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世迷言

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☆★☆★2009年11月18日付

 官僚支配からの脱却を目指す鳩山政権だが、自民党の長期政権時代ですら思うに任せなかったこの支配構造は同政権にとっても「アンタッチャブル(不可触)」の存在だった?▼自民党はほとんど官僚任せだったから政党政治が形骸化してしまったのだ、という反省に立って同政権は成立当初から党主導の基本理念を掲げ、官僚の手助けを極力借りない虎の巻を色々と用意した。閣僚は発表原稿を自分で書く、答弁も自分でする―などなど微に入り細にわたってその意気込みはまことに壮なるものがあった▼だが、相手は永年の与党政権を裏から支えてきたプロ集団。そうやすやすと牙城を明け渡すはずがない。面従腹背しながら守るべきところはちゃんと守り、我はきちんと通していく。なにしろ政権が進める構造改革の要所要所には、裏方として官僚が座っている。首根っこを押さえられているに等しい▼新年度予算の概算要求一つとっても、閣僚が担当省庁の意向を抑えてリーダーシップを発揮したとは思われない場面が続出した。雑誌「プレジデント」は、官僚機構へ切り込む構えがあるのは、長妻厚労、前原国交、仙石行政刷新、岡田外務の各相ぐらい。あとは?と疑問符を呈している▼強硬だったその長妻氏すら「官僚に任せられるものは任せる」「(官僚は)同じ船に乗った運命共同体だ」と発言するようになった。正面一点突破しようとしたら後から誰もついて来なかった。とならねばいいがね鳩山さん。

☆★☆★2009年11月17日付

 睡眠時間には個人差がかなりあるようで、なぜそんなに差があるのかこれは貴重な研究対象となるだろう。多分熟睡度と関係があるのではなかろうかと思うのだが▼同級生との話となると「歳だなぁ。朝早く目が覚めてしまう」という声が多い。それは夜早く寝るからに違いない。つまり睡眠時間というのは年齢に関係なく一定しているので、歳と共に夜更かしができなくなってくると当然就寝が早まり、その分早く目が覚めるということではないのだろうか。これは「睡眠時間一定説」の論拠となろう▼だが、そうとばかり言いきれないのではないかというのが当方の場合である。早く寝ようが遅く寝ようが、とにかく眠いのである。まずは八時間の睡眠が必要で、「早起きは三文の徳」などと張り切って早起きしたりすると頭がボーッとしてしまう。ナポレオンのように三時間の睡眠でこと足りるなど信じられない▼当然として夜更かしが苦手で早起きも苦手だから、これは一種の眠り病ではなかろうか。そしてその原因は眠りが浅いから、つまり熟睡時間が短いのではなかろうかと考えているのである。実際夜半に一旦目が覚めてうつらうつらしながら朝を迎えるというのが日常かもしれない▼酒の力も借りてか寝付きだけは早い。バタンキューである。だから目覚めの時間から推して熟睡時間は結構確保しているはずだが、それでも未練がましく布団にへばりついているのは、単なる不精のせいなのか。「なに、朝飯は六時だが」などという同級生の話を聞くととてもこの世の話とは思われないのである。

☆★☆★2009年11月15日付

 「トカゲの尻尾切り」という言葉がある通り、動物には体を再生する能力がある。人間だって多少はその能力を残しているが、細胞が大きく失われた場合は難しい。しかし希望はある▼これはあくまでブタを使った例だが、胃の四分の一を切り取って作った大きな穴に、特殊なシートをかぶせて胃壁を元通りにする実験に埼玉医大の宮沢光男教授らが成功したというのだ。このシートは奈良県立医大の筏義人教授が開発したもので、詳しいことは不明だが、いずれ再生医療のために考案されたものだろう▼実験のためとはいえ、病気でもないのに胃に大きく穴をあけられたブタこそいい迷惑だが、その穴を薄いスポンジ状のこの画期的なシートでふさいで見守るとあら不思議、胃壁がすっかり元通りになっていたというのだからまさに奇跡が起きたに近い。この間十週間。粘膜や筋肉なども元通りとなっていた▼宮沢教授は「このシートは人間に対する毒性はないと確かめており、臨床試験ができれば実用化は近い。十二指腸、大腸、食道などでも、良い実験結果が出つつある」と語っており、それが実現すれば人類にとって大きな朗報となるだろう。同教授はこのシートを使ってすでに血管などを再生する方法を開発しており、応用はさらに広がりそう▼新型万能細胞の登場によって再生医療は新たな展開が期待されているが、実際にこうした形で実用化が始まると、あちこちに希望と期待の光を与えるだろう。今後が楽しみだ。

☆★☆★2009年11月14日付

 無駄遣いを排除するという民主党政権の篩役が「事業仕分け」だが、これはなかなかのアイデアだった。概算要求の精査を民間人を含めた作業部会(ワーキンググループ)に預け、予算の必要性を徹底的に論議するというのは同党ならではの新味だ▼昨日で三日目を迎えたその討論の模様をテレビが伝えていたが、各省の担当者もこれまでと勝手が違って当惑している表情がありありだった。要するにこれまでの前例にならい当然として盛り込んだ予算が、その事業自体に意味がないと否定されて削られたり、見直しされるようになったからだ▼いずれ、永年の慣習ですっかりしみこんでしまった予算要求の仕組みが、根底から崩されたのがこの仕分けで、政治家と官僚のなあなあが排除され、本当にこれが必要な事業なのか、そうだとしたらこの予算は適正かという第三者を含めた多角的検討は意味があり、実際不要不急の事業が淘汰されていく様子は小気味よい▼ヤリ玉に上がっているのは、公益法人などいわば天下り団体が要求している「ためにする」事業で、入札や入札金額の不透明性などが以前から指摘されていたものが、仕分け人の手によって追及され、天下りの構図そのものが白日の下にさらされるようになったのは、大いなる前進だろう▼行政刷新会議は20%の削減が可能としているが、こうしてムダをそぎ、その分を有効活用するというこの手法は、官僚支配脱却からの一歩になるだろう。

☆★☆★2009年11月13日付

 「こんなものがあったらいいな」という願望はモチベーション(動機づけ)の元となる。「必要は発明の母」という格言はまさにそこをついているのだが、やはり出てきましたねそんな夢のような発明が▼小欄はかねてからこの必要性を感じていた。いや多くがそうであろう。しかし原理的には難しそうだから、今世紀中に実現するかどうか―その確率を五分五分と考えていた。半々というのは丁か半かといったようなもので、どちらに転んでも責任がない。でも100%ゼロというよりは可能性ありという方が予言者風でいい▼その発明とは「ワイヤレス給電システム」だ。読んで字のごとく邪魔な電線なしに電気器具を使えるというすぐれものである。「ワイヤレスマイク」「無線LAN」など電波を使う器具は一足先に無線化にたどりついたが、コンセントに電源コードをつながなくとも電気を送られるというのはSF的課題だ▼しかし人類はこれまで多くの不可能を可能としてきた。このシステムもまさにその一つだろう。開発したのがあのソニーである。元々はアメリカの研究者が原理を発表、世界中の会社が開発にしのぎを削ってきた。実験では五十a離れた場所に六十hの電力を送ることに成功したという▼空中を電気が「浮遊」したら感電するのではないかと素人はおそれるところだが、そんな危険な発明をするわけがない。コードレスの便利さ、充電不要の応用拡大などメリットははかりしれないが、何より長いものに巻かれなくて済むのがいい。

☆★☆★2009年11月12日付

 俳優の森繁久彌さんが満九十六歳を一期として大往生をとげた。あまりに付き合いが長かったせいか肉親の死に直面したような気がする▼「三等重役シリーズ」「社長シリーズ」「駅前シリーズ」など、森繁さんの主演する映画が立て続けにヒットを飛ばしたのは、いかにも身の周りにいそうな人物が登場するからで、これが演技というよりは彼の地ではなかろうかと思わせるようなおかしさが持ち味だった。助平で要領がよく、ちゃっかりしていて油断がならない。部下には威張り散らすが上役にはゴマをする▼世のサラリーマンたちは上司の姿をそこに重ねて、その滑稽味に快哉を叫んでいたのかもしれない。少なくとも森繁さん演ずる社長は、松下幸之助や本田宗一郎といった名経営者ではなく、失敗は他人のせい、成功はオレのものといったまったく手本にはならぬタイプの持ち主だが、だからこそ親近感もわくのだろう。「どこにもいる」人物を森繁さんは巧まずに演じた▼演出家の久世光彦さんが週刊新潮に連載していた「大遺言書」は森繁さんの洒脱な人間像を伝えて楽しい読み物だった。久世さんが死去して中断し、おかげで森繁さんの動静がわからなくなった。しかし「森繁節」は健在でなお周囲を笑わせていただろう▼森繁さんの一生はまさに昭和史と共にあった。いや昭和映画史と言うべきだろうか。映画でテレビでこれほど見かけた人物はいない。そして歳と共に円熟味を増していく実際を眺められたのは収穫であった。

☆★☆★2009年11月11日付

 脳科学者の茂木健一郎氏が、三年間で四億円にのぼる所得を申告していなかった。学者バカでもあるまいが、一体どういう神経をしているのか脳内をのぞいてみたいものだ▼年間一千万円の給与所得の他、印税や出演料、講演料など三年間で四億円の「雑所得」があったにもかかわらず、同氏は一切申告していなかったという。当然税務署から申告を求められたが応じず、ついに国税局の査察を受けるハメとなった。おかげで一億数千万円を追徴されることになった。なんともったいないこと▼税務とはわかりにくいものだ。知らずにとんだ損をしたこともある。しかし雑所得があれば確定申告するというのは最小限の常識で、むろん取るに足らぬ額まで申告されるケースは少ないとしても、いまをときめく科学者の場合は、知名度や露出度からいって隠し切れるわけがない▼無申告の理由について同氏は、仕事に追われてそのヒマがなかったと答えているが自分でできなくとも税理士に代理してもらうという手がある。それもしなかったというのは、まさに無神経という他はあるまい。同氏といい先に申告漏れを指摘された鳩山首相といい、知的レベルの高いお方が市民レベルの常識を欠いているというのが理解できない▼日本の税制は申告納税制度で成り立っているのだがという記者の質問に「国税当局が税額を計算してくれたら楽なんですけど」と答えるあたり、これは脳科学以前の「甘えの構造」と診断する他はない。

☆★☆★2009年11月10日付

 ウィンドウズが新しいOS「セブン」を発売したらその直前に中国では海賊版が売られていた。おどろくべき「コピー大国」の実力?で、知的財産権もここでは通用しない。しかしこの集積がやがて力になっていくことは疑いない▼創造はまず模倣から始まるといっても過言ではない。初心段階では手本があり模写があってそれがやがて自分の血肉となっていく。ものづくり日本もまずは模倣から始まった部分が決して小さくはない。外国で発案されたものを応用するのが得意なため、独創性がないと言われたが応用も独創だ▼こうして日本は輸出大国となり、その中で技術力を高めた。世界に誇れる先端技術も数多く近年の特許の数は他の先進国を圧している。そのプロセスをいずれ中国はなぞっていくだろうと思えてならないのである。たとえば車だが、重厚長大な国産車しか作れなかった国が、いまや本物が顔負けのコピーを出展するまでになった▼「まずは一台輸入しバラして徹底的にコピーする。だから売りたくない」輪転機メーカーの営業の話だが、同様の例はごまんとある。そうしながら先端技術のレパートリーも増やしていく。電気二輪車もそうした一つで、中国製がいまや先頭を走っている。のんびり構えていた国内のメーカーがあわてだした▼好調な経済成長に支えられて中国はいよいよ自信をつけるだろう。なりふり構わぬコピーが実績をつくりそれが発展していく。だからこそ日本はその上を行く技術開発によって競争力をつけるしかあるまい。

☆★☆★2009年11月08日付

 「姑息」の語源は不明だが、一時逃れに小細工を弄することを指す。盛岡市の不正経理問題で、市が不正に購入した備品など二十四点を故障などですでに廃棄したと発表したことなどまさにそれ▼不正購入されたパソコンなど二十五点が所在不明で、うち盗まれた一点を除いたすべてが故障などで廃棄されたという同市の発表は「購入から数年で軒並み使用不能となるのは不自然」(岩手日報)と誰もがそのレトリック(言い訳)の幼稚さに呆れる類のもので、まったく納税者をなめきっている▼廃棄されたというのは、廃棄されたのではなく初めから購入していなかった、つまり購入したことにしてその費用を流用、つまり裏金としたというプロセスを隠匿するためであろう。これを姑息というのである▼さらに市は「扱いがずさんと言われても仕方がない」とあたかも故障→廃棄が事実上存在したような言い方をしているが、赤ん坊でもあるまいしそんな弁明を誰がまともに信じるだろうか。さらに「不正経理で買ったこと自体が問題だが、税金で買ったものであり、すぐに壊れるような使い方はすべきではなかった」よし。なんと空々しくやがて悲しき▼嘘も方便というが、これでは説明責任になっていない。なるほどそういうこともあり得るのかと納得させるには、同じ時期に買ったものは同じ時期に一斉に壊れるものだという「絶対性理論」が必要だ。しかし同市にはそんな天才がごろごろしているようだ。

☆★☆★2009年11月07日付

 先日のNHKテレビで、過疎化に悩む地方の声を鳩山内閣がどう聞くかを特集していたが、歳出のスリム化賛成の一方で補助金を減らされるのは困るという過疎地域の本音がのぞいていた▼米びつがからっぽになったのは「あんたのせいよ」と自民党に恨み節をぶっつけても、もはやせんがない。今度は自分で家計を支えなければならないのだから、当然子どもたちの小遣いも減らされよう。その事態をもっとも恐れているのは過疎地で、三割の自己負担で残りを国が面倒を見てくれる補助制度が廃止されたら一大事と危機感を募らせている▼それはそうである。過疎→税収逓減→住民サービス低下という悪循環が過疎を一層進行させ、自前での公共事業など困難になるからだ。下水事業はおろか上水事業すらまだ七割の達成率というある町では、残りを町営で継続など不可能、だから過疎化対策事業はなんとしても継続してほしいと町長が必死に訴えていた▼過疎地は好きこのんで過疎地になったわけではない。国土の均衡ある発展を国が疎かにし、人口が偏在する都市対策にその分をつぎ込んできたからだ。公共事業の見直しはいい。しかし必要最小限のインフラは必要であり、それまで一緒くたにされてはたまらない▼当地も過疎化を免れない。それは覚悟の上だが、実際どこも似たようなものだろう。ただ「乏しきを憂えず等しからざるを憂う」で、「費用対効果」の論理がいかに都市間格差、地域格差を拡大してきたかを根本から見直す時期に来ている。


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