かなえの殺人レシピ(7)

 「介護やります」と徹底奉仕の末にー安藤建三さん焼死事件

 今年5月15日千葉県野田市内の一戸建て自宅が焼失し、焼け跡から安藤建三さん(当時80)が焼死体で発見されました。安藤さんは一人息子(36)と一緒に住んでいました。その子息氏の証言によりますとー
 「火災当日、僕は8時前に家を出ました。その日は部屋の模様替えをする予定だったので、父は9時には起きていたはずです。木嶋は業者が帰った後に来たのでしょうか…。昼頃、職場にいた僕のもとに火災だと通報が入りました。車を飛ばして駆けつけましたが、もう屋根が落ちていた。父は辛うじて人の形をしていましたが、無残な姿で表情などは分かりませんでした」。

 また子息氏は、「父はヘビースモーカーで、タバコの灰を部屋中に落とすような人です。“タバコの火の不始末が原因でしょう”ということで、一旦は落ち着きました」と言っています。
 現場検証した当初、そう判断したのは千葉県警です。しかしその後の捜査の結果、安藤さんの遺体のすぐ側に練炭が燃やされた七輪があったこと、司法解剖の結果遺体から睡眠導入剤の成分が検出されたなどの不審な点から、千葉県警は「事件の可能性あり」として極秘捜査を開始することになったのです。
 なお安藤さんは、糖尿病のクスリを服用していた程度で、睡眠剤は飲んでいませんでしたし、練炭を使うこともありませんでした。

 実は、事件の翌朝子息氏の携帯に佳苗から電話があったのです。「“お父さんの携帯がつながらないんですけど、どうされましたか?昨日伺ったんですけど”と連絡がありました。火事のことを告げると絶句していた。“当日いらしていたのなら、県警の方にお名前と連絡先を教えることになりますが、報告してもいいですか?”と言うと、特にためらうこともなく“別にいいですよ”ということでした」といったやりとりだったようです。

 そもそも安藤建三さんが木嶋佳苗と知り合ったのは、出会系サイトを通じてです。焼け跡から見つかった安藤さんのパソコンを解析したところ、ネット上で佳苗が安藤さんに最初に接触した時のものと思われるデータが出てきました。
 妻を10年以上前に亡くしてから安藤さんはネットにはまり、これまでパソコンを5台も買い換えたそうです。

 子息氏が、父の件で市に介護保険を申請すべきかどうか悩んでいた矢先の昨年10月、安藤さんから「木嶋さんという女性にボランティアで手伝ってもらっている」と説明を受けたそうです。安藤建三さんは「介護やります」といったことが書かれた、ネット上の佳苗の出会い系掲示板を見つけたのです。月に何度か安藤さんの方から「きょうは来てくれないか?」と連絡していたようです。
 なお子息氏は電話の声だけで、佳苗を見たことは一度もなかったそうです。それもそのはずで、佳苗は子息氏の不在時にしか安藤さん宅を訪問していなかったのです。

 ところでネット掲示板には、上記紹介文と共に“顔写真”も添付されていました。その写真は佳苗の本物の写真をパソコンで加工したもので、けっこう美人に写っているといいます。ところが実際会ってみると、写真とは似ても似つかない佳苗がやってくるわけです。大抵の男は写真と実物の違いにがっかりしたはずです。
 にも関わらず、その後被害者男性たちは佳苗との「深い関係」にはまり込んでいきます。なぜなのでしょう?
 佳苗に金を騙し取られた結婚詐欺被害者からの聴取で分かったことは、佳苗はまず徹底的に“男に尽くす”らしいのです。

 言いなりに何でもやってくれるので、気分が悪かろうはずがありません。特に安藤さんのような老人には、「介護やります」の言葉どおり、下の世話から何から何まで全部やってあげる。そうした「徹底奉仕」によって、男を骨抜きにしてしまうのだそうです。
 佳苗の凄まじいところはそれのみにとどまりません。男の「性的な要望」にも全面的に応えていたというのです。とにかく割り切り方は中途半端なものではなかったようです。既に見てきたように、佳苗は男を騙す際は「吉川桜」の偽名を使っていましたが、その時は本当に「吉川桜という別人格」になり切ったのでは?と思われるほどの割り切り方だったそうです。『本シリーズ(5)』で、「木嶋佳苗は多重人格者だ」という現捜査関係者のぼやきを紹介しましたが、それがここでも裏付けられたかっこうです。(安藤さんのケースでは最初は「吉川桜」で、途中から本名を名乗ったのでしょうか?)

 ともかく。その後の千葉県警の捜査により、銀行の防犯カメラの解析の結果、火災当日安藤さんのキャッシュカードを持ち出し、ATMから現金180万円を引き出している佳苗の姿が映し出されていることが判明しました。そのため千葉県警は内偵を続け、7月には近隣住民に佳苗の写真を見せ、目撃証言を集めていたといいます。
 捜査情報通によりますと、この件では「詐欺もしくは窃盗で決着の可能性」があるようです。自宅火災により証拠は残っておらず、福山定男さん、寺田隆夫さん同様殺人罪での立件は難航必至と見られています。

 なお安藤建三さんは、画家の安藤義茂(1967年、79歳で没)の次男でした。義重画伯は、1940年代塗り重ねた水彩絵の具を刀で削る「刀画(とうが)」の技法を確立した画家のようです。現在作品の多くは、故郷の愛媛県北条市の「北条ふるさと館」に寄贈されているとのこと。
 ただ残された絵の何点かは、次男だった建三氏が遺産として受け取っていた可能性があります。それを火災の際佳苗は持ち出したのです。というのも、逮捕時まで同居していた千葉県内の40代男性マンションを家宅捜索の際、運び込んだ生活用品と共に同画伯の絵3点が発見されたからです。
 佳苗は同居男性に、「安藤さんに300万円貸しており、その代わりとして受け取った絵なの。一部は生活のために売却したのよ」と説明していたそうです。

 ところで、安藤さん焼死事件では「異様な殺意が見られる」と指摘する専門家もいます。というのも、室内に練炭は置かれていたものの、死因が焼死だったからです。「練炭偽装自殺」だけに終わらせず、なぜ佳苗は火までつけたのか?証拠隠滅のためとも考えられますが、「もっと奥深い情念があったのではないか」と言うのです。ある心理学博士は以下のように続けます。
 「考えられるのは感情と感情の争い。犯人は(例によって“徹底奉仕”の)報酬としてしかるべき(かなり高額の)お金を要求したが、安藤さんはそれを拒絶。その上、“お前の正体は分かっている”などと罵倒した。その言葉に犯人のプライドは傷つけられ、より強烈な殺意を抱いた。だから家に火をつけて焼死に追い込んだのでしょう。一種の情動殺人です」。

 自身のブログ『かなえキッチン』で、5月15日当日のことを「サスペンスドラマのような一日でした」と悪ノリ記述をしていたそうです。  (以下次回につづく)

 (注記) 本記事は、11月12日号「週刊文春」「週刊新潮」11月5日付け「日刊ゲンダイ」などを参考にまとめました。

 (大場光太郎・記) 

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映画『ゼロの焦点』

 14日(土)夜凄い映画を観てきました。この日全国一斉公開となったばかりの『ゼロの焦点』です。映画館は、毎度行っている「ワーナー・マイカル・TOHOシネマズ海老名」。松本清張(まつもと・せいちょう)の同名小説の映画化作品です。
 同原作を清張自身は「代表作の一つ」と言っていました。原作は1958年3月から1960年1月まで、月刊『宝石』に連載されたもの。後に光文社の「カッパ・ノベルズ」の一冊として発刊されて大評判となり、これまで映画、テレビで何度も映像化されてきました。
 この度は松本清張生誕100年(1909年12月21日生)記念として、電通、東宝、テレビ朝日、朝日新聞社などの同映画制作委員会の手によって映画化されたものです。

 (あらすじ)板根禎子(後の鵜原禎子)は26歳。昭和32年11月、広告代理店勤務する鵜原憲一と見合い結婚をします。新婚旅行間もない11月末憲一は、「仕事の引継ぎをしてこなければならない」と禎子に言い残し、北陸の金沢へと旅立ちます。しかし予定の12月8日になっても憲一は帰京しません。そのまま何日かが過ぎ、不安に駆られた禎子は、一人金沢に向かいます。金沢で憲一の後任となった本多の協力を得ながら、憲一の行方を追います。その過程で彼女は、夫の隠された過去と生活を知ることになる…。 (フリー百科事典『ウィキペディア』より)

 よく「細部に神が宿る」と言われますが、全編を通してどこにもわざとらしさや破綻が見られず、スリリングなストーリーが小気味よいテンポで展開されていきます。単なる事件物、サスペンス物という枠を超えて、観る者にこの社会が抱えるさまざまな問題を考えさせる、重厚で奥行きのある映画だと思います。
 これは監督の犬童一心、脚本の犬童と中園健司らスタッフ陣の制作技術に負うところが大きいのでしょう。と共に、やはり何よりも「社会派」推理作家と称された松本清張の原作の緻密な世相描写、状況描写のたまものだと思われます。

 ストーリーの本筋とは関係ないながら。昭和30年代前半頃の、東京や金沢の町並み、当時の庶民の暮らしぶり、商業活動などが何の誇張もなくリアルに描かれています。小学校低学年ながら当時を生きた者として、『あヽ確かにこの通りだったよなあ』と、当時にタイムスリップして、画面のその場に身を置いているような臨場感が味わえました。
 それと金沢や能登など、北陸の冬の描写が見事です。テレビでおなじみの金沢市街や兼六園などはさておき。日本海に面した能登の寂れた漁村などの、荒寥(こうりょう)として陰鬱(いんうつ)な冬景色が、時に詩的な映像で迫ってくるのです。北国、雪国で生まれ育った私などは、思わず懐かしさを覚える風景です。

 この映画は、日本アカデミー賞を受賞した3女優が競演していることも大きな話題のようです。広末涼子、中谷美紀、木村多江の3人です。
 ヒロインの鵜原禎子役の広末は、‘08年の『おくりびと』で。室田佐知子役の中谷は、‘03年の『壬生義士伝』と‘06年の『嫌われ松子の生涯』で。田沼久子役の木村は、‘08年の『ぐるりのこと』で。
 広末涼子は日頃テレビ画面で、木村多江は「日本一不幸が似合う女」の称号(?)を得た『白い巨塔』の薄幸な女役で知っていました。しかし中谷美紀は、これまでは名前と顔を何とか知っていただけ。この映画によって、『何と凄い存在感のある女優なんだ ! 』と、すっかり認識を新たにしました。
 鵜原憲一役の西島秀俊、その兄鵜原宗太郎役の杉本哲太、憲一の部下の本多役の野間口徹など男性陣もよく好演しています。特に、一代で成り上がったアクの強いレンガ製造会社社長の室田儀作役の、鹿賀丈史の迫力ある演技には脱帽です。

 ストーリーは、ラストの大破局に向かって息もつかせぬサスペンス的展開を見せていきます。能登金剛という断崖絶壁でのシーンなどは、何やら現代版シェークスピア悲劇を見ているような、荘重で、鬼気迫る迫真のシーンで、必見です。

 原作『ゼロの焦点』で松本清張が訴えたかったのは、経済白書で「もはや戦後は終わった」と述べた昭和30年前半に到っても、「戦争の傷跡」は当時の社会の各層に色濃く影を落としているのだ、ということだったのではないでしょうか?(早速新潮文庫版を求めましたので、今後確認しながら読んでみます。)
 特に、中谷美紀演ずる室田佐知子と木村多江演ずる田沼久子の2人が共演しているシーンでは、戦後まもなく流行した名曲『星の流れに』の、
   こんな女に誰がした
というフレーズが聴こえてくるようでした。その“哀しさ”に思わず涙がこぼれてしまいます。

 さすが、「清張生誕100年記念作品」と銘打っただけのことはあります。私はこの映画は今年の邦画を代表する作品なのでは?と思います。
 ただ一方では、既に公開中の渡辺謙主演の『沈まぬ太陽』こそ年度代表作に相応しい、という評価もあるようです。『さて、どっちなの?』。近いうちそちらも観て、じっくり比べてみよう思います。といっても、『ヴィヨンの妻』結局観そびれたように、確約は出来かねますが。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(6)

 はじめて「練炭」が登場ー寺田隆夫さん中毒死事件

 寺田隆夫さん(当時53)は、今年2月4日東京都青梅市東青梅4丁目の自宅マンションの一室で死体となって発見されました。上から布団をかぶって仰向けの状態でした。
 寺田さんは1月30日夜立川市内の勤務先を退社後、出勤していませんでした。不審に思った会社の上司らが、寺田さんの自宅を訪れ遺体を発見したのです。死亡した一室それにそれ以外も4LDKの各部屋、洗面所に、練炭が燃やされた6個もの七輪が置かれてありました。

 寺田さんは同マンションに一人住まい。窓は密封状態、部屋にも施錠がされていたことから、現場を調査した警視庁青梅警察署は、「練炭自殺」による一酸化炭素中毒死と判断。寺田さんの遺体は司法解剖されることなく荼毘に付されました。
 しかしその後全部で3個あるはずの鍵が1つなくなっていることなど、死亡の経緯に不審な点があることから「殺人の疑いがある」と見て捜査をやり直すことになりました。
 すると寺田さんの携帯電話の着信履歴から木嶋佳苗の存在が浮上。なおも調べていくうちに、寺田さんは例の「婚活サイト」を通じて佳苗と知り合っていたことが判明しました。
 青梅署員が電話で佳苗に、寺田さん死亡に関して何か心当たりがないか尋ねたところ、「(寺田さんは)もし結婚できないんだったら、もう死にたいと話していました。だから自殺したのでは」と平然と答えたというのです。

 佳苗の答えも答えなら、「ちょっと、青梅警察署さん。そんなんでもう尋問終わり?電話でちょこっと向こうの言い分を聞いただけで?」ということなのではないでしょうか?いくらなんでも直接会いもしないで、佳苗が一方的に言ったことを「あヽそうだったんですか。了解です」と引き下がったということなのでしょう。
 まことに勝手な推論ながら。この場合「どうもおかしい」というのは署内から出たのではなく、寺田さんの関係者から突き上げられて、それで仕方なくということも考えられます。でも一旦「自殺」として処理済である以上、それが覆えるとなると青梅署ひいては警視庁の信用問題にまで発展しかねない。そこで形だけ捜査したふりをしてお茶を濁した、ということなのではないでしょうか?押尾学事件の田中香織さん変死時の、「事件性なし」とした麻布警察署の対応ぶりからもついそう勘ぐりたくもなるというものです。(余談ながら。たるみ切った全国の警察組織の覚醒を促すために、今年の流行語大賞候補として「事件性なし」をノミネートしてはいかがでしょう?何なら赤坂警察署に「流行語大賞」を差し上げては。でもやっぱり今年は「政権交代」で決まりか !?)

 ともかく。今回の寺田さん中毒死事件では、新たに「練炭」を使用しています。その後今年8月の大出嘉之さん(当時41)中毒死の時も、遺体が見つかった車中から練炭が発見されました。4LDKの広さには、つごう6個の七輪で。周到な計画性が感じられます。
 なお寺田さん事件に関しては、果たして木嶋佳苗の単独犯行だろうか?と疑問視する声も一部にはあるようです。というのも、急を要するはずなのに女の力で「6個もの七輪」を一気に運び込むのは大変なはずだ。誰か他に「男の共犯者」がいたのではないか?と取りざたされているのです。
 その人物が事件に関与していたかどうかは不明ながら。佳苗には確かに特別視していた男性がいたようなのです。(それについてはまたいずれかの機会に取り上げます。)

 いずれにしても寺田隆夫さんは、佳苗に1,700万円を振り込んでいました。寺田さんが亡くなった直後のブログ『かなえキッチン』2月13日付けには、
 「昨年(‘08年)秋に購入した中古のシルバーカラーのベンツのCクラスから、メルセデス・ベンツの上級車のEクラスに乗り換えた」
との記述が見られるようです。


 ネット関係者の間で佳苗は「赤飯婆」として有名だった

 まだ少しスペースに余裕がありますので、本題から脱線した話を以下にー。
 木嶋佳苗はネット上で、かなり前から「おかしなオンナ」として知られていたという話です。

 既にご存知かと思いますが、獲物の男どもを釣り上げるための罠として、ネットの「婚活サイト」の他に、佳苗は自身のブログ『かなえキッチン(ごはん日記)』をうまく活用していたとみられます。そして同ブログには赤飯に関する記述が多かったため、2チャンネル関係者の間では「赤飯婆(せきはんばばあ)」として有名だったというのです。
 
 あるITジャーナリスト氏によると、「ネット上には、大勢の変な人たちがいるのです。ウオッチしているときりがないくらいです」と前置きして、「自分の不倫日記にうっとり酔いしれている人妻。温泉の中で必ずオシッコをすると告白した医者…。自分の昔の日記をオークションに出品するトンチンカンな人もいるし、“なりすまし”も多数います。(中略)こういう人たちはネット住民の大好物。みんなで“バカ”を発見して掲示板に持ち寄り、楽しむ習性がある。マークされている人は、たいがいあだ名や符丁がつけられています。“赤飯婆”もそのうちの一人だったのでしょう」と話しています。 (夕刊紙「日刊ゲンダイ」より。日付不詳)

 (以下独り言)いやはや。だいぶ以前筒井康隆編で『人間みな病気』という短編小説アンソロジーがあったけれど。それから10余年、病気は快方に向かうどころか、世の中全体により広く深く蔓延しているわけで。「笑われる」ネット記事公開者も、それを見つけてきては寄ってたかって「笑いものにする」ネット住人たちも、皆々病気だ。
 私のこのブログも、どっかの掲示板で“笑いもの”になってるの?と考えるとゾッとする。もっとも、私ごとき弱小ブログには誰も関心ないか。「笑われる」のも有名ブログだからこそ。ならばいっそ思い切って、笑われる有名ブログになってやるか。といって、とにかく「有名ブログ」になることが、一番難しいのだし…。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(5)

 「皇族出身の母」に関する衝撃的ニュース

 今回は予定を変更して、最近起きた木嶋佳苗被告(34)の身内の痛ましい出来事をお伝えします。
 それを伝えているのは11月13日付け夕刊紙「東京スポーツ」です。(余談ながら)「東スポ」は誤報が多く内容が下品極まりないとの酷評も多く、お上品な人たちは決して読まない夕刊紙です。私は押尾学に関して新情報がほしくて、それ以来時折り購読を始めました。例えば木嶋佳苗については、他紙に先駆けてその顔写真や氏名などを第一面でスクープしてくれるなど、けっこう助かるのです。
 また夕刊紙「日刊ゲンダイ」の方は、数年前に大新聞の購読を止めてからほぼ欠かさずといっていいくらいに読んでいます。全体的に反権力で、パンチの効いた論調が小気味いいからです。

 さて木嶋佳苗の身内とは、母親のことです。その母親が今月初旬自殺していたことが明らかになったというのです。自殺の引き金になったのは、娘の佳苗が関わった一連の重大疑惑による心労のためと見られています。
 前回の『かなえの殺人レシピ(4)』で、福山定男さんに対して「お母さんは皇族の出身」と極めつけの騙し言葉を発したことを紹介しました。しかしもちろんそんなことはなく、母親は近所の子供たちに自宅でピアノを教えていました。6年ほど前佳苗をはじめ子供たち全員が上京したのをきっかけに、夫(佳苗の父親)とは別居し、佳苗が生まれ育った北海道別海町の家から30kmほど離れた実家で実母(佳苗にとっては母方の祖母)と一緒に暮らしていたそうです。

 いずれ「生い立ち」のところでもう少し詳しく述べるつもりですが、父親は(たまたま私と同じ)行政書士で、その父(佳苗にとっては父方の祖父)の経営する司法書士事務所に勤務していました。しかし4年ほど前、地元の人たちが「自殺では?」と噂している謎の死を遂げています。今回の母親の死によって、一家はまたも悲劇に見舞われてしまったわけです。

 母親は別居後また夫死亡後も、別海町の家に月に1、2回は立ち寄り家の掃除をしていましたが、娘の疑惑報道が出てからは姿を見せることがなくなっていたそうです。母親をよく知る人は、「すごくまじめで、責任感のある人だった。事故で足が不自由になってからも普段からボランティア活動をしていたし、今回の事件で“社会に対して申し訳がたたない”と思い悩んでいたようだ」と話しています。
 また突然の悲劇にショックを隠せない別の近隣住民は、「世間で娘さんが騒がれだした頃から表に出てこなくなった。こうなってしまって、悲しくてやりきれない」と話しています。

 父方は地元の名士の家系、そして元ピアノ教師だった母親。4人の子供たちはみな学業優秀で、毎日のように別海町の家で手の込んだ料理を作り、毎年近所の写真館で家族写真も撮っていたといいます。分けても一番早く生まれた長女の佳苗は、両親にとって自慢の娘だったようです。
 そんな近隣住民がうらやむような幸せな家族が、かくも無残に崩壊してしまうとは。

 その原因となった、「不幸を呼ぶ女」佳苗の近況はどうなのでしょう?結婚詐欺事件については「やりました」とペラペラしゃべり、「騙される男が悪い」としゃあしゃあと供述しているそうです。ただ複数の不審死事件について、「自殺に見せかけて殺したのでは?」と水を向けられても、「知りません」の一点張り。本人は『証拠がないから立件できない』と高をくくっていて、追い詰められたようすはまったくないというのです。
 逮捕後4日目になっても、食事にはまったく手をつけようとしない市橋達也とは対照的に、佳苗は出された3度の食事をペロッと平らげているそうです。

 留置所内の佳苗にも、実母の死は知らされているはずです。上のようすはその前なのか後なのかは分かりません。
 そういえば、最近は「佳苗報道がばったり」と思っていたら。テレビや新聞などの「節操のない報道」の自粛を求めて、10月30日埼玉地検が県警記者クラブに抗議文を送付したのだそうです。地検は情報をリークした埼玉県警にも怒り心頭。それで県警が急に情報を絞るようになったのだとか。

 ある捜査関係者は、「木嶋佳苗は一種の多重人格。自分が殺人を企てたことさえ忘れてしまったようだ」と言っているといいます。もし本当にそうだとしたなら、捜査員は今後とも相当てこずることでしょう。れっきとした性格、記憶を持った人格が佳苗の中に複数入れ替わり立ち代わり現われ、肝心の「殺人をそそのかした人格」は取調べ中決して出てこないとすると、嘘発見器も厳しい尋問もどこ吹く風なわけですから。
 多重人格は学術上の小難しい定義よりは、「アストラル界の複数の低級霊による憑依現象」と説明すれば話は簡単そうです。それにしてもとんだ“毒婦”がいたものです。
(以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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ご報告致します(9)

 11月11日すなわち〔イレブン・イレブン〕は、12月12日の〔トゥエルヴ・トゥエルヴ〕と並んで大変重要な日です。〔イレブン・イレブン〕の意義についてある情報ではー
 「まったく新しいレベルないしは局面の発見の開始、別な次元の体験ないしは別な周波数の体験。ポータルの道が開いた」
とあります。車のナンバーなどでこの数字に出あった時は、上記のような意味について考えるのはとても意義深いことのようです。
 そんな大げさなことはともかく。この日当ブログではおかげ様で、開設以来の総訪問者数が3万人を越えました。いつものとおり、訪問者数の概略を以下にご報告申し上げます。

(1)開設(‘08年4月29日)~‘09年11月11日(延べ日数ー562日)
   訪問者合計          30,035 人
   日 平 均             53.4 人
(2)20,000人到達時点(8月24日)~11月11日(延べ日数-79日)
   訪問者合計          10,010 人
   日 平 均            126.7 人
(3)訪問者10,000人当たり対比
   今回    79日で到達  (8月24日~11月11日)
   前回   132日で到達  (4月14日~8月24日)
   今回/前回           0.60      
(4)直前1ヵ月(10月14日~11月11日)
   訪問者合計           5,407 人
   日 平 均            180.2 人

 前回2万人到達は8月24日のことでした。それから79日で1万人もの方のご訪問をいただいたことになります。私は途中、『今年いっぱい、出来ればクリスマスイヴの前まで』と考えておりました。それからすれば、意外にも早くクリアー出来たなと思います。
 これは考えるまでもなく、この期間連続して起こった、押尾事件、酒井事件、木嶋佳苗事件、上田美由紀事件そしてつい先日の市橋達也の逮捕劇など、世間的関心の高い出来事や事件を積極的に取り上げて記事にしてきたためです。まさに「押尾学特需」「酒井法子特需」「木嶋佳苗特需」と言うべきです。(特に直前1ヵ月の日平均「180.2人」は出来すぎも出来すぎです。とても額面通りには受け取れません。)

 しかし訪問者の推移を見ますに、11月10日の市橋容疑者の逮捕がピークだったようです。世間の耳目を集中させる大事件などそうそう起きるはずもなく、またそうしょっちゅう起きる世の中だったら大問題というものです。
 私と致しましてもここで一段落ついたところで、今後はまたじっくり腰を落ち着けて着実な記事作りを心がけてまいりたいと存じます。
 
 ところで開設以来の総記事数も、あと数記事で「600」に達しようとしています。1年半余で600記事。我ながら「書きも書いたり」と驚いています。中には「一記事入魂」のつもりで(少しオーバーなから)心血をそそいで作成したものもあります。また先日の市橋逮捕の時のように、ビックニュースが舞い込んで勢いにまかせてまとめたものもあります。出来の良い記事、悪い記事。あまたありながらも、今となってはその一つ一つに愛着を感じます。
 訪問者数と共に、トップ面左窓の「アクセス数」表示でもお分かりのとおり、あと2,200弱で「50,000アクセス」に届きます。この数字は訪問者数同様、私自身の数を除外した純アクセス数です。こちらは早ければ今月中にも到達可能かな、と思います。

 一概に3万人とは申しましても。ご訪問者の内容は実にさまざまです。中には開設当初から、ほぼ毎日のように訪問されている方もおられます。そういう方はお一人で「500人以上」をカバーしてくださったわけで、改めまして心より深く感謝申し上げます。
 また昨年途中から「お気に入り」に登録し、それからほぼ連続でご訪問の方。年初から連続でご訪問の方。何ヶ月か前から、つい最近ご訪問の方。そして検索でたまたまご訪問の方。諸般のご事情で途中からご訪問くださらなくなった方…。
 当然のことながら、実にさまざまな方がおられます。どんなお方であろうとも、一度は当ブログにご縁くださったすべての方々に、心よりの感謝とご多幸をお祈り申し上げます。

 以前にも申しましたが。私ごとき者のブログ、北は北海道から南は沖縄まで、47都道府県すべてからまんべんなくご訪問いただいております。また時には、言語「English」「Chinese」「Korea」「French」「Spanish」「Germany」などでのアクセスもあります。(それらの方が日本在住の外国人の方なのか、海外からアクセスされているのかは不明です。)
 ともあれ全国各地から広くアクセスしてこられることを思う時、さらに「ガンバロー ! 」という元気をいただきますとともに、私の場合「大場光太郎・記」と実名入りで記事を公開している以上、あまり変な記事は書けないな、と改めて自覚させられる次第です。ただし最近は、けっこうバカなことも書いております。これは「サービス精神の発露」と、多少は大目に見ていただきたいと存じます。

 当ブログは、ブログ構成に凝っているわけでも、シャレた画像や音楽をアップしているわけでもありません。ただただ「文章一本」で勝負しようとしているブログです。その意味では今後とも、1日1万人訪問者・アクセスなどはとても望めそうにありません。
 ただせっかく開設したからには、当ブログ『今この時&あの日あの時』を出来るだけ多くの方に知っていただき、お読みいただきたいというのが、私の念願とするところです。
 どうぞ今後とも、当ブログよろしくお願い申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(4)

 「お母さんは皇族の出身」ー福田定男さん変死事件

 稀代の詐欺師・木嶋佳苗の本領が最も発揮されたのが、2年前の千葉県松戸市の福山定男さん(当時70)変死事件です。この事件は詐欺罪のみならず、佳苗による最初の殺人事件ともなったのでした。
 佳苗は福山さんから、一連の事件でも最高額となる7,400万円もの大金を巻き上げ、なおかつ福山さんを変死に到らせたのです。そしてこれが、後に世間を騒がせることになる知人連続不審死事件の序章となったのです。

 そんな大金をいとも簡単に騙し取られた福山さんは、脇の甘いお人好しの大金持ちだったのでしょうか。いや長年の親友の証言によりますと、「私たちには千円札すら出さない人で、近くのサティには商品が安くなる閉店前に行く」ほどの倹約家、悪く言えば吝嗇家(ケチ)で鳴らした人だったというのです。そんな人がなぜコロッと佳苗に騙されてしまったのか?
 佳苗は最初から『このジイさんかなりお金持ってそうだぞ』とにらんだらしく、相当の気合の入れようで、福田さんに騙(かた)りまくった話は半端ではありません。途中『ここまで言うか !?』と思わず「クックックッ」と笑ってしまうような佳苗の騙しのテクニック、とくとご覧あれ。

 福田定男さんは元々は古紙回収業や古本屋をやっていて、十数年前からリサイクルショップに転じたといいます。主に千葉県を中心に何店舗かを展開させていました。本宅は柏市にあるものの奥さんとは不仲でほとんど帰っておらず、普段は(死亡現場となった)松戸市内のリサイクルショップ本店の2階で生活していました。
 福山さんの30年来の親友によりますと、「ちょっと偏屈で取っつきにくい人。仕事には熱心、事業の展開では先見の明がありました。ギャンブルはしないけど、インターネットで株を売買して相当儲けていました」。数年前店の看板に『結婚相談所 幸せ売ります』と書かれていたこともあり、儲かることなら何でもやっていたようです。実際福山さんは周囲の人に「地元では私が一番金持ちだ」などと豪語していたそうです。

 「結婚相談所」の看板を掲げていた福山さんが、結婚詐欺師・木嶋佳苗と出会ったのはおよそ5年ほど前のことで、きっかけは例の「婚活サイト」。そこには以下の書き込みがされていました。
 <国立音大卒で今はヤマハに勤務していますが、ケンブリッジ大学に音楽留学したいと思っています。資金援助をしてくれる方を探しています。 吉川さくら>
 略歴から名前まで嘘で塗り固められた文面です。なお「吉川さくら」「吉川桜」は木嶋佳苗が20代の頃頻繁に使っていた偽名で、いずれまた取り上げる機会があるかもしれません。

 これを当の福山さんは何の疑問も持たず信じきって、メールを送ったのです。上記親友に、「凄い女と知りあったんだよ。28歳くらい。留学の支援を始めたんだ」と言って、すっかり舞い上がったようすだったといいます。
 佳苗の虚飾の仮面には、さらに幾重もの分厚い化粧が施されていきます。
 <国立音大を主席で卒業したんです><ヤマハの偉い人と一対一で話をして、特別にケンブリッチ留学を認めてもらったんです><おじいさんもケンブリッチを卒業したんですよ>…。
 メールのたびに明かされる“新事実”に驚きと喜びを隠せない福山さんは、そのたび「いやあ。凄いことが分かりましたよ。さくらちゃんのお父さんは東大の教授なんだって」などと、親友に頻繁に電話を入れていたそうです。

 そして‘07年3月頃になると、佳苗は極めつけのエピソードを伝えます。
 「お母さんは皇族の出身で、雅子様からお手紙をもらったこともあるんです。体調を崩して、今は家政婦さんと2人で暮らしています。雅子様はお見舞いにも来てくれました。お父さんは昔、セスナ機の離陸に失敗して死んでしまいました。一緒に乗っていた私も、その時怪我をしました」。

 「よくもここまで騙(かた)ったものよ」ではないでしょうか?ここまでくればもはや、「空軍パイロットでエリザベス女王の親戚」を名乗って女を次々に騙した“クヒオ大佐”も真っ青の、天才詐欺師の面目躍如といったところです。共に騙し取った総額1億円。奇しくも共に北海道出身。ただし大きく違うのは、クヒオ大佐(本名:竹内武男)は金は騙し取っても、人を殺(あや)めることはしなかったことです。それが「誇り高き詐欺師の矜持(きょうじ)」なのです。(なお『クヒオ大佐』は映画化されて、10月10日から全国ロードショー中です。出演:堺雅人、松雪泰子など)

 さて福山さんはというと、「華麗なる一族」への支援にすっかり陶酔気味だったようで、微塵も疑うようすはなかったといいます。ある時は「(彼女への支援額は)もう2千万円くらいかな」とも言っていたそうです。
 親子ほども年の離れた2人でしたが、ホテルに泊まることもあったそうです。「男女の関係もあったかもしれませんが、ただ“彼女は頭がいい”というだけで、容姿のことは一言も話さなかった。正直キレイとは言えないですし、福山さんもそう思っていたのでしょう(笑)」とは親友氏の言です。

 ただ、「少しずつ返します」と約束しておきながら、一向に借金を返そうとしない佳苗を、「老後の面倒を見てもらう」というほど信頼していた福山さんも、次第に怪しいと感じ始めます。親友氏は「亡くなる直前には、“そろそろ金を返してもらわないと。ヤマハの人や弁護士さんとも会って相談する”と言っていました。彼女にも“いつ返してくれるんだ”と言ったんでしょうね」と話しています。
 しかしそれから1ヵ月後。福山さんはリサイクルショップ本店2階の風呂場で、全裸で泡を吹いて死んでいたのです。発見したのは「一日中連絡が取れない」との従業員からの連絡を受けて部屋の鍵を開けた次女でした。

 発見直後救急車が呼ばれたものの、千葉県警は「事件性なし」と判断。当時は佳苗との金銭トラブルが明るみに出ておらず、司法解剖をされることもなく荼毘に付されました。
 今回の福山定男さん、そして次回の寺田隆夫さんについては、証拠が乏しすぎるため立件は絶望視されています。  (以下次回につづく)

 (注記) 本記事は、11月12日号「週刊文春」の“木嶋佳苗特集”の一部を引用しながらまとめました。

 (大場光太郎・記)

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横浜晩秋暮色

   さざんかの花弁落ちたる暮色かな   (拙句)

 巨大な雨雲に日本列島全体が覆われたこの日、『こんな雨の中、行くの嫌だなあ』とも言っておられず、かねての予定どおり横浜に行きました。
 横浜駅から根岸線に乗り継いで、今回は2つ目の関内駅で降りました。神奈川県庁担当部署に申請書類を提出するのが目的ですが、途中独立行政法人○○共済機構神奈川支部で某証明書を取ります。それを添付しないと受理されないからです。

 関内駅と隣接した横浜市庁舎の間の広場には、ケヤキが何本も植えられています。春は鮮やかなケヤキ若葉、夏には鬱蒼と日陰をつくるケヤキ並木の風情です。しかしこの晩秋、横浜港が目と鼻の先の海抜といってもあるかなきかの土地柄とはいえ、さすがにケヤキもだいぶ色づいて通る者の心を衝(つ)くものがあります。
 とはいえとにかく役所に急ぐ身には、十分に都会の中のケヤキ紅葉を味わういとまなどなく。降りしきる雨に濡れた舗道に散り敷く落ち葉をちらちら見やって足早に通るのみ。それでもふと、かのヴェルレーヌの名詩『落葉』の一節が頭をよぎりました。そして『そうだ。ブログで同詩を取り上げるんだったな』とも。ここ最近当ブログ、すっかり事件記事づいてしまって。

 ○○共済機構で証明書を発行してもらい、なおかつ日本大通沿いのいつもの日本生命ビル内の分庁舎の何階かに上ります。今回はそこでは、神奈川県の収入証紙を求めるためにです。ついでに申せば、国民、県民、市民あるいは民間業者などが担当機関に書類提出する場合、大きく「○○申請」と「○○届」の二種類があります。どこがどう違うのか?私にも今もって分からないところがあります。しかし確実な区別として、申請の場合はほとんどが「申請料」を納めるかたちとなります。つまり間接的な税金ですね。それが今回は、県の証紙を申請書所定ページに貼付という形態を取っているわけなのです。
 このように各行政機関は、実にさまざまな目に見えない形で「税」を徴収しています。なのに、それでも税収不足だというのですから。今回のテーマではないながら、現システムは根本的に間違っているところがあるのでしょうね、きっと。政権交代云々などでは解決できない根深いものが。

 今回は「経営事項審査申請」という申請のための来庁です。建設業者にとって、指名参加官庁の各工事ごとの基礎点数(ランク付け)が決まる重要な申請です。常時受け付けというわけではなく、各年度初めに県が決めたスケジュールの日だけの申請となります。そのため比較的大勢の業者、行政書士が押しかけるため、建設業課のある日本生命本社ビルでは対応できません。日本大通を越えて、より横浜港に近い民間のさるビルの何階かが以前から受付会場となっています。
 2社分の提出です。そのうち1社分は、先月末申請したものの、『そんなこと大勢に影響ないじゃん』というようなことを指摘され、不受理。業者に不正が多いからなのか、それとも単に国土交通省、各県お役所の権威をさらに強化したいだけなのか。建設業関係の申請はほぼ毎年のように手続き変更で。「役所の仕事はめっきり減ってるのに、こうやって業者を苦しめるようなことばかりやって」と、各業者さんのこぼすことこぼすこと。
 いずれにしても、前回は空戻りの厄日となりました。今回はその補正申請です。

 私は何年か前から、中途半端な時間に来庁すると、えらく待ち時間が長いもので、受付終了(今回は3時半)ぎりぎりくらいに行くことにしています。入ってすぐの長机の上の番号札を取って、ずらり並べられた待機用の長机の後ろの方に座ります。幸い本日はガラガラ、そんなに待たなくてもよさそうです。
 一番奥に長机が2つ並べてあり、来庁者と対面で4人の受付担当者が着席して書類審査しています。見れば前回はねられた時の、30代と思しきメガネをかけた痩せぎすの女性(私の最も苦手なタイプ)もいるではありませんか。私は内心『どうかあの人じゃありませんように』と念じながら待っていました。
 きょうは厄日ではなかったようで。物分りの良い男性職員で、審査の次第は順調に進み、両社ともめでたく申請受理とあいなりました。4時15分過ぎ頃、会場を後にしました。

 終日の雨のせいもあって、街はすっかり暮色が兆しています。本日深夜には例の市橋容疑者逮捕、千葉県警行徳署までの移送劇でてんやわんやでした。しかし街をひっきりなしに行き交う人々にとって、一夜明ければそんなことはまるで関係ないわけで。一人一人のスケジュール、行動パターン、生命(いのち)の軌道に急(せ)かされるように、めんめめんめに通りを足早に歩くのみです。
 街路樹や植込みの草花は、人事にはさらに頓着ないわけです。舗道上には、人の手のデフォルメのような大小さまざまなプラタナスの落ち葉が、定めなき人の世を暗示するようにてんでばらばらな方向に散らばり、濡れて舗道にべったり張りついています。さすが季節の移ろいというもので、植込みはもう山茶花(さざんか)が主流です。そのピンクの花が深まりゆく暮色の中で、引き立って見えています。また直下の地面には、早や散り急いだ花の幾片かが落ちていて、それもまたやけに生き生きと目に迫ってきたのでした。

 (大場光太郎・記)

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速報 ! 市橋容疑者逮捕 !!

 英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22)死体遺棄容疑で、全国に指名手配中の市橋達也容疑者(30)が、10日午後8時過ぎ大阪府住之江警察署で逮捕されました。
 市橋は同日午後6時すぎ、フェリーで沖縄に向かうべく、大阪府住之江区内の大阪南港フェリーターミナルの待合室で一人で待っていました。6時45分頃「市橋によく似た男がいる」という会社からの通報を受け、2人の警察官が駆けつけ職務質問したところ、「自分は市橋です」と素直に答えたためその場で身柄を確保され、その後の逮捕となったものです。その際市橋は、「弁解することは何もありません。何も話したくありません」と言ったといいます。(「市橋逮捕」の号外も出されました。)

 ‘07年3月千葉県市川市内の市橋の自宅マンションから、数人の警察官の職務質問を振り切って素足のまま逃走してから960日(約2年半)。とうとうこの日を迎えたわけです。
 フェリー待合室での市橋は、グレーのニット帽を目深にかぶり、上下グレーのスエット姿で、サングラスをかけうつむき加減に席に座っていたそうです。

 逮捕後市橋容疑者は大阪駅から新幹線に乗り込み、日付が変わろうする深夜JR東京駅に到着、混乱を避けるため一般乗客を先に降し、市橋の乗っていた中ほどの12号車から車内を歩いて先頭の16号車まで移動。そこから車外に出た市橋は、すぐさま近くの駅構内エレベーターで降り、11日午前0時4分同駅日本橋口に待機していた警察車両に乗り込み、捜査本部が置かれている千葉県行徳警察署に移送されました。

 同日午前0時40分、市橋を乗せた車が行徳警察署に到着。折からの激しい雨の中、車を待ち構えていた夥しい報道陣が取り囲み、たちまちもみくちゃ状態、なかなか前に進めないほどでした。同車は警察署裏手に回り、午前0時46分市橋はようやく車から降り警察署内へと入っていきました。
 黒いフードで頭からすっぽり覆われ、顔かたちを確認することはできませんでした。

 市橋容疑者逮捕の報を受け、イギリス中部コベントリーにあるリンゼイさんの実家前でリンゼイさん一家が会見に応じました。その中で父親は、「逮捕の一報を受け、体が震えて何度も聞き直しました。私たちは警察と協力しながらここまできた。決してあきらめることはありませんでした。正義がなされると信じていましたから。家族にとって最良の日となりました。ようやく長い闘いが終わった」と応えていました。
 リンゼイさんご一家には心からの祝意を申し上げます。それとともに、だいぶ失墜していた日本警察の国際的信用も、今回の逮捕で少しは取り戻せるのかな?と思います。

 市橋容疑者整形後写真の公開を受けた、6日の当ブログ記事『市橋容疑者は生きてたの !?』の中で、「今回の整形の件で市橋容疑者は、自ら墓穴を掘った」「包囲網は確実に狭められ、逮捕にそう時間はかからないかもしれません」と述べました。結果はまさにこのとおりになったわけで、そう述べた以上、本来何の関係もない私もほっと一安心という感じです。
 それにしても、私は『もう名古屋市内から一歩も出られないだろう。逮捕は名古屋でだろう』と思っていました。しかしどっこい。同市内で先月24日に鼻の整形手術を受けてから、やすやすと同市を脱け出し、今月初めには福岡市内のネットカフェを利用していたというのです。

 そして今回は10日午後2時頃、神戸のフェリー港で「沖縄に行きたい」と申し込み、「ここから沖縄には行けません。大阪南港で申し込んでください」と言われて、午後6時頃同港へと。結局そこで身柄確保となったわけですが、新写真公開後の厳しい捜査網をかいくぐって、名古屋ー福岡ー神戸ー大阪…(沖縄)と、よくもまあ好き勝手に移動できたものです。
 
 岐阜県羽島市の医師の両親の子として生まれた市橋達也。子供の頃は運動神経抜群の目立つ子。小さい時は「礼儀正しい良い子でしたよ」という近所評なのに、高校生の頃から「独りよがり」が目立つように。卒業文集には(木嶋佳苗、上田美由紀など最近は事件のたびに「卒業文集」がよく紹介されること)「牙が欲しい。強い牙が。誰にかかっていっても折れることのない、知恵の牙が」と。「俺が俺が」「俺が一番でないと気がすまない」目立ちたがり屋に変わったと言います。
 しかし千葉大学卒業後は仕事に就かず、その日暮らし。どうも今回の事件を引き起こすきっかけとして、高校時代の変貌ぶりが鍵となるのかな?とも思われます。

 逃走後の一部の足取りが、通報情報により明らかになりました。市橋は大阪府茨城市内の建設会社に、土木作業員として働いていたというのです。この会社で働き始めたのは昨年8月19日。大阪市西成区の路上で、「自分を雇ってほしい」と売り込んだのだそうです。その時は既に今回公開された顔になっていたとのこと。
 「井上康介、大阪出身、32歳」と名乗り、以後1年2ヶ月もの長期間住み込みで。社員寮の市橋の部屋からは指紋も検出されました。
 その時の市橋は同僚が「あの子が市橋?あんなまじめな子が?」と評するほどの、最初は土木の経験はなさそうだったものの、とにかくまじめにこつこつ仕事をし、食事も風呂も一人で…という人物像。月手取り15万円。ほとんど浪費せず、腹巻に金をしまいこんで持ち歩くほどの倹約潜伏生活。ここで100万円ほど蓄えたものとみられています。(同社時、海外逃亡を考えていた時期もあったもようです。)

 しかし今年10月11日、何か異変を察知したのか、給料を受け取った後に姿をくらまし、2日後に既に報道されている福岡の美容整形外科を訪れ、「予約なしでは」と断られ同月24日に名古屋市内の病院で整形手術…と、ここで足取りがつながるわけです。
 なお同建設会社以前は、あまり足取りは掴めていないものの、大阪市北区の堂山町にある“ゲイタウン”や西成区の飛田新地に出入りしたいたという情報もあるようです。

 最後に、父親の市橋逮捕後のインタビューをー。
 「ほっとしました。これ以上逃げても、リンゼイさんのご家族も私たちも、ともに苦しい思いをするだけだった。(達也は)事件の全貌を明らかにし、法の裁きを受け、自分で罪を償ってほしい」。ご自宅玄関前で両親揃っての会見でした。お二人とも聡明そうな立派な顔立ちのお方で…。何で市橋達也は道を間違えてしまったのか。土木作業員の時に見せた、ひたむきな仕事ぶりを自分の天職の分野で発揮していれば、相当の社会貢献が出来た男だったろうに。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(3)

 埼玉県警は殺人での立件を視野に逮捕した

 一部報道によりますと、木嶋佳苗が関与していたとされる複数男性の不審死は、結婚詐欺容疑での逮捕後の取調べの過程で浮上してきたものとされています。しかしこれは事実ではありません。

 埼玉県警が殺人事件としての立件を視野に、木嶋佳苗への本格的な捜査を開始したのは、逮捕前の8月からでした。実際にまず動いたのは、千葉県警の方だったようです。5月15日千葉県野田市の自宅火災で安藤建三さん(80)が焼死。それに佳苗が関わっていることを突き止めたことから、同県警は水面下で捜査を進めていたのです。
 そんな中今度は8月6日埼玉県内の駐車場に停めていた車中で、大出嘉之さん(41)が一酸化炭素中毒による死体となって発見されました。これにも佳苗が関与していることが分かり、所轄の埼玉県警が素早く動いたのです。県警関係者の話では「すぐさま、24時間態勢の(佳苗の)行動確認を始めました。」

 同警察関係者は続けます。
 「木嶋が自宅にいる時も外出している時も、ベッタリと複数の捜査員が張り付いた。行動の確認というと、対象者に悟られないように尾行するのが普通ですが、今回は違った。本人に悟られることなどお構いなしで、対象者の身辺に密着したのです。
 例えば、木嶋が電車に乗ると、捜査員が隣に座る。そして“天気いいですなぁ。きょうはどこに出かけるんですか?”と声をかけることもありました。」

 一見変わった捜査手法を選択した理由は、「対象者の心理動向を探ることが目的」だったのだそうです。関係者は続けて、
 「突然捜査員に張り付かれ、声までかけられた時に対象者がどういった反応をするかを見るのです。ポリグラフ(嘘発見器)にかけているようなもの。埼玉県警は、‘98年に発生した会社社長による保険金殺人事件の際にも同じ捜査手法を取って解決に導いた実績があります。」
 結局埼玉県警が結婚詐欺容疑で木嶋佳苗を逮捕したのは、9月25日のことでした。同県警はそれまで約50日間にも及び、上記のような佳苗の行動確認を続けたのです。その結果同県警は一つの結論を導き出します。
 「これは、完全否認事件になる。“本件”である殺人容疑で取り調べても、自白は得られない」。この同県警の判断は、警察庁にも報告として上げられているといいます。(事実佳苗は、詐欺罪についてはおおむね認めているものの、殺人については否認を続けているようです。)

 捜査関係者いわくー、
 「つまり、行動確認に木嶋は全く動揺しなかった。“相当なタマだ”と感想を漏らした捜査員もいますが、ともかく木嶋の行動は大胆極まりないものだったのです。」
 しかし捜査員を驚かせた佳苗の動向が、逮捕を早めさせる要因にもなったのです。行動確認をしている最中に、佳苗が埼玉県ふじみ野市の30代男性に接触していることが判明。「このままでは彼が第5の被害者になる」と、着手を判断したのです。
 また既に幾つかのテレビ局が取材、「室内の火災報知器すべてが持ち去られていた」などと報道しているように、佳苗は逮捕の6日前からネットで知り合ったばかりの千葉県在住の40代男性のマンションに転がり込み、同棲をスタートさせてもいました。
 9月25日の逮捕日は、そのマンションに捜査員が踏み込み、木嶋佳苗に任意同行を求めたのです。何が起きたのか分からないでおろおろしている同居男性に、佳苗は「大丈夫だから」と涙ながらに言い残したといいます。

 以上は、11月12日号「週刊新潮」の“木嶋佳苗特集”の一部を引用しながらまとめたものです。上記の中に、「このままでは彼が“第5の被害者”になる」という埼玉県警の判断を紹介しました。つまり佳苗が関与していると思われる不審死した男性は、捜査当局は合計「4人」と見ていることになります。
 しかし一部夕刊紙などでは、不審死した男性は「6人」としています。県名は明かされていないものの、後の2名はいずれも「関東在住」としています。それなりの裏づけがあってのことなのでしょう。捜査当局もさらに今後、その2名の不審死について何らかの情報を開示することになるのでしょうか。  (以下次回につづく)

 (注記) 本シリーズ、当初は数回くらいでまとまるだろうと気楽に考えていました。しかしどうもそんなものでは収まりそうになく、10回は軽く越えてしまいそうです。
 現在世間的関心は「鳥取県不審死事件」の上田美由紀の方に移ってしまったようです。現に9日には同事件関連でまた一つ新事実が報道されました。‘08年2月40代の鳥取県警の巡査部長が、謎の死を遂げていたことが判明したというのです。『えっ。警察官まで !?』と言うところです。この死はあくまでも自殺と見られていますが、同警察官は当時美由紀と不倫関係にあり、別れ話が持ち上がった直後の死だったようです。

 写真を見るかぎり美由紀容疑者は、率直に言いますと“キモイ(気持ち悪い)”感じです。実物は「さらにキモイ」という証言もあります。なのになぜ…?
 私が思いますに、上田美由紀にも確かに「詐欺師」的要素は多分にありますが、同時に「粗暴犯」的要素もかなりありそうで。今ひとつ強い関心が持てません。
 そのようなわけで。あくまでも『かなえ殺人レシピ』をメーンとし、美由紀情報は適宜にということにさせていただきます。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(2)

 逮捕のきっかけとなった結婚詐欺事件について

 3千万人首都圏人口の巨大な無名性にまぎれて、木嶋佳苗(34)は人知れず恐るべき闇の行為を重ねていたのでした。闇が現れようとしていた時には、現在露見している犯罪のすべては仕上げられ、なおかつ次なる獲物に間近に接触もしていたのです。
 30代半ばの女の恐るべき事件が表に現れ出るきっかけとなったのは、9月25日佳苗が結婚詐欺容疑で埼玉県警から逮捕されたことです。いやその時は、日常茶飯事に各種犯罪が恒常的に頻発している当今、一人の30代女の結婚詐欺のことなど報道機関も世間もまったく関心を寄せませんでした。

 それがにわかに注目され出したのは、逮捕から1ヵ月あまり経った10月26日のこと。それまでマスコミに伏せられていた佳苗の本当の「逮捕事実」を、読売新聞がスッパ抜いてからです。
 それによりこの事件は単なる結婚詐欺事件にとどまらず、複数人の男性が謎の死を遂げており、いずれにも木嶋佳苗が関与しているらしいということになり、「稀に見る大事件」とばかりに各報道機関が以後狂乱的に報道合戦を繰り広げたのでした。

 いずれにしても9月25日逮捕のきっかけとなったのは「結婚詐欺事件」です。まずはこの事件から振り返っていくことにします。
 結婚詐欺を遂行する上で佳苗が使ったのは、ネットの「婚活サイト」でした。世の中の「婚活ブーム」にあやかり、現在婚活サイトの運営会社は4000社にも上るといわれています。その中で佳苗が利用したのは検索サイト「ヤフージャパン」が運営する婚活サイト「ヤフーパートナー」でした。最も信用度が高く利用客の多い同サイトを利用することで、佳苗は登録者のうちでも「カネを自由に使える」いわゆるお金持ちの男性を特にピックアップし、ターゲットにしていったものと考えられます。

 佳苗は同サイトで「学生」や「介護ヘルパー」と自己紹介。そうやって関係が進み結婚話が出ると、さあそこからが口八丁手八丁の佳苗の本領発揮です。「私は大学院生です。学費が3ヶ月未納で卒業できません。卒業したらあなたに尽くします」と持ちかけ、生活費や学費などを無心していったのです。
 今回はその中で、長野県塩尻市内の50代男性と静岡県の40代男性の2人から、合計330万円を詐取した疑いで逮捕されたのでした。同容疑では、佳苗は10月21日起訴されました。
 また同じような手口での、長野県の50代後半男性と埼玉県の30代後半男性への詐欺未遂容疑でも、10月21日再逮捕されています。
 佳苗は詐取した金は「クレジットの返済に充てた」と言い、生活費への充当目的で詐欺を繰り返していたとみられています。そしてこれら一連の「詐欺罪」について、佳苗は容疑及び起訴事実を認めているとされます。

 ところで木嶋佳苗は、押収したパソコンを解析した結果、ヤフー婚活サイトのような大手サイトの他に「不倫サイト」「愛人サイト」へも顔を出していた可能性が高いことが分かったといいます。実際佳苗は、不倫相手を探す出会い系サイトに名前を登録し、交際にこぎつけた83歳の無職男性を脅し、百数十万円を受け取ったとされています。
 幾つもの偽名を使いながら数十人の男性と接触し、同じような手口でやられた被害者はゆうに20人を超えるとみられています。しかしそこは知能犯の佳苗のこと、予め社会的地位が高く被害届を出しずらい男性を狙い撃ちしていて、捜査当局も実態を把握しにくい状況のようです。

 こうして見てきますと、改めて「婚活サイト」や「出会い系サイト」の持つ怖い一面が垣間見えてきます。いくらヤフーの同サイトが「本人確認」をきちんと取っている優良サイトとはいえ、時に木嶋佳苗のように最初から詐欺目的で同サイトにアプローチしてくる輩を防ぐことは難しいわけです。いわんや偽名や偽情報をいくらでもデッチ上げられる、出会い系サイトに至ってはなおさらです。
 
 今回の木嶋佳苗の一連の事件によって、せっかく盛り上がっていた昨今の「婚活ブーム」も下火になるのでは?と懸念されています。男女とも結婚年齢が上がり少子化している今日の社会。その意味で婚活ブームは、今日の社会的要請によって生じたブームといえなくもありません。

 しかしだからといって、「結婚」という人生で最も大事なことの一つを、ネットによる出会いに求めても良いのだろうか?見合い結婚の一つのバージョンとして、それはそれでうまくまとまりめでたくゴールイン、その後も「ハッピー、パッピー」というケースがないとはいえないけれど。見えない相手を、じっくり時間をかけて各方面から見定めてからならともかく。ネット上の甘い言葉にすぐに飛びつくようでは、いくら何でも少し安直すぎはしまいか?
 中には同サイトに登録した個人情報を他に売り飛ばしたり、飛びついてきた男性に対して、美人局(つつもたせ)のようなことをしている悪徳業者もいるというし。

 俗に「魚心あれば水心」。その心理にうまくつけこまれた被害男性にも、何らかの責任があったのではないでしょうか?
 それにしても多額のお金ばかりか、人によっては命まで奪われることになろうとは…。
 その意味で木嶋佳苗の今回の事件は、結婚相手すらもバーチャルなネットで探そうとする風潮に、一石を投ずることになったことは間違いないのかもしれません。  (以下次回につづく)  

 (大場光太郎・記)

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