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徳島県阿南市(旧・那賀郡羽ノ浦町)出身の笑福亭学光さん(55)は、地元での銀行勤務を経て落語家に転身した。故郷を離れて30年以上になるが、現在も四国放送ラジオ「土曜ワイド徳島」(土曜・午前8時20分)出演のため、週末は母・一恵さん(82)が一人暮らしする実家で過ごす。自然・文化が豊かなふるさとの魅力を再発見する日々。そして将来、徳島でかなえたい夢がある。
羽ノ浦町は2006年に合併して阿南市になりましたが、自分としては阿南市の住民という感じはしませんね。出身は那賀郡です(笑い)。羽ノ浦でも駅前(羽ノ浦駅)は住宅地でしたが、僕の実家は裏が山で、前を那賀川が流れて、その間は田んぼだけでした。今でも那賀川の景色が好きで、小さな堰(せき=那賀川北岸堰)のようなものがあって、アユが跳びはねているんです。そのアユを食べるために、シラサギが水面に止まっていたり。水の流れとか本当に癒やされます。
子供のころはおとなしくて、あまりギャグを言う子でもなかった。同級生は今でも、僕がこの世界に入っているのが不思議でしょうね。ただ、昔からお笑い番組は嫌いではなかった。「ヤングおー!おー!」(毎日テレビ)や、ラジオならば「仁鶴の頭のマッサージ」(ABCラジオ「ABCヤングリクエスト」の人気コーナー)、夕方に放送していた吉本新喜劇とか。笑点も好きでした。
高校卒業後は徳島相互銀行(現・徳島銀行)に就職しました。住宅金融公庫の担当などをしていましたが、人生が決まったような感じがして。これでいいのか、と若気の至りで考えてしまった。銀行勤務は2年いってないくらい。でも、退職金は4万円出ました。当時は景気が良くて、2年定期で金利がなんと8%。いいところでしたね。パッと使った? 貯金しましたよ(笑い)。
辞めた後は大阪にあこがれていたので、松竹芸能の養成所に。高校時代は劇団に所属して、お芝居に興味があったのですが、養成所で漫才を見たりするうちに、落語にひかれていきました。一人だから、責任を全部自分で背負うところにです。どうすれば噺(はなし)家になれるのか分からなかったので、養成所で着ぐるみショーなどのバイト先で「落語家になりたい」「徳島で落語会を開きたい」といろいろな人に話しました。そのことを聞いた人が師匠(笑福亭鶴光)のところを紹介してくれました。
大阪に来て30年以上。田舎者の僕にとって、大阪は何もかも新鮮でした。それでも、徳島について振り返った時に「阿波おどり」という素晴らしい文化があることに気づいたんです。14年前から旭堂南鱗さん、笑福亭仁鶴師匠のお弟子さんの笑福亭仁勇さんらと「噺家連」というグループをつくって、徳島市での阿波おどりに参加しています。今年も行きましたけど、年を重ねると踊るのもしんどくなりますね(笑い)。
今の夢は徳島に安心して暮らせる老健施設を造ること。落語とは関係ないけど、自分の母親が一人住まいやから。母は地域の人が見てくれていますが、最近は一人で住んでいる高齢者が亡くなって、1週間後に発見されることも聞きます。地方なんかは特に子供がいない。自分が高齢になっても行政に頼るのではなく、迷惑かけずに生きていける場所をつくりたいです。
◆笑福亭学光(しょうふくてい・がっこ=本名・多田政信)1954年3月6日、徳島県阿南市羽ノ浦町(旧・那賀郡羽ノ浦町)生まれ。55歳。岩脇小、羽ノ浦中、富岡西高を経て、72年に徳島相互銀行(現・徳島銀行)入行。退職後に上京し、75年10月から笑福亭鶴光の門下に。翌76年に神戸「柳笑亭」で初舞台。「学光」は鶴光の友人で同じ四国出身の漫画家、はらたいらさんが命名した。レギュラー番組は四国放送ラジオ「土曜ワイド徳島」、西日本放送テレビ「ホットかがわ」(第一日曜日・午前7時45分)など。
(2009年11月7日22時12分 スポーツ報知)