これでもかなり手加減してるんだけど。
その理由はあなたからの忠告がある。それはネト上で以前から感じていたことに加えて私信によるものがあったからだ。


あえて、ここでそう言うのは最後の温情というか手加減ですけどw


生きるとは、「あ」馬鹿みたいのを許さないということです。本気でね♪
 

言葉イジリ

 投稿者:招き猫  投稿日:2009年11月 3日(火)12時44分11秒
  この阿呆はなぜか 能 力 にしたがる。原理主義者だからなのだろう。


馬鹿な人間の馬鹿な行為が歴史を作ってきたみたいなことを言う。
だが、なぜか常に原理でもって展開する。能力って、それは原理しか働いてないと言ってるということにすぎない。

言葉イジリが好きなんだね、この阿呆は。
都合が悪くなると、辞書を持ってきてその辞書的定義の瑣末な違いをことさら重要視する。そのときは、必ず用語を文脈から引き離す。

その一方、用語の間違いを自分がしでかしたときは強引に文脈にねじ込んで言い分けし正当化する。この阿呆が「読めない」っていうのは一つのレトリックであって、自分の間違いを言い繕うための強がりなんだな。ほんと、困った阿呆だ。


養護学校や聾学校などが特別支援学校に一本化された。
このように言葉イジリをするのはコストの削減に貢献するが、内実を何も変えるものではない。「あ」馬鹿とは、このような大事な視点を常に隠すようにしか言わない。


こんな感想もw

位相
不可能性
過剰
隠蔽
・・・

これらは、オイラがポストモダン書物からぱくって使った単語である。
なぜなら、それらが普通に使われていたからだ。

「あ」馬鹿は、そういう書物を一冊も読んでなかったようで長い間執拗に、その使用自体に文句を言ってきた。だが、気が付くとぱくって平気で使っているww

こういうのも実に多いw

この阿呆は最初、社会学批判を展開していた。その理由は社会学をなーんも知らんかったから。知らんことを言うのはけしからんらしかった。

いつのまにか社会学マンセーw ネト検索だけでマンセーww


他にもけっこうあるから、みなさん最低一つはレポートを提出してください。
これ宿題ねw
 

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