たとえば・・・されじおさんは掲示板「聖母マリアの花園」で次のように書いておられます。(括弧は私の補足です。)
> (私は今後も)反逆街道まっしぐらのmaggieさんに
> ベチャーとストーカー(するつもりです)。
> (maggieさんを)大回心させて池永大司教様、
> 特に松浦補佐司教様に忠実無比の女パウロにして見せますからね。
http://9222.teacup.com/immacolata/bbs/400
これがされじおさんの「戯言」的要素を含んだ言葉である可能性を割り引いても、私は人に対してこのように宣言する精神をまったく好みません。
(脱線して因みに言えば、これは「主権回復を目指す会」代表、西村修平氏の「我々はまた来るぞ〜! 何回でも来るぞ〜! 来るぞ〜! 来〜るぞ〜!」を、ちょっと、ちょっとだけw、連想させるものですw
http://gokyo.ganriki.net/diary2009/d-2009-10-10.html#kuruzo
脱線した注:単純な傾向のある人達は「ヨゼフ・ジェンマは西村さんがリチャード・コシミズ氏の敵だからこのような見方をするのだろう」と直ぐにお思いになるわけですが、それは違います。私の西村氏へのこのような感じ方は遥かにそれ以前のもの、ヨゼフ・ジェンマに固有のものです。)
それから、「誰であれカトリックの信仰を持つ者が『松浦補佐司教様に忠実無比の信者』になることは悪くないことである」というあなたのお考えも、私の容れることのできるものではありません。されじおさん、ここを訪れて日の浅い人達に分かり易いように「Profile」に少し加筆しておきましたが、私は「聖ピオ十世会の99%の支持者」なのです。
http://gokyo.ganriki.net/pages/profile.html
ですから、あなたが彼ら(「イエスの惑星」や「聖母マリアの花園」での中心的発言者たち)と離れているよりも、一層、あなたと私は離れています。会話を始めることは物理的には可能です。しかし、実りはないでしょう。
そして、「聖職者を批判することの是非」については、私の今までの記事においても、私の旧掲示板(上に↑リンクあり)においても、また夢之介さんの掲示板「イエスの惑星」においても、「あまりにも既出」なのです。そう、あまりにも、あまりにも既出です。彦左衛門さんなどは今も同じ説明を繰り返す労を厭いません。けれど、私は厭います。短気だからです(笑) 同じことを繰り返す気になりません。
されじおさんの言葉の使い方の乱暴さも私はかなり気になります。されじおさんは彼らに「反司教」「反聖職位階」という言葉を付しています。しかしこれは〈言葉として〉あまりに乱暴なものです。「ニュアンス」というものを欠いた言い方です。「彼らの言動・態度が良いものかどうか」の検討に入る以前に、私はあなたの〈言葉の選択(感覚)〉が適切でないと考えます。
ですから、この意味でも、私は、されじおさんとは「議論」することは難しい、と考える者です。