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テレビキャスター草分け田英夫氏死去

 特攻隊員として終戦を迎え、戦後はテレビキャスターの草分け、そして政界入りした田英夫(でん・ひでお)元社民党参院議員が13日に、東京都港区の病院で呼吸不全で死去していたことが17日、わかった。86歳だった。葬儀・告別式は17日に近親者のみで済ませた。共同通信社会部長、東京放送(TBS)を経て71年の参院選で初当選し、計6回当選した。近年は闘病生活を続け、07年に政界を引退していた。最後まで平和を訴え続け、政権交代を見届けて旅立った。

 田氏は13日午前8時58分、入院先の都内の病院で、呼吸不全のため死去した。親族によると、腎不全のために00年ごろから人工透析を受けてきたが、今月になって体力が落ちてきた。田氏が「病院の方がいいんじゃないか」と言い、4日から入院していたという。体力が弱っても「最後までかくしゃくとしていた」(親族)といい、最期は自分から目を閉じて、静かに眠るように逝った。

 田氏は1945年8月の終戦を、旧日本海軍の特攻艇「震洋」の搭乗員として迎えた。同年8月4日にボートの船首に爆薬も積み込み、「命令があればいつでも死ねる軍国少年だった」(田氏)という。自身を軍国少年にした戦前の報道が「ウソを書いていた」との思いから、「真実を報道するジャーナリズム」を目指して、47年に共同通信の記者となった。共同通信時代には政治部のほか、第1次南極観測隊報道担当隊員として南極も取材。社会部長も務めた。

 共同通信在籍中の62年に、テレビ報道キャスターの先駆けとなるTBSのキャスター第1号となった。64年に共同通信を退社し、TBSに入社。67年にはベトナム戦争中のハノイを取材し、ベトナムの現状を報じた。時の佐藤政権が対米配慮からTBSに圧力をかけたためキャスターを降板。70年に退社した。

 71年、「議員になりたくてなったんじゃないが、職を失っていたから、社会党に勧められて」(田氏)、参院選全国区に社会党(現社民党)から出馬。トップ当選した。議員になっても、「政治というウソばかりの世界に入っちゃったけど、僕はジャーナリストだからウソはつかない。生涯一記者だ」と独自路線を貫いた。戦争経験を持つ議員として常に平和、護憲を訴え、外交・防衛問題に取り組んだ。

 引退後も、最後まで「一記者」だった。ジャーナリスト仲間との懇談の様子をインターネットで発信する活動を続けていた。事務所関係者によると、政権交代について、田氏は「政治が変わる。いろいろなことが変わる時期だな…」と話していたという。

 [2009年11月18日9時30分 紙面から]


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