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ありがとう七恵さん |
☆★☆★2009年11月18日付 |
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六月に死去した昭和五十九年(一九八四)ロサンゼルス五輪女子マラソン代表で、大船渡市出身の永田(旧姓佐々木)七恵さん(享年五十三歳)を偲ぶ会が十四日夜、大船渡市内のホテルで開かれ、出席させていただいた。 七恵さんとは、同い年だが、残念ながら小、中、高校、大学いずれも学籍を同じくしたことはない。ポートサイド女子マラソンの取材などでお会いする機会も一度もなかったのは、今となっては悔やまれてならない。 偲ぶ会では、陸上関係者や同級生らが七恵さんの思い出を語っておられたが、その生きざま≠ヘ、当日、出席者に配られた追悼記念誌に紹介される数々のエピソードとともに深い感銘を受けた。 恩師としてスピーチに立たれた岩渕仁さんは、記憶に間違いなければ私が大船渡一中時代の同級生のお兄さんである。長距離選手として活躍し、ヱスビー食品陸上部のコーチや日立製作所陸上部の監督を務められた。 その中で、七恵さんを育てた名伯楽、ヱスビー陸上部の故・中村清監督が、七恵さんの素質を「泥をかぶったヒスイ」と言っていたという話が印象的だった。 中村監督は、聖書を使って走法を教えていたという。「速い者が、知識のある者が成功するとは限らない。最後は知恵のあるものが勝つ。自分が体験して失敗したことを糧にしろ、人の失敗を学べ、そして神の知識を取り入れろ」と。 競技者は「自制を働かせる」こと、マラソン選手にとって「欲に勝つ」ことがすべて。七恵さんの場合は食欲を自制し、そして人一倍の練習と努力を積み重ねることによって、あのスリムな身体をつくり上げた。 「七恵ちゃんは、すごい素質のある子だった。彼女の知恵から学ぶものがたくさんある。その知恵をわれわれは継承していかなければならない」。岩渕さんは笑顔の遺影にそう語りかけた。 現在、ヱスビー陸上部の中村孝生部長は、こう振り返った。 「七恵さんのように四十二`を短く感じる選手は、今は少ない。七恵さんは練習で、四十二`走ったあとさらに二十`を走り抜いた。どんな過酷なメニューでも中村先生の指示を黙々とこなす姿に、われわれ男子選手が勉強させられました」と。 追悼記念誌には、次のようなエピソードが紹介されている。 当時のヱスビー陸上部は、瀬古利彦選手を筆頭に、新宅、金井といったランナーが所属。日本実業団トップの座にあったが、その中に、女性一人が入った。 中村監督の言葉は厳しかった。遅咲きのランナーに向かって「ジョギングおばさん」、さらには「お前は牛だ」とまで言われた。一度火がつくと脇目も振らずに走り出すが、そうなるまでボーッとしている牛のようだと。 しかし、一方では「年式は古いがエンジンは立派」と評し、鍛え甲斐があると観察していた。そして、意外にも「マラソンは女子の方が向いている」と言って、親身に指導してくれた。「天才は有限、努力は無限」という中村監督の言葉をひたすら信じ、努力を惜しまなかった。 七恵さんは、生前、朝日新聞のインタビューに「中村先生との四年間は、それまでの二十数年より濃かった。今では夢のようですが、幸せでした」と答えている。オリンピックという大きな夢に向かって、青春時代を駆け抜けた、ヒスイの原石に磨きをかけていたころが、最も光り輝いていた時ではなかったか。 郷土が生んだ偉大なオリンピック選手として、また、日本女子マラソン界の礎を築いた先駆者として私たちの大きな誇りだった七恵さん。その人生は、多くの人たちに感動をもたらし、夢と希望を与えてくれた。 「マラソンはひたすらゴールを目指して走るしかないんです」。七恵さんはそう言って色紙に好んで『前進』の言葉を書いたという。 あまりにも速いゴールだったが、努力の天才、七恵さんの功績と、あなたの名を刻んだポートサイド女子マラソンの歴史は永遠に続く。ありがとう七恵さん、安らかにお眠りください。(孝) |
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車社会の常識が崩れていく |
☆★☆★2009年11月17日付 |
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トヨタのハイブリッド車(HV)「プリウス」の姿を街中でよく見かけるようになった。エコカー減税の恩恵もあるだろうが、ホンダのHV「インサイト」に対抗して三代目プリウスの価格を大幅に下げたのも奏功したようである。毎月の販売台数が首位を堅持しているその証拠がこの「氾濫」だろう。 ガソリン価格の不安定さと環境対策の両面から、一g当たり三十`を超える燃費が売り物のハイブリッド車に人気が集まり、先行のメーカー二社は新たに車種を増やした。ホンダはさらに来年二車種を追加、遅れをとった日産も初代を投入する予定である。 やはりエコカーとして注目を浴びている電気自動車(EV)は、三菱自と富士重の二社が発売したが、軽自動車の車体で価格が四百数十万円と割高なため普及はコスト削減いかんにかかっている。電気代はガソリンの七分の一と安くつくが、一回の充電で走れる距離は百六十`(三菱の場合)とまだ実用性に問題があり、家庭で深夜電力を使って充電する場合はさておき、遠乗りもできる安心感を保証するには、急速で充電できる設備がどのガソリンスタンドにも普及することが大前提となるだろう。 究極のエコカーといわれる燃料電池車(FCV)は、現在のところ水素自動車が代表だが、これは理想であっても価格と水素供給スタンドの確保という難題をクリアーするにはまだまだ時間がかかり、実用化ははるか先と見られる。究極とはいえ水素を作るにはそれなりのエネルギーが必要であり、とてもエコカーとは言えないという批判もある。 さて、次の本命は何かという疑問に最初の回答を与えるのがプラグイン・ハイブリッド車(PHV)だろう。これは家庭用電源からプラグで直接電力を供給して充電できるようにしたもので、HVがエンジン主、モーター副という構造なのに対し、モーターが主でエンジンは発電用の補助的なものとなる。 そのPHVの本邦第一号となるのがトヨタの「プリウスPHV」で、来月お目見えというのだからまたしてもトヨタの一番乗りだ。来年にはベンツやGMも参入する計画で、ガソリン一gあたり五十五`と、HVをはるかにしのぐ超低燃費であり、しかも電気がなくなれば発電用のエンジンを回して充電できるため安心度において電気自動車の比ではない。 このように「車は石油で走るもの」という概念がこれから大きく崩れようとしている。石油はいずれ有限の資源であること、産油国や投資家の思惑に左右されやすい商品であることが敬遠され、脱石油の工夫が、とりわけ自動車生産分野で加速されている。 専門家は、低炭素社会実現のためには直接二酸化炭素を排出しないEVが主力になる時代が到来するが、それまでのつなぎとしてHV、PHVの時代が当面続くと見ている。EVが本命となり得る技術革新がもたらされれば、元々部品点数のはるかに少ない車だけに、新たな自動車メーカー以外のメーカーが登場してくる可能性は大いにあり、この業界は新旧が入り乱れて「戦国時代」を迎えるのではなかろうか。その意味でもこれから命となる電池を制するものが新時代を制するものになると言えそうで、おそらくこれから従来考えも付かなかったような画期的電池が発明されそうな気がする。電池革命が世の中をまるっきり変えてしまうような時代がすぐそこまでやってきているのではないか。(英) |
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2009表す言葉は |
☆★☆★2009年11月15日付 |
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今年も残すところ一カ月あまり。朝晩の冷え込みが日ごと増す中、「現代用語の基礎知識」(自由国民社刊)が選ぶ「2009ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされた六十の言葉が、十二日に同社から発表された。 同大賞は、一年の間に発生したさまざまな「ことば」のなかで、軽妙に世相を衝いた表現とニュアンスをもって、広く大衆の目・口・耳をにぎわせた新語・流行語を選ぶとともに、その「ことば」に深くかかわった人物・団体を毎年顕彰するもの。 読者審査員のアンケートから、上位語がノミネート語として選出され、そこから審査委員会によってトップテン語、年間大賞語が選ばれるもので、その年ごとの世相を反映する恒例行事として定着しているといってもいい。 今年のノミネートの「候補語」を見るに、「政権交代」をはじめ「脱官僚」「事業仕分け」「小沢ガールズ」「故人献金」「宇宙人」「八ッ場ダム」など、民主党新政権関連のものが目立つ。 八月の第四十五回衆議院議員選挙では、政権交代を訴えた同党が単独過半数をはるかに上回る三百八議席を獲得。歴史的な大躍進を遂げ、野党第一党が選挙で政権を奪取した戦後初のケースとなった。その動静に対する国民の関心は、いまのところ非常に高いといえることが、ノミネート数の多さにも見られるのではなかろうか。 このほか政治経済を巡るものでは、「エコカー減税」「1000円高速」「定額給付金」「国営マンガ喫茶」「ばらまき」「派遣切り」「貧困」「チェンジ」といったものが並んでいる。 航空機などでの厳重な検疫がずいぶん前のことに感じられるが、「新型インフルエンザ」の「パンデミック」も今年。いま、気仙でも連日学校閉鎖などの報が入り、先日はわが家族も罹患(りかん)。マスクと消毒用アルコールを重宝することとなった。 「女子力」「婚活」と活発な女性を表すワードが流行したのに対し、男性に関するワードは「草食男子」とか「弁当男子」で、なよなよしたイメージのものばかり。らしさ≠ニは何かと言ったら考え過ぎか。 芸能面では、清純派≠フ代表格で歌手・女優の酒井法子が覚せい剤を「あぶり」で使用して逮捕された「のりピーショック」、六月に五十歳で亡くなったマイケル・ジャクソンの代名詞「キング・オブ・ポップ」など。 毎年、お笑い芸人によるギャグも盛り込まれており、今回は「トゥース」や「あると思います」がノミネートされている。スポーツでは躍進で東北を沸かせた楽天イーグルスの野村克也監督の「ぼやき」が記憶に新しい。 今年の候補語、ほとんど耳にしたことがあるものとなっているが、二つだけ分からないものがあった。それは「アシュラー」と「カツマー」。 おおむね、「アシュラー」は国宝・阿修羅像の中性的なたたずまいに魅せられた女性、「カツマー」は経済評論家で、著した啓発本がヒットする勝間和代さんにあこがれる人たちのこととか。世の中にはいろいろなブームがあるものだと知らされる。 十二月一日に大賞、トップテンが発表されるという。これとは別に、同十二日には㈶日本漢字能力検定協会が全国公募により世相を表す漢字一字を決定する「今年の漢字」発表も控えている。 現代用語の基礎知識巻末に毎号掲載される「創刊の言葉」の冒頭には、「その時の社会情勢は、その時の用語の中に集約される」とある。激動の二〇〇九年を表す言葉に何が選ばれるか、注目していたい。(弘) |
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「分からない」の共有 |
☆★☆★2009年11月14日付 |
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国道45号から、新大船渡魚市場の整備風景を見下ろすことができる。まだ地上に構造物は建てられていないが、市事業の中でも稀にみる難工事とされる。 その理由の一つに、地中内での作業がある。今年五月から工事が本格化し、これまで基礎部分や建物を支える杭約二百四十本を打ち込む作業が行われた。 このうち約四十本で、従来の設計から長さが変更になった。固い地盤にまで打たなければならず、より長い杭が必要なケースもあった。魚市場施設の足腰となる部分であり、歪みを防止する点からも妥協は許されなかった。 難しい作業は、さらに続く。土砂を掘り、高層施設が建設される部分などにコンクリートによる基礎が造られるが、海水流入を防ぎながら進められる。海面よりも低い高さで行われれば水分が入ることもあるといい、杭打設以上に慎重な作業が求められている。 難工事に挑む中、当初予定していた計画よりも工期に遅れが生じている。先月の時点で七十日程度といわれているが、市側はあくまでも工期は当初の予定通り、来年十月七日までとしている。 こうした内容は、建設現場や市役所で、市議会産業建設常任委員会に所属する市議らと一緒に市職員から説明を受けた。 「基礎工事に向け、海水が入らないような施工で進めている」 「工期の遅れを短縮できる可能性もあり、現時点では工期内の完成に向けて努力している」 市議から寄せられた質問に対する答えを、市側は一生懸命説明していた。それでも、その場に立ち会って感じたのは、市議側が抱いた事業に対する不信感だった。 市議が聞きたかった一つは、完成に向けた「見通し」だった。しかし、市側は完成に向けた「姿勢」ばかりを答えていた。 こういう言葉では、答えられなかっただろうか。 「海水が入らないよう施工を行っているが、完全に止められるかどうかは分からない部分がある」 「現時点では、工期に遅れが出ており、いつ完成するか分からない部分がある」 総事業費百億円を超える大規模な工事で、極めて専門的で高度な技術力が必要なことは、市民レベルであっても理解できる。埋め立て地という難しい条件の中で工法にも厳しさがあり、予定通りには進まない可能性も理解できる。 しかし、行政側は「分からない」という言葉を避けた。この言葉を使えば、いたずらに不安をあおる危険性があると思っている。果たして、そうなのだろうか。 「分からない」と答えても、遅れを穴埋めできて工期内に無事に完成されれば、それは喜ばしいことであり、施工業者の技術も高く評価される。逆に遅れたとしても、順調を装って突然明らかにされるよりも、現状を示しながら説明してもらう方が納得できる。 この言葉を避けることで、むしろ何かを隠そうとしているように も感じられる。市議が抱いた不信感とは、見通しが定まっていない部分をきちんと説明してもらえなかった点にあるのではないか。 人間関係を強固にするには、お互い分かり合えることが必要である。しかし、逆に分からないことを共有することで、信頼を強める契機にもできる。分からないことを解明し、解決するためにまとまることも考えられる。 新魚市場の建設自体には「必要だ」との認識で関係者が一致している。市にとって欠かせない施設であり、将来にわたって活用される高い品質を望んでいる。マイナスの情報があっても、この方向性がブレることはないはずである。 勇気がいる対応であることも分かる。しかし、心配を与えかねない情報を隠される時、気遣いと受け止める場合もあれば、信頼されていないと感じる場合もある。懸念事項を示すことも、立派な説明責任の一つである。(壮) |
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「きらめき検定試験」 |
☆★☆★2009年11月13日付 |
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気仙のまちおこし団体として、昨年一月に発足したケセンきらめき大学(田村満学長)。官民を問わない三市町有志による集まりで、これまで内外有識者やその道の第一人者らを招いての講演や地元資源発掘などと取り組んできた。 個別の活動は各学部に分かれて実施。観光学部、食文化学部、資源活用学部、地元学部、マーケティング学部のそれぞれが、自主的な取り組みを続けている。このうち、筆者の所属する地元学部では今年度、「気仙まるごとものしり検定」と『ケセンの苗字』出版を行うこととした。 苗字の本については、来週末にも紙上発表できそうなので後に回すとして、今回は十五日に行われるものしり検定を取り上げたい。すでに全国各地で実施されているご当地検定≠セが、やはり何をするにも足元の素材を見直すことには大きな意義があると思う。 時の流れや地方の置かれた状況を考える時、もう親方日の丸≠フ考えが通じないことは誰でも知っている。地方本来の輝きを維持するには自助努力が何より大切。 地域活性化の手法はさまざまあるが、基本は自分の住む市や町にどんな素材があるのか、再確認することから始まると思う。そのキッカケづくりの願いを込めたのがものしり検定で、そこには個人的楽しみもあっていいと思う。 受検しようと思う人は、気仙三市町の文化や歴史を調べたり、有名観光地だけでなく先人の足跡を辿ったりする中で、地域の魅力や素材、そして個性をも再発見することになると思う。 特産品の分野では、よく「地産地消」という言葉が使われる。検定を目指す人の中には、自分の住んでいる市町以外に足を運んで名所・旧跡を訪ねたり、パンフレットを求めたりしているという。こうした人が増えてくれれば、検定は「観光分野の地産地消」の意味を持つことになる。 家庭の中でも、想定問題を出し合いながら会話が弾む姿が想像され、家族団らんにつながればこれ以上の喜びはない。見事合格証を手に入れた場合は、茶の間にでも飾ってほしい。盆、正月に帰省する家族からも「あの賞状なあに」と声をかけられ、気仙がまるごと話題になることは間違いない。 受検者の中にはまた、事前開催した講習を受けず、検定用参考書として販売のテキストも手にせず、あえて「現在の実力で勝負する」という人もいる。検定に合格するとかしないとかでなく、自分がどの程度気仙について知っているか試したい―というもので、こういう人ももっともっと増えてほしい。 事前講習では、陸前高田市の細谷英男氏、住田町の高木辰夫氏、大船渡市の山田原三氏、平山憲治氏の四人から、それぞれが研究してきた分野のお話を拝聴したが、今年の検定はあくまで初級に当たる3級。 講話の中で平山氏が「私の話は3級でなく1級レベル」と話していた通り、専門分野が凝縮された問題は、来年や再来年のお楽しみ。今年は気仙に関する広範な雑学問題ですので、自信を持って受検していただければと思います。 検定試験は十五日午前十時から、大船渡市盛町のリアスホール(マルチスペース)で行われます。まだ定員に余裕があり、検定当日まで受け付けますので、ご希望の方はどしどしチャレンジしてください。 テキストは気仙両市内の書店で販売中。残り部数も限られてきましたが、気仙の民話や歴史読み物を眺める感覚で楽しむこともできます。また、検定についてネット上では地元学部の女子部≠ェブログ開設しています。「かまもち、ケセンきらめき」で検索してみてください。なお、検定に関する問い合わせは検定係(東海新報社内、27・1000)までお願いします。(谷) |
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消費者に選択権を |
☆★☆★2009年11月12日付 |
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あるテレビニュースで、アルコール類や清涼飲料などを製造販売しているサントリー(大阪市)が、何と「青いバラ」の栽培に成功し、植物園で初公開している様子を紹介していた。青いバラの栽培と言えば、英語で「不可能」の代名詞とされていたほどの偉業らしく、テレビを通じて「最先端のバイオテクノロジーによる遺伝子組み換え技術の成果」にしばし見入った。 しかし、食品に限って言えば、「遺伝子組み換え」と聞くといまだにほとんどの人が好印象を持っていないのではないだろうか。 そのような中、清涼飲料の国内大手メーカーの多くが、飲料商品に遺伝子組み換えしたものを混ぜたトウモロコシを使用しているというから驚きだ。その内容を毎日新聞が報じた。 具体的には、清涼飲料の甘味料に組み換えトウモロコシを原料にした「異性化糖」を使っていたというもので、同紙はメーカー八社に遺伝子組み換え作物使用の有無についてアンケートした。 その結果、「一部使用」も含め、五社が異性化糖に同様のトウモロコシを「使っている」と回答。その中のある一社は「ほとんどの異性化糖メーカーが原料を遺伝子組み換えに切り替え始めている。組み換えでない原料の異性化糖は、必要量の安定確保が不可能になった」と説明。 さらに、その他の一社は「使用の可能性がある」と答え、「使っていない」と答えたのはわずかに一社。「情報公開を義務づけられた内容以上の質問には答えられない」としたメーカーもあったという。 遺伝子組み換えトウモロコシは、厚生労働省によって安全性が確認され、輸入が許可されている。一方、異性化糖は遺伝子組み換えの表示義務がないらしいが、このアンケートの回答から、メーカー側は積極的に公表したくない態度が見て取れるだけに、何か釈然としない。 この世に生を受けたものは、それぞれ異なった遺伝子を持っている。どのような遺伝子を持っているかによって、その生き物の性質や形などが決まってくる。遺伝子は「生命の設計図」とも呼ばれている。 遺伝子組み換え農作物とは、人が栽培するのに都合良くした新しい農作物。例えば、ある作物へ害虫に強い抵抗力を持つ遺伝子を組み込むことにより、害虫の害を受けない作物を作ることができる。 この技術が注目されるようになったのは、「農作物を効率よく生産することができる技術」として期待されるようになったことによるものだが、消費者の一人として、どうしても不安がある。 というのも、遺伝子組み換え作物は人間が作り出したものであり、技術はいまだに進歩し続けている発展途上≠フ段階なだけに、人体や生態系への影響が最も懸念される。技術がすべて確立しない段階では、不安を抱くのが消費者心理だろう。 もちろん、遺伝子組み換え作物であっても「科学的にみれば通常の品種改良と同じ」との意見もあり、「自然の摂理に反していない」と考える人も少なくない。 組み換え作物は、見た目は普通の作物と変わらない。それだけに、各種食品メーカーには、例え微量であっても原料に組み換え作物を使用しているのかどうか、ぜひ商品に表示してもらいたい。その上で、何を選ぶのかは消費者にゆだねてほしいものである。(鵜) |
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魂を揺さぶる波動 |
☆★☆★2009年11月11日付 |
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三つの若い才能が、眩いほどの煌めきを放っていた。津軽三味線の新世代実力派ユニットとして注目を集める柴田三兄妹。先日、そのコンサートを取材し、強い衝撃を受けた。 柴田三兄妹は宮城県利府町在住。兄・雅人さん(23)は十五歳から津軽三味線を始め、わずか二年で全国大会優勝。二十一歳までに津軽三味線五大大会の最高位をすべて獲得し、事実上の津軽三味線日本一となった。 その兄に続き、それぞれ十四歳、十歳で三味線を手にした長女・佑梨さん(22)、二女・愛さん(17)も次々と才能を開花させた。三兄妹で出場した津軽三味線全日本金木大会では、団体一般の部で史上初となる五連覇を達成。全国大会優勝は三兄妹合わせて通算二十八回を数える。 三兄妹は、津軽三味線の兄弟奏者として知られる吉田兄弟の弟・健一氏がプロデュースする津軽三味線ユニット「疾風(はやて)」のメンバーとして活動する一方、今年一月、初の単独コンサートを開催し、ファーストアルバムもリリース。現在、全国各地で公演活動を展開するなど活躍の場を広げている。 今回のコンサートでは、オリジナル曲を中心に九曲を合奏。若さ溢れるパフォーマンスで迫力あるステージを繰り広げ、強烈な存在感を放った。 圧巻だったのは津軽三味線の代表的な古典楽曲『津軽じょんから節』。激しいリズムとノスタルジックで悲しげな旋律を「叩き」の奏法と超絶的なテクニックでホールいっぱいに響かせ、聴衆を圧倒した。一糸乱れぬ三人の撥(バチ)さばきとソロパートでの渾身の演奏に、会場からは「ウォー」という感嘆の声がわき上がり、嵐のような拍手が自然発生した。 アイザック・アルベニス作曲『スペイン組曲』の楽曲の一つで、クラシックギターの名曲として知られる『アストゥリアス』の演奏では、津軽三味線の新たな可能性に挑戦。世界中のギターの名手が録音を残している名曲をカバーした三人は、ギターより少ない三本の絃でスペイン情緒溢れる豊かな音色を奏で、最初から三味線のために作られたかのような素晴らしいアンサンブルを聞かせてくれた。 アンコールを含め七曲が披露されたオリジナル曲は、瑞々しい感性に彩られ、心耳に直接響く千変万化の音色と風を切るような疾走感が心地良かった。いずれの作品もクオリティーが高く、三棹での縦横無尽な演奏に引き込まれた。 三人の個性がぶつかり、弾け、調和して最高潮に達した約二時間のコンサートは、聴衆との一体感を残して幕を下ろした。この日、三兄妹が三本の絃で紡ぎ出した音楽は、弦楽器の繊細さと打楽器の力強さを併せ持つ津軽三味線の魅力を余すところなく表現し、深く深く心に染み入った。 今回の津軽三味線ライブで得た感動は、一九九四年に発表された珠玉の舞台作品『リバーダンス』をビデオで見た時のものと似ていた。全世界で千八百万人以上を驚嘆させたというリバーダンスはアイリッシュタップダンスとケルト音楽が融合した壮大なエンターテインメント。日本では、一九九九年に初公演が行われ、大旋風を巻き起こした。 哀愁と情熱を帯びたケルト音楽と、それに合わせて展開される打撃系タップダンスの凄まじい躍動感。柴田三兄妹の津軽三味線プレーは静と動、優しさと激しさ、繊細さと大胆さが共存したリバーダンスのパフォーマンスとどこかで重なり合う。 この二つの異なる表現形態に秘められた、感動の源泉となる同質のものは何なのか──。それは、魂を揺さぶる高次な波動ではないか、と感じている。 三兄妹のライブから一週間余。波動の余韻は静かな高揚感を伴って今も続いている。(一) |
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幼児に追い抜かれる? |
☆★☆★2009年11月10日付 |
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幼児期から漢字に親しませる試みを昨日のテレビで紹介していた。漢字交じりの絵本を幼稚園児がすらすらと読んでいる光景はほほえましいもので、幼児にとって漢字とはむずかしいものと大人が勝手に決め付けていたきらいが多分にあったのではなかろうかと考えさせられた。 こんな大胆な試みと取り組んでいるこの幼稚園では、小学校高学年でももしやといった難しい漢字を先生が板書し、それを園児たちが競って読んでいた。読むという行為は画数に関係がない。だから書けはしなくとも読みはできる―と名誉園長が語っていたが、こうして小さいときから親しんでいれば漢字に対する抵抗がなくなり、どんどん吸収していけるだろう。賛否両論はあるだろうが、子どもたちが素直に、しかも楽しそうに読んでいる光景は否定的見解を隅へ追いやることだろう。 もともと外来の文字である漢字を借用して表現、記録のよすがとした日本文化は、やがて片仮名、平仮名を発明し独特の文字文化を構築した。これはまことに便利だが、その便利さに慣れると漢字がうっとうしくなる。その通り、漢籍の素読を教養学習の大きな柱とした伝統は明治、大正と時代が移るにつれて次第に薄らぎ、昭和に入ってからはほとんど顧みられなくなった。 教育上という「配慮」によって漢字の使用に制限が加えられ、一部の世界では使いたくても使えないという妙な決まりが出来上がった。確かに無制限な使用は問題があるとしても、知識としての語彙を増やすには何の遠慮も要らないはずであり、この文字文化を将来ともに継承していく上で漢字の素養を深める教育はきわめて重要であろう。 ベストセラー「国家の品格」を書いた藤原正彦氏は「世の一部は英語をぺらぺら話すことが国際化と勘違いしている。日本語をまともに読み書きもできないで何が国際人か」と喝破しているが、英語はおろか日本語も怪しい一人としては快哉を叫ぶだけではあっても見事な指摘だと思う。先に小社主催の気仙応援団フォーラムでパネリストを務めた梅内拓生元東大教授は、国際機関での体験談として「外国人から芭蕉と蕪村はどう違うのか」と尋ねられた例を引き合いに出して日本人が日本のことを説明できないようではバカにされるだけだと話していたことと相通ずるものがある。 漢字を考え出した中国ですらその字数の多さに辟易して簡体字というものをつくり出したが、確かに教育を普遍化するにはやむを得ない措置とは思えても果たして正解であったかどうかは疑問に思える。現地で発行されている書道の手本も簡体字で書かれていたりすると、漢字発祥の地で正統が崩れていいものかと考えられてならないのである。台湾や香港では省略しない文字、いわゆる繁体字がいまなお守られているが、伝統文化というのは不便でも頑固であった方がいいのではないかと文字通り「墨守」の姿勢に共感する。 やはり中国から漢字を輸入した韓国ではいまやハングルが全盛で、漢字離れが急速に進んでいる。従って遺産としての古典研究には今後苦労することになるのは明らかで、漢字との併用を重んずるべきではと思うがこれは内政干渉というものだろうか。 わが国の教育方針が今後どのように変わっていくのか、とりわけ国語としての日本語教育がもっと重視されるのか、それとも比重を薄められるのか―それはまさに国際化との兼ね合いの中で定まっていくのだろうが、幼稚園での漢字教育という新しい試行を見ると、日本人はやはり漢字を大事にし続けるのではなかろうかと思われてくるのである。(英) |
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日本の野球は世界一 |
☆★☆★2009年11月08日付 |
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「こんにちは。ここ二十日ばかり球界の話題が盛りだくさんなので、あっしのほうから野球談義をと思って出向いて来やした。ひとつ、ご隠居さんの蘊蓄に耳を傾けようかと思いましてね」 「ほう、きょうは珍しく謙虚だね。蘊蓄といったって、いたずらに歳を重ねてきた素人評論家の世迷い言。お前さんよりちょっとばかり長生きしているってとこだがね。何といっても一番は米大リーグ(MLB)のワールドシリーズ(WS)を制覇したヤンキース・松井の最優秀選手(MVP)。各メディアで活躍ぶりが詳細に報じられているので、いちいち言うことはないじゃろ」 「異議なし!第二戦の決勝、第三戦のダメ押し、第六戦の先制という三本のホームランと一試合6打点のWS記録タイ、さらに6割を超す打率など、文句なしの選出。テレビ中継を見ておりましたが、観客席からMVP、MVPの連呼が起こりましたぜ。今春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝・韓国戦で、イチローが決勝打を放った時と同じくらい興奮しましたよ」 「そうそう、そういうこともあった。よく考えてみると春先のWBCで日本が二連覇、秋は松井がMVP、シーズンを通してはイチローのMLB新記録となる九年連続200安打以上…。要するに日本の野球は世界一ということじゃ。過去にこれほど気持ちのいい年はなかったなぁ」 「ところが、その松井は今年が契約の最終年。ゼネラルマネージャーは再契約するかどうか明言を避けたとか。こんなに大活躍しても来年以降の保証はないということでしょう。日本じゃ考えられませんが、仮にトレードでもしたらニューヨークでは暴動が起きるかもしれませんぜ」 「とは言っても、向こうは契約社会だからなぁ。それにチーム事情も絡む。ヤンキースは生え抜きの捕手・ポサダや外野手・デーモンら好打者が揃って高齢化≠オ、来季は指名打者の話もあるとか。そこで、膝に古傷を抱え守りが不安な松井を出そうという算段なのじゃろ。年俸十三億円と高額なのも影響なしとは言えん。日本だって万年Bクラスの楽天を二位まで引き上げた野村監督が辞めた。世間ではクビにしたとの声があるけど、実際は契約満了なんじゃ」 「そういうもんですかねぇ。国内といえば巨人と日ハムによる日本シリーズの真っ最中。戦前の予想通り、勝ったり負けたりという好試合の連続。七日で決着するかどうか、この談義をしている時分では分かりませんけど、日ハムのしぶとさ、つなぐ野球が印象に残りますねぇ」 「パ・リーグの試合はあまりテレビ中継がないから目立たないけど、MLB監督に転出したヒルマン元監督の札幌ドームにマッチしたチームづくりが根を下ろし、後任の梨田監督がしっかり受け継いだ。選手もそれを自覚し、与えられた役割をこなしている。投攻守走どれをとっても、さすがパ・リーグのチャンピオンじゃ」 「もうひとつの大きな話題が花巻東高・菊池雄星投手の争奪戦=B先月のドラフトで、六チームから一位指名を受けた末、西武が交渉権を獲得しましたね。事前にどこに指名されてもOKというコメントを聞いたけど、菊池くんの爽やかな表情がよかった。スポーツ紙は連日トップ記事で、岩手、花巻の知名度が飛躍的にアップしたようですぜ」 「そういう功績もあるなぁ。とにかく、アマチュア選手の扱いとしては極めて異例。それだけ近年まれに見る逸材ということじゃ。MLBレッドソックスに行った松坂のように、日本でさらに成長し世界に飛躍する日も遠くないじゃろ。そういえば、今季の中学生Kボールは気仙のチームが強いと聞く。高校に進んでも順調に素質を伸ばし、甲子園出場を果たしてほしいよ」(野) |
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地方の生き残り戦略 |
☆★☆★2009年11月07日付 |
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これからの三十年で、地方都市の多くは人口が30〜40%も減少する。地方の生き残り戦略を構築するには、まずこの危機感の共有から始まる。危機感がなければ、何の策を講じようともしない事なかれ主義に流れてしまいかねない。 人口が減ることは、悪いことばかりではない。むしろ通勤地獄も騒音もなく、生態系への影響も少なくなる良さがある。ただ問題は、残った人たちが青息吐息の生活を強いられるようであってはならないと思う。 今は急速な人口減社会を前提とするべきであり、限られた人口の中で生活を維持できるのであれば、公害や渋滞、犯罪多発などに悩まされる過密都市よりは、はるかに住み良い地域になる。 しかし、自然環境には恵まれても、顧客が減る一方で売り上げも右肩下がり。若者の就職先もなく、地域の消防団員や郷土芸能の後継者も心配するようでは「国破れて山河あり」となる。そうなる前に、手を打たなければならない。 何もしなければ、何も変わらない。いや、じり貧の道を辿るだけだ。片方では足元の歴史・文化を見つめなおしてオンリーワンの素材を発掘。もう片方では、最先端の情報を収集する。できるなら、この歴史発掘と最先端が同じ組織の下で融合し、新たな施策が打ち出されるのが理想だ。 各市町村ごと事情は異なるものの、それにはまず自分の住む自治体が何を屋台骨として成り立っているかの認識が大切だと思う。産業の柱を確認した上で、住民生活に大きな変化がないかどうか。変化があったとしても想定内かどうかを、何かの項目で意識的に定点観測する必要がある。 江戸時代の話になるが、宝永二年(一七○五)の人口調査では、世田米村が総人数二千六百三十六人で気仙各村のトップ。次いで、上有住村が千八百六十六人で第二位の人口規模を占めていた。にぎわいの理由は、両村が宿場町や定期市の機能を持っていたからだ。 気仙に水田地帯は少ないだけに、内陸部からは米を中心とした農産物が運び込まれ、沿岸部からは海産物や塩などが交易の商材となった。 交通機関が発達する明治以降、次第に宿駅機能が薄れていったが、こうした経緯を見るとき、世田米や上有住が従前の活気を維持できているかどうかを、毎年何かの項目で観察するとすれば何が挙げられるだろう。 宿駅ならば「宿泊客数」、定期市ならば「市日の人出」などを定点観測すれば、いち早く時代変化を読み取ることができたのではなかろうか。車社会の今日、世田米や上有住を「宿所」と位置づけるのは難しいかもしれない。しかし、種山や赤羽根峠越えをノンストップで通過させるのでなく、休憩地点として利用してもらう役割は今でも継承されている。 現代の気仙三市町が変わりなく推移しているかどうか考えた場合、やはり何かの指標で定点観測し、時代変化を数値で把握することがこれまで以上に必要となっている。 全国の例では、北海道の留萌市は数の子出荷量、宮城県白石市は観光施設の入館状況、埼玉県ふじみの市は駅周辺商店の繁栄状況、神奈川県足柄氏は富士フィルムの決算状況、静岡県菊川市は茶業の動向、鳥取県米子市は業者の生の声、佐賀県多久(たく)市は住民の声、沖縄県沖縄市では空き店舗率――などがある。 お国柄≠ナ独自の景気指標に着目しているが、必ずしも一項目にこだわる必要はないと思う。気仙三市町も、それぞれの特色を反映した項目を設定。それを行政や主要団体との協議だけでなく、住民にも広く公開する形で地域経済の柱がグラついていないかどうかを確認し合いたい。 個人的には、その項目に人口動態も加えたい。五年に一度、十月一日現在で国勢調査が行われるだけに、毎年その日の速報人口を注目。三十年先まで出されている減少予想≠ニ比べながら、発展計画が真に功を奏しているかどうか。政策立案を見直すきっかけとしたい。(谷) |
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