2009 2008







2009/11/18 Sadistic Dance

何人かからメールをもらいました。
Yahooのトップページに出ていたというhANGRY&ANGRYですが、発売日です。



各媒体で名前があがっているDaniel Merlot君ですが、今回は僕と彼が東京(っていうか川崎)とLos Angelsで制作を進めていきました。彼のブレーンは世界的なクリエイターばかりだけど、特に気負うこともなくナチュラルに制作ができて楽しかったです。

夏ごろ東京へやってきて、発売と共にロスへ帰って行った彼ですが、東京での作業やただ単にお茶しに行ったりフグ食べに行ったり、DJな彼が招待してくれたクラブやら、結局最後の方は仕事っていうか、遊んでいた気もするけど、この夏はダンスミュージックにまみれました。

hANGRY&ANGRYのCDを手にしてくれた方の何人がここを訪れてくれるかわからないけど、歌詞の中にもたくさんの仕掛けをしました。それに気付いてくれたらあなたは相当な深読み君ですが、アルバムを手にしてくれた人にはそんな楽しめる要素があってもいいなって思ったのです。

ex:Hystric Blueなタクヤ君が今やっているバンドのメンバー(だっけ?)がh&Aのライブでサポートをしてくれていたのですが、
「つのちゃんの曲、サディスティック・キスやな?」
と、たくや君の頭の中で絶妙にタイトル曲が二つ混ざっていて否定も肯定も出来ないので、
「うん」
って言っておきましたが、そんな曲ありません。

Web泳いだ人は知っている人もいるかも知れませんが、Daniel MerlotはCrash Berlinという名義でも活動をしていて、Justice, Bjork, perry farrell,Janes Addiction, Aphex Twin・・・等々とコラボレーションワークしています。

「え?そういう仕事ってどんな感じなの?」
って聞くと、
「つのだと作っているのと同じだぜ!」
と彼は言うのですが、とてもJusticeとつのだは平行しないイメージを僕は持ってしまいますが、まぁいつもヒャハハハ笑っている彼からすると特に変わらずいつもどおりなのでしょうか。

このアルバムの作業を終えたばかりの翌日、今日は休むぞ!って思っていたらDanielから連絡があり、
「Crash Berlinのために曲を書いてくれー」
というので、書きました。

彼はやる気のスイッチがマックスの時はドンドン作りますね。
オフの時は・・・東京で納豆くってわおわお言ってたり・・・。

2009年時点でのダンスミュージックに関する僕の最大限はこのアルバムです。






2009/11/7 写真は真実を写さない

発熱のお陰で、こっちでやろうと思っていた作業は全然出来ていません。
しかしせっかくだから・・・ということでモニュメントバレーに行ってきました。

観光写真的なものはサテオキ、そこに至る道中、目に映り印象的だったものが幾つもありました。


ケイタイの電波など無いこういう道を走り続け

車のCMみたい~と思われそうですが、
実際は鹿や犬やうま?スカンク?の死体がゴロゴロ

かつてピラミッドへ行った友人が砂漠のことを、「虫だらけでキモチワルイ」と言っておりましたが、物事とは遠めで見ると美しくとも間近で見ると形容し難い現実を抱えているものですね。



なぜ店主はここでお店をOPENしようと思ったかは謎(観光客っていうか人間いねーぞ)
恐らくナバホ族?ホピ族?かわからないけど、いわゆるアメリカ人とは違うおやじさんが砂漠でポツンとジュエリーショップを開いておりました。

きっと何か目の病気かな・・・とも思うけど、牛乳瓶の底ほどもあるメガネをした6歳くらいの娘さんがカウンターでパパの仕事を眺めていました。
彼女にはHi!と笑顔で声をかけてきてくれるアメリカンなノリは一切ありませんでした。

トイレはどこにあるんだろう・・・



陸の孤島ですが、時折ガソリンスタンド兼ホコリのかぶったペットボトルを売っている場所があります。薄汚れた白い彼はガソリンの看板の下で何を待っているのでしょうか



やせ細った黒い彼は仕切りに車を追いかけます


人間が稀に訪れるこのガソリンスタンドにいれば、食事にありつける。
車は、(その中にいる人間は)ときどき気まぐれでお菓子を投げ捨てる。

生きていくために、車に突進していきます

道端の動物たちの姿はそういうことでもあるのかな・・・と思いました。



強く生きてくれ



まぁ旅なのでとりあえずピース






2009/11/3 Sedona

セドナ、という街にいます。
サンフランシスコ経由でアリゾナ州フェニックスへ。そこから車を借りて3時間ほど走って到着しました。

何も調べずに訪れたのですが、ここは世界有数のパワースポットでもあり、何やらそれは不思議な街でした。


こういうとこ

セドナは人をデトックスする街と言われるそうです。

変化をしようとしている人がその決断を促されたり、はたまた不可思議な声が聞こえるとか、そしてデトックスの過程で高熱を発したりと体調に異変をきたす人も多いとか。

僕はそういった細かいことはわかりませんが、少なくともこの原始の地球のような岩山に囲まれた土地にいて、日頃恵比寿界隈で生きている自分を客観視するキッカケを充分に与えてくれることは確かです。

考える・・・考える・・・と日頃言いながらも人は日常の中にいると、身近な一番大切なことは考えづらいですからね。。。

旅は始まったばかりですが、初日にすでに発熱しました。。。

Bell Rockという岩山に登りました。
Yes or Noに迷う人に決断をくれる神聖な場所だとか。

そんな情報を耳にしながら、でもそこへ向かうということは既に結論なんて出ているんだよなと思い、不思議と自分含め、人間ってのはどの方向へ進むべきか自然と判断しているのかななんて、いつもと同じことを思いました。



とてもじゃないけどテッペンまでは登れないので、こんなところでしばらくたたずむ。


僕はこんなとこでケイタイメールしているだけですが、、、

切り替えてないじゃないですかぁー的な
恵比寿いるときと同じ服きてるし
(左のほうですわってるのね)





2009/10/14 近藤さんへ

下北沢の小さなお店で一緒にお酒を呑みながら過ごした時間の大切さは、今ようやく理解することができました。

僕はきっと近藤さんの最後の友人だったのでしょうか。
その人生を終えられる、最後の最後で出会いましたね。

出会った時で既に余命幾許も、という段階でしたが、その残された大切な時間にも関わらず、どうして僕との時間を大事にして下さったのでしょうか。

名だたるプレイヤーがエンドーズの関係の中、僕一人、作曲家が混ざってしまっていますね。あのポスターを雑誌や店頭で見かける度に笑ってしまいます。

何も後悔は無いと言わんばかりに、肺ガン末期においても酒とタバコを愛してやまず、いつも楽しそうにしていらっしゃいました。

今年の夏、いつも通りに下北沢のお店へ飲みに行ったとき、最早しゃべることも難しい程になっていました。
急激な変化に驚いてしまいました。わかっていたことにも関わらず。

ただ、もう会えなくなる日が来るとようやく実感しました。
だから後悔のないように、僕が何をして、何に苦しんでいるのか、何にぶつかっているのか、今の僕の姿をありのまま伝えました。

その時初めて、近藤さんの悔しそうな表情を見つけました。

それから、残り僅かな時間、会話も歩くこともままならない体で僕のために奔走して下さいました。

先月末のメールが最後になってしまいましたが、その最後のメールも、僕のために動いてくださることの途中経過報告でした。

どうしてその人生の最後の時間を、僕に下さったのでしょうか?

そんな質問をしたところで返ってくる答えは、「つのりんは僕の友達だからねー☆」といういつもどおりの言葉なんだと思います。

決してお説教をすることはなく、その笑顔と、その背中を見ていたら、今の僕に何が足りないのか、そっと教えられたように感じました。

音楽において、自分のポリシーを貫き通し、例え儲かるとわかっていてもポリシーに反するものならやらない。
だけど社会人として、会社の責任者として、利益は必ず出す。
決して自分の歩みを自慢するような人ではありませんでしたが、賞与も一度も欠かさずに創業以来20年以上そのスタイルを貫き通し、家族や社員を守り、そして音楽への信念も守り続けられました。

近藤さんのあの表情を忘れません。
これからは、僕が立ち向かっていきます。
下北のお店で経過報告ができないのは寂しいですが、お墓に報告に行きます。

お通夜で多くの方にお会いしました。
みなさん、近藤さんのことを愛していました。
あなたの無茶苦茶な伝説を楽しそうにしゃべっていました。

眠るような近藤さんの表情を見たら、笑顔と感謝の言葉しか出てきませんでした。

あなたのような強い男に、僕もなりたい。






2009/10/5 現在進行形

しかし時代は過渡期らしい。

あちこちで「今会社を立ち上げようとしていてー」という声を聞く。
一日に三回は耳にするのではなかろうか。

その裏には、多くの人が今までの組織を失ったことや、自分の未来を変えたいな・・・という漠然とした想いを自然と持つようになったことがあるのでしょうか。

またその言葉をよく聞いてみるとわかる。

「~しようとしている」

つまりはまだ出来上がっていないのだ。

不景気の代表選手みたいな音楽業界である上に、一つの組織に居続ける人が少ない世界が故に、よりその言葉を耳にする機会が多いのかもしれません。

確率で言えば、今多くの人が新たな試みをしている内のほとんどが失敗するのですが、僕は密かに面白い時代だと思っています。

皆それぞれの方法でトライ&エラーをしているので、色々な流儀にお目にかかる事ができます。

①パワー!パワーだよ全ては!おらに権力をくれ!
という元気玉打って一発逆転狙うタイプ。

②やっぱり仲間!仲間と楽しく冒険!!二度目の打ち合わせから何故か下の名前で呼び始める・・・という宝島目指す海賊なタイプ。

③志あるのみ・・・
という武士なタイプ。


①はお酒・接待に強い。六本木・西麻布に多く生息。全てのニュースに陰謀説を唱える。
②はパワーポイントの企画書がやたらカラフル。最後のページは「ありがとうございました!!」が大きい字でど真ん中にある。多分それ資源の無駄。。。オフィスは渋谷だね。
③は寄付がすき。彼のオフィスに行くには何度か乗換えが必要。

他にも様々なタイプがいますね。

お金も音楽も恋愛もある程度のセンスが必要ですから、この過渡期はそれを磨くのにとても適している時代だと思います。

ちなみに僕は②だけは拒絶反応示しますけどね。

責任を進んで自ら取ることのできる人間と僕は仕事がしたいであります。
多少要領悪くてもその方が人が集まるから、よい流れが生まれ、長期的にみたら一番合理的でもある。と僕は信じ込んでおります。





2009/10/1 えらいおじさん

昼はR&Bな売れっ子作曲家な先輩のレコーディングに参加して、深夜は渋谷のクラブへ行くという、なんともミュージシャン的な一日を過ごしました。


シンガーソングライターになりたいんです!
という若いおねぇちゃんに会った。

ただ今数社プロダクションやレーベル等とのコネクションがあり、イロイロ未定的な。
ぉぉ、よく聞く話である。

プロダクションのえらいおじさん(ってえらいの?)にやりたい音楽の前に売れる音楽を作れ!的なことをいわれ、うんぬん。みたいな。

ぉぉ、売れる曲ってどんなだろ?

ぽにょ?

やりたいor売れる的な議論って20代前半誰しもが通るところなのですが、よーく考えてみるとよいのだよ。

やりたい音楽があるのではなく、やりたくない音楽がある、という場合が結構多い。

ちなみに僕は、音楽を作り始めてどれ程の月日が流れたかわかりませんが、未だに自分のやりたい音楽だなんてわかりません。

「これしかやらない!それがロック!」 とかいうのは僕はムリです。

色んなジャンル・年齢・国のミュージシャン・アーティストと出会って、色んな音楽を作って生きていく毎日が楽しいと僕は感じます。



少しずつ





2009/9/22 データ管理と人間関係

今夜の曲作りはさすらいのフォークシンガーに手伝ってもらっています。

8割方まで自分で作ったんだけど、彼の匂いを曲に入れたくて、歌詞とメロディ少々いじってもらい中。


「パソコンじゃだめだ!紙とえんぴつ!えんぴつないの!?」
と、どうやらさすらいのフォークにはノーパソに向かって歌詞を書いていく僕のスタイルはダメだそうです。


基本的にパソコンは3台使っている。
Winノート、Winデスクトップ、Macノート。
そして外付け含めるとHDDは10個近くある。

セキュリティやら互換性やらでそんなこんなになっているけど、データの置き場所が統一されていなかったり、バックアップもテキトウだったり、まるで交通整理ができていない。

コンピューターも人間関係もシンプルにしないとトンでもない事になる。。。

と、アコギ抱えながらフォークを歌う彼を見て思ふ秋の夜。






2009/8/22 終の住処

小学生は夏休みの宿題を慌ててやっているような8月の終盤ですが、僕もそんな感じで曲を書いています。同時に何曲も書くのは苦手だったんだけど、やらざるを得ない状況になったらやれました。まぁそんなもんなのかね。

本チャンREC前の段階までフィニッシュ!したら、次の曲の作業をすぐにしなきゃ!なのですが、さすがに頭のチャンネル切り替えるために一呼吸置きます。
寝てしまうのが一番いいんだけど、そうもいかないので本を読みました。

最近ニュースになっていた、三井物産の方が書いた芥川賞作品を読みました。
「終の住処」という作品です。
30分もせず読み終えられる短い小説なので気軽に読めます。

僕はある一時、現代の女流作家の作品をドバーっと読み、そして飽きました。
(でも作詞する人間としては知らぬ内に影響を受けているのだろうか)

彼女たちは主題よりも情景描写に重きを置く傾向があり、作詞において「情景描写が!」と口癖のように言う僕はやはりそこは重要なポイントと認めつつも、なんだか言葉遊びのナルシズムの骨頂のような気がしてきて、そろそろ卒業したいなぁと思っておりました。

その後はノンフィクションばかり読むようになっていたのですが、久しぶりに読んだ小説だったのです。

過去を振り返ったとき、大きな事件なんかより、取るに足らないクダラナイことばかりが僕の人生を作る。

みたいな。

あれ、言葉にすると妙に安くなるな・・・。
や、スキな本だなってすごく思ったんです。





2009/8/18 es

ドイツの有名な映画だけど、「es」という映画を見ました。スタンフォード大学心理学部でかつて行われた、今は禁止されている実験の映画。無作為に選ばれた人を看守役と囚人役に分けて様子を見る。というだけの実験。

ヒジョーに有名な話でナンですが、殺し合いを始めてしまうという結果になります。
その人の元々持つ「個性」とかいう得体の知れないものより、「立場」という強固な環境の力の方が圧倒的に人間を支配してしまうということ。(という解釈をしたのだけど合ってますかね?)



遺伝的要素は勿論あれど、普段我々が口にする自分流とか個性とかいうものは、幼い頃から思春期くらいまでをどんな環境で過ごしたのか?ということに由来するのでしょうか。

多感な時期ですから、その時代の影響力は強いです。
一方でまた長い視点で考えたら、「どんな20代を過ごしたのか?」ということは当然今後の自分がどんな人間になるのか?にヒジョーに大きな影響を与えるということになりますか。当たり前だけど。

例えば誰かに守られて、それは大きな組織なのか、親分さん?なのか、そういう人に依存し、知らぬ間に思考することを奪われ、コドモのまま20代を終えたらその果てにどんな30代が待っているのだろうか。

ハタマタ尊敬する人頼りにする人はいるが、依存はせず、独立したヒトリの大人として周囲と関わり、未熟なりに自分で考え責任を持ち行動をした20代の次にくる30代はどんな感じだろうか。

多分・・・ですが、性質(タチ)ってやつは10代に形成されるのかもしれませんが、
生き様(極道みたいな単語だ)ってやつは20代に価値観形成されるんじゃないかなー

日々の行動を、10代の自分を言い訳にし続けるのはあまりよいことではないのね。

などとキンパチ的なことを思い、己を鑑みつつそういえば28歳になりました。
メッセージくれた方々ありがとう!!さりげなくこのウェブ宛に届くメールは嬉しいものです。ありがとう~






2009/7/18 北の国から

地球がおかしなことになっている今ですから、地方に行くときに一体どんな服を用意していけばいいのかわからなくなります。昨年も新千歳空港には降り立っているのですが、一年ぶりにやって参りました。

というわけで札幌にいます。

とりあえずサムイ。

イトウヨウスケの実家にお邪魔しました。
素晴らしい海の幸のおもてなしに舌鼓を打ち、ついついお酒が進みます。

さて、彼はマイペースなのでさっさと寝床についています。
親父様と僕は二人切りでリビングにてビール片手に、随所に親父様の解説を頂きながら、彼の出世作である「デカレンジャー」のDVDを拝見致しました。

本当に彼は俳優なのだねぇ~と初めてそれを目の当たりにしたのでありました。

テキトウな理由としては、身近な人の作品を観るのはなんだかキモチワルイから
マジメな理由としては、音楽人としての彼との関わりが僕の役目ゆえに、俳優である姿から一切の影響を受けないようにするため
ナンダカンダと映画もドラマも舞台も一切観てきませんでした。

親父様のお勧めで彼が閉じ込められてしまう回の作品を観たのですが、
「た、たすけてくれぇ~♪」とハイビジョンテレビ内にて泣き顔で叫ぶ息子の姿を観て、

「ヒーローにあるまじきヘタレである」

と一蹴しビールをグイっと飲み干す姿に父親としての愛情を垣間見ることができました。

実家とは暖かいものですね。

人様の実家の写真はさらせないので、最近の角田の実家の景色をば。




意外と仲良しな二人





2009/7/11 理科の先生

とある権利ごとについてのスペシャリストを先輩にご紹介頂く。
ということで向かった先は母校の三田キャンパスでした。

先輩にご紹介頂き、挨拶を交わしているとどうやら中学から大学と歩んだ道は僕と同じということがわかりました。
そして僕が名刺を出したら、

「あぁ、覚えてますよ。」

ん?

「下の名前の画数が多くて、試験の時大変そうだなって思ってました」

ん?

・・・

・・・

(記憶がモゴモゴ問いかける・・・)

!!!!!

「私、あなたが中一の時の理科の先生です」

!!!!!!!!!!

せんせい覚えててくださってありがとう~。。。

当時12歳ですがもう僕27歳ですよ・・・

意外なほど人は人のことを記憶しているもので、同級生しかわからないネタだけども、僕の名前が掲示板に張り出されたあの事件もしっかりとご記憶されていらっしゃいました。笑。

先生と世紀をまたいで話をしていたら、音楽に出会っていない当時の自分を思い出しました。
先生に教わっていた時代は作曲すらしたことありませんが、ただ曲を書き続けているだけの人生ですが、曲は色々な人に巡り合わせてくれるなぁ・・・とまた再確認して、当時と変わらぬ通学路で家路につくのでありました。





2009/6/27 ダブってみる

ネットを泳いでいたらこんなのを見つけた。


カートもサビはダブるようだ。
そして結構ズレてても気にしないようだ。
でもやっぱ要所要所は自然に合わせているようにも思う。

この人の声はやっぱスキです。
とりあえずギターはフィードバックさせちゃうのとか。

つのださん趣味ミーハーっすねみたいな、あれですが、僕はミーハーですよ。

そしてこんな動画ネットにさらしちゃったら幾らでもリミックス(面白いリミックスの大半は無許可だけどな)ができちゃうな。



昨日はレコーディング@横浜でした。
ヒサビサに赤いマーシャル君を引っ張り出したんだけど、変なノイズ乗ってる・・・へこむ・・・
グレッチもヒサビサに取り出したんだけど、メンテしなきゃだめ・・・弾きずらすぎる・・・

某俳優君が出演している太宰治な映画を観に行かねば!
ということで渋谷に行ったけど、ギター録音に手間取りすぎて映画終了間際に到着。この映画未だ観れず。

外に俳優君本人がいたのでしゃべる。
もう一人イケメンな若者がいたので挨拶。

「一度お会いしたことあります。」
と言われ、おおぅそうですか!
さぁコミュニケートしなければ、ということで、

「映画観れました?」
と聞くと、

「いえ・・・僕出演しているんです。」

あ、すみません。

的なオチもついて一日終わり。





2009/6/4 お告げ

仕事の対人関係におけるイライラというものは、
相手を変えようとして、だけど変わらないことへのイライラであることが多い。

無意識のうちに、自分の思い通りにその相手を動かそうとするからいけないのです。

そう簡単に動くわけはありません。
自分を変えていく方がよっぽど近道だということに気がつくでしょう。

感情に任せて判断してはいけません。
自分の感情の変化の原因をひとつずつ解き明かすことが、全ての問題の解決になります。


と、言われる夢を見て目が覚める6月初旬。

謎だ。
誰だ?


たまには写真をのっけてみる。



おれとグレッチ






2009/6/2 黄金世代

今日も働いています。


それはさておき、久しぶりにボクシング部で集合しました。

今年結婚する!という男二名。
完全にブーム到来しています。同級生の中で。

僕たちの代はボクシング部黄金世代(多分)です。
今やボクシング部の恒例行事とも言える伝統を二つ生み出しました。

一つは高校の文化祭での喫茶店業務。

男子校なので、女子高生捕まえることだけしか考えておりません。

しかし幸いなことに2000人強の男子生徒数に対して、10000人オーバーの女子高生が一気に押し寄せる一大イベントゆえ、「顔と名前を記憶できないのでは?」と17歳の僕たちは危惧しました。

そこで、デジカメとノーパソつなげてプリンタでシール出力してプリクラやろうぜ!
んで電話番号とか名前とか学校名ナンバリングして管理しようぜ!

と、怪しい詐欺モデル派遣事務所の真似事みたいなアイディアを実行しました。

結果、膨大な量の女子高生データファイルが出来上がり、それを元に体力ありあまった当時のボクシング部は練習後せっせとシャワー浴びてから遊びに行くのでした。

後輩たちもその味をしめたようで、以後10年たっても続いているということです。

アイディアマンつのだ的には嬉しい限り。笑。


もうひとつが結婚式における、新郎のスパーリング大会。

ムリに笑いを取りに行くような余興より本気の戦いでしょ。
ってことでの発案だったけど、これもまた伝統になってしまいました。

ひとり一分の持ち時間で次から次へと新郎に勝負を挑む、壮絶なスパーリング大会です。
大体20人くらい相手にしなきゃいけません。代にもよるけど。

一対一だってキツイのに、次から次へと相手が入れ替わるので、
純白のスーツが鮮血にそまる、試合よりキツイかもしれないと噂されるスパーリングです。

そもそも酒入っている人間はやっちゃいけないはずなんだけど。

関係者・友達が見ている手前、「おれ本当は殴り合い強いんだぜ!」とアピールしたがる悲しきボクサーの習性が出てきてしまうので、必要以上に全員気合入れまくるという不幸なイベントです。

前回の式のスパーリング大会でも、新郎に返り討ちにされた主将は、目を腫らしたまま翌日会社に行ったので上司に怒られるというハメになりました。

今年は同期の式が2回あるので、いい機会なのでそろそろ僕も体鍛えなおそうかなと思います。

ぼこぼこにしてやる。





2009/5/17 アレンジャーの共作とは

久しぶりに江上さんに会いました。
コウダクミ氏からミヒマルGTからKAT-TUNから、たくさん書いている売れっ子作曲家です。彼のR&Bはほんと素晴らしいのです。トラックメーカー的には「この音どうやって作ってるの??」って何度も聞いてしまう感じです。

「明日あいてますか?」「あいてるよ!」的なテンポよいやりとりだったので、新居に初めて遊びに行きました。 到着するなり近況報告。
一方的に僕がドバーっとこの一年間を一時間くらいしゃべり倒しました。 江上さんに口を開かせないペースで。

メシくいにいこう。ということでもう一人呼び、これまた久しぶりのtatsugoo(芸名変わるし本名で普段呼ぶから慣れない)と三人でしゃぶしゃぶしました。 この三人で会うの何年ぶり・・・かわかりませんが、久しぶりの作曲家の集い。

この一年の間は専業作曲家の人には会わなかったんじゃないかと思います。多分。 ミュージシャン兼。のほうが人数多いからなぁ。

で、前回の映画の話に繋がるのです。
音楽の作り手は、その人が観ている映画によってサウンドが分かれます。と決め付けています。

もっというと 「その人の恋愛を見ればその人のサウンドがわかる」 です。
が、これについてはまた本50冊書ける程一家言ありますので割愛。

三人でしゃぶしゃぶ食べながら「何観た?」的なやりとりをしていると、
エレクトリックなサウンド大得意なtatsugoo君は「全米No.1」な映画を羅列し
シャレた現代的なブラックミュージックな江上さんは、これまた軽快な映像美と共にあるような映画を並べます。

そして僕は、邦画の細やかな人間模様描くぜ~みたいな映画を羅列し、
二人とも「ウヘェ~いやだいやだ!そういうの!」みたいなやり取りになります。

逆もまた然りで、全米No.1な映画を勧められても、
「どうせまた爆発しちゃうんでしょ?」 と僕は興味を示さない。

サテハテ久しぶりの再会でしたが、あいも変わらず映画も音楽も趣味が合わない連中でありますが、こうして会うたびに「一緒に一曲作ろう!」みたいになります。

6,7年前からその話はありますが、実際作ったことはありません。
演奏家たちが集まって一緒に音を出すのはわりと自然なことなのですが、 全部の音をコントロールしてアンサンブル作るアレンジャーが3人集まっても、結局みんな自分でできちゃうもんだから共作って難しいのです。

でもそろそろ本気で1曲作ってみますかね。

サウンドの着地点は全く見えないけどね。





2009/5/14 意欲あふれすぎ

昨日の続き、を書こうと思ったんだけど、日を置いてしまうとテンション変わるから文章が繋がらないかも。。。

先日、そのデザイナーな先輩がある展覧会的なものに招待してくれました。
依頼を受けての仕事ではなく、自分の視点で興味を持った方々を集めて本を作り、そのデザインをされたとのことで、多くの文章家さんやそれに関わる方々がいらっしゃいました。

プロアマ問わず多くの文章家さんがいて、たくさん陳列された本を眺めていると、表紙と題名がどれだけ大切か!という当たり前のことがよくわかりました。

膨大な数の本が出品されていましたが、その中で10冊くらいパパパっと選んで購入しました。 (作家さんがタダでくれたものもあります)

立ち読み含めたら相当な量の本をパパパっと導入部分だけですが斜め読みしました。 どーにも題材として「死、メンタルヘルス、白昼のセックス描写」ばかりが使われていることにすぐ気がつきました。

「陰鬱さ、堕落、日常の中の非日常」を表現したいのだろうけど、みんな同じネタ使うな~とまた僕は上から目線で申し訳ないけど、他に切り口ないものか・・・と、ぱらぱら本をめくりながら思索しておりました。

稀に、自分の感性に響く文章を書いてくださる方を見つけることもあり、その時は素直に嬉しくてお金を払うのでした。

すごく面白いモノカキさんがいて、本を販売するコーナーにいて販売しているんだけど、その机で原稿用紙広げて小説書いている人。もう溢れちゃってとまらないのかしら。創作意欲マックスですな。さすがに僕はライブハウスの控え室で作曲したことありません。

やはり、僕も文章表現の世界に挑戦してみたい気持ちがあります。 そんな気持ちを察してか、かのデザイナーの先輩は時折ピンポイントで素晴らしいお誘いを下さるのでした。

さて、ミュージシャンは選ぶ文章や映画によって、産み出す音楽のカラーが別れるのですが、この話の続きはまた明日。





2009/5/11 アンカレッジで出会ったデザイナー

アンカレッジという極寒の街で出会った、ある日本人デザイナーがいます。
慣れない土地で困っていた当時21歳の僕を助けてくれた人です。

雑誌や本の表紙デザインやら、僕が知っているのはほんの一部だけですが、数多くの作品を制作されております。

偶然同じ飛行機に乗り合わせていて、歴史的、世界的大事件を目の当たりにした僕らは、不思議な絆で・・・とか別にきれいな話をしたいのではないです。

その飛行機にはこれまたある有名な音楽雑誌のライターも乗っていました。
あの事件にあのタイミングで出会った僕たちは、それぞれの感性のフィルターを通して一つの事件を捉えますから、同じ事件でもそのフィルターごとにアウトプットされる形が変わります。

帰国後その音楽雑誌を読むと、一生懸命ドラマチックに、さも自分は悲劇を目の当たりにして自分の使命を感じて・・・という展開を構成していました。(勿論事件自体は、伝える意義はあります。)

多少の脚色は商売上必要としても、ただそのライター氏は必要以上に「自分を中心」に据えてこの事件を捉えていたので、その感性が表現者としては初級かなと僕は感じました。(こういう強気なことネットで言うのは危険かな?)

僕があのデザイナーの先輩に惹かれたのは、あの事件を自分の感性(デザインやカメラや少ない文字)を使って表現されたものは、
かのライター氏のようにやたらドラマチックに脚色するでなく、
報道写真家かの如くリアルすぎる現実を捉えるままでもなく、
ミョーに「アート」なものでもなく、
それを形容する言葉を僕はまだ見つけられていないあたりが僕もまだ初級なのですが、このどれにも属さない感覚が帰国後もらった一枚の絵葉書には表現されていました。

ある日彼の仕事場に遊びに行きました。
それは都内の一等地に建ち、屋根は体育館ほど高く、ときには多くの仲間が集まってお酒を飲めるようにバーも併設してありました。モノツクリの仕事にはこれ以上ないくらいの環境で、とても憧れを持ちました。

なぜ彼の話を持ち出したかというと、長くなってきたからまた明日。





2009/5/8 出所祝い

僕にとっての青春とはまさに彼らのことを言います。高校時代にやっていたバンドのメンバーと集まりました。とはいってもリーダーのドラマーはテキサスにいるし、ベースの人は・・・よくわかんないので3人です。あと友達や嫁など。

ボーカル君がシャバに舞い戻ってきたのです。
一年以上、俗世間とは離れた世界にて心身清めていましたので、出所祝いをしました。
せっかくなので僕はモエシャンドンを持っていきました。

ミュージシャンだけにオクスリですか。
と誤解されぬよう説明すると、彼はある有名なお寺の跡取り息子でございます。
それゆえ、その宗派の総本山にて修行をしておりました。

あらゆる苦行に耐え、シャバに舞い降りて「ケイタイ」という文明の利器を手にした彼は昨日久しぶりに電話をくれました。

「おれいま恵比寿にいる~うおおおお!おんな!女~!かみなげ~!」

と、今まで押さえつけていた欲という欲がマグマのように噴出しているエロ和尚でございました。

不景気、不景気と世間は嘆いている昨今でございます。
しかし彼の前にその言葉は無用。
そしてそもそも税金対策すら無用。

この雑誌の名前を知っていると世代がバレるのでありますが、当時「ストニュー」という高校生の雑誌がありました。それにデカデカと掲載され、「イケメン高校生」と特集されていた彼。

バンドにおいても、ドラムわっきーとギターたかあきはバンドの舵取りをし、僕は勝手に曲を書いているだけで、彼の仕事は女の子と戯れるのみでありました。(べ、ベースの人は・・・)

いわゆるプレイボーイ的な彼なのですが、「修行を通して死ってものをより深く理解したね。」とかコイていたのですが、数百人の修行僧たちの戦いの物語を楽しく聞いていたのでありました。

お酒呑みながらの場所だから全部笑い話にしてしまったけど、
いわゆる文明の機器を全て排除し、俗世間から隔離された山の中での修行は本当に人間の体にはここまで力が眠っていたのかと知ることになり、五感が覚醒されるということでした。

僕が死んだら彼にお経を上げてもらおうと思います。(これ遺言ね。)

彼の妹が今度結婚するとか。
しかし残念なことに妹の旦那さまは彼への挨拶を忘れてしまった。

しかもなんと妹夫婦は教会で神父さまに愛を誓うとのコト。
「ばりばり袈裟と数珠で完璧にキメてくるぜ!ホトケなめんな!」と豪語しておりました。

ナムナム。





2009/4/22 ウコン

シンガーソングライターMさんの選曲作業を池尻にて。
Mさんは先日恋破れておセンチだとのことで、とりあえず酒飲みながら仕事しましょうか。
というわけで昼間っから飲酒。
「これもいい曲だよ~♪」なんつって仕事にならん。

一通りコイバナと楽曲を聴き終わり、神泉の駅から下北沢へ。
こちらでもまたこの道の先輩と飲む。
つのださんベタ褒めされる。

褒める。という行為は非常に複雑な要素を持っています。
表面的に褒めている人を見抜くのも大分慣れました。

例えば僕の作る音について、どれほど聴き、どれほど意図を理解してくださったのか、それが伝わる褒め方をされることは滅多にないけど、今日ご一緒させて頂いた先輩は本当に深く聴いてくださったとわかり、、、というわけで、日本酒をくいくいっとのみ続ける。

明日ライブだし。寝る。

起きる。二日酔いで超キモチワルイ。
たっていらんない。おえ~ってなる。

14時入りで当然の如く15時に入る。すまん。
リハの一発目のスネアの音が頭にガンガン響く・・・
おえおえ。ウコンのむ。

ライブ無事終了。
イトウヨウスケのワンマンライブでした。

さて終わりました。
ということでクイクイっと飲む。

今回もいつものメンツ。
ドラム:たくや君(ex:Hysteric Blue)
ベース:クロさん(SOPHIA)
鍵盤:健介君。
ギター:つのださん

イトウヨウスケはそういえば芸能人なのですね。
打ち上げは左側のソファが芸能界。右側のソファが音楽関係者。
と、一瞬のうちに自然に座る場所が分かれる。
左側の人たちはやがて卓球をしてはしゃぎだす。
右側の人たちはやがてダーツを投げ始める。

今までの自分にケリつける!
ということで、彼の初ワンマンライブの名前が「告別式」でした。






2009/4/15 東海のノエルギャラガー

昨年末の再会(12月9日の日記ご参照)からすぐ彼は東京に来たのだけど、東京に来た途端僕は彼を放置プレイ。ええ、そういう奴ですよつのだなんて。
まぁナンダカンダよく電話はしていたのですが、池尻の彼の部屋を訪れました。

最新の曲から僕たちが出会った頃の曲からザザ~っと聴きました。
彼はフォークシンガーですが、Hip-Hopトラックメーカー(なぜかウマイ)であり作曲家でもあるので、僕や彼のような人はそれを仕事につなげねばなりませんので、ザザ~っと何曲か聴く。

技術的なことはサテオキ、やはり昔の曲は若い。
しかも当時熱さ100%の彼に対して、僕は彼のアイデンティティーを全否定するような冷たい視線と意見を浴びせまくってはケンカしていたので、勘違いかもしれないけど、当時の曲は「これ僕みたいな人間を否定してるな・・・」と思ってしまう歌詞をよく発見する。笑。

で、「他の曲は?」と聞くと、「どっかいっちゃった!」
とかコイているので、おふくろさんに実家から郵送してもらうよう頼む。

---僕がもし歌手だったら---

とキモチワルイ想像をしてみる。

すでにつのだを直接知る人からは失笑が聞こえてきますが、僕が書くメロディは僕が歌えるのだろうか・・・とまず考える。

田村さんに歌ってもらっている曲なんてありゃあの人だから歌いこなせるハズ!と思って結構ムチャしてメロディ書いているし・・・
MarBell君の「最果ての灯」なんておれ息つづかないっす!って感じだし・・・
昨日書いた出来立てホヤホヤの新曲はA嬢ならではのための8小節ロングトーンとか・・・

む・・・シングル切るなら彼が4年前くらいに書いた「One Day」という曲がありますが、それ提供してもらうな・・・。

とか妄想をチョイとしてみる・・・笑。

部屋で歌ってみたら既におれ泣きそう。笑。感動しますね。この曲。

しかし実際あの曲は誰かに歌ってもらって世の中に出してみよう!

と思います。
これなら実現可能だし。

「これオアシス意識したんだよね~」
と彼が説明してくれた曲は、全くイギリスの匂いなどない100%日本のド根性フォークでございました。

富士山が見えるわ~






2009/4/7 Ex-pro

日本には優秀な機材を制作するプロフェッショナルが数多くいます。
些細なトリビアですが、例えば僕の大事なギターのグレッチ君はアメリカのメーカーだけどその生産工場は愛知県です。

さて、シールドやエフェクターなどを開発するEx-proというメーカーがあります。特にレコーディングでの機材アレコレに悩む僕としては、とても力を貸してくれるメーカーでございます。
各楽器、機材メーカーはそれぞれ協力ミュージシャンがいますが、こちらの「タ」行を見てみると、高見沢氏、Char氏、つのだ氏?と、妙なたちつてとを構成しております。
(ドアタマの「ア」行にはAZUSAもいます)

http://www.ex-pro.co.jp/lm/lm_prousers.html

ある日社長の近藤さんと酒を酌み交わしておりました。
その交友関係はキャリアの長さゆえ大変広く、ってか広い人はいっぱいいるけど、僕の親父のバンドメンバーまで知っている方は滅多にいないのですが、ご存知でらっしゃいました。

さてさて先日、父親は自宅に自分のバンド関係者をゾロゾロと集めて、「バンド活動を来年に向けてどう飛躍させていくか!?」について熱烈に討論(注:アルコール有り)しておりました。
いかに未来に繋げていくかを重視する!的な話でしたが、僕の父が最も若手で57か8ですから、未来も何も年金と健康をだね・・・と息子は注意したくなるものの、親父たちは如何に新たなマーケットを開拓するか!についてマジ議論してました。

どこか冷めた息子とは真逆な、熱のこもった議論でありました。

僕がレコーディングで「シンバルがない!」と困ったとき(なんでシンバルがないんだ・・・)、親父のバンドメンバーに借りに行ったり、機材倉庫になってしまったアパートには親父のバンドメンバーの機材も置いてあるので、持ちつ持たれつ、やっております。






2009/3/29 不動産

僕の住む街は高層マンションが乱立しております。
密かにマンションの見学会に行ってみては不動産屋さんに「ミュージシャンですか?」とこちらの身分を明かす前に見抜かれる始末。不動産屋的には最もいらない職業ですな。

クラスも部活も大学もゼミも一緒で、12歳から22歳までの人生の90%は一緒に過ごした友人がおります。彼は勢い100%!!で人生を歩む人なのですが、今は楽天に買収され損ねた(ネタ古いな)某キー局の営業マンとして汗を流す日々でございます。

そんな彼が先日、この街の超高層マンションを購入しやがりました。

妙に悔しくなって、地元友人であり学校も一緒のY君と、「あいつの部屋にロケット花火ぶち込むべ」と、昭和ヤンキー的なイタズラを画策していたのです。ちなみにY君も今では立派な銀行マンですが、平日の午後2時に僕とロケット花火の打ち方について電話で議論しているわけですから、自由な銀行マンであります。

ちょうどマンションの鍵の引渡しを済ませた彼が電話してきたので、彼のマンションを訪れてみました。自転車で行きました。

予想を超えるクラスの高級マンションでありました。。。

またボクシング部同期のイケメン弁護士君も購入予定とのことで、この街でおれたち呑めるね!みたいな浮かれポンチってよりは、なんかちょっとおれがんばらねーと・・・と、ケツ叩かれました。

「で、どこにロケット花火売ってるんだっけ?」
と相変わらずY君と僕はそんな話をしている場合ではない。

恵比寿!恵比寿のマンション!と散々言っておりましたが、今となっては鎌倉とか伊豆に住んでみたい。高速ならすぐだし。いやいやロンドンでしばらくがんばってみましょうか。
とか思索はいつもしていますが、死ぬ場所は育ったこの街と決めているので最終的にはこの街に住みます。

親父がこの街にスタジオを建てたくて仕方がないらしいので、それを実現できるように息子はがんばってみるよ。






2009/3/8 モードチェンジ

イトウヨウスケLIVE@On Air Crestでした。

Drums:拓哉くん(ex:Hysteric Blue)
Bass:くろさん(SOPHIA)
Guitar:つのださん
Pf:スワベック・コバレフスキ

ピアノはお初のポーランドからやってきた流離いのピアノ弾きスワ君。それ以外はいつもと一緒だ。ジャズの自由さ加減と、クラシックの自由さ加減って違うじゃない。彼のはモロクラシックなので、自由にしたらホントどこかイっちゃう感じでおもしろかったよ。
偏見のかたまりの私の固定観念は、「いつの時代も天才は東ヨーロッパにいる!」 と思い込んでいるので、彼との共演は楽しかったです。

自分含め、演奏するみんなはそれぞれ本体、本業があるわけで、今まではその合間にイトウヨウスケのライブを学園祭ノリでやっていたわけだけど、妙に今回から全員が本腰を入れ始めてしまった。笑。

ある部分ではテキトウ(失礼!)なプレイの中に楽しみを見出していたのが彼の現場なのだけど、クロさん拓哉くんも「そろそろ本気だしてみますか・・・」みたいなモードになって行きました。

リハからして空気感が変わり、そんなモードチェンジ後の一発目ライブだったからかどうかわからんけど、妙に緊張してMCカラ回っているボーカル君が新鮮でしたな。

ウィーンやらアムステルダムでクラシック勉強して、なんで日本で仕事してんの? という質問に対しては、ニホンスキダカラー♪とか、結局よくわからなかったけど、まぁまた次回楽しみにしてます。






2009/3/1 Strawberry Fields Forever

中等部の同級生同士が結婚するという、そりゃ2次会は大同窓会な展開へ。
旦那も嫁も友達だけど、その嫁の元彼であるS君と一緒に二次会へ向かいました。

嫁とS君は結構な大恋愛?だったため、果たして彼が祝う方向で行くのか、壊す方向で行くのか、みながその動向に注目していたため、彼は影の主役として我々は終始盛り上がっておりました。

誰かのモトカノが誰かのイマカノで、そのイマカノのモトカレが・・・みたいな、なんすかこの兄弟たちは。。。 もう図で説明してくれなきゃわかんないよ。おまえらなんなの!?と達観していた私ですが、数年ぶり(いや10数年ぶり・・・)の再会もあり、私もその図の一端を担っていたことにふと気づき我に返る。

初めてラブレターをくれた子
2年間片思いしていた子(片思いって単語21世紀で初めて使った。笑)
高校生のときちょっとだけ付き合ってコテンパンに振られた子
感慨にふける間も無くそれぞれ3分刻みくらいで再会。

S君は「おれいま傷ついてるぜ!」と笑いながら、それはやはり過去のことですし、笑いネタではもちろんあるんだけど、嫁のお母様と数年ぶりの再会をして話し込んだ後の彼は、顔で笑って背中で泣いておりました。

二次会終了後、はらへったよねということでT君に引率されて六本木の中華屋へ向かいました。 なんでも、キャバ嬢とアフターするときメシくうならココだよ。という、遊び方もおっさんの感じでしたが、はす向かいの席では、日本一有名な中華料理屋「幸楽」の店主が「今後の幸楽はどうあるべきか!?」について饒舌に語っておりました。

運転免許とりたての18歳の頃、旦那とS君と私でなぜかオトコ3人で「いちご狩り」へ山梨県まで出かけた日が遠く懐かしいです。

いちごうまかったな~






2009/2/28 トリプルブッキング

15:00 髪を切りに行く

17:00 恵比寿のスタジオにてレコーディング。ベースのエディットとギター自分で弾く。

19:30 作業を終えて、ちょうど恵比寿で中等部の同窓会が開かれていましたので歩いて向かいました。というかさりげなく私も幹事の一人だそうですが、作業としてはセイヤとネギに電話しただけです。

同窓会の場所をどこでやるか!?
というメールを先週ごろ幹事たちがしておりましたので、
「恵比寿で」と先に私が決めてしまいました。お店はお任せですが。

おーひさしぶりー!なんていいながら、思い出せない人少々。
当然近況的なものを聞かれますので、仕事の説明なんぞをそれぞれにします。
しかしテーブルを移動しながら全員と絡んでいたので、その説明も3回目くらいにはもう疲れて相当省略。

説明がテキトウなので、「じゃあいつかCDに自分の名前が載ったりしたらいいね!がんばってね!」なんて言われて、まぁだいぶ昔にその段階は通り過ぎたのだが、妙に新鮮でした。笑。

21:00 中等部E組の同窓会をそそくさと抜けて、駅のロータリー挟んで逆側へ歩く。

今度は大学のゼミの集まりに行ってみる。

こちらもまたなぜ恵比寿で集まっているかというと、幹事に「恵比寿で」とだけメールを数週間前に打ってあったので、仕事もお酒も恵比寿で完結するようにブッキング。

ゼミの集まりの議題は「婚活」に終始するのみでありました。
これは一応新年会だったのか??

23:00 駅の反対側のスタジオに戻り、ボーカルレコーディング。
一生懸命歌う歌い手氏を横目に、判断しなきゃいけない私がお酒入っているもんだからウツラウツラしてきて、まぁなんたるこの惨状って感じだけども今日のところはご愛嬌。。。

謎に終了時刻32時。。。ってなにそれ。
朝の8時ね。






2009/2/22 クラブチッタ

前回チッタでライブをしたときは確か2005年でした。

当時まだターンテーブルを生意気にもいじっていた時代ですが(もう使い方忘れた)、エレアコをDJミキサーに突っ込んでその場でサンプリングしてそれスクラッチして~みたいなことやって、おれ斬新!とか思っていた頃です。(後にそんなことずいぶん前から知れた手法だったと知るが・・・)

人は学校を卒業してしまえば、そこから先は自分自身で卒業を決めなきゃいけない。
尾崎豊の「卒業」みたいなこと言ってる!笑。じゃなしに、そうしないとタラタラ生きてしまうのですよ。ミュージシャンなんて特にね。

クラブチッタというライブハウスは自分にとって必ず何かひとつの句読点をくれる場所です。

2005年のチッタのライブの日、多くの大切な出会いがありました。

私の兄貴分であるA先輩と出会い(当時は他のアーティストのマネージャーでした)、今自分が関わるプロジェクトの多くでエンジニアとして力を貸してくれている北島さんとも初めて顔を合わせた日でした。
また某プロデューサーが初めて自分のライブを観に来て、その直後に某アーティストの曲を書く機会をもらい、印税生活へGO!となったわけでした。

そしてまたその頃付き合っていた子は「ライブ見に行きたい」と言ってましたが、直前で「来ないでくれ」と言った記憶があります。その頃、すでに彼女との恋愛は末期になっていたので、どうしようもないほど精神的にはボロボロでした。

その時、根拠は何もないんだけど「ここで踏ん張るかどうかで道が分かれる!」と思い込んでおりました。

それまでの私は常に何かを理由にして流されて、「作曲家になりたい!」と言いながらも書くべき曲も書かず、言葉と行動が一致していませんでした。

何か嫌なことがあると、精神的に不安定だから、とかそんなことばかり言って、月に一曲書くか書かないかだった。もう、完全にニートとしか言えないような状態。

常にそういう弱い自分と、このままじゃいけない!という強い自分がいて、きっと初めて強い自分が勝った時でした。

チッタのちょっと前から、突如としてチッタライブ用に新しい曲を幾つか書き始め(これは今でも気に入っている曲ばかり)、また同時に印税たっぷりくれた(笑)美勇伝の曲も書き、初めて海外のミュージシャンとコラボレーションすることになったJAYのためのR&Bも書き、「おれやっと変わることができたな、、、」と初めて思えた時でありました。

こういう「卒業」を繰り返すことで人は成長するし、卒業するたびに自由になっていくみたいです。

2005年の23歳の頃と27歳の今では、23歳の頃の方が制約は少なかった。

自分が曲を書きアレンジすることに何の責任もなかったし、逆に言えば誰の力にもなっていなかった。ただ自分がやりたいっていうだけ。

今は私なんぞの曲カキやアレンジによって、多少なりとも一緒に音楽をやる人の活動の助けになったり足を引っ張ったりするし、勿論ビジネスマンの方々との絡みもあるので、責任や制約はその時よりだいぶ大きくなりました。

それでも今の方がどういうわけか自由を感じます。

当時も今も同じ「自由」という言葉を使うことがありますが、
23歳の時のそれは、ただの願望でしかなかった。
今はそれを多少なりとも、「計画」に自分の手で変えることができる。

そのためには才能も時間もお金も苦労も必要だし、何より周りの大切な味方がいてくれるから成り立つことです。

それに気づけなかった23歳の私はこのクラブチッタのバックステージで、当時27歳だったそのイベントの主催者だったSさんに対してただその当時の自分の「自由」とやらを怒鳴り散らしていたことを、27歳になった私が昨日チッタのバックステージに来てそれを思い出しました。

今こうして私が音楽と暮らしているのも、あの日のチッタで多くの出会いがあったからこそ。

そしてそのキッカケを作ってくれたのが大嫌いで仕方なかったあのS氏ですから、もう会うことはないだろうけどせめてありがとうは言いたかったのだけれども。

昨日マーベル君でチッタでライブをやらせてもらって、その後通用口付近のバックステージで何人かで円を描くように立って話し合っていたら、なんだか23歳の頃にも同じ場所で同じように立って話し合ってたなと思い出してニヤけてしまいました。

もし今Sさんに会ってもきっとあなたのことまたキライになるだろうけど、今の私ならSさんがやろうとしていたこと結構手伝えると思うんだけどね。


 

2009/1/24 猫頼み

1月4日からずっと都内某所のスタジオにこもってレコーディングをしていました。
日々、雑感は多々あるのだけどそれを文章に落とす暇もないほど、怒涛の日々は続いております。

コレほどまで連続してのレコーディングは初体験。
それでも制作を続けられるってことは、ほんと今までの自分はサボってたんだなぁ~と実感しています。

よく車のエンジンに例えることがありますが、一度そのエンジンを回してしまえば、ドンドン走ってゆけます。しかしエンジンを切りしばらく放置しておくと、なかなか元の調子を取り戻すには難しい。

人間の筋肉や感性も同じ種類なのでしょう。

人の演奏や歌をディレクションし続け、時に自分でも演奏し続けていたら、やはりクリエイティブモード的(何だそれ)には研磨されているように思います。

そんな日々の合間のある朝、近所の神社にちょっと遅めの初詣に行きました。
人の少ない朝の神社にて、手を洗ってお賽銭を納めさせて頂き、じゃらんじゃらんと鈴を鳴らしました。

すると、「うるさいにゃ・・・」と言ったか言わないかは定かでありませんが、猫がきもちよさげに眠っておりました。きっとカミサマの化身だ!!と勝手に思い込んだ私は、おおありがたやありがたや!と熱心に昨年のお礼と今年の皆様の健康をお祈りしたのであります。

毎年の如く、神頼みは健康だけです。
あとは自分で何とかする。

猫にあたま上がらない2009年。

 

 

2009/1/3 A Happy New Year

昨年秋hAngry&AngryのPV撮影の時、h.Naoto氏のアシスタント福ちゃんと立ち話をしていた時にもらった言葉が昨年の自分を象徴しているように思いました。

「あたし結構つのださんナゾですぅ~」
と、鋏やら針やらが入った衣装を扱うための小道具のポケットをいじくりながらしゃべっておりました。
なんでも、MarBellやってるし、かと思えばこういう他の現場にいるし、なんか全然別の打ち合わせにいるし、不思議ですぅ的な。

おおそうですか。
じゃあ説明するとね、って直接会う人には説明すれば理解してもらえるかとは思うのだけど、少々誤解を招くことが多かったかもなって反省しています。

おれを理解してくれよ!
だなんて思春期全開のキモイことを思っているわけじゃなくて、おれが関わる色んな人やプロジェクトを明らかにして理解してもらった方が、相互に利用価値があって発展できるんじゃないかなと思うのです。

なので今年はもっとちゃんと皆さんにしゃべるようにします。

明けましておめでとうございます。
おれを取り巻く全ての人が健康であれば何よりです。
2009年もよろしくお願いします!

 

 

 

 

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