んー、別にそこまですっきりするわけじゃないけど。
っていうか、悪口を言うことよりも、
悪口を前提にして、「なぜ、悪いと思うのか」というところまで、自分の中で整理できたらすっきりする(あるいは、整理するきっかけを得る、ぐらい)。ある程度、あたまのよい他人が読むことを前提に、誰かを批判するときは、多少説得的に書こうとする感覚が発生する。それに、自分がなぜむかついているのか、自分がむかついていることの正当性を他人に認めさせることができるのか、みたいなことを考える。
上司からくだらないことを言われたときに、ストレスためこんでるだけだと、分析的に考える機会を得られない。それは、とても残念なことなので。途中経過として、「悪口」の形をとる。
単なる悪意の発露をさせたい、というので書くのは、誰も幸せにならないので。
他人から見て、くだらないと思われるような自己弁護に陥っている可能性はもちろん、考えながら書くので、そう思われたら、その人は、わたしと付き合ってくれなくなるだろうし。何も言わずに、脳内で自己弁護をしている時のクオリティよりも、他人を前に自己弁護をしているときのほうが、弁護クオリティのほうが高いはず。クオリティの低い弁護はしなくなる。
それと、「くさい」「ぶす」とか、そういうことを他人を嫌う根拠にしてしまうことは、人間としてあまりにも終わっていると思うので、そういうことは、どんな裏の場所だったしても、悪口としては言いません。(他人を嫌う根拠としてではなく、「事実として、彼はくさい。なので、私は彼と長時間、対面で話しをするのはちょっとつらい。メールだと話しやすくて良い人なんだけど……」とか、言うことはありえます。)
………
……
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というのは、自己弁護で、どうしようもなくむかついた時は、mixiどころではなく、本当に誰もみてないところで「死ね」「あんなのと話してると、頭が腐る。ひからびる」とか書きます。ごめんなさい。王様の耳はロバの耳、方式で、叫ぶことはあります。あまり、ネガティヴな感情を野放図にまき散らしても仕方がないので、ネガティヴになればなるほど、誰もいないところをえらんで書きます。この水準の、純粋な感情の発露としか言いようのないものをmixiや、はてブや、2chで書くことはしていない(…つもり)。
twitterとか、ネットの日記とか、公の場所で特定の個人に対する、「ただの悪口」を書く、というはない。というか、それは明確にしたことがない(自分がやられることは、年に数回あるけど)。他人を一定以上、きついトーンで批判するときは、必ず実名と紐付いたアカウントなどで書きます。それはきちんと、論争 or 批判として覚悟をもって。
でも、まあ、言ってしまうことによって自己観察ができるようになる、というのはいずれにせよ、あるかなぁ。
表に出さないけどすごく辛い。 mixiや、twitterや、ネットの日記等で ポンポン具体的な悪口とか、愚痴や弱音を言えて、なおかつそれですっきりできる人は どういう考え方をしているか教...
んー、別にそこまですっきりするわけじゃないけど。 っていうか、悪口を言うことよりも、 悪口を前提にして、「なぜ、悪いと思うのか」というところまで、自分の中で整理できたらす...
そういう日記を見ると、「醜い」と思う。 対象は違ってもは大抵は自己正当化の羅列だから。 でも、それですっきりできる厚顔無恥さを持ってるほうが 世間的には正しいのかも、と...
mixi日記で吐き出すの?やめとけよ馬鹿。 友達にさえ、そういうのを「吐き出す」という行為で代謝するのって間違ってると思う。友達もそこまで踏み込んでいいのかとか、話されてもな...
悪口は言うけど人間に対してというか、私事の悪口は言わないなあ。 「こんなアホみたいな本見たことねえ!」 みたいな事は書くけど。これも間接的に「俺の面白いと思った本をアホみ...