トップ > 中日スポーツ > 大リーグ > 紙面から一覧 > 記事
【大リーグ】FA制度とは?? 日米の違い教えます!!2009年11月17日 紙面から 今、日米の野球ファンの注目を集めているのが、松井秀喜外野手(35)の去就だ。今季がヤンキースとの契約最終年だった松井は9日(日本時間10日)にFA申請し、20日(同21日)からはヤンキース以外の球団とも入団交渉が可能となる。そもそも、選手の権利を守るために作られたFAとはどういう制度なのか。日米を比較しながら、本質を探ってみよう。(鈴木遍理) ◆基本FAとは、フリーエージェントの略。直訳なら「自由行為の主体者」となるだろうか。ひと言でいえば、一定期間をすぎた選手に移籍の自由を認める制度のことだ。大リーグの場合、FA資格は大リーグ登録期間が6シーズンをすぎた選手に認められ、何度でも行使することが可能だ。解雇されるなどして所属先がない選手も、FAとして扱われる。 日本はもっと複雑で、FA権を得るまでに高校からプロ入りした選手は出場選手登録から8シーズン、大学・社会人出は7シーズンの期間が必要(1シーズンは145日として計算)。ただし、海外プロ球団への移籍は9シーズンを経る必要がある。 これは、日本野球の人材が海外に流出するのを防ぐためというが、「制度で選手を縛り付けるより、プロ野球の魅力を高める努力をすることが先ではないか」という声もあり、今後も論議を呼びそうだ。また、FA権を行使して契約した選手は、その後4シーズンはFA資格を得られないという制限もある。 ◆期間大リーグでFA権を持つ選手の申請受付は、ワールドシリーズが終了した翌日から15日間。大リーグ機構に書類を提出して受理されると、所属球団の支配下登録から外れ、立場は「FA選手」となる。受付期間は前所属球団に優先交渉権があり、それをすぎると、どの球団とも入団交渉が可能になる。 日本は、日本シリーズが終了した翌日から土、日、祝日を除く7日間以内に申請し、コミッショナー公示(申請期限日の翌日午後3時)の翌日から各球団と交渉できる。 ◆補償大リーグの選手は記録専門会社「エライアス」が算出した能力ポイントで格付けされている。このうちAランク(各ポジションの上位20%)の評価を受けた選手がFAで移籍した球団は、その選手と契約した球団から次回のドラフト1巡目指名権を譲渡され、さらに1巡目と2巡目の間に行われる「補償ラウンド」でも選手を指名できる。Bランク(同21〜40%)の選手がFA移籍した球団は、補償ラウンドでの指名権のみを得る。 日本では、FA選手を獲得した球団の代償がもっと大きい。前所属球団の年俸順位がAランク(外国人選手を除く上位1〜3位)のFA選手を獲得した球団は、「その選手の前年度年俸の80%」または「その選手の前年度年俸の50%と、任意に定めた28人を除く選手1人」を、前所属球団に補償しなければならない(初めてFA申請した選手の場合)。 このため、日本で一流のFA選手を獲得するのには、かなりの覚悟が必要だ。FA権を行使する選手が少ないのは、がんじがらめの制度があるからともいえる。ただ、これらの補償は海外球団への移籍には適用されず、日本のFA選手は大リーグに行きやすい状況となっている。 ◆歴史現行のFA制が大リーグに導入されたのは1976年。きっかけを作ったのは、カート・フラッド元外野手のトレード拒否騒動だった。カージナルスに所属していた同外野手は69年12月、フィリーズへのトレードを拒否。選手の自由意思による移籍を認めないのは独占禁止法違反だとして訴訟を起こし、結果的に敗訴したが、選手たちは「彼の勇気に報いるべきだ」と、FA制の確立に向けて動き始めた。 74年にはアスレチックスのエースだったキャットフィッシュ・ハンターが球団オーナーと対立して移籍の自由を訴え、調停委員会からFAに認定されてヤンキースと契約。翌75年にはドジャースのアンディ・メッサースミス、エクスポズのデーブ・マクナリー両投手が契約更改交渉のもつれから1年間を契約しないままプレーし、労使問題の仲裁人が「契約しないまま1シーズン働いたのだから球団に保有権はない」と裁定を下して、FA制の正式な誕生につながった。 一方の日本は、大リーグより17年遅い93年にFA制を導入。初めて権利を行使したのは、阪神からダイエー(現ソフトバンク)に移籍した松永浩美内野手だった。 ◆功罪FA制は、選手にとって自由意思による移籍を可能にする「光」をもたらしたが、半面で「影」も作り出した。球団格差の広がりは、その最たるもの。有力なFA選手は各球団が札束を積み上げて獲得を競うため、選手の年俸は高騰。スター選手は豊富な資本を持つ球団に集中し、ワールドシリーズを今季制したヤンキースの開幕時の年俸総額2億145万ドル(約181億円)は、総額最下位マーリンズの約5・5倍だった。 さらに、球団経営の圧迫から、力の衰えた高額のベテラン選手は容赦なく切り捨てられるようになった。球団に貢献した選手に対しても「情」が入り込む余地はほとんどなく、ビジネス一徹。これは選手にとっても「負」の要素といえる。 ただ、FA制が年収6000億円以上とされる現在の大リーグの好景気をもたらしたことも、否定できない。ワールドシリーズが終了した翌日から、ファンやメディアの話題はストーブリーグ一色。NFL、NBAなどプロスポーツが多い米国で、このように大リーグのニュースが連日提供されるのは、人気を保つ上でプラスとなっている。 ◆裏技FA制によって経営が圧迫された大リーグ各球団は、多くの“裏技”を編み出している。選手がFAになる直前にトレードしてしまうのも、その一つ。タダ同然に出て行かれるよりは、交換トレードで有望な若手選手を獲得し、育てることを選択するわけだ。 また、レイズは08年、大型新人のロンゴリア三塁手を開幕から約2週間後にメジャーデビューさせた。これは、開幕からデビューさせると6シーズン目でメジャー登録日数が1032日に達し、FA資格を得てしまうため。おかげでロンゴリアがFA権を獲得するのは7シーズン目の開幕直後となり、財政が苦しいレイズは1シーズン多く引き留めることができるようになった。 ◆最高FA制のおかげで最も肥え太ったのは、ヤンキースの主砲アレックス・ロドリゲス三塁手(34)だろう。2000年オフにマリナーズからFA申請すると、同年12月にレンジャーズと当時の史上最高額となる総額2億5200万ドル(約227億円)で10年契約。ところが当時の契約には「7年目の07年シーズンを終えたらFAになることを選択できる」という条項が含まれていた。 A−ロッドは4年目の04年を終えると、高額年俸を払えなくなったレンジャーズからヤンキースにトレード移籍。07年10月に条項に従ってFA権を行使し、ヤンキースと総額2億7500万ドル(約248億円)の10年契約(08〜17年)を結び直して残留した。 これらの経緯から、マリナーズファンはA−ロッドを「金の亡者」と呼び、シアトルに遠征してきた時はおもちゃのお札をスタンドからばらまいて揶揄している。 ◆吉井日本プロ野球から初めてFAで大リーグに移籍したのは吉井理人投手だ。97年オフ、すでに大リーグで活躍していた親友の野茂英雄投手を追うようにヤクルトからFA宣言し、98年1月にメッツと契約した。当時のメッツはボビー・バレンタイン監督が指揮し、吉井は同年に6勝(8敗)を挙げると、2年目の99年に12勝(8敗)をマークし、その後もロッキーズとエクスポズで投げたあと、03年にオリックスと契約して日本に戻った。メジャー5年間の通算は162試合32勝47敗、防御率4・62。今季は日本ハムの投手コーチだった。
|