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'09.10.12 (月)

公平さ

前回の日記における発言を少し訂正したい。

カトリック教徒は、このような者達と手を結ぼうというのか。カトリック自身の苦境のために、このような者達の力を借りようとするのか。馬鹿でないか。(確かに、これが 「靖國会」 のことであれば、少し違うのかも知れないが。)

「このような者達」 とは、頬白さんが言及した 「主権回復を目指す会」 を指すのだし、最後の括弧内の言葉があることによってもこの表現は少し救われていると思うけれども、それにしても、この 「馬鹿」 という言葉はいけなかった。心ないものだった。お詫びします。ごめんなさい。

私の心情がこのように変わったのは、やはり今回の事における頬白さんの一定の(とは失礼だが)「お働き」 を感じないではいられなかったからだ。
私は、掲示板 「イエスの惑星」 における 「雷蔵」 さんの投稿 に、自然なる賛同を(笑)ここに表明する。

しかしながら、私はなお非常に不満である。それは、今回確かに 「信仰的」 というより 「人間的」 なステージでそのような 「働き」 をしただろう彼ら(おつるさん、頬白さんら)が、「主権回復を目指す会」 代表の西村氏の人間について、少しも批判らしい批判をしないことだ。

すなわち、私は 「ポニョ」 さんの投稿 にも賛同する(笑)

しかし、「西村代表は(…)皆様もそうであるようにコンビニや飲食店で働く支那人に一々文句を言ったりしません。逆に結構親切です(これはあまり知られていないので内密に)」 などという生暖かいことを言っている靖國会事務局長の沼山光洋氏は、ポニョさんのこの投稿に決して反応しないだろう!

これがいわゆる 「人の世の常」 なのか?
どうしてこう 「公平さ」 がないのか !!!

おつるさんの投稿にこういうのがあった。

このデモを妨害するサヨクの団体は、また、京都の時と同じように、日の丸に汚物を書きいれたり、天皇陛下をガイコツ人形にしたり、日の丸をナチスのハーケンクロイツにしたり、爆竹を投げたり、つばを吐きかけたり、暴言を吐いたり、デモ妨害という犯罪をすると思います。

「京都の時」 とは、今年6月13日における 「在特会」 や 「主権回復を目指す会」 らによる 「外国人参政権反対デモ」 のことである。その時、「サヨク」 によるそのような行為があったというのだ。

調べてみると、実際、あったのである。

日の丸が 「汚物」 である。

日の丸が 「ハーケンクロイツ」 である。しかも 「踏まれて」 いる。

彼らは在特会らのことを 「ファシスト」 と言いたかったのだ。(映画 「ゴーストバスターズ」 をもじった禁止マークは、明らかに桜井誠氏を意味している w)

しかし、同時に、正常な日の丸を掲げ、在特会に向けて 「日の丸を穢すな」 と呼びかけるメンバーも存在した。

ついでに言えば、例の 「レインボーカラー」 の旗もある。
(彼らのメンバーのブログには、きくちゆみ氏と同じく、ピースシンボルが飾られていたりする。私の目には、「霊的に危ない」 のは、これら "イノセントサヨク" の方だ、と映る。)

私は、彼らのこのような行動(表現)にそれほど目くじら立てるつもりはないが、要するに 「 "オニィちゃん達" なんだな」 と思う。彼らは 「若い」 のだ。それ故に、軽薄な、要らぬことをする。

しかし、彼らのリーダー達のブログの7月の記事には、6月のことの反省もあってか、次のような記述がある。

実行委としては、在特会のデモ行進等を実力によって妨害すること、および在特会主催のデモに参加している人々を挑発すること等を主目的とした言動には反対します。

どのみち、リーダー達がしっかりしなくてはならない。若者達に(リーダー達自身若いのかも知れないが)上のような不要な表現を許してはならない。

けれど、私は 「霊的に危ないのは彼らの方だ」 と言ったが、ごく普通の 「人間性」 のレベルにおいては、在特会などの方がずっとずっとエゲツなく、「人非人」 でさえあると思う。

2009年04月16日
13歳の少女にデモをしかける人たち

■2009年04月11日、埼玉県蕨《わらび》市内で 「"犯罪フィリピン人カルデロン一家を日本から叩き出せ!"」 と主張するデモが行なわれました。
なんと、信じられないことに、カルデロン家の長女(13歳)が通う中学校の前をも練り歩いたのだそうです。

『 「在特会」 ら、ノリコさんが通う中学前でデモ行進 「カルデロン一家を日本から追放しろ!」 』
( 「日刊ベリタ」 2009-04-12 )

■はっきり言いましょう。
13歳の子どもに対してデモをしかけることが 「誇らしい」 ですか?
それは 「日本人の誇り」 を毀損《きそん》する行為ではありませんか?
あなたたちはそれでも 「愛国者」 を名乗るのですか?

(…)

「国籍」 「国境」 は真面目に誠実に管理されなければならない。
したがって、原理原則的にいえば、不法滞在者には法をもって厳しく対処すべきだと考えます。
しかし、だからといって不法滞在者にたいしては何をやってもいいというわけではない。
ましてや13歳の子どもに対してデモをしかけるなどもってのほかだ。
繰り返すが、それは 「日本人の誇り」 を毀損する行為ではないのか?

http://kihachin.net/klog/archives/2009/04/warabi_demo.html

日本で生まれ育った中学生の子どもは在留特別許可を得ることができたけれども、両親は許可を得られなかったので、今月中にも両親だけ出国することが決まっている。

のに、その数日前というタイミングで、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)のバカどもが、わざわざ一家の住んでいる地域に押し寄せて、「犯罪外国人を即刻叩き出せ!」 と叫ぶデモをやった。その様子はネットで中継され、わたしも少しだけ観ることができたのだけれど、既に夫妻の出国を受け入れたカルデロン一家が家族そろって限られた最後の時間を静かに過ごすことすら認めないというのは、主義主張以前の問題として、醜悪すぎる。

http://d.hatena.ne.jp/macska/20090411/p1

確かに、純粋な意味での 「政治」 は慎重に考えられなければならない。日本政府と日本国民がこの国をどう治め、どう運営して行くべきかは。

けれども、一般的な 「ヒューマニズム」 に適っているのは、この場合、確かに "イノセントサヨク"(?)の方だ。在特会らはそのような心情から出て来るあらゆるものを 「単なる感情論」 という一語をもって切って捨てるのだが、とんでもないことだ。上のリンクにあった 「日刊ベリタ」(これは 「左翼」 の新聞なのか? しかしそんなことは私には-------ここでは-------関係がない)の記事にあることがもしその通りに事実ならば、在特会らの行動は 「抗議行動」 というよりも 「嫌がらせ」 に近い。そして私は彼らの常套句 「叩き出せ」 に限りなく嫌悪を覚える。それだけではない、桜井誠氏はまたもや人のことをとらえて 「ゴキブリ」 と呼んでいる。そしておのれのそういう言葉にも 「言論の自由」 を当て嵌めている。この厚顔さは全くもって 「盗人猛々しい」 に類するものだ(西村氏もだ)。

しかし、こんなことは、私がここで力こぶ作って力説しなくても、常識ある人には簡単に分かることである。おつるさんも頬白さんも当然分かっており、そしておそらく沼山さんも分かっておられるだろうことである。

然り、これは単に 「常識」 の範囲のことである。常識程度のことには価値がない。否、少なくとも私には "つまらない"。常識の先に進もう。

すなわち、おつるさんは、頬白さんは、そして彼らと行動を共にすることも多い靖國会の沼山さんは、何故、彼らのこういう行動や言動をハッキリ名指しで非難しないのか。特に沼山さんは、何故、西村修平氏に面と向かって、「『叩き出せ』などという表現はよくありません。やめるべきです」 とハッキリ言わないのか。大同団結のためか(そうなら、私の目には 「腐敗」 である)。あるいは、そういうのも一つの 「表現」 であって、大目的を達成するための 「手法」 の一つであるに過ぎない、と言うのか。桜井誠氏はそんなふうなことを言っている。沼山さんはそれに納得しているのか。
こういうことを考えることこそ、「常識」 の先に一歩進むことである。

主として亡くなった御親戚のことで 「親靖國」 になっておられるのだろうおつるさんも、同様の意味で、少し 「人間的」 に過ぎるのではないか。自称 「行動する保守」 らのこのような行動と言動に、もし何ら批判らしい批判をしないなら、それを 「控える」 なら、あまりにいわゆる 「バイアス」 のかかったご態度ではないか。「目」 それ自体には必ずしもバイアスがかかっていないとしても(これも一つの仮定に過ぎないが)、「態度の表明」 において偏りがあると言うべきではないか。
これが 「人の世の常」 なのか? これが 「人間」 なのか?

否!

私達は 「公平」 であるべきである。
ちょっと 「極度」 と思われるほどに 「公平」 であるべきである。

家人に味方して余所の者にそうしないのは、
そのような 「傾向」 があるのは、
-------人間誰しもそうだが、それ故に-------
"芸のないこと" である。
あまりに "普通" のことである。
あまりに "人間" であることである。

いわゆる 「人間関係」 に配慮して、
真実をはっきり述べることを避ける者。
ただ心の中でモグモグ言っている者。
私はそういう人間が嫌いだ。
真理を暗ませているも同然だからだ。
そういう者は、私にとっては 「卑怯者」 を意味する。

このような性格なので、私は聖ピオ十世会の人達からも嫌われるのだが。


あまり嬉しい事ではないが、資料として、昨日聖イグナチオ教会で起こったことを収めた動画をリンクしておく。
Protest before St. Ignatius Catholic Church in Oct. 11, 2009, Tokyo
(1) http://www.youtube.com/watch?v=--8dCV8krgw
(2) http://www.youtube.com/watch?v=IKckdHTOo6U
(3) http://www.youtube.com/watch?v=lGMHpyzhj5M

次は、「反日分子」 への人々の反発・憎悪をいやが上にも高めることになった 「高金素梅事件」。
http://www.youtube.com/watch?v=Bkaf5006xjU
これは酷い。私は自分の身内が靖国神社に祀られているわけでもなく、個人的には思い入れがない方だが、しかし、何故か泣きそうになった。あるいは、そう、正直に言うと、一瞬、彼らを射殺したくなったんだ。私の心にもそういうものがある。

だけど、私達はこれら全てを見た上で、「利口」 でなければならないよね。
お互いにね。
断じて 「振り回され」 ちゃ駄目なんだ。

アヴェ・マリア!


子供達のためにも、いい日本になりますように。

いきものがかり - エール (YELL)
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