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がんを生きる:ここに在る幸福/1 腰痛は骨への転移だった

 気が付いた時は既に末期だった。抗がん剤治療を受けて1年、この11月、毎日新聞社出版局の三輪晴美さん(45)が職場に復帰した。「人生ゲームの『乳がんになる』というマスにコマを進めてしまっただけ」。そう受けとめながらも、心は揺れ動く。告知、治療、そして支えてくれた家族や友人……。復帰までの思いを本人がつづった。

 ◇大きかった胸のしこり、実家ある関西の病院へ

 「もしかしたら」と思った瞬間のことはよく覚えている。

 昨年の11月半ば。数カ月患っていた腰痛で、とうとう体を起こしているのがつらくなり、ほとんど出社できずにいた。1人暮らしのマンションの一室。テレビのリモコンと携帯電話を手元に置き、食事とトイレ以外はソファに横たわる毎日。

 そんな状態が2週間ほど続いただろうか。腰痛とほぼ同時に気づいていた左胸のしこりが、乳房全体が硬くなるほど大きくなり、熱を帯びている。不吉な予感に襲われた。「腰痛は胸のしこりと関係がある……とすれば、最悪の事態だ」

 10月末から整形外科に通い、MRI(磁気共鳴画像化装置)やレントゲン撮影で「椎間板(ついかんばん)の損傷」、さらに「数カ所の圧迫骨折」が指摘されていた。原因は不明だが、内臓の疾患によるものではないだろうという。「がんならもっと痛むはずです」とも。しかし、医師のその言葉で、逆にそういう可能性があることも知らされていた。

   *

 翌日、不安を胸に病院に行く。数日前に新たに撮ったMRIの結果が出ていて、首のほうまで骨が溶けてきているという。そこで初めて胸のしこりについて話すと、医師は顔色を変え、即座に総合病院での受診を促した。

 翌日、友人に付き添ってもらい、紹介状を手に東京都新宿区にある国立国際医療センターに行った。その日は整形外科の外来日。診察室に一人で入った。長椅子に横たわり、今までの経過を説明する。医師は資料に目を通しながら、神妙な面持ちで胸を触診した。

 「がん、ですか?」と聞いた私に、医師はただ静かにうなずいた。これが告知の瞬間だった。腰痛は、乳がんが骨に転移したことによるものだったのだ。

 診察室を出て、とりあえず待合室の椅子に座った。ダクトがはう古びた壁を見ながら、「世界は何て美しいんだろう」と思った。絶望でもない、悲しみでもない。そのときの気持ちは、今でも言葉にするのが難しい。

   *

 次の日、母が上京。がんであることを告げた。多くを話し合うまでもなく、治療のため関西の実家に帰ろうということになる。翌日、再び国立国際医療センターに行き、初めて乳腺外科の診察を受けた。そこで医師とどんなやりとりをしたか、ほとんど記憶がない。母によれば、私は「(余命は)あと3カ月ぐらいですか」と聞いたというが、覚えているのは医師がただ暗い表情で顔をそむけたことだけだ。今思えば、それも幻影だったのかもしれない。

 がんと分かったからには、一日も早く治療が受けたかった。同郷の友人がほぼ半日で地元の病院の情報を集め、転院の手続きまでしてくれた。その際、整形外科医から連絡がほしいとの伝言を受けたという。ベッドの中から電話をかけてみると、先日受けた「骨シンチグラフィー」(がんがどの程度骨に転移しているかの検査)の結果、首の骨も頭の骨も危ないという。「移動するのは危険」と言われたが、何が何でも関西に帰りたかった。

   *

 2日後。母と友人が、慌ただしく部屋の掃除や荷造りを済ませてくれ、羽田空港に向かうタクシーに乗り込んだ。途中、クリスマスのイルミネーションで華やかな銀座を通る。「この光景はもう二度と見られないかもしれないな」とぼんやり思った。空港には職場の上司と同僚が来てくれた。手短に仕事の引き継ぎを済ませ、車椅子のまま最後のあいさつをする。首は曲げられないから、笑顔で小さく手を振った。2人の「待っているから」の言葉が、ただありがたかった。

 伊丹空港では父と兄が待っていた。兄の運転する車で兵庫県芦屋市の実家に向かう。就職と同時に上京して20年。まさかこんな形で帰ってくることになろうとは。家に着き、仏間に布団を敷いてもらい、コルセットをはめた重い体を横たえた。

 そうか。私はこういう運命だったのか。たとえもうすぐ死ぬとしても、これまでの人生はそこそこ楽しかったから悪くはないかもしれない。心残りといえば、親より先に死ぬこと、そして好きなヨーロッパへは二度と行けないこと……。

 眠れないまま思いはめぐる。個々人の命の長さは、神の采配(さいはい)によるものなのだろうか。死にゆく者としての今の私は、強制収容所に送られたも同然ではないのか。頭髪をそられ、囚人服を着せられたユダヤ人女性の姿に、抗がん剤で髪が抜けるであろうパジャマ姿の自分が重なり、底知れない恐怖を覚えた。

 翌朝、転院先である神戸の中央市民病院へ行き、整形外科の診察を受けた。骨シンチの結果を前に、医師は「かわいそうに。東京でバリバリ働いてたんでしょう」と優しく言う。やはりもう仕事には復帰できないのだろうと思った。【三輪晴美】=つづく

 ◇自覚症状ない乳がん、診断時点での転移多く

 乳がんはある程度進行するまで自覚症状がなく、診断時に既に遠隔転移している場合も少なくない。転移する部位で最も多いのが骨。そして肺、脳、肝臓も多い。骨に転移すると背中や腰の痛み、肺の場合はせきが続くなどの症状がある。

 骨転移自体が直ちに命を脅かすことはないが、骨折や痛みを伴い、生活の質を著しく低下させる。治療は転移の進行や骨折を防ぐビスフォスフォネート製剤の投与が基本で、痛みを除くため放射線治療をすることもある。

 乳がんは一般的に、他のがんに比べて進行が遅く、手術後10年以上たって再発・転移する例もある。初期で見つかっても、長く治療を続けることが必要だ。

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 ■人物略歴

 ◇みわ・はるみ

 64年、大阪府生まれ。89年毎日新聞社に入社、事業部を経て92年から出版局勤務。編集者として、雑誌や単行本を作り続けている。

毎日新聞 2009年11月17日 東京朝刊

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