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'09.10.10 (土)
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「在特会」 と 「主権回復を目指す会」 の馬鹿リーダー |
今日から明後日まで開催される正平協の 「第35回全国集会」 の内、明日に予定されていた 「第4分科会」 が中止となった。理由は、自らを 「行動する保守運動」 と名乗る者らの次のような動きを正平協が知ったからである。
(赤字強調は管理人)
☆抗議行動の予定
カソリック教徒の靖國乱入を粉砕せよ!!
反日・侮蔑の麹町教会(聖イグナチオ教会)を国民の怒りで焼き尽くせ!
キリスト教徒は南米インディ大殺戮の犯罪を世界に謝罪しろ
【日時】
平成21年10月11日(日) 集合11:30
【場所】
麹町教会(聖イグナチオ教会)
http://9199.jp/phone_page/01570345/
〒102−0083
東京都千代田区麹町6−5−1
JR 中央線/営団地下鉄 丸の内線・南北線 四谷駅下車
徒歩1分 上智大学手前
※雨天決行 プラカードの持参歓迎
【呼びかけ】
主権回復を目指す会 せと弘幸Blog『日本よ何処へ』 NPO外国人犯罪追放運動 在日特権を許さない市民の会 外国人参政権に反対する会・東京
【連絡】
西村修平(090−2756−8794)
有門大輔(090−4439−6570)
反日キリスト教徒らが徒党を組んで靖國神社に乱入する。
今夏、高金素梅ら反日シナ・台湾人らが靖國神社へ乱入して英霊を冒涜した。今度はカソリック教徒らが同様な振る舞いを演ずる。神の名を盾に南米・アジアを侵略する際の先兵を努め来たキリスト教だが、先般は女性国際戦犯法廷を開催して世界に慰安婦強制連行を定着させた。
歴史偽造を信教の密室である教会で信者らに注入しては反日感情を煽ってきたのが日本カソリック教徒だ。許し難いクリスチャンらの行状だ。靖國神社の英霊を侮辱する連中の思い上がりに、今こそ大和魂の怒りの鉄槌を下そうではないか。
当日、キリスト教徒らは反天連など反日極左らを動員して靖國神社乱入を図るが「8・15極左制圧」の余勢でもって連中の反日を木っ端微塵にうち砕こう!
私の目には次の三つのものが主要なものに見える。
・「在特会(在日特権を許さない市民の会)」(会長:桜井誠)
・「主権回復を目指す会」(代表:西村修平)
・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』(執筆者:瀬戸弘幸)
そして、私の目にはこれらはほとんど 「一つ」 に見える。これらの会長、代表、執筆者の三氏が共に行動することが実に多いからだ。
また、今回の抗議運動には 「靖國会」 に属する人も参加するようだ。
このことを知って、正平協は次のような告知を出した。
速報
都合によりイグナチオ教会での第4分科会、及び靖国見学ツアーは中止いたします。
第4分科会参加者の皆さんには、大会事務局から追って連絡いたしますので、しばらくお待ちください。
しかし彼らは承知しない。
緊急阻止行動について
「正義と平和協議会」は嘘とでっち上げをその布教理念としてきている。
いわばシナ・朝鮮・反日極左と一体となって歴史捏造を煽ってきた確信犯である。わが国益を如何に害してきたか、その罪は計り知れない。
主権回復を目指す会はこの「中止声明」を問題としないで、当日は告知通りの抗議行動を実施する。
さらに、会場を彼らに提供した「聖イグナチオ教会」のドメニコ・ヴッタリ大司教の責任を追及する。
主権回復を目指す会事務局
(呼び方が 「日本カソリック教徒」 から 「正義と平和協議会」 に変わっている。おそらく事態を心配した一部のカトリック教徒達の必死の説明によるものだろう。それらのカトリック教徒達からすれば、私がこれから書こうとしていることは、大したものではないとしても、「せっかくの和平に水をさすもの」 とでも映るのかも知れない。けれど、私はカトリック教徒としてではなく人間として書くのだ。人間にとって最も "根っこ" の部分であるところのものを。)
というわけで、正平協は靖国神社行きはとりやめたわけだが、それでも、明日、聖イグナチオ教会は彼らの喧しい街宣抗議を受けることになる。
私も、正平協の聖職者達はカトリック司祭としてトンデモなく間違っている人達だとは思う。けれど、驚いたのは、カトリック信者の中に、「カトリックに自浄能力が欠如しているのであれば、主権回復を目指す会さんのような力をお借りするしかない」 という発言をする者が出てきたことだ。何よりも、人間を見る目がないと思う(それとも、まだよく知らないのか?)。彼らは善い人達ではない。
何故なら、第一に、リーダー達の "人間" が決定的に悪いからだ。
そして第二に、メンバー達がおそらくそれを黙認しているだろうからだ。
一番ひどいのは 「在特会」 会長の桜井誠(ペンネーム)氏である。
他者に対する基本的な敬意というものが見事に欠けている。こういうものを退けるのに理屈は要らない。
確かに桜井氏の言うように、相手の人が身障者の方であるかどうかは問題ではない。桜井氏の言動を点検するためには、ただ相手が 「人間」 でありさえすればそれで十分である。桜井氏は 「人間」 に、「他者」 に、「隣人」 に、次のような言葉を投げつけているのだ。
「車に飛び込め! ビルから飛び降りろ!」
「さっさと日本から出てけ、○○人!」
「ゴキブリは出てけ!」
「キチガイ、さっさと出てけ、オマエ!」
「朝鮮人は日本から出てけ!」
そして、怒って自分の杖を地面に叩き付けた相手の人に対して、これは桜井氏ではないが、何と・・・
「おじさん、暴力ふるったらダメだよ」
私は、呆れ果てる。この人達は 「言葉の暴力」 という言葉があることを知らないのか? 桜井氏がこの人に投げつけた言葉は 「暴力」 そのものではないか? 桜井氏は、ただ怒って自分の杖を地面に叩き付けただけの人に対して、「これは凶器だよ!」 的なことを言って激しく責めているが、自分の言葉が 「凶器」 そのものであることを知らないのか? 何と 「自分を省みる」 ということをしない人達! 何という厚顔!
タイム0:50頃から桜井氏が何と言っているか。
「ご覧下さい、あれが韓国人の姿です。
よ〜くご覧なさい。あれが韓国人の姿ですよ。
恐ろしい姿ですね。誰がどう見てもヤクザです。
ああいうのがマトモな朝鮮人ですか?
あれがマトモな朝鮮人ですか?
あれが在日韓国人の姿ですよ。
汚い汚い言葉を使いですね、人を罵り、脅迫し、
よくまあそんなんで日本におられるもんですね。」
もう一度言うが、「厚顔」 とはこの人のためにある言葉である。
また、タイム1:20頃から西村修平氏が中国人の女性に何を言っているか、どんな酷いことを言ってるか、耳をかっぽじってよく聞き、目をよく見開いて見て欲しい。気の毒な女性の反応も見逃さないで欲しい。
また、
「売国奴・福島瑞穂を抹殺するぞ!」 だ?
「我々はまた来るぞ〜! 何回でも来るぞ〜! 来るぞ〜! 来〜るぞ〜!」 だ?
「ヤクザ」 であるのはあなた方ではないか。「恫喝」 そのものではないか。
この人達は 「暴力ふるったらダメだ」 という "他者に言う言葉" を考えたその同じ頭で、自分達のことを省みることが少しもないのだろうか? 「暴力ふるったらダメだ」 と言ったその同じ口で、自分達のリーダーのこれほどまでの言葉の暴力に抗議することが少しもないのだろうか? もしそうなら、彼らは 「大義に生きる」 ことはできない(「侍」 でいることはできない、有門大輔氏よ!)。これほどまでに他者に対する基本的な敬意を欠いた自分達のリーダーに対して何も言うことがないなら、彼らに 「愛国」 だの 「憂国」 だのを語る資格はない。一切ない。どんなに偉そうに政治談義をぶっても駄目だ。人に対する基本的な敬意と愛のない者にはその資格がない。怠惰や無為より遥かに悪いことだ。
カトリックの気の弱い、「平和」 を好む、「良心的」 な人達は言うかも知れない、「それでも、彼らの内、過激で粗暴な人達は一部なのです。他の一般のメンバー達は真実憂いていたり傷ついていたりする人達で、基本的に善意の人達で、だから彼らには耳を傾けなければならないのです」 と。そうかも知れない。けれども、私達はそれと同時に醒めていよう。彼らはこれらのリーダー達の行動をおそらく変えようとしていないのであり、このような酷過ぎる行動を変えないままのリーダー達と共にあり続け、生き続け、付き従いさえしているのである。これは、もしそうなら、とんでもない間違いである。人として恐ろしく間違っている。私なら、こういうリーダーとは百年前に決裂している。
そして、組織というのはリーダーがほとんど 「全て」 だ。下部には 「盲目で善意」 の人々が在り得る。共産主義だってフリーメイソンだってそうだ。
あなたは今、私が 「青臭い」 ことを言っていると思っているだろう。しかし、この場合、青臭くあること以外の何ができるのか。人間にとって最も基本的なこと、いわば人間の 「基礎」 に関わることだ。
カトリック教徒は、このような者達と手を結ぼうというのか。カトリック自身の苦境のために、このような者達の力を借りようとするのか。馬鹿でないか。
(確かに、これが 「靖國会」 のことであれば、少し違うのかも知れないが。)
「在特会」 と 「主権回復を目指す会」 に属する若手のリーダー達、また女性達、また、「靖國会」 の人達、「日本女性の会 そよ風」 の女性達、あなた方はあなた方のリーダーであるか協働者であるかするこのような者らのこのような "有り様" についてどう思うのか。「小さなことだ」 と思うのか。「彼らの "大きな働き" の前では "小さな欠点" に過ぎない」 と? 「日本の変革を目指して進む大同団結のためにはそのようなことには目をつぶるのだ」 と? 桜井氏が車椅子の人に言ったことを見逃すことができるのか? 西村氏が中国人の女性に言ったことを見逃すことができるのか? 「大きな政治的な目的のためにはたった一人の人間の傷心など取るに足りない」 と? 西村氏はその女性のことで、「彼女も今は傷ついても、中国に帰れば、それが彼女自身にとっていいことになるなのだ。彼女にとってもそれが幸せだ。私はそれを考えているのだ」 とでも理屈をこねるかね。(屁理屈屋ども!)
間違っている。そのような小さなところにこそ、人の本質が出るのだ。
もう一度言う。これほどまでに他者に対する基本的な敬意と愛の欠いた者達が幾ら 「愛国」 だの何だのと唱えても、その仕事が実ることは決してあり得ない。
「愛」 は甘い言葉ではない。「敬意」 も単なる言葉ではない。愛や敬意に気を使うことで少しでも威力が失われてしまうような活動なら、最初からない方がよい。最初から存在価値はない。最初から歩み方が間違っている。基礎が間違っている。
そして、最後にやはり疑問が残る。(という 「書き方」 をしておく。)
彼らは自分達のこのような言動や行動が多くの人々から嫌忌を(私が上で見せたような嫌忌を)受けるだろうことを少しも予想しないでやっているのか?
人に 「車に飛び込め! ビルから飛び降りろ! さっさと日本から出てけ! ゴキブリは出てけ! キチガイ、さっさと出てけ! 朝鮮人は日本から出てけ!」 と言ったその同じ口で、今度は別の誰かを捉えて、「よ〜くご覧なさい。恐ろしい姿ですね。汚い汚い言葉を使いですね、人を罵り、脅迫し、よくまあそんなんで日本におられるもんですね」 などと宣うキチガイ沙汰。またそんなことをしていながらほとんど日常的に二言目には 「謝罪しろ!」 「土下座しろ!」 と高圧的に迫るやり方。全くどの種の茶番か知らないが、このようなことが多くの人々から嫌われるだろうことを彼らは少しも予想しないでやっているのか? まさか! もしそうなら、彼らは単なる途方もない馬鹿かキチガイであるわけだが、私は、彼らを誉めるわけではないが、彼らもそんなには馬鹿ではないと思うのである。人格的には馬鹿も馬鹿、大馬鹿者に違いないが、知能的には決して馬鹿ではない。分かっていながらわざとやっているとしか思えない。どんな目論見があるのか知らないが、彼らにとっては自分達の姿が人の目にどのように映っているかなどということは、おそらく 「知ったこっちゃない」 のだ。どこから生活費や活動資金を得ているのか知らないが、彼らは要するに面白おかしく 「遊んでいる」 のである。世の中をガタガタガタガタと騒乱させて喜んでいるのである。「不逞」 という語が冠されるべきは、全くもって、他でもない、彼ら自身の方である。
(それとも、ひょっとして・・・ただの馬鹿なのか???)
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