アジア・太平洋地域の政治・経済・文化などに関する優れた本を著した研究者、実践者に贈る「第21回アジア・太平洋賞」は選考の結果、大賞2点、特別賞2点が決まった。大賞が2人に贈られるのは21回の「アジア・太平洋賞」の歴史で初めて。最終選考委員会でも「甲乙つけがたい」との意見が大勢で、異例の決定となった。
大賞2作品と特別賞1作品は外国人研究者による日露、日韓関係やナショナリズム研究。外国人による日本研究が一層進んでいることをうかがわせた。
昨年7月から今年6月までの1年間に出版された102点の応募作品から選ばれた。
表彰式は17日夕、東京都千代田区内幸町の日本プレスセンターで行われる。
■大賞
◆「後藤新平と日露関係史」=ワシーリー・モロジャコフ氏
後藤新平については多少は勉強してきたつもりだが、本書を通読して未知のことがあまりに多いことに気づかされた。確かに日露戦争後の日露関係は近現代史学において空白のままに残されてきた。
実際、後藤新平は3度の訪露を通じてロシア要人と深く関(かか)わる機会をもった日露戦後の両国の有力な仲介者であり、かつ「親露派」の巨頭であったという程度の知識は私ももっていたが、彼がスターリン、チチェーリン外務人民委員、カラハン外務人民委員代理などとの息づまるような対論を通じて日露協調の方位を探し求めていた人物であることには思いが及ばなかった。
無理もない。何しろ後藤とロシアとの関連を記した世界初の著作が本書だというのだから。日本語とロシア語に通じ、激しいばかりの追究心をもって資料検索を重ねて書かれた本書の価値はきわめて高い。読む者を日露交渉の現場に誘い込んでいくような迫力が本書にはある。
「中国の争乱の主因は、抑圧者にたいする被抑圧階級の烈(はげ)しい闘争である。このような状況下では共産主義思想が流布することは不可避であろう。不安定が存在するところに、コミンテルンは成立する」とスターリンがいえば、「ロシアの対中行動の誤りは、中国の実情を理解しないで、行動を急ぎ過ぎているからではないか。旧文明の根が異常に深く、新社会運動の成功がむずかしいのが、中国である」と後藤が応じる。日露が協調しなければ中国が世界の「新しいバルカン」になると後藤はスターリンに諭しているのである。
シベリア出兵を支持したことが後藤の失政だという批判がある。後藤は出兵に対するアメリカの同意を取り付けておくことが不可欠であり、同意が得られなければ軍事介入は行わず、同意が得られれば果断に介入して国益を拡張すべし、との立場に立っていた。「事態がはっきりしないときには慎重に振る舞い、いったん明らかになったときは、断固として実行する」という政治家として最も重要な資質をもつ人間像を著者は後藤の中にみている。今後この分野を学ぶ研究者のすべては、近現代史の空白をみごとに埋めた本書から出発することになろう。【評・渡辺利夫】
■大賞
◆「竹島密約」=ロー・ダニエル氏
日韓関係を正常化した1965年の日韓基本条約には、竹島も独島も出てこない。竹島についての日本の領有権主張に対する、韓国内での近年の反発の強さを見るとき、よくこの問題に触れないですんだと思われるかもしれない。
しかし、現実の交渉過程では、日本側が領土問題についての言及を求め、韓国側がこれに反対した。よくよく考えてみれば、これは当たり前である。竹島・独島は韓国が実効支配しているわけで、言及しないことによって韓国に不利になることはない。言及していないのは領土問題が存在しないからと言えるからである。
今となってよくわからないのは、なぜ日本が竹島に触れない日韓基本条約を受け入れたかである。もちろん、基本条約の付属文書である日韓紛争解決交換公文に触れられている「紛争」に領土問題が当然含まれているということはできる。しかし、明示的にできれば、日本の立場が強くなったことは明らかだから、依然として謎が残る。
この問題について本書の与えた解答が「密約」である。条約締結時の佐藤内閣の国務大臣であった河野一郎と韓国の丁一権(チョンイルクォン)国務総理との間で、竹島・独島問題は「解決せざるをもって、解決したとみなす」、「両国とも自国の領土であると主張することを認め、同時にそれに反論することに異論はない」などという合意があったのだという。
たしかに盧泰愚(ノテウ)政権までの日韓関係は、この密約のとおりに推移してきた。金泳三(キムヨンサム)政権になってこの問題が再浮上したのは、著者によれば、この密約の原文が焼却され、韓国における民主化などによって、この密約を可能にした時代の「精神」が喪失されたからだという。原文はすでに焼却されてしまったため、著者の説は、あくまでも有力な仮説にとどまる。しかし仮説の当否にもまして本書の価値を高めているのは、日韓交渉をめぐる政治的雰囲気を的確に描写していることである。最近機密解除された韓国側の交渉記録と日韓双方の当事者の回顧録やインタビューなどの資料を的確に引用しつつ、今となっては、なかなかわかりにくい日韓関係の「浪花節」的雰囲気を本書はわかりやすく活写している。【評・田中明彦】
■特別賞
陸羯南(くがかつなん)は明治中期から後期にかけての政論家である。明治22年、新聞『日本』を創刊し、その社長・主筆として国民主義(ナショナリズム)の論陣を張った。羯南にとって「文章は経国の大業」であり、かれには政治家たらんとする野心はなかった。これは、近代の「国民国家」創業期の明治という時代のジャーナリズム的特性に立脚していた。
これまで羯南には、この明治期の「健全なナショナリズム」を代表した論客であるという、丸山真男にはじまる評価があった。しかし、本書の著者は、そのような羯南への評価は戦後日本の「政治的雰囲気が投影された」ものではないか、と考えた。つまり、その評価は「歴史の中で実在した羯南が、言論や政治の世界で果たした役割をどう位置づけるかという点では、残念ながらほとんど意味がない」と考えたのである。
それゆえ著者は「陸羯南」というナショナリストを明治という「歴史」のなかに引き戻して位置づけようとした。これは、著者が1990年代に入って経済発展を遂げた韓国の体験を踏まえて、「ナショナリストは果たして自分がもう弱小国ではなくなった(国にある)時、どう対応していくのか」と考えたとき、明治日本のナショナリスト(羯南)とじぶんの経験した1980年代の韓国の反米そして反日「民族主義」とを「二重写しにして眺め」たことを意味する。
その結果、著者は、日清戦争にさいしてライバル紙である徳富蘇峰の「国民新聞」が読者の好戦的ナショナリズムの気分を煽(あお)り立てたのに対し、陸羯南が「そんなに俗間に売らなくてもよい」といい、政治や戦争の道徳性を強調しようとしたところに、かれの政論家としての「プライド」を見てとるのである。「歴史の中で実在した」羯南を取り出そうとした本書の成果といえよう。【評・松本健一】
■特別賞
読者はコーカサスという地域についてどんなイメージをもっているだろうか。カスピ海ヨーグルト、トルストイ、それとも紛争の続く地域というイメージか。いずれにしても、コーカサスについて体系的な知識を持つ読者はそれほど多くないのではないか。
黒海とカスピ海に挟まれたこの地域は、古くから諸文明の勢力が行き交った地域であり、現代的にいえば、石油や天然ガスが豊富な戦略的地域である。それにもかかわらず、日本人にはあまりなじみがない。この地域が1991年までソ連の一部だったことが原因の一つかもしれない。モスクワのことさえ理解しておけば、ソ連内部のことは知らなくても大丈夫というような感覚が冷戦時代には存在したからである。
しかし、それに加えて、コーカサスにはわかりにくいところがある。その複雑性である。アジア的でもありヨーロッパ的でもある。イスラームの信者もいればキリスト教徒もいる。言語にいたっては、コーカサス諸語、アルタイ諸語、インド・ヨーロッパ語系言語とりまぜて、30近くもある。
本書の著者は、ソ連解体後のこの地域の紛争に着目して、現地にもおもむき研究を進めてきた日本で数少ないコーカサス専門家である。複雑な各国事情を簡潔な歴史的背景を示しつつ明快に分析している。今後のエネルギー問題や、ロシアやトルコ、イランなど地域大国との関係、さらにはEUやアメリカなどとの国際関係についても今後の展望を語っている。
昨年のロシア・グルジア武力衝突以前に執筆されたため、直近の事情が詳細に分析されていないことは残念だ。しかし、ロシアとグルジアの間にいかなる構造的問題があるかは、本書の記述によって学ぶことは十分できる。この複雑で重要な地域に関して、はじめて簡にして要を得た入門書が出版されたことを喜びたい。【評・田中明彦】
◆執筆のきっかけは?--4氏に聞く
4氏に受賞作を書いたきっかけや今後の抱負などを聞いた。(4氏のインタビュー詳報は「アジア時報」11月号に掲載)
高校生時代の進路決定は現在、ロシア科学アカデミー東洋学研究所副所長をしている日本研究者の母、エリゲナ・モロジャコワの影響があったと思いますが、モスクワ大学に進み、日本史などを勉強しました。
大学院でロシアにおける日本のイメージの研究をしてから、明治維新に興味を持ちました。その後、戦前の外交官、白鳥敏夫について研究しました。
拓殖大学が創立100年史を作るため、世界から研究者を集めたので、応募し、そこで後藤新平を知ったのです。後藤の偉大さにびっくりしました。
幣原喜重郎も優れた外交官でしたが、幣原は欧米を通じて世界を見た。有田八郎はアジアを通じて世界を見た。後藤は頭の中に全世界があったと思います。
私は日露の戦争の歴史は書かない。日露協力史を書きたい。もっと長いスパンで言えば、第二次世界大戦の本当の原因がベルサイユ体制だったことを書きたい。
1983年に訪米したのですが、当時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代で、私もマサチューセッツ工科大学やハーバード大学でリチャード・サミュエルズ、ロナルド・ドーア両教授らに日本の政治・経済を学びました。その後、香港の大学や中国人民銀行で教えましたが、日本について研究することが難しい環境だったので、日本に来て、シンクタンクで仕事をしました。
2006年に中曽根康弘元首相にインタビューした時、「あなたは竹島密約を知っていますか」と聞かれたのが、今回の取材のきっかけでした。竹島(韓国名は独島)問題というのは結局、日韓関係の縮図だと思います。双方がもっと成熟した視点を持たないといけない。
今後は朝鮮戦争で活躍した中国人民義勇軍と朝鮮半島の関係について調べたい。中国は北朝鮮にとって何なのか、中国はなぜ北朝鮮に大きな影響力を持っているのか、中国は韓国にとって何なのか--などを、朝鮮戦争を通じて見てみたいと思っています。
韓国と日本は深い関係にあるのに韓国では日本の研究がほとんどされていないのは問題だ、という話が出て、その会話が頭に残っていたので日本史を勉強しようと思いました。しかし、当時は日本史の研究者もほとんどおらず、海外旅行も自由にできなかったので、日本の本を手に入れるだけでも大変なことでした。
日本に留学中にある先生が陸羯南を取り上げました。論理的な文章が気に入り、博士論文の題材にしました。
1980年の「光州民主抗争」の時、私は延世大学に入ったばかりでしたが、戒厳令が出され、休講が続き、強烈な印象でした。その政権を支えたアメリカに対し反米ナショナリズムが燃え盛りました。今でも鮮明に覚えています。韓国も90年代には途上国から抜け出ようとしており、韓国の「民族主義」のその後の行方が気になっていた私は、日清戦争後の「国民主義」の展開に関心を持ち、陸羯南に結びつきました。
将来的には日本の植民政策論をまとめたいです。
私が中学生の時にソ連のペレストロイカが始まり、高校生のころには大きな変化が続き、慶応大学に入学直後の1991年4月にはゴルバチョフ・ソ連大統領がソ連の国家元首として初めて来日しました。私は「ゴルバチョフ、日本の大学生と語る」という対話集会に大学代表として出てゴルバチョフさんと握手をしたのがロシアとの衝撃的な出合いでした。大学ではロシア語を第2外国語に選びました。
大学院で「ペレストロイカと民族問題」のシンボルとして、アゼルバイジャン国内のアルメニア人の分離独立闘争であるナゴルノ・カラバフ紛争を研究しましたが、日本で手に入る資料はほとんどが英語で、アルメニアびいきのものでした。限界を感じ、アゼルバイジャンのバクーで在外研究しました。現地ではロシア人の著名な学者から複眼的視点で紛争を冷静に見る目を教わりました。
今後は、コーカサスに視座をおいて、地域から国際政治を考える試みをしたい、と思います。
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■大賞 記念の盾と賞金200万円(各100万円)、副賞ANA国際線航空券
拓殖大学日本文化研究所客員教授、ワシーリー・モロジャコフ氏
韓国「月刊中央」誌客員編集委員、ロー・ダニエル氏
■特別賞 記念の盾と賞金各30万円
韓国・翰林大学校翰林科学院研究教授、朴羊信(パク・ヤンシン)氏
静岡県立大学国際関係学部准教授・廣瀬陽子(ひろせ・ようこ)氏
■選考委員(敬称略)
栗山尚一 アジア調査会会長=選考委員長(元駐米大使)
渡辺利夫 拓殖大学学長=委員長代理
田中明彦 東京大学副学長・教授
松本健一 作家・麗澤大学教授
菊池哲郎 毎日新聞社主筆
▽主催 毎日新聞社、(社)アジア調査会
▽後援 外務省、文部科学省、経済産業省
▽協賛 Jパワー(電源開発)、日本生命、三菱商事
▽協力 ANA
▽助成 (社)東京倶楽部
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■人物略歴
1968年モスクワ生まれ。93年モスクワ国立大卒、96年同大学院博士課程修了。歴史学博士(Ph.D.、モスクワ国立大学、96年)、国際社会科学博士(Ph.D.、東京大学、2002年)、政治学上級博士(LL.D.、モスクワ国立大学、04年)。03年から拓殖大学日本文化研究所主任研究員、客員教授。法政大学日ロ関係研究所特任研究員も兼務。日本近現代史・国際関係史専攻。ロシア語の著書に「日本における保守革命--思想と政治」(99年)、「ロシアと日本 障害を越えて--知られざる日露関係史1899~1929年」(05年)、「ロシアと日本 戦争か平和か--知られざる日露関係史1929~1948年」(05年)など。
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■人物略歴
1954年6月ソウル生まれ。78年西江大卒。米国マークェット大で修士号(国際政治学)取得後、マサチューセッツ工科大学の博士課程で比較政治経済学を専攻。89年に国際交流基金フェローとして来日、一橋大などで研究。博士号を取得。香港科技大社会科学部助教授や中国人民銀行研究生部(大学院)教授を務めた後、経営コンサルティング会社勤務などを経て、ソウルに(社)東アジア平和投資プログラムソウルを設立し現在代表。2006年から韓国の大手総合月刊誌「月刊中央」客員編集委員。作家としても活躍。韓国語著書に「右傾化する神の国:日本の指導層の心理構造」(06年)、「アラビア経済金融」(09年)などがある。
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■人物略歴
1962年1月ソウル生まれ。延世大学校史学科卒、同大学院修了後、89年に日本へ渡り、北海道大学法学研究科で日本政治史専攻。修士論文は永井柳太郎論。博士論文は「陸羯南の政治認識と対外論」で、97年博士課程修了。北大助手を務めた後の98年に帰国。檀国大学校東洋学研究所研究教授などを経て現在、翰林大学校翰林科学院研究教授。韓国語の著書に「開化期対外民間交流の意味と影響」(共著、05年)、「反戦でみる東アジア--思想・運動・文化的実践」(共著、08年)、「明治時代の挿絵に表れた朝鮮人イメージ」(05年)、「近代日本における国民・民族概念の形成と展開--ネーション概念の受容史」(08年)など。
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■人物略歴
1972年東京都生まれ。静岡県立大学国際関係学部准教授。専門は国際政治・コーカサス地域研究。慶応義塾大学総合政策学部卒。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了、同博士課程単位取得退学。政策・メディア博士(慶応義塾大学)。国連大学・秋野フェローとしてアゼルバイジャン在外研究。慶応義塾大学総合政策学部専任講師、東京外国語大学大学院准教授などを歴任し、08年4月から現職。著書は「旧ソ連地域と紛争--石油・民族・テロをめぐる地政学」(慶応義塾大学出版会、05年)、「強権と不安の超大国 ロシア」(光文社新書、08年)ほか。雑誌、新聞などへの寄稿も数多い。
毎日新聞 2009年11月17日 東京朝刊