2009/10/23 10:52
冷戦最中の1980年、当時の大平正芳首相から核密約の存在の公表を打診されたことを明らかにした森田一元衆院議員。その場に同席していた加藤紘一衆院議員も事実であることを認め、日米安保と国民との間で揺れ続けた大平氏の苦悩を浮き彫りにした。今後の解明調査にも影響を与えそうな2人の証言は次の通り。(聞き手 東京支社編集部長・松浦由紀)
【→参照記事】
―大平元首相から核密約に関して初めて聞いたのは。
森田一氏 あるころから移動の車の中で、何か考えるように「持ち込み」を意味する「イントロダクション」という言葉を小声でつぶやくようになった。詳しい時期の記憶はないが、たぶん外相時代の1963年にライシャワー駐日大使と会った後からではなかったか。独り言のような感じだったが、それと察することはできた。
―直接その話題について話したことは。
森田氏 亡くなる2カ月前の80年4月、総理大臣執務室で一度だけある。その場にいたのは大平と私、伊東正義官房長官、加藤紘一官房副長官の4人。雑談中に大平が「ところであの問題について、騒ぎにならないように国民に真実を伝える方法はないか」というようなことを聞いてきた。私たち3人が「それは難しいでしょうね」「大騒ぎになります」などと異口同音に答えると、「難しいから君たちに聞いているんだ」と、それっきりその話題は打ち切って、亡くなるまで口にすることはなかった。
加藤紘一氏の証言 はっきりと記憶している。党内の反主流派との40日抗争も終わり、執務室にもひとときのなごみのような雰囲気が流れていた。そこへ大平さんが突然聞いてきた。森田さんは「きたな」と思ったそうだが、伊東さんと私は初めてで驚いた。最初に伊東さんが「総理、それは…」と下を向き、森田さんが「今はだめです」と強くいさめた。私も「今の情勢では無理だと思う」と答えた。
―なぜ今、公表しようと思ったのか。
森田氏 墓まで持って行こうとずっと思っていた。しかし今年の初め、民主党の岡田克也氏が、政権を取れば核密約について明らかにするという方針を表明したのを聞いて、そのつもりなら尋ねられたら正直に話そうと思い直した。生きていれば大平も今回が一番いい機会だと思っただろう。
―核密約についてどう考えるか。
森田氏 そもそも密約などというレベルの話ではない。言ってみれば行き違い。歴史学者たちの話によると、発端になったマッカーサー駐日大使と藤山愛一郎外相との日米安保改定に関する話し合いの中で、核搭載艦船の寄港に対する事前協議の話題は出なかった。それに気づいた当時の外務省が、後でその趣旨を記した手紙を米大使館に送ったということだが、大使まで届いたかどうか。「イントロダクション」のニュアンスをどう取るかという問題もあるだろうし、異議があれば言ってくるだろうぐらいに考えていたのでは。役人の責任回避のために手紙だけ送って、確認も取らずあやふやにすませていたところに問題の根がある。
―しかし歴代の首相は国会でうその答弁をしたことにはなる。
森田氏 きちんとした文書なら歴代総理に上がるだろうが、ライシャワーと大平の会談も2人だけの口頭での確認で、その場でメモは取られていないはず。冷戦真っただ中のあの時代、核搭載艦船は当然のように寄港しており、ライシャワーから解釈の確認を求められた時、大平も寄港は当たり前で、事前協議の対象とすること自体おかしいという認識だったと思う。しかし、真実を話すと国内は大騒ぎになる。難しい時代だった。
加藤氏の証言 1955年から92年までの日本の政治というのは、いわば反共政治。冷戦構造の中で、米ソが核バランスを取りながら激しく対峙[たいじ]し、アメリカにより日本は東の脅威から守られていた。国内ではソ連、中国に近いとされていた社会党と激しい闘いをやっていた。そんな状況で核密約について国民に率直に話せば、どうなるか。広島、長崎の核体験がある中で、寄港しているとはだれも言えなかった。隠して当然だった。
―自民党も核密約の存在を認めていない。
森田氏 核搭載艦船の寄港が半ば公然の秘密のようになる中で、国会質問も出なくなった。今の自民党は聞かれても「知らない」としか言えないし、少なくとも「報告がない」というのは事実だろう。今後調査が進めば自民党はいろいろ責められるだろうが、私が知っている限りの真実を話すことで、少しでも救われればと思っている。ただ、この問題について、国民に真実をどう伝えるか本当に悩んだ総理大臣は大平だけだったと確信しているが。
加藤氏の証言 1992年の社会主義の崩壊以降、いつか表に出して整理しなければならないと思っていた。(党にとって)いいきっかけとは言わないが、今回の民主党による調査は一つの機会。大平さんは誠実に対応しようと悩んで悩んで、そして命を落とした。自分もその後防衛庁長官などをして、同じ悩みを持った。同時に、軍艦に核が積んであるかどうか絶対に言わないというのが核戦略の大原則で、それが抑止力になるのだということも理解した。いずれにせよ、調査で求められれば、知っている事実と見解を伝えるつもりだ。
―新政権で日米安保のあり方も見直されそうだ。
森田氏 安保だけでなく日米関係は時期に応じて、その時代に最も適したものにしていかないといけない。民主政権はアジア重視を打ち出しているが、外交の基本は日米関係。このことに対する強い信念をもっていないと道を誤ることになる。