03.7.19
昔は岩屋寺、高讃寺と併せて、知多三山と称した。ともに行基菩薩が開創したという天台宗の古刹である。
大宝2年( 702)開創と伝えられるが、宝徳3年(1450)再建の棟札が残る。寛永5年(1665)尾張藩主徳川光友が現在の本堂を建立した。
宮殿(ぐうでん)は国指定重要文化財、本堂・涅槃図・両界曼荼羅図は県指定文化財、本尊と脇士2体は市指定文化財である。
本尊は宮殿入り秘仏、左に不動明王、六地蔵、毘沙門天、右に不動明王、六観音、弘法大師を合祀する。
門前に枝をはる紅白つばき(写真右)は知多四国を開創した亮山阿闍梨のお手植えで、檜の枝が芽吹くという珍木である。知多四国霊場会・編 知多四国八十八所遍路より
観福寺の山門を出て左手に紅白つばきを見てから少し進めば、城之腰の信号です、ここで左折して進み、 大田川を樋橋で渡った先寺下の信号で左折、少し先で右折すれば
寺伝では天平勝宝元年( 749)行基菩薩が創建。
秘仏の弥勒菩薩座像(市指定文化財)は欅材の寄木造りで座高80cm、説に平安中期の作。 光背は寛永17年(1640)住持政久がご開帳に際して作り直したという。
大師堂には弘法大師を中尊にして、三世諸仏を合祀する。
前庭に八角堂がある。中に宝篋印塔(ほうきょういんとう)を据える。この周りを4回行道して祈念すると願いが叶うそうです。 (勿論四面毎、各回毎にお賽銭を上げなければなりません、お経を上げている人もいました)知多四国霊場会・編 知多四国八十八所遍路より
弥勒寺の仁王門は平成20年に再建される予定だそうです。
仁王門を出て、広い道で左折、東海市役所前信号の手前で右折して池下公園を左に見て進み東海市役所南東の信号から、
県道243号を進み、木庭橋北の信号で県道55号を渡って、伏見1丁目を過ぎ、姫島の信号の先が道が3本に分かれていますが、
右の道を行けば
臨済宗天竜寺派の開祖夢窓国師が後醍醐天皇の菩提を弔うため建立。
国師が七朝から賜った謚のうち、玄猷国師の号をもって寺名とした。
慶長5年(1600)4月、本寺の普済寺(東海市の名刹)5世在室岱存大和尚のとき曹洞宗に改宗。知多四国霊場会・編 知多四国八十八所遍路より
玄猷寺から元のみちを戻って伏見1丁目の信号で右折します。後田の信号で左折し、すぐ橋を渡ります、
この橋は富田川、富田橋となってましたが、地図では渡内川となってます。
橋を渡ってすぐ右折し、しばらく行って左折し、清水団地の駐車場の間の狭い道を入って行きます。
正音寺の前を過ぎた後右折すればすぐ左手に
本尊の聖観音立像(木彫中ぐり、像高98.5cm)は説に伝教大師作(案内標識には滋覚大師作となってます)、東海市指定文化財。
脇壇に阿弥陀如来と弘法大師をまつる。本尊は俗に「火防せの観音」と称す。知多四国霊場会・編 知多四国八十八所遍路より
この水槽にはきれいなハスが何本か咲いていました。
清水寺から先、突き当たって左折し、平洲小学校東の信号を過ぎ、富貴ノ台2丁目の信号で右折します。 県道249号に突き当たって左折、すぐ右折、またすぐ左折して、八柱神社の前を通って進めば
細井平州が幼少の頃勉学した寺である。細井平州の遺跡がある。
文永3年(1266)創建。天文2年(1533)僧昌増が中興した。その後火災にて焼失。 天正13年(1585)大須宝生院の鏡融法印の擁護により再建、後柏原天皇の勅願寺となる。
昭和20年(1945)戦災で焼失、昭和28年(1953)再建。
本堂に聖観音立像(ひのき一本造り、像高171cm)、薬師如来、弘法大師を合祀、客殿に大日如来を安置する。 境内に「即身成仏大師」塔が建つ。知多四国霊場会・編 知多四国八十八所遍路より
観音寺から先は加家公園(メルヘンの森)からしあわせ村聚楽園公園に到る遊歩道をたどればゴールの聚楽園駅に着きます。
「歩いて遥拝知多四国」は9月が最終回になりますが、10月18日からは2巡目が始まるようです。楽しみですね。