twitter+FriendFeedが熱い!~こんな事もできます。
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (32)
この問題を巡って
前原国交相へのエールと醒めた目(どうせ腰砕け…)が交錯し議論が賑わってます。
年末までには一定の評価に収斂していくのでしょうが、
3.3以降一貫して前原を攻撃し、菅への不信感を語り、代表選以降の岡田を批判してきたどなんとぅとしては
「旨く職務をこなせればそれで良し。行き詰まったら即入れ替え」と冷ややかに眺めていて良かったでしょうが…
別の視点がフット頭をよぎりました。
ヒントとしては大臣指名ということになっている副大臣人事。
ここに辻元清美、馬淵澄夫を持ってきたこと。
前原の"本気度"の現れと一応評価しました。
以下、どなんとぅの"転向"表明です。
「変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない。」
このせりふを覚えて居られる方も多いでしょう。
映画「山猫」における老貴族の言葉。
というより、民主党代表選に臨む小沢一郎の引用で知ったという方も多いでしょう。
この言葉によって「こわもて小沢」から「ソフト小沢」への変身を図った。
当時そういう受け止め方が大勢であり、どなんとぅ自身もそう考えていたのですが、
もっと深い意味を持たせたのかもしれないと思うようになってきました。
小沢嫌いの人が決まって引き合いに出す事例があります。
「側近といわれるものが次々と小沢の下を離れ、批判に転じる。
小沢が暴君である証拠」というものです。
もちろんこれが誤解あるいは意図的な印象操作であって、
実際には「うまい汁のみを求めて小沢に近づき、
果たせなくなって攻撃側に回る」
西松事件をめぐる高橋元秘書や二階を見ることで実態が明らかになったでしょう。
これまでの小沢は彼らのような"裏切り"に対してはあまりに無頓着で寛容でした。
兆候を察知し、事前に手を打つなり、
反旗を翻した連中を立ち上がれぬほどに叩きのめしたり、
やろうと思えば簡単にできたはずですが、
「やるべきことはいくらでもある。雑事にかまけている時間はない」と考えてかどうか、あまりに寛大でした。
「変わらなければならない」宣言は
実はこの件に関しての意味を含んでいたのではないか?
先のせりふを引用した後の演説は次のように続きます。
「よりよい明日のために、かけがえのない子供たちのために、私自身を、そして民主党を改革しなければならないのです。
まず、私自身が変わらなければなりません。そして、皆様に支えていただきながら、民主党を改革し、さらに日本を改革しようではありませんか。私はこの闘いに政治生活の全てを注ぎ込み、ひたすら目標に邁進し続けることをお約束いたします。」
単に自分のイメージチェンジを印象付けるためにしてはあまりに重たい宣言です。
鳩山組閣の直前、小鳩会談が行われたことが報じられていました。
大方の予想するとおり、
アンチ勢力とみなされる者たちの処遇について意見交換したと見るべきでしょうが、
ここで彼等の最大限活用を進言したのではないかと思われます。
「本気で働けるやりがいのある役割を提供する」
これに応えて目覚しい実績を上げるならば「鳩山内閣の得点」であると同時に
本人の大いなる経歴にもなるわけです。
もちろん組閣に当たって「小沢の真意」をそれぞれが伝えられたことでしょう。
今回の選挙結果を受けてなおアンチを貫き通すことは「意地」でしかないでしょうし、
そもそもが「政治家を志した原点」をくすぐるメッセージが届けられたはずですから、
本気にならなければうそです。
前原の副大臣選任は「本気度」を示すメッセージ、
期待以上にやって見せます、という意欲の表れと考えてあげたい。
「山猫」のせりふを引用することで小沢が示したのは、
政権を目指す"野党"の立場では困難をともに乗り切る覚悟が試される。
その覚悟のない人間はいずれ腐ってゆくだけの存在だから、どんどん新しい物を育てるほうが重要。
政権を射程距離に捕らえて「政権交代」即「民衆のための政治」を実現してゆくためには
新しい人材を不断に育成供給してゆくこととともに
既成の人材を最大限「使える」形に持って行き、活用することが必要。
これまでのように贅沢に切り捨ててゆく余裕はない。
今からは反対勢力でもどんどん働いてもらう
この切り替えを宣言したのではないかと思い至ったわけです。
この仮定を根拠に
どなんとぅは
前原、菅、岡田への厳し目の視点を取り下げ、
彼らが本気で所要の役割を果たし、
実績を積み重ねてゆくであろうことを応援する立場への転向を表明します。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (2)
初めに主権者の会BBSに投稿者・閲覧者として参加してこられた皆様に、
管理者としての対応を原因として混乱を招いてしまったこの間の経緯についてお詫び申し上げます。
と同時に"解散した"主権者の会メンバー皆様方のこれまでの営為、実績に対して、
同じメンバーの一人ではありますがあえて最大級の讃辞を捧げさせて頂きます。
6.4フォーラムと掲示板、
そして継続中ではありますが
「植草一秀氏への支援」に新たな息吹を吹き込んだこと、
時間の経過とともに評価が定まってくるモノと思います。
ご苦労様でした。
さて。
どなんとぅとしては「主権者の会」解散と捉えておりません。
これまでも組織とはいえない緩やかな連帯を形作っていたわけですがメンバーに関しては発足時の11名に固定され、
メンバーの異動に関しては実体としてかなり硬直したものとなっていました。
直前の「世川サイト」を巡る混乱が「解散」の引き金をひいたかのような印象が強いと思いますが、
政権発足を区切りとしての複数メンバーの脱退は既定の事でした。
本来はこの日までにメンバー間で十分な話し合いがなされ、活動の継続、引き継ぎ、変更などに関して合意形成されるべきであったのでしょうが、
即応すべき事態と会本来のあり方が絡み合い、
すっきりとした合意形成が困難な情勢にありました。
幸いメンバーの一人がBBS上で解散宣言を発し、同意するメンバー、沈黙のままのメンバーと分かれたものの、
あえて異を唱えるメンバーが存在しなかったことから、
自然と流れが固まりました。
あらためて宣言しますが
どなんとぅは今後とも継続して「主権者の会」メンバーとして実践行動を継続して参ります。
組織形態はこれまで以上に緩やかなものになると思います。
全国各地、「自らが主権者である」との意識の元に
「主権者たる権利」に基づいて活動を行おうとする方は
勝手にこの名称を名乗ることが可能です。
ただし、相互の連帯、また自らの活動に対するアシストを求めるための一定の意思表示を
任意に行うことができるようにと考えております。
一週間程度の猶予を頂き
ホームページを提供致します。
(それまでの間暫定的にどなんとぅ個人のホームページを利用させて頂きます。
これまで吾等が希求してきた「政権交代」は
8.30に現実のものとなることが確定し、
昨9.16いよいよ鳩山新政権が発足しました。
この日は祝賀ムード一色で構わなかったわけです。
そして開けた本日よりいよいよ
「民衆革命」「無血市民革命」と称された吾等の実践の結果が
現実に稼働し始めるわけです。
しかしながらこの2週間あまり
安心して勝利の余韻に浸り続けた人は如何ばかりだったでしょうか?
各掲示板やブログにおいてもたびたび懸念されてきた幾つかの事が現実に目の前に出現し始めています。
新政権に対してより一層支持を強め、反動化を押しとどめようとする者
新政権の交代を厳しく問いただし、あくまで軌道を民衆の指し示す方向に正してゆこうとする者、
その他各人各様の表現方法があると思いますが
見据える未来は互いにかなり重なってくると思います。
リスタートとなった主権者は私たちBBSの役割は今後より重要性を増してきます。
管理方針、運営方針についてはこれまで飽きるほどに繰り返し表明しておりますのであえて再言しません。
一つだけ強調させて頂きたいのは
「管理人は極力表に出ない」ということです。
裁き役が登場する必要などない、
互いに礼節を弁えた自由闊達な議論の展開
望むことはそれだけです。
さあ、夜明けです。
新政権の船出と時を同じくして
「主権者」たるわれらも大海に漕ぎ出そうではありませんか。
かりゆし、嘉利吉~
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)
与那国町長選に於いては熱い声援ありがとうございました。
現地にネットでの情況を逐一お伝えし
「孤立感を感じなかった。今後の闘いに力を頂いた」との感想を頂いております。
実はハンドルネームどなんとぅ=与那国人を名乗っておりますが、現住所は14年間石垣島で、その前の居住地&本籍地が与那国なのです。
我が石垣市の政治状況は、"革新""反戦平和"を標榜する大濱長照氏が4期15年余り市長の座にあり、
来年2月28日に予定される市長選に5選目の出馬を目指し、
現在その工作中です。
これに対してどなんとぅは彼の5選は絶対阻止ということで、
徒手空拳
ドンキホーテの闘いを挑んでおります。
週明けの議会一般質問で与党議員の質問に答える形で出馬表明がなされると観測されており、
実は6月議会で同じ動きがあったのを何とか封じ込めた再現を狙ったのですが、
今回は周到に準備されてしまいました。
6月議会直前に市長宛送った書簡、
今議会直前に送った書簡
さらに今回チョービン当選目指してともに尽力した与党議員諸氏に手渡し・送付したメッセージをそれぞれ(1)(2)(3)として公開します。
大浜 長照 様
謹啓
連日の八面六臂のご活躍、お疲れ様です。
去った米軍艦船強制入港事件の後、すぐにお手紙差し上げるべきでしたが、時機を逸してしまいました。
これ以上、お伝えすべきを怠ったままで取り返しの付かぬ後悔の念を抱くことになるよりはと、失礼を顧みずに筆を取らせて頂きます。
結論から申し上げます。
賢明なる長照市長のこと、私ごときが僭越な進言をするまでもなく、あるいは自ら出処進退のかくあれかしを弁えておいでかもしれませんので、屋上屋を重ねることになるかもしれません。
早急に五選不出馬~後継者選考の要請を決断し、公表なさって頂きたいと考えます。
唯一この選択こそが、
そして、後継市長を全力でサポートし、反戦平和の町・石垣市を全国に、全世界に強くアピールしてゆくことが自らの最も大きな使命である旨、宣言されることが、
すでに大いにその兆候があからさまとなっている「晩節を穢す」という汚名を打ち破り、
「市民のために平和を守りきった名市長」という評価を後世に残す、唯一の方策であると指摘させて頂きます。
時あたかも、
政令都市・千葉において31歳の気鋭の新市長が圧倒的な市民の支持を得て誕生しました。
遡ると、
さいたま市において六選をめざした現職市長があっさりと落選し、
さらに遡って、「国政とより生活に密着した地方政治は車の両輪」と訴えてやはり圧勝した河村たかし市長の誕生によって、
あきらかに主権者としての自覚を持った層が生まれ、拡大しつつあります。
かくいう私自身、
「河村圧勝こそが、新たな政治状況を創り出す」との信念に基づいて、
ネットを通して最大限の応援をさせて頂きました。
この流れはすでに止められない。
単純化して述べますと、
国政における「政権交代」を求める勢力に対して、
それを不都合と考える右から左までの勢力が、
見栄も取り繕いもなくあからさまに主権者たる民衆の意に反した行動を取り、
マスコミも総動員の上でしかしながら圧倒的な民衆の怒りの前に跳ね返され続けているのが現在までの状況なのです。
もっとあからさまに指摘しましょう。
「政権交代を不都合と考える勢力」とは、
現政権の座にあってでたらめの限りを尽している自公ばかりではありません。
「明確な敵と戦う姿勢」に依ってしか勢力拡大が果たせないと考える共産がそうであり、「政権交代」により既得権への切り込みがあることをおそれる自治労がそうなのです。
政令都市市長選のみならず、
千葉・秋田の知事選においてもその構図が顕著でした。
そして残念ながら両知事選においては、「裏切り」の効果は絶大でした。
もう一つ、特に留意しておきたいことがあります。
今後、総選挙の結果を受け、来年7月の参議院選までの間に
国政レベルでは規模の大小こそ様々に想定されますが、
政党の枠を超えた離合集散がさけられないだろうと言うことです。
ただしその中で唯一確実なことがあります。
それは「公明党」はいよいよ主役の座から降りざるを得ないということです。
あまりにも主権者たる民衆をないがしろにする行動を加速させてきました。
どういう政治状況になろうと、
この党と組んだ瞬間、ある宗教団体所属員以外の圧倒的多数の国民の支持を失う、
このことが共通認識になりつつあります。
翻ってわが石垣市の状況を考えてみましょう。
幸いにも、全国的に(やむを得ずとはいえ)裏切りの構図に嵌っている共産党及び自治労に関して、
例外的に健全な姿を保っております。
逆に、石垣スタンダードを改めて全国スタンダードのモデルとすることすら可能ではないかと思えます。
一方で公明党の存在です。
こちらもわが石垣市は特異な状況にあるように見えますが、
こちらの方はより本質的な問題~憲法に関わる問題をはらんでおり、
国政における行き詰まりはおそらく7月都議選、その後の総選挙を通じて、
じわじわとあるべき姿へと向かってゆくように思えます。
大浜市長の「功罪」の「功」の部分に関しては
望むだけ指摘してくれる方が幾らでもおいででしょう。
しかし、"身内"の側から「罪」の部分を指摘することはなかなか無いでしょうし、
「百の利を興すは一の害を除くに如かず」ということわざもあります。
直近の大浜市長の「罪」3つを指摘することでこの書簡を閉じたいと思います。
1)去った米軍艦船入港時の件です。
大浜市長の部下たる吉村港湾課長は、
上司たる市長の意に反して、独断で米側、政府側の意向に沿った対応を取ったのですか?
苦衷に満ちた吉村課長の表情が忘れられません。
市長の意に反して、市民の望まぬ行為を行ったのであれば当然に懲罰の対象であってしかるべきでしょうし、
もしそれが市長の指示に基づくものであったとしたら、
総括集会やその後の各種集会において異様と思えるほどの市長に対する賛美はいったい何だったのでしょうか?
いずれにしてもこの件はまだ決着が付いていません。
2)自公の総選挙・参議院選候補者をアピールするための集会に出席されたことが報じられておりました。
以前にも同じような行動を取って弁解に追われたことがあると記憶しております。
5選出馬を前提にしての自らの票固めのつもりだったのでしょうか?
だとすればとんでもない話ですね。
支持母体に対する裏切り、さらに先の分析で示した総選挙後の公明の地盤沈下(あるいは存在自体保てるかどうか)を考えると、とんちんかんな政治判断。いずれにしても弁解では済まない行為です。
3)支庁廃止問題に関する腰砕け。
今後スケジュールに乗っている「県立図書館廃止」「八重山病院独法化」さらにはいずれ浮上するであろう「自衛隊部隊配置」
どれ一つとっても生活に直結する重要問題に対処するに、
一度腰が引けてしまったリーダーをいただかねばならぬと言うのは不幸の極みです。
「負ける」事には勇気が必要です。
しかし、一回その壁を越えてしまったものにとって、2回目は勇気の問題は消滅し、
単純に損得の問題だけになります。
いわゆる「負け癖」のメカニズムです。
大浜長照様。
あなたが少しでも物事を客観視することのできる能力をお持ちなら、
今任期以降もこの職にとどまろうとすることが、
いかに心ある市民に対して過重な負担を押しつけることになるのか、よーくおわかりでしょう。
最初に記しましたように、
早急に「ポスト大浜」への音頭を取って頂けるのでしたら、
「名誉ある撤退」と捉え、
これまでの15年あまりの「功績」を拾い出して
「名市長」の称号をもって後世に紹介するに労を惜しみません。
さりながら、
万が一にも今時議会において五選出馬に含みを残すような態度に終始されるようでしたら、
遠慮無く功罪を(特にここに挙げたものをはるかに上回る「罪」の部分を)世に明らかにし、
徹底批判を繰り広げるつもりで居ります。
願わくば千葉における31歳の気鋭の市長誕生のひそみに倣い、
わが石垣市においても全国の範となるべき「政権交代」=「老若男女、政治家市民一体となった実績継承」を果たしてみたいものだと強く思っております。
ご賢察、期待しております。失礼の段は幾重にも伏してお詫び申し上げます。
謹言建白
(署名 省略)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
6月書簡に続いて先日送った書簡です。
大浜 長照 様
謹啓
いよいよ9月議会が始まりました。
ここまで引き延ばしてきた「退陣表明」をいよいよ拝聴できるかと期待しておりましたが
どうやら裏切られたようです。
退陣表明どころか、
今議会中の「5選出馬表明」を画策していらっしゃるようですね。
6月にお送りした書簡の意味を真面目に捉えて頂けなかったモノと思います。
結局あなたは「晩節を穢す」道を選ばれたということです。
あなた自身が晩節を穢そうと、不名誉の淵に沈まれようと、
自らの責任ですから勝手にどうぞとしかいいようがありませんが、
どうかそこに市民を巻き込むこと、
さらにせっかく精一杯の努力でチョービン当選を勝ち取って良い気運に乗りかかっている市議団を巻き込むことはおやめ下さい。
そもそもが早い段階で公明票ほしさか何か知らないが相手陣営にエールを贈りに行ったあなたに
チョービン当選を手柄顔で吹聴されたくはありません。
せっかくこれから大いに国政の場で力を発揮しようとされている方に
不吉な重荷を背負わせてしまうことになります。
4年前の白保応援に続く今回のニシメ応援。
単に陳謝では済みませんよ。
政治的に正当な行動であったことを、
あなたが支持を求める方々の前にきっちりと明らかにする必要があります。
またあくまであなたを旗印に掲げて今回の市長選に臨もうという方が居られたら、その方も同様に支持者の前であなたの行動について正当であると考える理由を説明する必要が生じます。
今回国政の場で起こった大きな政治変動の意味は
旧来の「ボスによる有権者のとりまとめ」が機能しなくなったという歴史的事実にあります。
主権者が自らの考えを持って行動し、
自らの持つ力を自覚した、ということなのです。
総選挙前に行われた数々の地方選挙での地殻変動、
これは単に自公が見放された、
民主党を先頭とした「政権交代」の風が巻き起こったという単純な話ではないのです。
旧来の「政治力学」だけで決定され、
消去法でしか選択の機会を与えられてこなかった主権者の怒りと自覚が、
経験や大組織の支持、中央とのつながりなど、
これまでそんな理由付けで納得させられてきた首長選出儀式を拒絶し、
選ばれる首長だけでなく選ぶ自らもその結果に責任を負うという固い決意の元で
次々と常識を覆す連鎖を生んでいったのです。
我が石垣市とて例外ではありません。
4年前とは明らかに時代が変わっているのです。
あなたが5選出馬を表明した時点で
「政権交代」の旗印は相手側が握ってしまうことになります。
相手側に気の利いた「軍師」が存在するならば
中央政界で実現した「政権交代」の波を
我が石垣で正当に受けとめる事ができるのは誰かを必ず仕掛けてくるでしょう。
そしてあなたの5選出馬を認めてしまうと
正当性がこちら側でなく向こうにあるのだということがはっきりしてしまいます。
あなたは自身の利害得失の駆け引きにはきわめて長けていらっしゃいますから、
もしかすると5選という野望もあっさりと実現してしまうかも知れません。
しかしその後には累々たるあなたの支援者の屍が築かれてしまうのです。
正当性なく戦ったものに前途はありません。
前回あなたの前に一敗地にまみれた友利氏の出馬が
今回のような状況の下であったなら結果はまったく異なっていたことでしょうし、
そもそもその後の議員選挙に於いてどちらの支持者がどういう戦い方となったか、結果が全てを物語っております。
あの時点ですら、だったわけです。
今回もし「大濱5選出馬」を市議団が認めてしまうとしたら、
よほど堅い固定票をお持ちでない限りは、相当の覚悟が必要になるだろうと申し上げておきます。
ここからはきわめて個人的な話になります。
私があなたを「政治家として認めることのできぬ人物」と見限った理由をおはなししましょう。
10年以上過去に遡ります。
ホテル日航から南に下る一方通行の道があります。
入り口付近で車を待っていたところ逆走してくる黒塗りの車がありました。
停車させ、注意を促そうとしたところ、
窓が開いて大濱市長が顔を出し、
「急いでいるから、急いでいるから」と手を振って走り去っていきました。
それと変わらぬ規範意識の人間だなぁと思わせる事件が最近もありました。
離島航路ターミナルが完成し、供用開始する前のことです。
あろう事か同窓生の会の何次会かで施設に入り込み、酒宴を行ったと報道されましたね。
首長、議員を含め公務員として能力や資質以上にまず求められるのは規範意識であり、それに欠けるあなたはその時点で市長たるに不適格であると自戒して頂きたい。
15年余にわたる大濱市政の功罪の徹底検証、
とりわけ罪の部分の市民意識との乖離について、
さらにこの間当然なすべき後継者づくりにまったく目を向けず、
逆に意のあるものを離反させ続けたことの総括
自らの選挙を有利に運ぶことが優先され、
革新陣営に対する裏切りを重ねてきた事への徹底した総括
上記2例に留まらず
幾例も報告される法規範意識欠如としか思われぬ行為に対する徹底的な総括
有権者市民に対する少なくとも上記の点に関しての納得いく説明がなされない限り、
幾ら政治的な画策で「市長候補」の座を手に入れようとも、
心ある市民の支持は決して得られないだろうし、
そんな状態で万が一推薦・支持表明し、その根拠を支持者に説明できない議員や団体があったならば
同様に支持を失う結果になるであろう事を警告しておきます。
「反戦平和」
「革新」の金看板を
その気構えも真摯な覚悟も持たぬものに名乗らせることは
全国各地でその困難な闘いに日夜努力を惜しまぬ同志達に申し訳が立たないし、
4月米艦船入港阻止、
8月初め自衛隊配備阻止を掲げた与那国町長選、
そして先に政権交代を成し遂げた、
北と南の完勝劇を我が地で演じた
実直な活動で初議席を勝ち取ったチョービン支持の輪
これらの諸活動を通じて大きく注目を集めている
我が石垣市にとって、
大濱5選出馬表明、それを許容する市議団の存在は
一気にこれまで積み上げてきた信頼を失わせ、
政治的後進地域のレッテルに甘んじざるを得ない
”恥”にまみれた存在として記憶されることを
よーく自覚して頂きたい。
これまでごく限られた相手にだけ八重山の政治情勢をレポートしてきて、
状況を把握する準備をお願いしてきたが
万が一議会なり記者会見なりの形で5選出場を明言なさったら
その瞬間
ネットから非難とあざけりの声が舞い込むことを覚悟して下さい。
願わくば全国に恥をさらし、汚辱にまみれて舞台を去るのではなく、
自ら潔く後進にあとを託し、舞台を去って頂きたい。
ご賢察期待します。
謹言建白
(署名省略)
※ 文中に登場させて頂いた
4年前の市長選に於いて、対抗馬として立ち上がった友利氏(友利一男氏)が、9月8日、永眠されました。
ご冥福を祈ります。
友利氏の葬儀を告知する同じ紙面で
大濱市長の同窓生の会が出馬を促す申し入れをしたと、
大きな写真入りで報じられておりました。
この同窓生の会こそが、
新築間もない「港湾ターミナル」において市長と酒宴を繰り広げ、
市民から猛反発を食らったあのグループなのです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
(1)(2)で掲げた2通の手紙をプリント・製本し、新にメッセージを加えて与党市議団各紙にお渡ししました。
同様のリーフレットをこれから、米軍艦船入港阻止~チョービン選挙にいたるたたかいをともに担ってきたみなさんにお渡ししていくことになります。
形の上では革新分裂
というよりも、支持者の一部が離反といった形で括られてしまうのでしょうが、
正直の所こんな小さな単位に於いて国政ならいざ知らず、
地方行政に保革の差異は余り無いのではないかという気がします。
市民意識から乖離した革新首長
文字通り市民党的立場に立ち、課題解決に共通の問題意識の元に取り組む保守首長
どちらを選ぶのか?という選択になる可能性が非常に高まっています。
もちろん理想的には
わがまま市長が欲を捨て、
市民目線の候補者が複数で、
政策のアイデアを競い合う形を作り出せるに超したことはありません。
市長選挙にあたって市議の皆様へのお願い
~不毛の選択を押しつけないで下さい
(署名 省略)
チョービン圧勝を勝ち取ったお疲れも癒やされぬうちに議会開会、誠にご苦労様です。
吾等市井の民に過ぎぬ一有権者にとっても、
久しぶりに味わった勝利の余韻に浸る間もない事態となりました。
市長選がいよいよ政治日程に上ってきたようです。
今回国政の大舞台に於いて、
主権者国民と選良たる議員政治家との関係に大きな質的変化がありました。
にもかかわらず、
風聞するところ我が石垣市に於いて旧態依然たる主権者市民不在のリーダー選びが行われようとしております。
最初にお願いしておきます。
過去2回繰り返されたような、
消去法でしか選択できぬような不毛な選挙を吾等に押しつけないで下さい。
3年前に初当選された方々には問題提起としてお付き合い願います。
それ以前から議員バッジを付けられている方々にお伺いします。
あなた方は心底この人物をその地位役割に相応しいものとして吾等の前に提示されたのですか?
そうであるならば失礼ながらみなさんの見識を疑わざるを得ません。
みなさん方とは比較にならぬほどわずかの情報しか手にできぬ私にも、
彼がリーダーたるに相応しくない根拠をいくつもあげることができます。
さりとて思想的な距離感をこえて自民党側が提示する候補者に乗ってしまうわけにもいかない。
全国まれに見る不幸な選択を、吾等石垣市民はこの8年間甘受させられてきました。
(実は私自身、4年前には苦渋の選択として人物比較の投票行動を取りました。
奇しくもこの時期に旅立たれてしまった友利一男氏のご冥福を心からお祈り申し上げます)
4年前、8年前、あなた方は本気でこの人物に市政の舵取りを任せるべきであると、吾等の前に提示されたのですか?
それとも「野党転落の恐怖」だけから、
巧妙なこの人物の仕掛けに乗って目をつぶってそんな提示を行ったのですか?
いずれにせよその責任はきわめて重かったと申し上げておきます。
さらにその判断の結果がそれぞれの直後の議員選に影響されているとはお考えになりませんか?
4年前からはさらに状況が変化しております。
組織も力もない一小市民であっても、
真摯に訴えを行えば多くの方が共有して下さいます。
市長宛に送らせて頂いた書簡を添付致します。
1通目は6月15日、当時の新聞観測記事で
「6月議会で5選出馬表明か?」と掲載されたことをうけて投函したものです。
そして2通目は9月9日に送ったものです。
つたない文章ではありますが、思うところはくみ取って頂けると存じます。
吾等にどんな提示をされるか注視させて頂きますが、
2通の市長宛書状に認めた
「大濱長照氏がリーダーとして不的確である事由」一つ一つにお答え頂く義務があると存じます。
この書状、市長本人やみなさん方とのやりとり(無回答という行動も含めて)全ては全国に発信させて頂きます。
日本中の衆人環視の中で
公明正大に「市民のための最良の選択肢の提示」を行って下さい。
大きな反響が帰ってくることは先の与那国町長選、
さらには今回総選挙における各地からのチョービン期待の声で実証済みです。
「主権者市民の声を反映できる選択肢を提供することが”政権交代”の意味である」という
錦の御旗を相手陣営に先取りされてしまわぬ事を願います。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
8年前のこの日
4年前のこの日
よもや忘れたという人はいないでしょう。
人類にとっての
そして日本という国に住む人間にとっての
<悪夢>
4年前の<悪夢>は
8月30日というやはり後世まで記憶されるであろうこの日の朝に始まり深夜にいたる
鳩山由紀夫という、一年前までは凡庸な政治家と思われた人物の
自信に満ちた表情に依ってある程度払拭された。
しかしまだまだその<悪夢>が
<悪夢>であったことを認識できたというだけのこと。
実際に打ち壊されたわれらが生活吾等が希望
そして吾等が拠り所としていたはずの他者とのつながりを取り戻す作業はこれから始まる。
さらに8年前の<悪夢>
こちらは未だ<悪夢>の正体さえつかめぬかに思える。
知ってしまうことが
あるいはより大きな絶望をもたらすのかも知れぬから。
9.11という日付に拘りました。
コンセプトはここで述べたとおり。
どなんとぅプロジェクトホームページ
『どなんとぅ ぬ みなが』 公開します。
いろいろ仕掛けを施しておりますので
気軽にお遊び下さいませ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
石垣島のフリーペーパー「ガラパ 8/28号」掲載記事です。
実はお詫びがあります。
第一回の記事「暦とムラのくらし」の中で、「豊年祭」に関する記事をアップすると予告しました。
ところが、地元紙の「八重山毎日新聞」において何と、見開き2面の特集を組んでしまったのです。
しかもその内容は、
どなんとぅが自分の見聞に裏付けの補足として使おうと思っていた文献のダイジェスト。あっさりとあきらめました。
来年のお楽しみにということでご容赦のことを。
ただ、
その特集記事の中で重大な記載ミスを発見。
近いうちにそれをネタに記事を作成しようと思ってます。
さて、今回の記事です。
大きな行事の重なる七月の話題です。
七夕と旧盆
旧暦七月です。
8月20日から始まりました。
七月の節たる立秋はすでに去り(8月7日)
中気たる処暑が23日でした。
この月にはおなじみの行事が2つあります。
七夕とお盆(旧盆)です。
七夕はとっくに終わったよ!という方。
目的の星達は御覧になれましたか?
これも本来旧暦で行われてこそ意味のある行事なのです。
尤も本来のその日もこの号がお手元に届く頃には終わっています。
26日がその日でした。
旧暦七日は上弦の月です。
十五日の満月のような強烈な自己主張もせず、
一日の新月のようにぼんやりと星達の輝きに紛れるでもなく。
また同じ半月でも
二十二日の下弦の月が真夜中から明け方まで東の空に登場するのに比べ、
日の沈むに従って天頂近くで輝きを増し始め、
星達の登場とともに静かに西に傾き、
主役の座を譲り渡してゆく。
見事な名脇役ぶりを発揮するのがこの上弦の月なのです。
来年は是非とも月と星が織りなす壮大なドラマをじっくりと味わって頂きたいと思います。
WEB版で、関連する星の話、
"たなばた"のいわれなどについてアップします。
さて、七月の行事といえば何といっても旧盆でしょう。
七月十三日のウンケー(迎え日)から
中の日(ナカヌヒー)をはさみ、
十五日のウークィ(送り日)までの3日間
(西表干立では十六日のソールツヅミまで4日間)
繰り広げられるシマ最大行事の一つです。
旧盆(ソール・スル)の大きな催しとして
大きくわけてエイサーとアンガマ(ソールアンガ)が行われます。
エイサーは沖縄本島の風習が伝わったもの、
アンガマは八重山独自のものです。
干立ではアンガマが行われます。
月明かりの元、
ジューテェ(地謡)サンピキ(三板、太鼓)を先頭に
アンガマと呼ばれる怪しい集団が街路を練り歩き
招待元の家を訪れます。
"怪しい集団"と表現しましたが、
実はアンガマというのは
このときに限ってこの世ともあの世ともつながっている存在。
もちろん扮しているのは生身の人間な訳で、
役目を終えてこの世だけの存在に返らねばならない。
同じように着物をつけ、
顔ばかりか髪型もわからぬようにし、
さらに性別や身体的特徴を隠すためにいろいろ工夫を凝らします。
何故かって?
あの世から期間限定で帰ってきてそれぞれの家でもてなしを受けている方々に、
「愛しい孫がいる。連れて帰ろうか?」
「かわいいこだ。毎日見ていたいから戻るのはよそう」
となったらどうしますか!
干立時代の想い出です。
アンガマは公民館を出発し公民館に帰ってきます。
ツヅミの日、
ムラの水源地の清掃、路に張り出した樹木の剪定など総出で作業し、
夜には手弁当で公民館の庭に老若男女が集まり、
「無蔵念仏節(ネンブチャー)」に合わせた盆踊りが行われます。
そのための舞台をあらかじめしつらえておくのですが、
入植三年目のある夜。
振舞酒に心地よく並んで寝転がっていたうちの一人が
「去年も満月だった…」とつぶやきました。
「そういえば一昨年も」
「いやいやその前の年も」
ちなみに沖縄以外のほとんどでは新暦の月遅れお盆を執り行っています。
毎年満月の月明かりの中を
あふれるほどの土産を抱えて戻ってゆく沖縄のご先祖様の、
何と恵まれていることか。
♪ウヤヌウグヌハ~フカキムヌ~
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (4)
最近のコメント