カミングアウト
November 17 [Tue], 2009, 2:31
久しぶりにブログに姿を現しましたKyoです。
考えてみれば1ヶ月ぐらい間が空いてしまいましたね。
まったく書かなくなると存在すら忘れてしまいます。
昔みたいに某P店の事を書かなくなってから…
というよりも、P店に限らず日常や自分の身辺をネタにできる精神状態ではなかった為、だんだんと自分から何かを発するのが億劫になっていました。
ただの通りすがりか、定期的なリピーター様か、割とほぼ毎日10人前後のアクセスがあるのですが、全く更新せず皆様には退屈なブログで申し訳ない。
昔のようにネットでだけは無敵でいられて、日々の楽しさやP店の事を面白可笑しく書けていられた頃とは変わってしまった。
中身も何もなく、何も感じないつまらない人間へと成り下がった。
いつからこんなに弱くなってしまったのか。
いつから、こんな、全ての事に無気力な人間になってしまったのか。
言葉にしてしまうと自分が壊れてしまいそうなので、今まで現実から目を背けていましたが
以前のブログの頃から、Aさんとか嫁とか、痛々しさ満載でノロケ話を書いてばかりいた人と、
お別れしました。
3ヶ月ぐらい前に。
まぁ、直接的表現は避けて、回顧のような記事をいくつか書いていたのでわかる人はわかるかもしれませんが。
やはり気になっている人もいるだろうし。
直接的な原因は……
オブラートに包んだ言い方をすれば、お互いの価値観の違い…でしょうか。
お互いの性格の不一致。
将来観、人生観の違い。
身辺の環境や生活のズレ。
色々ありますが。
最初に生じたズレをごまかしごまかし、やってきましたが、
気がつけば修復不可能な程に大きな亀裂となっていました。
ご存知の方もいるかもしれませんが、数年前に某P店絡みで事件を起こしたあの時と……
何も変わってはいなかった。
あれだけ多くの人に迷惑を掛け、傷つけ、裏切ってしまった。
あの頃から、自分は何も変わってはいなかった。
まったく成長していなかった。
何も学習していなかった……
自分にはもったいないぐらいに良い人でした。
精神的にも成熟していて、包容力もあって、自分の目指した目標に一生懸命で、学校とバイトの両立で忙しい中、自分の時間を割いてまで会ってくれて
自分にたくさんの事を教えてくれたり、気付かせてくれて
こんな自分を救おうと、引っ張ってあげようと、
いつでも尽くしてくれて、一生懸命に好きでいてくれました。
しかし自分はその思いに答えられず、期待に応じる事ができず
気分が悪い時は遠ざけておいて、気が向いた時にだけ向き合って甘えるような、そんなヤツだった。
気がついた時にはもう遅かった。
色々頑張ってはみたものの、すべてが空回りで裏目に出てばかりで。
何もかも手遅れだった。
ストーカー一歩手前の行為までやらかしてばかりだった。
それが原因で仕事も手につかず、心が停滞したまま空白の時間が流れる毎日。
「いつかまた戻ってこい」と声を掛けてくれた、彼女のいる元職場から遠ざけられ
「うちにきてほしい」と歓迎してくれた同エリア内の別の店舗からも、すべて遠ざけられ……
言ってしまえば、すべて自業自得なのはわかっているけど。
自分は、他人に迷惑を掛ける事しかできない。
自分はその現実が受け入れられなかった。
自分を責める事しかできなかった。
あれだけ優しくしてくれた人を、自分が裏切り、この手で傷つけてしまったという自責の念しか生まれなかった。
悔やんでも悔やみ切れない後悔の連続だった。
家でもまったく口を利かなくなり、心配してくれる母親とも会話をしなくなり
某P店で友人といて談笑したりする事でしか…
親身に話を聞いてくれるメイドさんに相談に乗ってもらって、慰めてもらったり、励ましや癒やしを貰う事でしか…
自分を保っていられなかった。
自分が壊れてしまうと思った。
あまり家にも帰らなくなり、友人の家に連泊したり、渡り歩く日々が続いた。
すべてに自分の居場所を感じられなくなり、得体の知れない強迫観念や焦り、恐怖。
自分のちっぽけな許容量を超えて重くのしかかる現実に耐え切れなくなり、
嫌な事すべてから逃げるように、東京から姿を消した。
姿をくらまし、行方不明となった。
山梨の友人の家で厄介になっていた事もあった。
正直、樹海へ行く事も頭によぎった。
それだけの度胸はなかったけど。
高台の上から目前に広がる富士山と綺麗な景色を見て、多少心の洗濯はできた…かはわからない。
心配を掛けてしまった人達とも少しずつ話をして、
家に帰ってから母親とも少しずつ話をして、ゆっくり少しずつ…整理している毎日です。
やっと、少しずつ目の前の現実も受け入れられるようになってきました。
まだ、気持ちはどこか暗鬱として曇っていますが。
これからどうするか、今後の身の振り方はまだ決まっていませんが、
人より遅くても、多少遠回りな人生でも、
ゆっくり少しずつ、自分にできる事を一つずつ、やっていこうと思います。
考えてみれば1ヶ月ぐらい間が空いてしまいましたね。
まったく書かなくなると存在すら忘れてしまいます。
昔みたいに某P店の事を書かなくなってから…
というよりも、P店に限らず日常や自分の身辺をネタにできる精神状態ではなかった為、だんだんと自分から何かを発するのが億劫になっていました。
ただの通りすがりか、定期的なリピーター様か、割とほぼ毎日10人前後のアクセスがあるのですが、全く更新せず皆様には退屈なブログで申し訳ない。
昔のようにネットでだけは無敵でいられて、日々の楽しさやP店の事を面白可笑しく書けていられた頃とは変わってしまった。
中身も何もなく、何も感じないつまらない人間へと成り下がった。
いつからこんなに弱くなってしまったのか。
いつから、こんな、全ての事に無気力な人間になってしまったのか。
言葉にしてしまうと自分が壊れてしまいそうなので、今まで現実から目を背けていましたが
以前のブログの頃から、Aさんとか嫁とか、痛々しさ満載でノロケ話を書いてばかりいた人と、
お別れしました。
3ヶ月ぐらい前に。
まぁ、直接的表現は避けて、回顧のような記事をいくつか書いていたのでわかる人はわかるかもしれませんが。
やはり気になっている人もいるだろうし。
直接的な原因は……
オブラートに包んだ言い方をすれば、お互いの価値観の違い…でしょうか。
お互いの性格の不一致。
将来観、人生観の違い。
身辺の環境や生活のズレ。
色々ありますが。
最初に生じたズレをごまかしごまかし、やってきましたが、
気がつけば修復不可能な程に大きな亀裂となっていました。
ご存知の方もいるかもしれませんが、数年前に某P店絡みで事件を起こしたあの時と……
何も変わってはいなかった。
あれだけ多くの人に迷惑を掛け、傷つけ、裏切ってしまった。
あの頃から、自分は何も変わってはいなかった。
まったく成長していなかった。
何も学習していなかった……
自分にはもったいないぐらいに良い人でした。
精神的にも成熟していて、包容力もあって、自分の目指した目標に一生懸命で、学校とバイトの両立で忙しい中、自分の時間を割いてまで会ってくれて
自分にたくさんの事を教えてくれたり、気付かせてくれて
こんな自分を救おうと、引っ張ってあげようと、
いつでも尽くしてくれて、一生懸命に好きでいてくれました。
しかし自分はその思いに答えられず、期待に応じる事ができず
気分が悪い時は遠ざけておいて、気が向いた時にだけ向き合って甘えるような、そんなヤツだった。
気がついた時にはもう遅かった。
色々頑張ってはみたものの、すべてが空回りで裏目に出てばかりで。
何もかも手遅れだった。
ストーカー一歩手前の行為までやらかしてばかりだった。
それが原因で仕事も手につかず、心が停滞したまま空白の時間が流れる毎日。
「いつかまた戻ってこい」と声を掛けてくれた、彼女のいる元職場から遠ざけられ
「うちにきてほしい」と歓迎してくれた同エリア内の別の店舗からも、すべて遠ざけられ……
言ってしまえば、すべて自業自得なのはわかっているけど。
自分は、他人に迷惑を掛ける事しかできない。
自分はその現実が受け入れられなかった。
自分を責める事しかできなかった。
あれだけ優しくしてくれた人を、自分が裏切り、この手で傷つけてしまったという自責の念しか生まれなかった。
悔やんでも悔やみ切れない後悔の連続だった。
家でもまったく口を利かなくなり、心配してくれる母親とも会話をしなくなり
某P店で友人といて談笑したりする事でしか…
親身に話を聞いてくれるメイドさんに相談に乗ってもらって、慰めてもらったり、励ましや癒やしを貰う事でしか…
自分を保っていられなかった。
自分が壊れてしまうと思った。
あまり家にも帰らなくなり、友人の家に連泊したり、渡り歩く日々が続いた。
すべてに自分の居場所を感じられなくなり、得体の知れない強迫観念や焦り、恐怖。
自分のちっぽけな許容量を超えて重くのしかかる現実に耐え切れなくなり、
嫌な事すべてから逃げるように、東京から姿を消した。
姿をくらまし、行方不明となった。
山梨の友人の家で厄介になっていた事もあった。
正直、樹海へ行く事も頭によぎった。
それだけの度胸はなかったけど。
高台の上から目前に広がる富士山と綺麗な景色を見て、多少心の洗濯はできた…かはわからない。
心配を掛けてしまった人達とも少しずつ話をして、
家に帰ってから母親とも少しずつ話をして、ゆっくり少しずつ…整理している毎日です。
やっと、少しずつ目の前の現実も受け入れられるようになってきました。
まだ、気持ちはどこか暗鬱として曇っていますが。
これからどうするか、今後の身の振り方はまだ決まっていませんが、
人より遅くても、多少遠回りな人生でも、
ゆっくり少しずつ、自分にできる事を一つずつ、やっていこうと思います。