2009年11月14日(土)
いつもいつも、貴重な情報と、素敵なコメント
励ましを有難うございます。
毎日 外出先からも コメントを読ませて頂いています。
お返事がなかなか書けずにいてごめんなさい。
必ずお返事書きますね
明日は一日、箕面教会の行事で
神戸住吉教会と 神戸中央教会巡礼です。
楽しみです。
2009-11-14 03:13
|
記事へ |
コメント(2) |
トラックバック(0) |
|
おつるの日常 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1117/
2009-11-14 02:32
|
記事へ |
コメント(2) |
トラックバック(0) |
|
西村修平さん「主権回復を目指す会」 /
政治 /
日本シルクロード科学倶楽部 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1115/
2009年11月12日(木)
11/3
11時〜小田学長から、
学生募集停止決断さぜるを得なかった理由説明会
13時〜 同窓会
14時〜 「教会の社会教説綱要」出版記念
カトリック3大学連続シンポジュウム
「人間共生の在り方と社会教説」
聖トマス大学創立50周年記念行事・第47回開学記念講演会
T シンポジゥム マイケル・シーゲル
橋本昭一
本田哲郎
松本信愛
加藤賢一
U 交流会 池永大司教 パネリストの先生との交流
***********************************************
〜上記の学生募集停止の理由説明会の
卒業生の参加者さんのレポート〜
11月3日 先ず、お祈り。
チャペル外側の壁には TAGUCHI〜〜〜〜と彫ってあります。
宗教学とキリスト教学は、必修科目で
このチャペルで授業もありました。
どうぞ、この大学をお守りくださいませ、何時でもここに戻ってきてお祈りができますように。
本館、通称階段教室で 学長と外国人神父様、理事長代理の3人、
司会は同窓会役員の男性の方
学長がこれまでのことを話し始めると、
60すぎの男性が(教師)
そんなんはもういい、これからやどうするんですか?新幹線で朝か ら来たんや、お金が必要ならだす。
このひときれている。(殺気だっている。)
学長ー
現在2校から話がある。文科省と機密に話をすすめているらしい。
相手がわの財務状況も調べなくてはいけない。
学校名は言えない。ミション系大学ではない。
60位の女性-
私は、英知で皆で草ぬきをしてグランド整備をしました。
そこから始めました、学費が払えないので月賦にしてもらい、
また神父様にお金をお借りして大学に通いました。
娘2人も英知でお世話になりました。
経営が苦しいと聞き、イエズス会かドミニコ会が
助けてくれると思っていました。
学長ー
私が決め たのではない
教授会で決めた。
学長の話し方は、明瞭で聞きやすいが、心がこもっていないし、
人の心を救い、癒す聖職者と思えない。
次々手があがるのに時間だからと、終わってしまった。
ひどいこの人神父様?
次に、
教授、
学長のやり方ゆるせない
かなり怒って教卓をたたいて話しておられました。
どうなるのでしょうね?
ミッション大学に引き継いでもらわないと、あのチャペル壊す?
倉庫? そんなことしたら大阪教区の信者の方怒らない?
田口枢機卿が苦労しておつくりになった。
大学、チャペル 、校舎の外壁にマリア様とイエズス様
悲しいけど終わりですね。
第3回 聖トマス大学 人間共生の在り方と社会教説
卒業生は、たぶん だれも参加していない・・・・・・・
下記参照
2009年06月08日(月)
◆カトリックの 聖トマス大学がつぶれる日
兵庫県の聖トマス大が募集停止
「学校運営が困難」
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/892/
2009年06月17日(水)
◆聖トマス大学がつぶれる日A
ある卒業生より「母校・英知大学の破綻について」
http://blogari.zaq.ne.jp/otsuru/article/900/
*******************************************
ところで、余談ですが
私や心ある仲間が、
聖イグナチオ教会へ、抗議団体が抗議を行った日に
私たちは、その抗議団体に謝罪と 言葉を受け止めるため
立ちあいました。
その時の 私と、夫、そして、同じく謝罪に訪れた
私たちのカトリック信徒のグループの写真が
隠し撮りされ、カトリック正義と平和協議会により
大阪教区に、
「右翼」として 回覧されているそうです。
私たちはその写真をまだ見ていませんが、
一緒に参加した女性が、知り合いの信徒さんから聞いて
ショックを受けておられます。
抗議の場を隠れてこそこそ覗いていて、
私がご挨拶すると 無言で逃げていった
カトリック正義と平和協議会の事務局 元松浦吾郎補佐司教の
秘書でもあった 長澤助祭か
もしくは、イグナチオの神父様、ピース9関係者?が
植え込みから
抗議団体に ヤジを飛ばしておられ、
私たちを撮影していましたから
確定はできませんが、どちらかから流れているのでしょう。
私とともに、その場にいたカトリック信徒のメンバーは
「右翼」でもなければ
写真を勝手に公開されても許されるような 聖職者や公人では
ありません。
私は そのような卑劣な行為に 強く 抗議します。
2009-11-12 03:34
|
記事へ |
コメント(3) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1113/
11.12反日左翼集団の反天皇集会・デモへの抗議活動【関西支部】
〜 え〜かげんにせーよ反天連! 〜
【最新情報】11月6日詳細情報追加
天皇陛下は、本年1月7日で御在位満20年を迎えられました。しかし、御在位20年を記念し、国民こぞってこれをお祝いする11月12日(木)(平成2年の「即位の礼」が行われた日)に、泥水を浴びせようと画策するヒトたちがここ大阪の地においても蠢いている。1日に我々は無許可街宣で厳重な制約の中ではあったが抗議の意思をJR天満駅の国労会館前にて「お馴染みの犯罪極左」に罵声を浴びせたが得心いくものではなかった。「人権侵害と民衆の分断・差別、排外主義の元凶である」「式典等では「日の丸」と「君が代」があたりまえのように揚げられ、流され、強制されるでしょう。」などと我が国元首及び象徴に対する罵詈雑言を決して許すことは出来ない! 今回は大阪府庁周辺でのデモであり、自治労関係者の参加も多数予想される。我々は行政を牛耳る極悪人どもに対しても断固抗議し、良識派の職員を呪縛から解放しなければならない。
【日時】
平成21年11月12日(木)13:00集合
【場所】
NHK大阪放送局北東角 馬場町交差点
市営地下鉄谷町線 谷町4丁目駅
京阪電車 天満橋駅
【共催】
在日特権を許さない市民の会・関西/主権回復を目指す会・関西
【生放送URL】
http://live.nicovideo.jp/gate/lv6268057
※雨天決行、国旗・プラカード持参歓迎
【問合せ先】
在特会関西支部
zaitokuhantai3@gmail.com
********************************************
ろーちゃん 企画
急ですが、 『秋の売国ツアー in 神戸 2009』 のお知らせです。
開催日:11月13日(金)
集合場所:阪急三宮駅北側のハーゲンダッツ前あたりです。
出発時間:11時40分に、出発します。
・NHK神戸放送局
・兵庫県教職員組合(日教組に加入)
・民主党兵庫県総支部連合会
・自由民主党兵庫県支部連合会
・駐神戸大韓民国領事館
に対して、外国人参政権反対などの街宣を行います。
人数が集れば、ついでにビラも配ります。
1番の重点対象は、今回はNHKです。
なお、NHKの隣が韓国領事館です。
兵教組は、外国人参政権に直接は関係ないので、今回は飛ばす可能性が高いです。
なお、兵教組の2、3軒隣が民主党です。
********************************************
ウイグルTシャツを着てハーフマラソンを走る
溥儀ちゃんを応援しよう in川西一庫マラソン大会
川西市役所ホームページより
http://www.city.kawanishi.hyogo.jp/shimin/sports/sportsjigyo/marathon0/marathon27.html
大会実施日
平成21年11月15日(日)雨天決行
実施場所
川西一庫ダム周遊マラソンコース(兵庫県川西市・猪名川町・大阪府豊能町・能勢町)
主催
川西一庫ダム周遊マラソン大会実行委員会
社団法人川西青年会議所
川西ライオンズクラブ
川西能勢ライオンズクラブ
川西中央ライオンズクラブ
国際ソロプチミスト川西
川西市陸上競技協会
競技主管
川西市陸上競技協会
後援
川西市
川西市教育委員会
猪名川町教育委員会
豊能町教育委員会
能勢町教育委員会
独立行政法人水資源機構一庫ダム管理所
社団法人川西市医師会
財団法人兵庫県園芸・公園協会一庫公園管理事務所
財団法人川西市体育・スポーツ振興事業団
協賛
阪急電鉄(株)
(株)阪急阪神百貨店
(株)阪急交通社
阪急バス(株)
(株) 阪食
モザイクボックス
能勢電鉄(株)
川西都市開発(株)
(株)パルティ川西
協力
川西市商工会
兵庫県柔道整復師会
来場交通手段
阪急・能勢電鉄川西能勢口駅
↓ ↑ 10分間隔にて運行、所要時間20分程度
能勢電鉄山下駅
↓ ↑ 徒歩、所要時間5分程度
東谷小学校校庭
↓ ↑ 無料送迎バス(7:45から14:00運行)、所要時間5分程度
マラソン大会会場(一庫ダム管理所)
※東谷小学校は大会関係者専用駐車場になりますので、参加者及び観覧者は使用できません
大会プログラム
8時30分 参加者受付開始(各競技種目30分前まで受付)
8時40分 開会式
9時00分 交通規制開始
9時30分 10kmの部スタート 11時00分表彰式
9時40分 2kmペアの部スタート
10時20分 ハーフマラソンの部スタート 12時30分表彰式
10時30分 5kmの部スタート 11時50分表彰式
10時40分 3kmの部スタート 11時40分表彰式
12時30分 ハーフマラソンあと2km地点にて関門閉鎖
12時55分 競技終了
14時00分 交通規制解除
溥儀ちゃんは 右の人です↓
********************************************
【11.14 日本解体阻止第2弾・守るぞ日本!国民大行動】
亡国、売国の道をまっしぐらに進む民主党政権に、日本草莽の痛撃を!
日本の長い歴史と伝統文化の国柄を解体し、明らかな憲法違反でもある「外国人地方参政権」を日本国民の名において断固拒否し、これを推進しようとする民主党、公明党
を糾弾し、日本草莽の力で、この亡国売国法案を阻止しましょう!
全国草莽は、東京・銀座に総結集し、銀座を怒りの声と「日の丸」「草莽崛起」の旗で埋め尽くそう!
(※日の丸持参大歓迎です!)
これから生まれ、育っていく日本の子供たちのために、亡国法案「外国人地方参政権法案」絶対阻止へ、
全国草莽は草莽崛起して、銀座へ!!
■期日■
平成21年11月14日(土)雨天決行
■内容■ ※日の丸持参大歓迎
10時00分〜12時00分 有楽町マリオン前にて大街頭演説会
13時00分〜14時00分 常盤橋公園にて デモ準備・隊列
※常盤橋公園(東京都千代田区大手町2-7-2)
東京メトロ半蔵門線「三越前」駅徒歩2分
14時00分〜15時00分 デモ行進 常盤橋公園 → 日比谷公園
15時30分〜17時30分 有楽町マリオン前にて大街頭演説会
■登壇予定■
[敬称略・順不同] ※ 11/10現在
高市早苗(衆議院議員)、西村眞悟(前衆議院議員)、赤池誠章(前衆議院議員)、馬渡龍治(前衆議院議員)、小田村四郎(元拓殖大学総長)、井尻千男(拓殖大学日本
文化研究所顧問)、西尾幹二(評論家)、田母神俊雄(前航空幕僚長)、小林正(教育評論家)、百地章(日本大学教授)、西岡力(「救う会」会長代行・東京基督教大学
教授)、増元照明(「家族会」事務局長)、山際澄夫(ジャーナリスト)、伊藤玲子(元鎌倉市議会議員)、三輪和雄(日本世論の会会長・正論の会代表)、藤井厳喜(国
際問題アナリスト)、西村幸祐(評論家・ジャーナリスト)、小山和伸(神奈川大学教授)、大高未貴(ジャーナリスト)、三橋貴明(経済評論家・作家)、松浦芳子(草
莽全国地方議員の会代表・杉並区議会議員)、土屋敬之(東京都議会議員)、三宅博(前八尾市議会議員)、永山英樹(台湾研究フォーラム会長)、村田春樹(外国人参政
権に反対する市民の会東京代表)、平田文昭(アジア太平洋人権協議会代表)、英霊来世(ミュージシャン) ほか 地方議員多数
■賛同者■
[敬称略・順不同] ※ 11/10現在
渡部昇一(上智大学名誉教授)、小堀桂一郎(東京大学名誉教授)、田久保忠衛(杏林大学客員教授)、日下公人(評論家・社会貢献支援財団会長)、下村博文(衆議院議
員)、衛藤晟一(参議院議員)、山谷えり子(参議院議員)、古屋圭司(衆議院議員)、西田昌司(参議院議員)、古川禎久(衆議院議員)、有村治子(参議院議員)、中
山成彬(前衆議院議員)、島村宜伸(前衆議院議員)、戸井田徹(前衆議院議員)、萩生田光一(前衆議院議員)、牧原秀樹(前衆議院議員)、すぎやまこういち(作曲
家)、藤岡信勝(新しい歴史教科書をつくる会会長・拓殖大学教授)、阿羅健一(近現代史研究家)、伊藤哲夫(日本政策研究センター代表)、宮崎正弘(作家・評論
家)、八木秀次(日本教育再生機構理事長・高崎経済大学教授)、花岡信昭(ジャーナリスト・拓殖大学大学院教授)、荒木和博(特定失踪者問題調査会代表・拓殖大学海
外事情研究所教授)、井上和彦(ジャーナリスト)、柚原正敬(日本李登輝友の会常務理事)、岡本明子(フリーライター) ほか
■主催■
草莽全国地方議員の会、外国人地方参政権絶対阻止行動委員会、日本文化チャンネル桜ニ千人委員会有志の会 ほか
■協賛報道■
日本文化チャンネル桜、國民新聞
■連絡先■
草莽全国地方議員の会
TEL 03-3311-7810
日本文化チャンネル桜二千人委員会有志の会
TEL 03-6419-3900 info@ch-sakura.jp
***************************************
※チラシ(常盤橋公園の地図付き)は以下よりダウンロード出来ます!
http://www.ch-sakura.jp/sakura/savenippon-meeting1114_flyer.pdf
http://shingomatrix.jp/2009/10/nhk_5.html
「第三回 NHK抗議デモ」のお知らせ
記
日時:平成21年11月15日(日)
タイムスケジュール:1時受付開始
2時 集会開始
3時 デモ行進出発
4時30分 解散(予定)
集合場所:大阪市西区 靱(うつぼ)公園 東園
地下鉄四つ橋線本町駅28番出口 北へ約200m
デモコース:靱公園 ⇒
本町通東進⇒
御堂筋南下⇒
難波⇒解散
【開催趣旨】
『第三回 NHK抗議デモ』実施のお知らせ
平成21年10月吉日
拝啓 秋冷の候、ますます御健勝のこととお喜び申し上げます。
平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。
さて、日本と台湾の未来を考える会(以下、日台未来会)では、西村真悟先生の地元後援会である
「真悟の会・堺」様との共催により、下記の通り来る11月15日(日)、西村真悟先生、三宅博先生を
はじめ、多数の方に御参加頂き、第三回のNHK抗議デモを実施いたします。
皆様ご承知のとおり、4月5日に放映されましたNHKスペシャルJAPANデビューの
第1回『アジアの一等国』が、反日台湾を捏造し、あまりにも事実に反したひどい内容に、
日本全国は勿論、台湾国内に於きましても抗議の声が日々、高まっており、
NHKはそれらの抗議に対して非を認めることをせず、挙句の果てにはインタビューを受けた
台湾の方々に、NHKに対する敵対行動をとらない旨の念書まで書かせるという、
信義礼智仁の五徳を信念とする私たち日本国民として、許しがたい破廉恥な事を
行っております。
このようなNHKに対し私たちは集団訴訟への参加等、抗議活動を行っておりますが、
このたび、在阪の真正保守諸団体にもお声がけをし、絶大なるパワーを持ってNHKに
抗議を行いたく、ここにご案内をさせて頂くと共に、皆様のご参加をお待ち申しております。
敬具
日本と台湾の未来を考える会
事 務 局
2009-11-12 03:13
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
台湾 NHK抗議 /
日本シルクロード科学倶楽部 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1114/
2009年11月11日(水)
マイミクの第一義さんに教えていただきました。
■小沢、日本の仏教徒の支持を得るためにキリスト教に喧嘩を売る??
http://chiraurasouko.blogspot.com/2009/11/blog-post_11.html
↑ 笑っちゃいけないけど、このページに出てくる
カトリックのベネディクト教皇様のお写真の数々は・・・・
もう〜大好きです。 ラスボスです
陳さんのWorld viewにも♪
■小沢一郎さんがキリスト教徒に宣戦布告!!!
http://blog.livedoor.jp/fgejtocfk4fk5j23dk5/archives/1047633.html#comments
陳追記:「キリスト教は排他的」民主・小沢氏、仏教会会長に
(読売新聞記事)
民主党の小沢幹事長は10日、和歌山県高野町の高野山・金剛峯寺を訪ね、102の宗教団体が加盟する「全日本仏教会」会長の松長有慶・高野山真言宗管長と会談した。
小沢氏は会談後、記者団に、会談でのやりとりについて、「キリスト教もイスラム教も排他的だ。排他的なキリスト教を背景とした文明は、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ。その点、仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ」などと述べたことを明らかにした。
さらに、小沢氏は記者団に、 「キリスト教文明は非常に排他的で、独善的な宗教だと私は思っている」 とも語った。
小沢氏の発言は、仏教を称賛することで、政治的には「中立」ながら自民党と古くからつながりのある全日本仏教会に民主党との関係強化を求める狙いがあったものと見られる。しかし、キリスト教やイスラム教に対する強い批判は、今後、波紋を広げる可能性もある。
小沢氏の訪問は、来年夏の参院選に向けた地方行脚の第1弾という位置付けで行われた。
******************************
産経新聞には
小沢氏は会談後、記者団に対し、
「選挙運動に来たわけではない。お参りして心が洗われた」と語った。ただ、「結果として(民主党への協力を)お考えいただくことがあればいいことだ」 と、支援への期待感も示した。
小沢氏の高野山訪問は来夏の参院選に向けた地方行脚の第一弾。全仏は伝統仏教の宗派がつくる財団法人で、かつては自民党色が濃かった。自民、公明連立政権の発足で自民党と距離を置く宗派が増えたが、民主党との関係も薄かった。
「結果として民主党への協力をお考えいただくことがあれば
いいことだ」
日本仏教会会長に キリスト教、イスラム教の悪口と、
仏教はすばらしいなどと、お世辞は
結果として 民主党に協力してもらえたら
(もちろん、金銭面も)・・・・・・・というわけね。
まあ、日本のキリスト教・日本のイスラム教は
お金がないもね。 金ヅルとしても、集票としても
仏教のほうがいいと思うわけね。
金のなる木である 仏教にすり寄るんでしょうね
キリスト教、イスラム教を排除する
中国への配慮??
中国は文化大革命で、寺院の破壊などを
しましたし、現在もチベット仏教などを弾圧していますが
現在では、中国仏教協会というのは、大きな力を持って
政府も公認ですものね・・・
というか この高野山のお坊様、
高尚な聖職者なら、目前で、他宗教の悪口など聞きたくはないはず。
きっと、迷惑でしたでしょうね。
日本には、妻がカトリック信徒、夫が仏教徒
親子でも、親がカトリック、子供は仏教徒など
宗教の違いを超えて、信頼しあう家族はかなり多いと思います。
排他的・独善的であれば、そういう夫婦も成り立たないですよね
というか
非常に排他的で、独善的な・・・・って
小沢氏 自身のことだし笑 笑
2009-11-11 12:14
|
記事へ |
コメント(7) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
政治 /
外国人参政権 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1112/
ヨーロッパの世界的報道写真 EPA通信の日本特派員
中野ともふみさんが、東トルキスタンデモを撮影して下さり
世界に発信されました。
https://webgate.epa.eu//preview.php?WGSESSID=426d124ba6533737c49d7288b1326442&UURL=97daf7194b52e057091db34108e05bc3&IMGID=00000401925787
イリハムさん、パンダちゃん、ぢぃさん、溥儀ちゃん
そして リコリスさんの作った横断幕が世界デビューです。
https://webgate.epa.eu//preview.php?WGSESSID=426d124ba6533737c49d7288b1326442&SECTION=SEARCHRESULT&IMGID=00000401925788
主権回復関西の荒巻さんも 世界デビュー♪
世界に届け!!
EPAの中野さん 有難うございます。
彼の作品についての記事はこちら↓
●戦場の傷跡を追ったカメラマン
(おつるの秘密日記)
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/1046/
●EPA通信さんが「3民族連帯 中国建国60周年抗議デモ」の写真を世界に配信
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/1056/
2009-11-11 12:10
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
東トルキスタン ウイグル /
日本シルクロード科学倶楽部 /
中国の核実験 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1111/
2009年11月10日(火)
先の衆議院議員選挙で、宝塚・川西・伊丹も兵庫6区で
私の応援していた、こびき司議員が落選された。
こびき司議員は、10月27日開催された『「日本解体法案」反対請願受付国民集会&デモ』の発起人の一人として、「建て直そう日本」女性塾幹事長の伊藤玲子さんらと連携し活動している。
こびき司さんは言う「この国の将来を脅かす法案が国会で成立しようとしている。マスコミも報道しようとしないその中身の真の危険性を一人でも多くの方々に知っていただき、阻止すべく行動する力を少しでも大きくしたい。」
また10月4日は「世界動物保護デー」だったが
日本で殺処分されている犬・猫の数は30万匹。
先進諸国でも突出するその実態を改善したいと地方議員の時から取り組み「殺処分ゼロ」を目指して、民間で活動される方々とは、現在も連絡を取り合いながら動いている。
NHK問題でも、公共放送を考える会で動かれ
チベット・ウイグル・モンゴルの問題に取り組む私をつねに
応援し、励まして下さった。
国旗を切り刻んだ民主党に対し、人一倍怒りをもっておられた。
●こびき司さん コラム
http://www.kobiki.info/column/ct-column.cgi?P=R&no=0
民主党は問題外だけれど、自民党は汚濁していた部分はもちろんある
けれども その中で、こびき司さんのような方は貴重な存在。
掃き溜めに鶴という方だった。
けれども、民主党の議員が当選してしまった。
前宝塚市長がパチンコ業者や産廃業者から利益供与を受けた容疑で
逮捕された後の選挙で当選した自民党の阪上よしひで氏自身が
収賄容疑で逮捕と 宝塚市長の二代にわたる逮捕事件で
自民党に対する不信感が、この地域に根付いていた事も
大きいと思う。
こびき司さんがどんなに素晴らしい方でも
「自民党」の看板を背負っていたことが敗因だったのです。
けれども 宝塚・伊丹・川西で 10万票を集めたこびきさんは
きっとまた、再選すると私は信じている。
ところで、この 阪上よしひでの後に宝塚市長になったのが
中川智子氏
第44回総選挙で兵庫6区より再出馬し
新人のこびき司(自民党)さんに大敗した人物なのです。
この中川智子氏は、バリバリ社民党の人で、拉致問題が明らかになった小泉訪朝まで「拉致はなかった」「拉致はでっち上げ」と言ってた
人なのである。小泉訪朝により拉致問題が明るみに出て、金正日による拉致を認める発言をうけると・・・、
「今まで騙されてきた私たちの身にもなってよぉー。」 と泣き言を言ったという・・・
共産党と社民党の強い支持を受けており
●社会民主党(旧社会党)の土井たか子党首の影響を強く受け、福島瑞穂、辻元清美、保坂展人、北川れん子らと共に「土井チルドレン」と呼ばれた
●社民党時代は存在自体に否定的だった自衛隊には「戦争地域に行くのは反対だが、災害時には助けてほしい」と要望
●中核派が主導的立場を取る百万人署名運動では、呼びかけ人となる
**************************************
先の選挙の時にこのようなメールの存在がありました。
いまさらながら紹介したいと思います
「みんな、阪神大震災のこと忘れちゃったの?」
私は神戸出身です。中学生の時に阪神淡路大震災を経験しました。
今、麻生内閣の支持率が下がり、次の選挙で民主党が政権を取ろうとしています。
みんな、あの震災のこともう忘れちゃったんですか?
民主党は旧社会党の議員が7割を占める政党です。
名前は民主党に変わりましたが、実態は土井たか子や村山富市がいた
あの社会党と変わりません。
あの震災の時、村山内閣が何をやったか、みんなもう忘れちゃったんですか?
その反自衛隊思想から自衛隊の出動を取り返しのつかないほど遅らせ、
多くの人々を死に追いやったこと。
泣きながら自衛隊の出動を国会で要請した地元議員に、
薄汚い野次を飛ばした社会党議員のこと。
自衛隊より先に現地入りした「辻元清美」等が、私たち被災者に
「自衛隊は違憲です。自衛隊から食料を受け取らないでください。」
と書かれたビラを配っていたこと。
本当にみんな忘れちゃったんですか?
「辻元清美」は今、社民党議員として活動しています。
知らないなら知ってください。忘れているなら思い出してください。
社会党にまた政権をとらすのですか?
私はそんなの絶対に嫌です。どうかお願いです。
このメールを有権者のお友達5人に回してください。
5人がダメなら3人でも1人でも構いません。どうかお願いします。
こんな社会党、土井たかこチルドレンの中川智子氏が
宝塚市長なのです。
宝塚も震災の被害はひどかったはず。
みんな忘れたのでしょうか、神戸の悲劇。
そんな中川智子市長ひきいる 宝塚市議会
この宝塚市議会の北野聡子議員と大島淡紅子副議長は
韓国にまで行き、従軍慰安婦ねつ造に加担しているのだ。
北野聡子議員は 日教組出身の民主党
大島淡紅子副議長は 社会党出身
宝塚市で慰安婦問題で活発に暗躍している
同和関係者が立ち上げた劇団「水曜日」と行動し
韓国で、反日デモに参加したというまさに売国議員である
宝塚市議会の北野さと子議員(上の写真の向かって右。隣は大島副議長)は、「慰安婦問題は戦時に女性に起きる最悪の人権侵害。宝塚市議会が満場一致で慰安婦問題に対する日本政府の真摯な対応を求める請願を採択したのは、議会の良心です」と語った。
●写真は下記より、詳しくは下記ブログ参照
今日の韓流通信 Act.V@腹肥ゆる秋(ノД`)さんのブログ
【国内】まさに国賊 宝塚市議が韓国の反日デモに参加−民主・社民 http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=4451
****************************************
そこで、明日の告知です
私は、お世話になった主権回復を目指す会の方々とともに
声をあげたいと思います。
★定例街宣
「反日慰安婦 大島淡紅子宝塚市議を落選させるぞ!」
日本列島上空に従軍慰安婦と言う妖怪が徘徊している。
我々関西支部は現在各地方議会で決議されている「慰安婦問題に関する意見書」を阻止するべく、
その象徴とも言うべき宝塚女性市議に対し宣戦を布告した。この案件に関わることは即ち「失業を意味する」と言うことを周知させるために徹底的に戦う。
今月は大島淡紅子宝塚市議の地元を訪問し、駅前にて帰宅される市民の方々に訴え又ビラの投函も実行する。
平日ではありますが、近隣の皆様どうぞご参加ください。
日時 平成21年11月11日(水) 17時開始
場所 阪急電車 宝塚線山本駅北出口
雨天決行 プラカード持参歓迎
主催 主権回復を目指す会関西支部 在特会 関西支部
★宝塚市議会議員大島淡紅子(元副議長)の慰安婦問題ねつ造を許すな!
【最新情報】11月6日詳細情報追加
全国的に「慰安婦」問題に絡んで、各自治体から「非難意見書」などの採択が相次ぐ中、在特会・関西は出火元を集中攻撃する方針を打ち立てました。
勿論、採択が行なわれた自治体等の情報も耳に入れば、抗議や質問、陳情なども行い、もしも、反対された議員がいれば、「激励」の街宣なども行なって行きたいと思ってますが、今は力の分散で「戦果」を減らすよりも、一点集中で確実にひとつづつ、「歴史捏造」による「慰安婦問題」を粉砕していきます。その戦略の一環としまして、宝塚市議会において、「慰安婦意見書」が全会一致にて採択された時に、副議長をしていて、水曜デモの参加の為に韓国にまで行っている社民党の大島淡紅子の「慰安婦」でっち上げに対する抗議の街宣を行います。
慰安婦問題を巡って、日本各地で政府に対して、明らかに事実誤認を含む「河野談話」やら世界各国からの事実誤認に基づく「内政干渉」の決議や勧告、指摘などを持ち出してきて、なんと信じられない事に、歴史的事実に反して、英霊たちに「冤罪」を押し付けて、国民の財産を使って、虚偽の訴えを起こした「偽証」「詐欺」「虚偽告訴」などを行ってきた犯罪者と言っても過言でない「自称慰安婦」どもに賠償金を払うように要求する動きが広まっています。地方自治法第99条は下記のようになっています。
「普通地方公共団体の議会は、当該普通地方公共団体の公益に関する事件につき意見書を国会又は関係行政庁に提出することができる」
一体、この宝塚市議会の全会一致の意見書の通りに政府が対応する事によって、一体どのような宝塚市民の「公益」があるのでしょうか? 自分達の先祖が「冤罪」によって、「人さらい」「強姦魔」となり、その「冤罪」を子供たちに教育をして、子供たちが、この美しい、国を復興させて下さった「英霊」の方々を「犯罪者」と罵るようになり、又、我々の血と汗と涙の結晶である「税金」が、正に「犯罪国家」「犯罪民族」と言って過言でない、「朝鮮人」達に不当に持っていかれる事になるのです。私達は、先祖・英霊の「名誉」を国賊議員によって「毀損」されるのを黙って見過ごすわけにはいきません。無くなった英霊の「名誉」は、紛れも無い「国家の財産」です。
我々関西支部は現在各地方議会で決議されている「慰安婦問題に関する意見書」を阻止するべく、その象徴とも言うべき宝塚女性市議に対し宣戦を布告した。この案件に関わることは即ち「失業を意味する」と言うことを周知させるために徹底的に戦う。今月は大島淡紅子宝塚市議の地元を訪問し、駅前にて帰宅される市民の方々に訴え又ビラの投函も実行する。 平日ではありますが、近隣の皆様どうぞご参加ください。
かつて、日本の未来を子供たちを守るために
命をかけて戦って死んでいった、私の伯父や英霊の方々、
その方々を侮辱する、強制による従軍慰安婦という嘘、ねつ造を許さない。
これからの未来を担う子供たちに 嘘を教えてはいけないと
おつるは思います
そして・・・こびきさん、絶対 よみがえってください!!
。
追記 「ワシントンポスト紙」に「THE FACT」と題する意見広告が出された。
内容は従軍慰安婦に関するもので、様々な資料から「国による強制連行はなかった」としたもの
「THE FACT」に賛同された議員さんの1人でもある、
こびき司議員が、ご自身のwebコラムで米国の状況を伝えてくれています。
以下、木挽議員のWebコラムからの引用(一部略)です。
慰安婦問題について米国の上院・下院議員たちと話してきた同僚議員の報告を聞いた。
報告によると、マイク・ホンダ議員がヒーロー気取りで活動している一方、他の米国議員たちに驚くほど事実が伝わっていないことがわかった。
同僚議員は「誤解と錯誤に満ちていた」と語りはじめた。
「面談した米国の議員たちは、ことごとく日本国民が今まで一度も謝罪したことがないと思っている。また、慰安婦に対して日本がファンドを作って、そのうち70〜80パーセントを負担していることについても知っている人は皆無だった」
その話を聞いた米国議員の反応は一様に「もしそれが事実ならスポンサー(決議への賛成を)を辞める」というものだったそうだ。
きっちりと対応すればいい方向へ動くということだ。
では、なぜ今までこうした話し合いができていないのか。
日本の外務省は、大使館は何をしていたのだということになる。
情けない話だが、これが日本の外交の実態だ。
http://www.kobiki.info/column/ct-column.cgi?mode=al2&namber=153&rev=&no=0&P=R
2009-11-10 23:18
|
記事へ |
コメント(7) |
トラックバック(0) |
|
西村修平さん「主権回復を目指す会」 /
政治 /
日本シルクロード科学倶楽部 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1110/
2009年11月09日(月)
2009-11-09 23:23
|
記事へ |
コメント(4) |
トラックバック(0) |
|
中国の核実験 /
日本シルクロード科学倶楽部 /
東トルキスタン ウイグル |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1109/
2009年11月07日(土)
カトリック箕面教会 11月は諸聖人の祭日〜死者の月
和田幹男神父様の11月のお言葉です
主の目に貴重なのは
その敬虔な信徒たちの死
Preciosa in conspectu Domini mors sanctorum ejus.
---詩篇 116-15--- 主任司祭 和田 幹男
11月は、1日の諸聖人の祭日、2日の死者の日で始まります。
すでにこの世の人生をまっとうした人々に思いを馳せて祈る2日間です。
お墓参りをして、親しかった親族や友人のことを思い出して祈ります。
ローマでは、この頃墓地は菊の花でいっぱい。菊は日本では皇室の象徴ですが、
向こうでは死者にささげる花。
いずれにしても、菊の花は厳かで美しい。
他者の死を思うこの時節に、自分自身の死をじっくり考えることも 疎かにしたくありません。
紅葉して葉を落とす木々も死の瞑想に誘うかのようです。
人間は自分の死を考えるのを本能的に避けようとするのでしょう。
「人間は死者を埋葬することに比べて、死の考えを葬りさることには無頓着」(ポシュエ)。
{わたしたちはみな、見るのを避けるために何かを目の前において、
無警戒にも破局の中をつき走る・・・人は死を癒すことも出来ないで、
幸福であろうとして、あえて死を考えないようにする」(パスカル)。
自分の死を頭の中から吹き払おうとするのが、一般的傾向と言えましょう。
「わたしたちは、いつか死ぬという事実を容易に納得できるのに、
あまりにも死を考えることが少ない。
死を考えたとしても、曖昧な未来のこととして、自分とは関わりのないことと考える」(シュプリエ)。
しかし主イエスは言われる。
「わたしは盗人のようにあなたのもとに来る」(黙3-3 )。
「見よ、わたしは盗人のように来る。・・・目覚めている人は幸い」
(黙16-15)。
わたしたちは、自分の死を直視しよう。
命の根源である神を信仰するわたしたちにとって、死は恐ろしいものではないはず。
死んで復活された神の子イエスを信仰するわたしたちにとって、死は無に戻ることではないはず。
{キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることになる」(ロマ6-8)。
これが洗礼の意味です。
この信仰をもって、死を直視しよう。
洗礼を受けたわたしたちは、聖霊を受け、聖霊によって、
すでに今キリストの不死の命に生かされている。
わたしたちは肉体の死を越えて生きるものなのです。
この信仰をもって、神の御旨に従って正しく聖なる生活を
貫いていくことが出来れば、
その死は主の目に貴重なものだと、詩篇はいう。
2009-11-07 21:23
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1107/
2009年11月05日(木)
『第6回 東トルキスタンデモ in 大阪(独立記念)』
http://www7b.biglobe.ne.jp/~osaka-uyghur/
【ゲスト】イリハム・マハムティ氏
『日本ウイグル協会会長』『世界ウイグル会議日本全権代表』
【決行日時】11月8日(日)【集合場所】愛染公園(あいぜんこうえん)
【所在地地図】http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34.65338111&lon=135.51222111&p=%B0%A6%C0%F7%B8%F8%B1%E0
【最寄り駅】地下鉄堺筋線:『恵美須町駅』1A出口を東に徒歩五分
【集会開始】14:20〜【デモ出発】15:00〜【ゴール】16:00〜16:30頃予定
【デモ行進コース】堺筋を北上⇒千日前通り左折⇒難波(元町中公園付近解散)
【歩行距離:所要時間】約2.7km : 約1時間
【主 催】東トルキスタン・デモ実行委員会 【参加団体】日本シルクロード科学クラブ
【連絡先】080-5707-7870(kina) uighur_uighur_tm@yahoo.co.jp
※集合場所の「愛染公園」は場所がやや判りづらいかもしれませんので、お早目の御参集を頂ければ幸いです。
■特攻服などの威圧的な服装は、ご遠慮ください。
■主催者側が用意したコール内容をお守りください。
■プラカード・三民族旗・日章旗の持ち込み歓迎です。(台湾旗は緑のみ可)
皆さんは「東トルキスタン」という国をご存知ですか?
1944年11月12日に(第2次)東トルキスタン共和国が独立し、そこにはウイグル人
達が平和に暮らしていました。
'49年に中華人民共和国が建国された頃より、隣接する中国により武力侵略をされ、
この21世紀においても、多くのウイグル人が差別・虐待・略奪・拷問・虐殺・強制移住・
強制中絶など、深刻な人権弾圧を受けています。
現在では中国により「新疆(新しい領土の意味)ウイグル自治区」と名付けられています。
今年7月ウルムチ市での、あまりの差別や弾圧に堪りかねたウイグル人によるデモ行
進には、中国武力警察による容赦ない発砲が加えられ、多数の命が奪われ、数千人
〜1万人が不法逮捕され今も行方不明です。
最も悪辣な人権侵害は、ウイグルの地、シルクロードにおいて過去46回もの(地上を
含む)核実験がウイグルの民が暮らしてるすぐ傍で行われ、数十万人の命が奪われ、
今でも多くの被爆者が苦しんでおります。
過去に「NHK特集 シルクロード」などに騙されて「楼蘭・敦煌・ロプノル」など近辺を訪
れてしまった数十万の日本人観光客も、何らかの形で被爆していると考えられます。
中国の狙いはウイグル民族を抹殺し、大量の漢族を移民させ、資源や土地の全てを
略奪することです。 この様な許されざる中国の暴挙は、チベットや南モンゴルでも
同時進行されており、次は台湾・沖縄が危ないと危惧されています。
人権に国境などありません! 私達は中国の暴挙に対し強く抗議します!
2009-11-05 22:29
|
記事へ |
コメント(2) |
トラックバック(0) |
|
東トルキスタン ウイグル /
中国の核実験 /
日本シルクロード科学倶楽部 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1106/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【特別号】 陸軍史あちらこちら−(36) 荒木肇
『日露戦争の兵士たち−体格と学歴』━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
□はじめに−−護衛艦「くらま」の遭難
驚きました。テレビの上に「ニュース速報」の文字が流れ、「護衛艦炎上中」の知らせが出たのです。とにかく乗員に被害がなければいいと願いましたが、相手は韓国籍の船と聞いて、厄介なことになったなと思いました。
事実が明らかになるにつれ、どうやら航行ルールの違反をしていたのは相手らしい。というのも、船は左側通行がルールになっています。「くらま」の艦首は明らかに右側からぶつけられた形です。どうも、韓国船が無理な追い越しをかけたのではないか。そう思っていたら、案の定、そうしたことが事実らしい。
ところが、防衛大臣のご発言をきいて、またがっかりしました。この方は、大臣に着任されたときの職員への訓辞で、「インド洋の給油活動は評価しない」と語られ、「戦前の軍部の独走が問題だった。それを許した政治と官僚の責任」とご自分の戦前歴史観を披瀝されました。まず、一発、かましておけという「威圧統御」のおつもりだったのかも知れません。
しかし、政治と関わらず、汗と涙を流し、命令のままに海外で活動した、している自衛官に、それを支えてきた防衛省官僚の皆さんに何の落ち度がありましょうか。いや、事故らしい事故も起こさず、けんめいに活動してきたのは、あなたの部下になる官僚や自衛官たちではないですか。今回も、大臣はさっそく「国民に心配、ご迷惑をかけるな」という談話を発表されました。しかし、相手の無法行為(おそらく過失でしょうが)に対してまで、責任を感じろというのは無理ではないでしょうか。
また、政府の一部からは、「たるんでいるのでは」とか、「緊張を欠いているのか」などと批判的なコメントがありました。テレビでは、いつもの通り、キャスターの某が「観艦式の後、昨年のイージス艦も訓練の後、そういった気のゆるみといったものが」と、賢しらげに発言していました。誰でも言えることをいうのが報道人なのかも知れません。
私は発表された乗組員数と定数の差に違和感を覚えました。たしか、「くらま」の主機はガス・タービンではなく、古い蒸気タービン艦のはずです。定員は300名をこえているのがふつうだと思います。何かの事情があるとは思えますが、発表は乗り組み200人にもならない数でした。ああ、乗員たちは疲れているのかもしれない。定員削減、人員の増加がない。そういった中で、海上自衛官はがんばっているのだと思います。
部外者がこれ以上のことを言うのは的外れの恐れもあり、口をつぐみますが、「友愛政権」の防衛省運営を注目しています。
■日露戦争を戦った兵士たち
さて、「坂の上の雲」がテレビで放映されるとか。楽しみにしていますが、NHKのこと、またまた誤解されるような映像を流すのではないかと心配しています。原作もまた、あくまでも小説ですから、中味のさまざまな点について異論が出るでしょう。それでも、テレビの影響力は大きいものです。
各部の将校養成制度について準備をしていましたが、ちょうど、別の原稿で日露戦争を書いております。以前ご紹介した『壮丁教育調査』は学力の部分だけのご紹介でした。今回は、「兵士の体格」について教育調査統計をもとに考察してみます。
兵士の体格について、並木書房刊『バンド・オブ・ブラザース』をご覧になりましたか。あれを原作にしてトム・ハンクスが監督になり映画化がされています。その中のメーキング版を見ていたところ、衣装係が興味深いことを言っていました。
『近頃の俳優に比べて、当時のアメリカの空挺兵は体格が小さかった。昔のママのサイズで軍服を作っても、俳優の身体には小さすぎていけなかった』
ははあ、アメリカでもそうか。すると、今度の日露戦争の再現ではどうなるのだろう。今の20歳くらいの若者の平均身長は173センチくらいといわれます。当時の三十年式の歩兵銃の着剣全長がおよそ167センチのはずです。昔の写真を見てみますと、ほぼ歩兵の身長と同じに見えます。では、日露戦争の兵隊さんは、どれくらいの身長だったのでしょう。また、体重はどれくらいで、どんな体つきをしていたのでしょうか。
▼明治三十七年度大阪府壮丁普通教育程度取調書
手元に、「大阪府第二部」が明治38(1905)年10月25日に発行した冊子があります。印刷所は大阪市北区中之島玉江町の大石堂活版部です。
府庁の第二部とは、後の学務部のことでしょう。所管は教育、社会、社寺、兵事のことがらでした。
まず、その「総論」のご紹介から始めます。
1)「教育程度一般の状況」、文盲が低くなっていく
壮丁受験人員総数は、12,448人でした。これは、全国の総数がおよそ40万人前後ですから、3%前後の数字になります。そうです、この明治の時代、人口が多くなったのはたしかに大都市ではありましたが、府県単位ではもともと農業生産力の高い地域に人口が集まっていました。たとえば、新潟県や福岡県、岡山県などといったところです。
中学校卒業者はわずかに112人で0.89%にしかすぎません。同等と思われる者195人を合わせても307人、全体の中で占める割合は2.48%。100人いて、2人強です。陸軍部隊の将校、同相当官の割合は歩兵隊で約2.5〜3%です。全員が一年志願兵になって将校にならねばならないというと単純すぎる話ですが、予備役幹部の補充源の心細さがわかります。
高等小学といえば、4年制の尋常を出て、義務化されていない4年間の課程でした。陸軍は、これくらいの学歴でなければ下士官にはできないと考えていたクラスです。1,100人で割合は8.75%でした。同等とみなされる者が、ほぼ同数の1,077名おり、合わせて全体の中での割合は、17.41%となりました。これは、上等兵から下士の割合でいえば、豊かな募集源になりえます。兵隊の98人中17人強、つまり、6人に1人くらいが、当時の庶民としては、たいへん高級な教育を受けているわけです。
このことは全国からみても、大阪府や東京府、京都府の特徴でもあります。全国の数字では高等小学校卒は5〜6%とみられますから、教育を受ける機会は大都市に偏っていたのです。
当時の英国陸軍兵のデータがありますが、義務教育を受けている者が24%にしかすぎません。わが国と同じような6年間も小学校に通っているとなると、およそ3%という記録があります。日本の6分の1でしかありません。ロシアの兵士となると、記録すら残っていません。「精兵になれる可能性は教育程度に関係する」という私の仮説、日本陸軍の精兵は学校教育で支えられたは、どうなっていくのでしょうか。
わが国の当時の若者の特徴はどこにあるのでしょうか。実は、尋常卒業30.30%という高い数字にあると思います。同等と合わせると、41.33%にもなりました。そして、それ以下ではあるけれど、「稍(やや)読書算術ヲ為シ得ル者」が15.84%。「読書算術ヲ知ラザル者」は22.88%になっています。
報告書には明治34年度からの統計があります。それによると、「文盲者」は年々減少し、高等、尋常卒業者は増加の一途をたどっています。大阪市全市では文盲者が14.70%から13.70%。全管内では30.88%(明治34年)から23.26%(明治37年)のようです。
このことは、壮丁たちが新しい「小学校令(明治21年)」によって設立された学校に通ったことにわけがありそうです。
2)体格
徴兵令第3条には、「徴兵体格の等位を区別すること左の如し」として、
1, 甲種 身長5尺以上にして、身体強健なる者
2, 乙種 身長5尺以上にして身体甲種に亜(つ)ぐ者
3, 丙種 身長5尺以上にして身体乙種に亜ぐ者及び身長5尺未満4尺8寸以上にして丁種戊種にあたらざる者
4, 丁種 第2条にあたる者及び身長4尺8寸に満たざる者
5, 戊(ぼ)種 徴兵令第一項第二項にあたる者
第2条というのは、欠格規定です。具体的な病名や症状名があげられています。現在では、口に出せない、書けないような言葉のオン・パレードですが、しかたありません。
甲種・乙種は現役に適する。丙種は国民兵役に、丁種は不合格。戊種は検査時に事故若しくは病気などで検査不能、翌年の再検査でした。
さて、この年の結果です。甲種5,272人、42.42%。乙種2,166人、17.52%。丙種3,884人、30.83%。丁種1.081人、8.83%。戊種45人、0.39%。およそ半数以上が現役に適するとされる甲種・乙種でした。
▼体格と学校歴の関係
興味深い数字が出ました。同一学歴の中で甲種・乙種の合格者の割合をみてみます。第1位は高等小学校卒業者同等で64.99%です。それに次ぐのが、尋常卒の64.07%。第3位は尋常卒同等の63.33%でした。そして第4位高小卒62.47%。第5位「読み書き算数を稍なしうる」58.57%。第6位が「読み書き算数を知らざる」54.85%、第7位は中卒同等50.77%で、最下位が中卒25.22%となっています。
見事に高等小学校卒同等、尋常卒、尋常卒同等と高等小学校卒の順位です。これらは、健全なふつうの暮らしをしている豊かか、ゆとりのある生活者の家庭の子弟に違いありません。文盲か、それに近い人たちの生活環境の悪さが出ていると思えます。
それにつけてもひどいのが、中卒です。どうも近視眼が多かった、また筋骨薄弱の判定らしいのです。徴兵令の規定では、『視力に障害ある者、但し一年志願兵、士官候補生、軍医学校生徒、衛生部獣医部依託学生及び同生徒志願者は近視に限り其の度を斟酌して特に合格となすことを得(第5条4項)』
中卒同等者が比較的健康なのは、おそらく商業、工業、農業などの中等学校生で、机にしがみつくようなこともなく、けっこう運動などもしていたと考えられます。そして、考察では次のように書かれています。『中卒は(予備役幹部養成の)一年志願兵の資格があるので、健康な者の多くは志願に出て、志願できない事情がある者が一般徴兵に来ているのではないか』と。
▼身長と教育との関係
まず、身長がどれくらいの分布だったか。5尺6寸(170センチ)以上は全体の2.06%、
5尺4寸(164センチ)以上が13.95%、5尺2寸(158センチ)以上は38.14%、5尺(152センチ)以上すなわち合格基準を満たしている者は34.10%、4尺8寸(150センチ)と未満を合わせると11.83%になりました。大きな人は砲兵、騎兵、輜重兵になり、ついで工兵に体格がよい人が送られ、歩兵は小さい人が多かったといわれています。この時代の成人男性の平均が、おそらく5尺くらいと思われますから、当時の現役兵は大男だったというのがよく分かります。
また、地域差も調べてありました。大阪市の東区、北区、西区と北河内郡の成績が良い。泉北郡と堺市はよろしくない。
身長5尺以上の者のみ、教育との関係を調べてあります。1位は中卒同等、2位が高小卒、3位は高小卒同等、4位が中卒、5位が尋常卒、6位が尋常卒同等、7位が「読み書き算数を稍なし得る」、最下位は「・・・なし得ざる」でした。中卒同等の人は95.88%もの人が5尺以上の身長のある人で、高小卒では93.35%になっています。下の方では83.39%でしかなく、文盲の人は81.01%。学校を出ている人ほど、身長も体格もよいというわけでした。
▼学力の退歩について
また、学力の退歩を尋常卒、高等科1年、もしくは2年の修業をおえた者だけについて調査しています。詳しくは紙数の関係もあり省きますが、結論だけいうと、およそ2割が退歩していると判定されています。
『商工業に従事せる者は概して退歩の度合いが低い。どころかかえって進歩する者も多い。農業や漁業、労働的工業等に従事する者はもっぱら技術の実習時にあって読み・書き・算術を使うことがない』
と、考察しています。
▼身長人員累年比較表
興味深いのは、1901(明治34)年からの累年比較です。
5尺6寸以上の、いわゆる「大男」の数は増えていないのに、5尺4寸以上の人員数が大きく伸びていることです。実人員では、1,291→1,499→1,295→1,685となっています。毎年の受験者数の違いがあるので、全体の中でのパーセントを出してみました。
9.15%→11.10%→11.12%→13.55%でした。明らかに壮丁の体位は向上しているのです。また、現役兵の主力となったであろう5尺2寸以上の人の割合も次のようになりました。27.94%→34.21%→35.43%→37.36%でした。
おおよその言い方ですが、日露戦争当時の現役兵たちは、青年層の中でも体格が良く、身長も高く、学校歴も高い集団であった。しかも、年々体位は向上し、まさに粒よりの集団だったことが推測されます。
▼どれだけの装備を身につけたか
この頃の歩兵の装備は30年式歩兵銃でした。全長1275ミリ、重量4,050グラム。30年式銃剣、全長525ミリ、重量690グラム。これだけで、4キログラム740グラムです。身につける小銃の実包は、前盒(ぜんごう)といわれた2つに60発、後盒という60発入りに全部入れれば、実包は1発あたり21.5グラムなので2.58キログラム。
後盒の中には油缶と転螺器(てんらき)、つまりドライバーが入っていた。この他、手入れ用具として遊底分解器、補助分解器と薬室検査鏡、丸ブラシが2種、刷毛状のブラシが2種。これらは属品袋という帆布でできた専用のケースに入れた。また、この中には予備品の撃莖(げきけい・撃ち針、実包の底にある雷汞をたたく)、バネ、弾倉底板、弾受、弾倉バネ、ねじ回しも入っていた。
弾薬盒と銃剣差しがついた帯革(たいかく)は、実包120発と合わせて弾薬盒の重量が2.8キログラム。銃剣も入れれば、その総重量は約3.5キログラムという。これに背嚢(はいのう)を背負い、水筒(0.6リットル入り)、飯ごう、円ぴ(スコップ)、毛布、外套、雨外套、替えの下着、戦闘糧食、米、缶詰その他をつめこんで行軍したのです。兵器と生活に必要な物のみで体重の約40%とされていました。父祖たちの体力と、忍耐心にはまったく頭が下がります。
▼父祖たちの心
ある当時の作家が書いています。兵が泣いていたと。旅順から野戦に急行中の歩兵隊がいた。『陛下のため、お国のためと思わなければ、とても歩いてはいられない。もう死にたいとまで思う』。歩兵の戦争の苦しさでした。行軍、泥だらけの道を、おそらく30キログラム以上の装具や武器を身につけて歩いた。
陛下のため、国のためという言葉を聞くと、すぐに眉をひそめる人がいるでしょう。だから、天皇制軍国主義はとか、軍隊や戦争は非人間的だなどという人がいます。そうした感慨をもつことは、実はおかしいのです。おかしいどころか、人間への理解もなく、社会や歴史、その産物である国家というものへの哲学がありません。非人間的とか、遅れているなどという言葉は、実に安易な自己満足の言葉でしかありません。
私は高校生の頃に、古本屋の棚に並んだ「肉弾(櫻井忠温)」と「此一戦(このいっせん)(水野広徳)」を買いました。文語でむずかしい言葉の連続でしたが、なんとか読みおえることができました。陸海それぞれに、体験者が戦争を描いた感銘深い文章でした。中では水野大尉の描いた戦場の情景について考えこみました。
水野は水雷艇長として対馬沖で撃ちもらした残敵追撃の任務を与えられて進撃中でした。その途中に、艦を失い漂流するロシア兵を見るのです。あるいは手を挙げ、帽を振り、日本艦艇に救助を求めるのでした。近くに沈みそうなボートが近づいてきます。傷ついた士官と水兵たちが波に洗われながら乗っていました。
部下の水兵が水野にいいます。『ざま見やがれ、ロスケめ。艇長、撃ち殺してやりましょうか』。水野は知っていました。彼の兄も弟も満洲の戦場で死んでしまった。兄には嫁と幼い子どもたちが残された。母は運命を悲しみながら病死してしまった。三人兄弟で、運良くここまで生き残れたのは、水野の部下だけだったのです。
水野は復讐する気にもなれなかった。また、救助することも小さな水雷艇にはできない。それに水野には任務がある。『かくて哀れなる敵兵をば、怒濤のうちに残し北上し……』と水野は書いた。ヒューマニズムも、理性的な選択も戦場にはない。助けを求める敵兵を見捨てた自分を、たんたんと書いていました。
モラルなどがおよばない場所がある。同時に、モラルは現実を裁くことなどできないのだと幼い私は、父祖からの便りを聞かされた気がしました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━
◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜
市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員
等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉
専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に
関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年
間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。
◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」
「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日
本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/
2009-11-05 22:08
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
戦争 /
荒木 肇 先生 /
自衛隊 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1103/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【特別号】 陸軍史あちらこちら−(35) 荒木肇
『「軍医さん」の陸軍史』━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
□日本人は医者が好き
『武士の家計簿』などを書かれた磯田先生によれば、日本人は年間で14回も医者にかかるそうです。65歳以上にかぎると、さらに医者通いは増えて43回も。お年寄りは、1週間あまりに1回は病院に行く。そういえば、老人だけではなく、周りを見回しても、医者好きは多いようです。
アメリカ人は年9回、ドイツ・フランス人は年7回、イギリス人は5回にしか過ぎないようですから、日本人の14回は明らかに突出しています。
日本では、江戸時代にも医療行為がふつうでした。医療史学の研究では、1820年ころの江戸の町には人口10万人あたり250人もの医者がいたそうです。現在の東京都でも、同じように約278人だそうですから、たいしたものでしょう。ある田舎の城下町では、もっと多くて、人口10万人あたりに換算すると、445人もいたそうです。
それが現在では、OECD(経済協力開発機構)によれば、人口10万人あたり190人でしかありません。アメリカは220人、ドイツ・フランスでは330人にものぼります。お医者さん通いが好きなところへもってきて医師不足の現在。病院に行っても、診察まで待たされるわけです。医学部の定員が少ないのがもっとも問題なのでしょう。大学の志望倍率などを見る限り、医師になることを希望する若者は多いはずですが。
▼江戸時代の医師
では、こうした医師はどのように養成されていたのでしょうか。試験制ではなかったことは、はっきりしています。それは、ルイス・フロイスの本国への通信を見ても明らかです。極端な話、誰でもなれたというのが本当のところらしい。江戸時代になりますと、唐や明代の医学書が筆写されて、かなりの数が出回っていたようです。
江戸時代の医師は、武士身分と平民身分の医師に二分されました。武士身分の医師とは、諸藩(各大名家)の侍帳(職員録)に載せられた人でした。待遇や地位は、それぞれの大名家の歴史に支えられたものがあったようです。武士身分の医師にも、藩主や、その家族、高等官(士官)を診る人たち、それ以下の人たちを相手にする人たちがいました。
城下町や村々には、平民身分の医師がいたようです。幕末の蘭法医で有名な村田蔵六(のちの大村益次郎)も長州藩の村医者だったといわれます。
幕府の医官の身分制も同様で、法印や法眼といった僧侶の官位を与えられたような人たちが最高の存在でした。世襲の人たちもいましたが、けっこう能力主義だったのが徳川幕府です。庶民の医師から抜擢されて、奥医師(将軍家の家族や将軍を診る)にもなれた人もいたといいます。
▼幕末の戦争で露呈した医師の実力不足
戊辰戦争は激しい戦争でした。同じ頃の南北戦争もたいへんな人的被害がありました。わが国でも、実は、たいへんな数の人々が戦死傷しています。その中で最も大きかったのが銃創と砲弾の破片創でした。前にも書きましたように、戊辰戦争時の銃器の改良される勢いはたいへん強く、まさに技術は日進月歩です。ライフル弾が戦場を飛びかい、速射能力も高まって、負傷の多くは銃弾によるものでした。
よく白兵戦闘が激しく行われたかのような言い方がされますが、実際は、やはり銃砲戦が多かったのです。病院に運ばれてきた人たちの様子は、記録にもたくさん残っています。人間が即死するというのは、大きな血管を破られる、重要な臓器を破壊されるという状態だそうです。そうすると、体の正面からみて20%内外がそれにあたるそうで、意外や、即死者は少なく、多くが戦友に担がれて、あるいは戸板に載せられて医者の元にやってくる。
ところが、漢方医学の内科書は読んでいるけれど、外科手術などしたことがないといった医師ばかりだったそうです。だから、負傷者の傷口に焼酎などを注ぎこみ、あとは無理矢理縫ったり、がんじがらめに縛ったりといった、いまから見ればとんでもないことをするのが普通だったといいます。出血が防げずに失血死する、傷口が化膿する、敗血症になるなどといった人が多かったといいます。
吉村昭氏は医家の歴史に大きな関心をもたれ、高松凌雲(たかまつ・りょううん)や高木兼寛などの事績を小説で残されています。また、司馬遼太郎氏も松本順や司馬凌海といった西洋医学を学んだ人々のことを書き残されています。
▼陸軍軍医の養成の始まり
陸軍軍医養成の功績者はなんといっても松本順でしょう。長崎でオランダ医師ポンぺから直に西洋医学を学び、弟子を率いて会津藩に加わり、戦時仮病院を開きました。一方の薩摩藩では、英国公使館付のウィリアム・ウィリスが指導者として活躍します。
朝敵となった松本ですが、その人物に惚れこんだ山縣有朋は何度も頭を下げて、新政府陸軍の軍医制度を松本にゆだねました。その松本が軍医頭(ぐんいのかみ)に就任すると、姉婿にあたる林洞海(はやし・どうかい)の長男林紀(はやし・つな)、橋本綱常(はしもと・つなつね:橋本左内の弟)、石黒忠悳らを軍医寮の幹部に登用します。
ところが、松本が育ててきた門下生や橋本、林などは学術や治療技術などには優れていましたが、制度をつくるといった才能には恵まれていませんでした。よくあることです。純粋な学問に秀でた人が、人を仕切る人的制度や法規の作成に向いているかというと、どうもそうではないようです。これは、どんな世界や業界にもいえることでしょう。
そこで、松本は幕府医学所出身であり、東大医学部の前身にも勤務した蘭法医石黒に軍医制度の創設を一任しました。
このとき、石黒が松本に出した条件が3つあったそうです。
1) 藩閥はこれを許さない。試験採用をする。
2) 学術試験を行い、現在の医官を淘汰する。
3) 軍医寮の奏任官以上は、必ず医学者をもって補任する。
これには相当の反対があったようですが、松本の後押しで実現化します。
▼軍医学校ができる
1870(明治3)年に大阪軍事病院の中に軍医学校が設立されました。オランダ人ボードインが病院の患者診療をしながら、軍医教育を行います。主に、軍陣包帯学、同外科学、赤十字規則、南北戦争時の野戦病院用バラック建設法、選兵学などを講義しました。選兵学というのは、徴兵令にもとづいた壮丁検査の方法などです。
1872年には兵部省は陸海軍省に分かれます。そのとき、陸軍省が所管する軍医寮学舎が東京に置かれました。大阪の軍医学校は閉鎖されます。このときの教授内容は普通医学で、5年間のカリキュラムが組まれていました。翌年、軍医学校と改称され、ボードインの後任として来日したブッケマを教授として招き、蘭法医学者も教官に雇われました。
一方で文部省の医学教育制度も整いつつあり、養成について議論がでました。将来は、文部省系の医学教育機関から軍医生徒を採用し、その後、陸軍病院で軍医の学術を教えて軍医に採用すべしということに決まります。こうして1877(明治10)年には軍医学校は廃止されて、東京医学校(のちの帝大医学部)から軍医生徒をとりました。
第1回生は、のちの軍医総監小池正直たちであり、同期生の森林太郎もこの中にいます。ただし、軍医生徒だった小池と異なり、森は卒業してから外国留学を果たせず、半年遅れて軍医に採用されました。
1886(明治19)年には陸軍軍医学舎がつくられます。医科大学(帝大の前身の分科大学の1つ。のちの帝大医学部)卒業の軍医生徒、または軍医志望者を講習生として6ヶ月の教育を行いました。88年には「陸軍軍医学校」と改称されます。
軍医学校條例によれば、『在職医官を召集し、軍陣衛生事項を実験講究せしめ、並びに医官候補生、薬剤官候補生を教成する』とあります。
召集医官は4ヶ月の間。これまでの軍医生徒は候補生と名前を変えられ、医科大学に通うには軍医学校内から通学させました(明治26年に校内寄宿制度は廃止され、衛生部依託学生となります)。
▼一般の医師養成の始まり
1903(明治36)年には「専門学校令」が公布されます。これ以前の専門学校の中で、安定していたのは医・歯・薬系の専門学校です。
1887(明治20)年、官立5医学校が発足します。森有礼文部大臣の強引な手法ですが、高等中学校に医学部を付設しました。千葉、宮城、岡山、石川、長崎の5県立医学校を官立(国立)に移管して、それぞれ第一から第五までの高等学校に付設します。と、同時に政府はそれまでの府県立医学校への財政援助を取りやめました。経営する病院の診療報酬で経費を支弁していた医学校は次々と閉鎖されることになったのです。
ところで、1874(明治7)年の「医制」について、案外、知られていません。陸軍が自前で医官を養成していた頃のことです。政府は資格制度も、試験制度もないことを外国人から指摘されて、たいへん困っていました。全国の津々浦々には、江戸時代から続く漢方医がたくさん残っています。なんとか正規の医師養成機関をつくろうとしますが、開設できたのは「東京医学校」だけでした。そこで「医制」で示した資格を満たす者だけを医師として認める「医師開業試験」にたよる制度が長く続きます。
野口英世(1876〜1928:明治9〜昭和3)といえば、明治末から大正、昭和の初期にかけての国民的英雄でした。基礎医学も、顕微鏡技術も、今から見れば不完全な時代。当時、世界的な評価を受けた偉人です。彼もまた、正規の学校歴がなく、私立予備校で医学を学び、開業試験に合格し医師になった人でした。北里研究所に入っても、大学出の医師たちの中で差別を受け、辛い目にあったといいます(もっとも、生育歴からくる様々な性格的なゆがみも、その原因にも数えられるでしょうが)。
野口が学んだのは「済生学舎(さいせいがくしゃ)」です。1876(明治9)年に幕末の蘭法医だった長谷川泰(はせがわ・たい:1842〜1912)が設立しました。長谷川は佐倉の順天堂医院、ついで松本順にオランダ医学を学び、のちに大学東校(東大医学部の前身)の教官や長崎医学校(のちの長崎医科大)の校長を務めました。
済生学舎は1903(明治36)年に廃校になりますが、学んだ者2万1千余名、うち医師になった者9600名を数えました。長谷川は医療行政にも活躍し、漢方排斥の主張を貫いています。
もう一つの大きな私立医学校は、海軍軍医だった高木兼寛が開いた「東京慈恵医院医学校」でした。現在は名門東京慈恵会医科大学になっています。高木は自らが英国で学んだ成果を世間で広めたいと考え、帰国翌年の1881(明治14)年に「成医会講習所」を開設しました。明治の留学経験者たちの使命感の強さを思います。
じっさい、こうした学校は、ほとんどボランティアの運営理念で維持されました。高木をはじめ、多くの医師たちは高い報酬も求めずに、その使命感で教育にあたったのです。そして、「成医学校」と名を変え、1891(明治24)年には、慈恵医院医学校となり、明治36年の改革にも生きのびて、正規の医学専門学校になりました。
▼薬剤師と歯科医師の養成
国家試験にたよる、すなわち正規の養成学校ではない制度は薬剤師、歯科医師も同じでした。やはり「医制」により、薬局を開業するには薬剤師の免許が必要とされました。東京医学校やのちの東大医学部では、製薬学科が設けられたり、簡易養成のための通学生教場や別課がおかれたりしました。
1882(明治15)年には、「東京大学ニ於テ製薬士ノ資格ヲ得タル者」2名以上を教員とすれば甲種薬学校とする規定になりました。甲種薬学校とは資格試験の基礎学系の試験を受ける必要がない、程度の高い学校のことです。
しかし、一般世間には正規の薬学士、薬剤師のニーズが低く、なかなか学校の設置が進みません。「医薬分業」といわれますが、当時は、漢方医が自分で薬研をすって調剤した伝統が残っていました。また、富山の売薬などの行商が盛んで、町の薬局の数そのものが少なかったのです。こうしたことから、東京医学校、東大医学部の製薬学科の卒業生は、貴重な存在として陸海軍の薬剤官や地方医学校の教官になっていきました。
歯科医師については、薬剤師よりも遅れてしまったというのが実態です。民間治療として、入れ歯、抜歯、口中医療などの伝統技術が残っていました。「医制」によって、「口中科」が認められたのに、古いシステムが黙認もされたため、正規の歯科医師養成はずいぶん立ち後れることになりました。
1883(明治16)年の「医師開業試験規則」には、試験合格を歯科医師の資格要件にしたために、国家試験対策の私立学校ができましたが、江戸時代以来の古い制度も黙認されたので、なかなか教育が進みませんでした。
1889(明治22)年、アメリカで正規の歯科医師の課程を学び帰国した高山紀斉(たかやま・きさい)が開設した高山歯科医学院(明治33年に高名を東京歯科医学院に変更)が、はじめての専門学校になります。
この後も、官立の独立校も学部・学科もおかれません。ようやく、官立校ができたのが、1928(昭和3)年の東京高等歯科医学校が初めてであることが、歯科医学が軽視されてきたことの証拠になるでしょう。
陸軍も海軍も、正規の歯科軍医の採用はずいぶん後のことになります。
次回は陸軍の各部士官の養成制度に進んでみます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━
◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜
市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員
等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉
専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に
関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年
間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。
◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」
「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日
本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/
2009-11-05 22:06
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
戦争 /
自衛隊 /
荒木 肇 先生 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1102/
今回の選挙では、残念だったけど、
私は、ずっと「こびき司さん」を応援しているよ
こびき司 公式ウェブサイト http://www.kobiki.info/
いろんな人が自民党を批判しても、自民党もだめだったとか
利権集団だとか言われても
この方は、自民党の中で新人議員として頑張ってたし
腐った議員さんとは違うと思う。おつるは目を見ればわかるんだもの。
●こびき司さんは、議員になって5年間
一度もパーティをひらいてない。パーティ券も売っていない
●自民党動物愛護管理推進議員連盟 事務局次長として
犬や猫ちゃんの幸せのために頑張ってる。
●新人議員だけれど、派閥などに関係なく
先輩議員や自民党のあり方にも疑問を持ってしっかり意見されてた。
●公共放送を考える会でNHKの問題にも取り組んでくれていた。
●チベットやウイグル問題に関わる私を応援して励ましてくれた。
●小さな市町村の講演会やふれあいの会でも
ご機嫌とりや票集めのための演説でなく、いつも外交の話や
国のあり方についてを一生懸命訴えてた。
●日の丸を大事にして、政治家は日の丸を背負って国のために
尽くすんだと言ってた。
そういう姿勢を今回の選挙の時にも崩さなかった。
●落選した次の日から、応援した私の自宅までわざわざ何度も何度も
お礼に来て下さった。
●落選した次の日から毎朝、街頭演説をされている。
不器用だけど、正直でまっすぐな人。
だから、ほんものの政治家としてこれからもっともっと
活躍してくれると信じてます。
がんばれ こびき司さん!!
◆「9・11」変わる景色に思う (2009/09/11(金) 15:45:36)
こんにちは!こびき司です。
いつも大変お世話になり、ありがとうございます。
9月11日。
米同時テロから丸8年。
民間人として、ニュース映像で見た乗っ取られた航空機がニューヨークのWTCに激突するシーンは衝撃的だった。何が起こったのか瞬時に理解できなかった。
数年後、政治家として、一人グラウンドゼロを訪れた時、平和な世界に向けて少しでも尽力したいと心に誓った。
今、テロリストと言われているアフガンの武装勢力でさえ、以前、ソ連軍と戦っていた時はアメリカから称賛されていた時期があったことを思い起こすだけでも単純な話でないことがよくわかる。
明らかに見方が変わっている。
前回の当選から丸4年。
今、落選後の事後処理に走りつつ、自身、あらためて見えてくる現実を体感する日々でもある。
自民党は「混乱」の中で再生の道を示せないでいる。
民主党は、「凍結」か「続行」かと早速決断を迫られている。
民主党が与党となったからこそ、今までとは違った景色を前にして、方針を変えざるを得ない部分があってもいい。むしろ、そうあってほしいところがある。
今朝の読売新聞「民主に注文」で、キッコーマン会長の茂木友三郎氏も同じような意見を語っていた。
さらに読んでいくと前段だけではない、私が4年前から変わらず主張し取り組んできたテーマのひとつが同様の主旨で書かれていた。今回の選挙戦で演説していたこ
とでもある。
途中からではあるが、茂木氏の文章を以下に紹介します。
【読売新聞:民主党に注文より】
【これからマニフェストを総ざらいして、優先順位が変わり、修正すべきものが出てきてもいい。だが、コソコソ隠れて修正するのでなく、国民に説明した上で進路変更すべきだ。
むしろ、どのような国家を目指すかを明らかにすることが大事だ。民主党には、国民が住みやすい国、企業が仕事をしやすい舞台をつくることを求めたい。つまり、民主主義をより成熟させ、日本型の市場経済を確立することだ。市場原理主義は問題であり、構造改革に一部行き過ぎがあったのは事実だ。アメリカのコピーをする必要はない。
日本経済のパイを大きくする上で、民間の活力は欠かせない。民間が力を発揮するには様々な規制が障害になる。ただ、規制撤廃だけ進めて自由放任の経済となるのは問題がある。
民主党の政権公約にはないが、市場経済を支える基盤を整えることが必要だ。ルール整備と監視機関の充実、情報開示のシステムも基本項目だ。さらに、敗者復活できるシステムが大事だ。
会社を倒産させた経営者が再チャレンジできる仕組み、職を失った人が職業訓練を受け再就職しやすい労働市場などだ。負けた人が負けたままで終わらず、敗者に寛容な社会に変えることを民主党に期待したい。
今後の日本経済にとっては、新しい産業・企業(ベンチャー)を育てることが課題だ。中でも太陽光や風力の活用、電気自動車など環境関連の起業は大きな可能性を秘める。加えて、介護、医療、ヘルスケア、農業分野なども有望だ。新しい産業を興せば雇用の受け皿も広がる。
企業が高い目標を設定し、競争することは必要だろう。
そのハードルを越えようとする時に新しいビジネスや産業が生まれるからだ。
敗者復活が可能な仕組みを前提に、公正な競争ができ、活力のある社会を実現するのが新政権の責任だ。】
同感である。
私は、新しい分野に「挑戦する人たちのセーフティネット」を整備し、再挑戦が可能とすることの重要性をずっと国会内でもうったえ活動してきた。
事実、日本には無くて欧州では当たり前のように敗者復活が可能な仕組みが整備されている。
“市場経済”で、非難されるアメリカでさえ、あらかじめ、差し押さえ物件から経営者の自宅(3000万円相当)などは担保から排除されている。もちろん、住宅ローンの場合は話が違うし、悪いことをした場合は日本よりもはるかに厳しい罰が待っているが・・・。
成長戦略の中で、「挑戦する人たちへのセーフティーネット」が盲点になっていることをうったえ活動してきたが、残念ながら永田町・霞ヶ関の反応は冷ややかだった。反対する人たちは決まって「モラルハザードを起こす」と言う。
借りた金は返さなければならないのはわかりきっている。しかし、そこに再挑戦できる仕組みが欠落している日本の現状を変えようとすることの大切さに気付いている人間が少ない。 これこそ、意欲的な人材を育成する教育システムの構築と共に政治がしなければならない仕事なのだ。
日本は、廃業する人の数が起業する人の数を長きにわたって上回っている。
「日本人は農耕民族だから、挑戦する意欲にどうしても欠けるんだよ」と、私に話してくれた先輩がいた。
「本当にそうなんだろうか?何かがあるはずだ」
目の前にある風景が、いつしか当たり前と思うことほど恐ろしいことはない。
◆動いてます
□投稿者/ こびき司 (2009/10/05(月) 13:34:29)
中川昭一氏の訃報は誠にショックである。
心からご冥福をお祈りする。
10月27日開催される『「日本解体法案」反対請願受付国民集会&デモ』の発起人の一人として、「建て直そう日本」女性塾幹事長の伊藤玲子さんらと連携し活動している。
当日は17時から19時45分まで憲政記念館講堂にて請願を受け付けている。
この国の将来を脅かす法案が国会で成立しようとしている。マスコミも報道しようとしないその中身の真の危険性を一人でも多くの方々に知っていただき、阻止すべく行動する力を少しでも大きくしたい。
10月4日は「世界動物保護デー」だった。
日本で殺処分されている犬・猫の数は30万匹を越える。
先進諸国でも突出するその実態を改善したいと地方議員の時から取り組んできた。
目指すは「殺処分ゼロ」だ。民間で活動される方々とは、現在も連絡を取り合いながら動いている。
月内には農商工連携で北海道に行く予定だ。
落選後、自分自身が生活し生きていかなければならない中で、政治家としての魂が生きつづけていることを実感する。
やれること、やらなければならないことは山ほどある。
◆ご用心
□投稿者/ こびき司 (2009/10/20(火) 13:31:43)
お隣、猪名川町の町議補選に立候補した「宮東とよかず」候補の出陣式に行ってきた。
その新鮮な感性で、おもいっきり戦ってもらいたい。
一方、すでに始まっている神戸市長選で三選を目指す「矢田たつお」候補。
それまでの自公民の政党相乗りの形から、一転民主党の単独候補を標榜し戦っている。
民主党の躍進や、堺市長選の結果を受け、「時の流れ」と言ってしまえばそれまでだが、「こんなもんかなぁ〜」。
有権者が時代の変化を捉え、政権交代を選択した直後の政令都市の市長選だけに、地方分権はどこにいったのか・・・残念で仕方がない。
話は変わるが、最近やたら目に付く法律事務所等の広告宣伝。
「過払い金の清算や多重債務でお悩みの方はお電話ください」と、駆け込み寺よろしくうたっている。
以前からグレーゾーン金利の廃止によって既存の商工ローンが廃業、その影響で資金繰りに窮する中小零細企業に言葉巧みに誘いをかけ活発化するヤミ金業者の危険性と共に、過払い金の清算を掲げ不当な利益を上げる法律事務所の存在に気付き、ことあるごとに警鐘を鳴らし、地域の商工業者や地方議員を対象とした講演などで指摘し続けていた。(反応は薄かったなぁ)
案の定、ここにきて税務署に立ち入り調査を受け、追徴を受ける法律事務所などが続出している。
市場が必要とするからこそ経営が成り立っている部分があることや、多重債務者に至る方々自身の問題点などを度外視して、悲惨な結末に至った借り手と業者の悪質な取立て行為に対して、視聴者の感情を煽り立てる内容を繰り返し、いつのまにかグレーゾーン金利の存在そのものを「悪者」としてきたマスコミの論調にも変化が見られるようになってきた。
不況下、片方で広告収入を得ねばならないマスコミの宿命があるとはいえ、他方、同じ局で流される番組内容とのギャップには、首をかしげざるを得ない。
「勝てば官軍」と安直に流れる政治家(候補者)諸氏にも同じ構図が見え隠れする。
ご用心、ご用心。
◆「挽歌」に思う
□投稿者/ こびき司 (2009/10/22(木) 17:32:19)
ベストセラー「挽歌」の作家、原田康子さんが81歳で亡くなられた。
電話で『「こびき」ってどんな字を書くんですか?』と、名字の漢字を聞かれて説明する時、『「こ」は「材木」のモクです』で通してきた。
『「びき」は「挽歌」のバンです』と説明していたのが、いつからか解ってもらえなくなって『「びき」は「挽肉」のヒクという字を書きます』に変わり、最近では『手へんに「免許証」のメンです』とか、『手へんに「ご免なさい」のメンです』と説明するようになった。
自分でもあまり良い説明とは思っていないが、手許に届いた書面には「木挽(こびき)」ではなく、「小挽」や「木引」の文字が、レアなのには「子比丘」や「小菊」、「古事記」なんてのも。
どこでどうなったんだろう(笑)てね。
さて、小説「挽歌」は、1957年に同人誌から本となり、1年間で70万部を売る大ベストセラーとして世に出た。その作者の原田康子さんの訃報に接し、その内容ではなく「挽歌」という表題の二文字が日本の現況と重なった。
自立的景気回復にほど遠い日本経済は世界から取り残されようとしている。
過去の成功体験を捨て去り、既存の社会システムにはない発想とチャレンジが望まれる。
そのため必要な改革を実現しようと行動もしてきた。
様々な意味で転換期であることは間違いない。
人間社会の基本単位すら「家族」と「個」の間で議論がせめぎ合う。
そんな中、「戸籍制度の廃止」など、日本人の家族の絆と誇りを無くしてしまうような動きがある。
大切にしなければならないものまで、「挽歌」で送るような寂しいことだけはしたくない。
10月27日には、私が発起人の一人をつとめる「日本解体法案」反対請願受付国民集会とデモが「憲政記念館」を中心に行われる。
◆女性からのメールに
□投稿者/ こびき司 (2009/11/05(木) 11:24:25)
30代専業主婦、2歳と9歳の子供を育てている方からメールをいただいた。
【「作業療法士として、介護施設でフルタイム勤務していました。下の子が生まれる頃、夫の転勤で引越し、こちらに来ました。再就職を希望していますが、保育園に入ることが出来ず実現していません」
「今回の選挙で、民主党の『こども手当』に惹かれて投票しましたが、最近になって違和感を感じています」
「我家は二人の子供が対象となり、月に52,000円、年に624,000円もらえることになりますよね?保育園の支出も無く、子供と貴重な時間を過ごせるし、家事にも手抜きすることもなく健全な家庭生活をおくれる。実際、自分が専業主婦になってみて、その尊い時間をいただけるのは有難いと思うことも多いです。でも、同時に『働きたい』という気持ちと、『働かないでお金を得る』ことへの違和感が生じていることに気付いたんです。私は、誰もが望めば就職活動が出来るように保育園を増やして欲しいと思います」】
いただいたメールに、二つの感想を抱いた。
少子化に対して「社会全体で子供を育てる」という考え方のもと、欧州諸国に習い登場した「こども手当」。一旦、実施に踏み切れば、財政難になったからといって簡単に辞められない(一旦、それに寄りかかった家計は破綻しかねない)政策である。
私は、苦しかった生活の中でさえ、明るく、育ててくれた昔日の父母の姿を忘れない。
「社会全体で子供を育てる」政策を国民が選択した結果だが、選択した国々の中に、「家族の崩壊」が進んでいる事実があることを検証し、「親が子を育てる」が、埋没してしまわないようにあってほしい。
もう1つ、
「働かないでお金を得ることへの違和感」で、ふと、株価を操作して不当な利益を儲けていた早大「マネーゲーム愛好会OB」の事件を思い出した。「札束で人のほっぺをペチペチしたい人」という文言でサークル勧誘をしていたとか。
いつの時代にもこうした類の話はあるものだが、「家族」同様、「働く」という価値観も崩れてきているのだろうか、とんでもない話だ。
「悪銭身につかず」ではなく、「悪銭は厳しく没収する」政策を確立すべきだろう。
2009-11-05 21:35
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
政治 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1101/
高田教授ブログより
http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/10/post_245e.html
「中国の核実験」
「核の砂漠とシルクロード観光のリスク」
が漫画になった!!!
プロジェクトでは、漫画化企画を進めていたが、
ゴルゴ13で登場するとは、思いもよらなかった。
J博士はうれしい
小学館ビッグコミック連載のゴルゴ13が取り上げた
楼蘭周辺での中共の核の蛮行
http://big-3.jp/bigcomic/yokoku/index.html
「プロジェクトの元々の企画・漫画核の砂漠では
元自衛隊員、日本人教授、ウイグルの美人女医が、現地武装警察の追跡から逃れる
シナリオであった」
一億二千万の全日本人が、シルクロードでの核の悲劇を知る日は近い。
イリハムさんもかっこよく 登場しています。
2009-11-05 21:05
|
記事へ |
コメント(2) |
トラックバック(0) |
|
中国の核実験 /
日本シルクロード科学倶楽部 /
東トルキスタン ウイグル |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1105/
カンペイちゃんが危ない! 10.31 なんば チラシ撒き
10月31日 大阪なんばで、
大阪 なんば高島屋前(北東角の横断歩道前)で、
チラシ配りがありました。
動画はこちら→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm8669240
「シルクロードは危ないよ!カンペイちゃんコースを変えよう!」
カンペイちゃんが危ないキャンペーンの
チラシ撒きが行われました
主催は、日本シルクロード科学倶楽部 関西の星
Kinaくん、そして 松井さんがともに頑張ってくださいました。
一緒にがんばってくださったみなさん、お疲れ様でした。
●必死の形相で楼蘭核の砂漠を走るカンペイちゃん!!!
の絵を、QUちゃんとJ博士のチームが作りました。
シルクロードでカンペイちゃんが危ない! キャンペーンのHPで
ご覧ください。
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/EKanpeiRisk.html
詳細は下記のページへ
アースマラソンの間寛平が危ない!シルクロードでカンペイちゃんが危ない! キャンペーン
10月3日、未明のコペンハーゲンからアースマラソンに挑戦している間寛平が、生中継でテレビ出演していた。その時見たヨーロッパ後の予定走行経路地図には、カザフスタンから天山南路あたりが描かれていた。
現在のその地は、世界で最も危険な核の砂漠地帯である。中共がメガトン級の核爆発を1996年まで繰り返し、多数の人々が虐殺された地である。今も放射線障害を受けた100万以上のウイグル人たちが苦しみ放置されている地獄地帯である。
マラソン中の深呼吸で、プルトニウムを含む砂が肺細胞に吸着するため、肺がんリスクが高まるのである。NHKのシルクロード番組に関わったカメラマンが今年、肺がん死したとの情報が寄せられている。
寛平、シルクロード天山南路周辺を走るな!!!
アースマラソンに挑戦する寛平を応援している科学者
高田純 理学博士 札幌医科大学教授 放射線防護学
アースマラソンの公式ブログの日記の欄へ、本日、この件をコメントしましたが、掲載されませんでした。 寛平氏を応援しているみなさん、是非、彼にこの危険を知らせてください!!!
中国の核実験プロジェクトへ寄せられている日本人被害情報
・ 知人のNHKシルクロードカメラマンが肺がん死
・ 1980年代に観光した父親が悪性リンパ腫で死亡
・ 1980年代に観光した母が白血病で闘病中
2009-11-05 21:00
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
日本シルクロード科学倶楽部 /
中国の核実験 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1104/
2009年11月03日(火)
日本シルクロード科学倶楽部会員のモリタさんから
いただいた情報です。
モリタさんの貴重なコメントはこちらのコメント欄を↓
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/1098/#c7
聖イグナチオ教会は、10月11日の
カトリック正義と平和協議会の反靖国分科会
の拠点となった事に対して、教会は関係がないと他人事のようであった。
しかし、今回の抗議活動に懲りず、
下記のようなカトリックと直接関係がない
市民団体、社会運動に平気で施設を貸し出すとは
聖イグナチオ教会は
やはり日本を侵略者と位置付ける左翼活動の拠点となりつつある
のではないか。
聖イグナチオ教会の1万人の信徒さんたちは、その状況を自覚し
注意すべきでしょう。
「韓国併合」100年市民ネットワーク・関東 主催講座
『韓国併合の真実−日韓の100年を問い直す』 岐部ホール
岐部ホールとは
上智大学を始めとするキリスト教関係の施設が多い四ツ谷の聖イグナチオ教会敷地内に、間もなく列福されるペトロ・カスイ岐部神父を記念して「岐部ホール」と名づけられたイエズス会の管区長館およびその宣教拠点の建物である。修道院・修道会本部・集会室群・カトリック専門書を擁する聖三木文庫からなる
★ 私たちが共同代表です!
岩佐英夫(弁護士) 大久保史郎(立命館大学) 岡田卓己(啓明文化大学) 神谷雅子(京都シネマ)
宋富子(高麗博物館名誉館長) 竹内真澄(桃山学院大学) 田中宏(龍谷大学)
俵義文(子どもと教科書全国ネット) 鶴見俊輔(哲学者) 戸塚悦朗(龍谷大学) 中山武敏(弁護士)
波佐場清(元朝日新聞社) 前田哲男(ジャーナリスト) 増田都子(東京都学校ユニオン)
三島倫八(龍谷大学) 安川寿之輔(名古屋大学名誉教授) 李清一(在日韓国基督教会館)
共同代表のメンバーについて
●岩佐英夫(弁護士)。
イラク国際戦犯民衆法廷(イラクこくさいせんぱんみんしゅうほうてい、the International Criminal Tribunal for Iraq)副団長。
模擬裁判の形式をとってアメリカ合衆国などのイラク侵攻に抗議した反戦パフォーマンスの弁護士
●大久保史郎
http://www.doro-chiba.org/nikkan_dc/n2004_07_12/n5926.htm
「さまざまな改憲論がだされているが、改憲をしようとしている人たちの主眼は9条改悪であり、一方一般の人たちは9条自体は今のままでいいと考えている」ということをマスコミのアンケート調査などの資料を使って世論の意識とのギャップを明らかにし、権力者が9条改悪を主眼としていると主張する人物
●岡田卓己
過去の日本の侵略の歴史を謝罪し、日本人、在日コリアン、朝鮮半島の人々が連帯し活動を展開しているという運動の発起人
など・・・
●多くの賛同者の中には、
光延 一郎(カトリック司祭・上智大学教授)のお名前が。
「韓国併合」100年市民ネットワーク・関東 主催講座
『韓国併合の真実−日韓の100年を問い直す』
講師:姜徳相 (カン・ドクサン)さん
第二回10月31日(土)午後1:30〜16:30
第三回11月21日(土)午後1:30〜17:00
会場:岐部ホール404 四谷駅徒歩2分 参加費500円
千代田区麹町 四ツ谷駅下車、徒歩2分、聖イグナチオ教会隣り
岐部ホール手前の門からお入りください 上智大学正門手前
地図:http://www.ignatius.gr.jp/annai/access.html
なお上記地図は聖イグナチオ教会であり、岐部ホール自体は、
同教会の右隣です。
交通:JR 中央線・営団地下鉄 丸の内線・南北線 四谷駅下車
(徒歩2分 上智大学手前)
参加費:500円
来年2010年は、いわゆる「韓国併合」100年に当たります。「併合」=
植民地化について、「村山談話」(1995年)、「日韓共同宣言」(1998年)
では、「多大の損害と苦痛を与えた」と反省と謝罪の意を表明しました。
他方では、「併合は朝鮮の近代化を進めた」「良い植民 地支配であった」
などという言説がまかり通っています。これが日韓関係に陰を落とし、日朝
関係の正常化を阻んでいます。 こんな歴史認識の隔たりと過去清算の
未了を放置したままで 「韓国併合」100年を迎えては「未来志向の日韓
関係」などユメモノガタリでしかありません。
こんな状況を変えていくため、 市民ネットワークは運動を進め学習を
重ねていき7月20日に続き姜徳相 (カン・ドクサン)先生を講師にお招きし、
『韓国併合の真実−日韓の100年を問い直す』のテーマで講演をして
いただきました。 続けて100年を問い直して行くために第二回、三回と
講演をお願いしました。 ぜひご参加ください。
主催 「韓国併合100年市民ネットワーク・関東
連絡先 港区六本木3の5の11 松本記念会館内 中山法律事務所気付
この企画の問合せは関東事務局 futei@jcom.home.ne.jp
講師の 姜徳相 (カン・ドクサン)氏は、滋賀県立大学名誉教授
在日本大韓民国民団(民団)主催の
「新しい歴史教科書をつくる会」が侵略戦争と植民地支配を正当化する問題であるという集会に参加し、しんぶん「赤旗」に掲載
されていた人物
ここにも、「女性国際戦犯 法廷」のVAWW―NETジャパンの
松井やよりの後を引き継ぐ、カトリック正義と平和協議会と
つながりの深い 西野瑠美子の名前が。
2005年7月4日(月)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-07-04/2005070414_02_2.html
民団が歴史教科書集会
「つくる会」の問題点議論
--------------------------------------------------------------------------------
侵略戦争と植民地支配を正当化する「新しい歴史教科書をつくる会」が自分たちの教科書の採択を狙う中、在日本大韓民国民団は三日、東京都内で「歴史教科書と子どもの未来を考えるフォーラム」を開催。約四百人が参加しました。在日韓国人と日本人の研究者らが報告者となり「つくる会」教科書の問題点や日韓の歴史認識の共有について議論を深めました。
基調報告に立った姜徳相(カンドクサン) 滋賀県立大学名誉教授は、自身が中学生まで天皇に忠誠を誓う皇国臣民としての教育を受け、朝鮮人として生まれたことを恥ずかしいと思っていたことや、戦後も差別を受け苦労したことも語りながら、日本の歴史教科書が朝鮮の植民地支配の実態に十分触れてこなかったことを批判しました。
水野直樹・京都大学教授は、創氏改名や強制連行について、「つくる会」教科書が史実をゆがめていることを他社の教科書と比較しながら具体的に指摘 VAWW―NETジャパンの西野瑠美子共同代表 は、「つくる会」と自民党などの政治家が一体となって攻撃する中で教科書の「従軍慰安婦」の記述が後退した経過をのべ、「慰安婦」記述がなくなってよかったという発言を繰り返す中山成彬文科大臣を批判しました。
李成市(リソンシ)早稲田大学教授は「歴史とは現在の課題に照らして過去を見ること」であり「つくる会」教科書にはその視点がないと指摘。「国際社会に生きていく子どもたちが隣国とコミュニケーションできなくなる」と語りました。
参加者は「つくる会」教科書の採択を阻止する運動を進めること、子どもたちの国際交流と友情のきずなが深まるよう努力と支援をおこなうことなどを決議しました。
2009-11-03 20:02
|
記事へ |
コメント(24) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
西村修平さん「主権回復を目指す会」 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1100/
2009年11月01日(日)
カトリック教徒がハロウィン流行に
抗議デモ―仏
【パリ1日安倍雅信】
カトリックを主要宗教とするフランスで、
アメリカから輸入されたハロウィンを祝う文化の台頭に抗議して、
万聖節の一日、カトリック教徒の親子がデモ行進を行った。
フランスでは十一月一日は、全ての聖人たちに祈りを捧げ、
墓参りをする万聖節と定められており、
前日のハロウィンの騒ぎに抗議する形でデモ行進が行われた。
フランスでは、この十年間にアメリカのハロウィンを
学校や家庭で祝う習慣が急増し、
ケーキ屋などの店頭にもハロウィンのかぼちゃや、魔法使いの衣装が飾られるようになった。
ハロウィンという考えはカトリックにはなく 、
宗教的な意味はまったく無視された状況で、ハロウィンのお祭り騒ぎだけが流行し、ハロウィンの経済効果も千九万ユーロの市場に成長している。
聖人に敬意を払い、正装し、
デモ行進に参加したカトリック教徒の親子の中には、
「ハロウィンのような恐怖を与えるものではなく、喜びのために万聖節を祝う」
と違いを強調した。
抗議デモの狙いはカトリックの誇りを取り戻すことにあり 、形骸化したハロウィン騒ぎに警告を発する目的があるという。
*******************************************
なお 本日 10/31は東京の山手線内で
ハロウィーンパーティと称して、酒は飲むわ、裸で暴れるわ
乗客に迷惑をかけて、どんちゃん騒ぎをする馬鹿外人への
抗議を「主権回復を目指す会」が行われました。
日本人を嘗めきった不良白人どもへ大和魂の鉄槌を下せ
<民間防衛隊の志願者募集!10月31日(土) 新宿西口に集合せよ> ハローウィンと称した外国人の山手線ハイジャックを粉砕するぞ! 日時:平成21年10月31日(土) 20:00集合
http://shukenkaifuku.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=3516
**************************************
アメリカでは、ハロウィーンの日に、
日本人留学生の青年が、トリックオアトリートと アメリカ人の
玄関先を訪問しただけで、射殺されたという事件がありました。
ハロウィーンなんて、ガイコツや悪魔やオバケの格好をして
人を脅かして、どんちゃん騒ぎをするのは、プロテスタントだけ。
●カトリックにハロウィーンなどは、存在しません
日本の田舎では、「いのこ」と言って 藁やタケなどを手にして
子供たちが、夜に各家庭をまわり、家内安全を祈り
手作りのおまんじゅうやお菓子をいただくという礼節のある
お祭りがありました。
こういう日本の伝統行事がすたれて、バレンタインと同じように
日本の商業主義と結びついた ハロウィーンがもてはやされ、
電車内で迷惑をかける事まで日本人が許容しなければ
ならない事は 異常なことです。
●この動画は あまりにもひどい!! ↓
昨年のハロウィーンの様子です。
http://www.youtube.com/watch?v=v-jNaKHVnTw
私たち日本人は、子供たちに
電車の中で飲食してはいけない、騒いではいけない、
公共の場ではマナーを守る事が大切と教えなければならないのです
子供たちのためにも、こんな馬鹿騒ぎは
粉砕しなくてはなりません。
2009-11-01 03:56
|
記事へ |
コメント(11) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
西村修平 「主権回復を目指す会」 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1099/
ジャパンタイムズ抗議(主権回復を目指す会)の参加者である元歴史館職員「高校生の歴史主宰」の田代様 からインタビューを受けました。
田代様が作成した動画を配信してくださいました。
♪高校生のブログ♪柏発信http://blog.goo.ne.jp/j4goocast
ごくごくわずかな極左反日カトリック信者集団である
高校生の歴史のチャンネルはこちらです↓
http://www.youtube.com/user/chako3491
2009-11-01 02:31
|
記事へ |
コメント(16) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
西村修平さん「主権回復を目指す会」 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1098/
2009年10月31日(土)
2009-10-31 21:44
|
記事へ |
コメント(5) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
中国の核実験 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1097/
ジャパンタイムズ、反日新聞への抗議に行きました。
主権回復を目指す会の修平さんと待ち合わせ
そして、ジャパンタイムズへ
写真は、★NPO外国人犯罪追放運動理事長 侍蟻さんの
ブログ http://blog.livedoor.jp/samuraiari/
そして★主権回復を目指す会 ホームページより
お借りしました。
到着すると、すでにたくさんの方がいらっしゃいました。
以前、イグナチオでお見かけした方もいっぱい。
そびえたつジャパンタイムズ
こんな綺麗なビルから、口にするのもおぞましい
「夫がリストラされた日本の家庭では、主婦売春が大ブーム、
家計を支えるために主婦が売春することは今や普通である」
「日本女性の55%は即エッチ」 などの変態性的記事を
垂れ流すのね。
日本女性を侮辱するな!!
私は たとえ 1憶円あげると言われても
売春なんかしないんだよ!!!
西村修平さん、 イグナチオで外人女性が、ファックユーと
叫びながらしていた 下品なポーズを再現しています。
こんなポーズは日本女性は絶対できないよ。
「お前の○○の穴に指 突っ込むぞ」という意味だそうです。
ひどい・・・・
外国人犯罪追放運動理事長の侍蟻さんの素晴らしい演説のあと
おつるも西村修平さんよりマイクを託されました。
おつるは、イグナチオを拠点にした反靖国行動を
カトリック正義と平和協議会が画策していた事
それに対して、主権を目指す会が抗議という行動により阻止して
下さった事
その事に対して、カトリック信徒である私が、謝罪し、立会い、
一部始終を見ていたけれど暴力的行為などなかった事
嘘とデタラメだらけ、
まるで反日、反靖国行為に触れず、それに対する抗議の方々を
街宣右翼であり暴力集団であるかのような外国人の投書を
取材もせず、確かめもせず、抗議団体やカトリック本部の話も
聞くことなく、一方的に掲載した ジャパンタイムズは
許さないという思いを述べました。
実際に 現場で目撃した信者でない通行人も警察も外国人も、
この団体が暴力などふるっていないという事は知っていたはず。
この女性の投書は嘘なのです。
逆に言えば「カトリック信徒は嘘つきだ」「反日、反靖国の側だ」と
言っているようなもの。
私は、緊張しながらも一生懸命叫びました。
外国人の関係者も多いということで、英語で抗議文を
読まれた方も
女性の抗議は、日本女性を売春婦と書いた記事への抗議です。
そしてジャパンタイムズのビルの入り口へ・・・・
私の投書を のせなさいと迫るおつる・・・↓
お母さんに叱られた子供みたいに無言ばかりの管理局長
「竹島は日本の領土か、尖閣諸島はどうか、
あなたは日本が好きですか」という問いにも無言・・・
最後に 西村修平さんから 国旗を掲揚しないジャパンタイムズへ
日章旗のプレゼント笑
さあジャパンタイムズが今後、どういう対応をしてくるのか・・・
二度と、嘘、偏向記事を書くな!!
少しは、懲りたかな・・・もしまた偏向嘘報道を
繰り返すならば容赦しない。
抗議のあと、参加しておられた女性と
親しくなりました。
そしてみんなで、おひるごはん。
西村さんと写真を撮ってもらいました。
これからも、おかしいと思う事には躊躇せず声をあげていきたいです
侍蟻さんブログより
事実を捻じ曲げ、さも全ての在日外国人がありとあらゆる権利を要求しているかのように喧伝し、また、そのように不当な権利を主張することが日本に住む外国人として当然ですよ−と言いたげなのがジャパン・タイムズのような偏向新聞社ではないのか?
そのような意図に基づいて記事を作成しているとすれば、それは日本に住む常識・良識ある全ての外国人に対する侮辱でしかない!
ジャパン・タイムズはあたかも日本人が外国人を差別・迫害・排斥しているかのような報道をでっち上げてまで行なうよりも、日本人こそが不逞外国人から差別され迫害を受け蹂躙され、そして雇用においても冷遇されている「事実」こそを大々的に報道すべきではないのか!?
それでこそ日本の報道機関としての使命であり、外国人向けの英字新聞としての役割を果たせるというものだろう。
大体がカソリック系イグナチオ聖教会内で企てられていた「平和と正義」なる集会こそ、日本が過去に侵略、強制連行、大虐殺を行なったという捏造された戦争犯罪を断罪するための分科会であり、日本人に対する重大な差別・迫害問題であると強く糾弾されなければならない!
これを果たすべきマスコミがやらず、一国民らが集って展開した抗議行動について、捏造記事を掲載してまで日本人を虐げるような所業は断じて許されるべきものではない。
2009-10-31 20:48
|
記事へ |
コメント(2) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
西村修平さん「主権回復を目指す会」 /
中国 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1096/
2009年10月28日(水)
先日の聖イグナチオ教会にて
カトリック正平協の 反靖国行動について
「主権回復を目指す会」の抗議がありました。
この抗議は合法的で、暴力行為などはありませんでした。
が、まったくの嘘の投稿をジャパンタイムズは掲載し、
カトリックがなぜ抗議されたのか、
その元凶である カトリック正平協の反靖国行為のことは
一切、書かれていません。
この記事を読んだ方は、この嘘をついている白人女性の
主張が本当であり、
抗議団体が悪く、カトリック正平協が被害者のように
思われてしまいます。
また、カトリック信徒全員が 反靖国に加担していると
思われるでしょう
(もしかしたら、この白人女性ではなく、抗議に対応せず
物陰からこそこそ見て、逃げた正平協の関係者が
投書したのではと思えるような内容です。)
私も ジャパンタイムズに追及したい。
******************************************
http://shukenkaifuku.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=3511
【抗議街宣】日本敵視のジャパンタイムズを許すな!
主権回復を目指す会事務局
【抗議街宣】
白人の味方、日本敵視のジャパンタイムズを許すな!
<日の丸に(fuckyou)ファックユーを叫ぶ白人女を擁護するジャパンタイムズの犯罪>
もう黙っていないぞ!ジャパンタイムズと白人キリスト教徒の日本蔑視を
日時:平成21年10月29日(木) 11:30集合(抗議文の提出あり)
場所:ジャパンタイムズ本社 最寄り駅JR田町駅(芝浦口)
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.44.56.460N35.38.18.990&ZM=10
108-8071 東京都港区芝浦4-5-4 電話03-3453-5312 FAX03-3452-0659
◆反日を稼業とする「ジャパンタイムズ」は10月15日付けで、『うるさい右翼どもに立ち向かう』としての投書を掲載した。
◆我々は10月11日、反日キリスト教徒と「日本カトリック正義と平和協議」が麹町教会(聖イグナチオ教会)に集結して徒党を組んで靖國神社に乱入する企てに、断固とした抗議でもってこれを粉砕した。今夏、高金素梅ら反日シナ・台湾人らが靖國神社へ乱入して英霊を冒涜した前例に習い、今度はカトリック教徒らが同様な振る舞いを演じようとしたからだ。
◆教会前で整然と抗議活動を展開する我々を前に、スペイン系と思われる白人女が通り過ぎながら隊列に中指を突き立てながら「fuckyou」を浴びせた。米国ならば犯罪として処罰される言葉「死ね!クダバレ」に匹敵する禁句であり、身柄を拘束して人民裁判にかけなければならない。
◆白人女を拘束しようとしたが警察に阻止され、その女は身柄の安全を保証されながら、反日の権化・聖イグナチオ教会にまんまと逃げ込んだ。
◆主権回復を目指す会と<『語る』運動から『行動する』運動へ>は明言する。今後、このような侮辱的な言葉を吐く相手は決して容赦しない。その「安全」も保証しないと。さらに白を黒に言い換え、白人キリスト教徒の犬を演じているジャパンタイムズに、それ相応の責任を徹底追及する。
※雨天決行 プラカードの持参歓迎
呼び掛け:主権回復を目指す会/せと弘幸Blog『日本よ何処へ』/NPO外国人犯罪追放運動/在日特権を許さない市民の会
連絡:西村(090-2756-8794)有門大輔(090-4439-6570)
下記の記事の中の赤字の部分は すべて嘘です。
◆以下参考
『うるさい右翼どもに立ち向かう』【ジャパンタイムズ10月15日付】
私は日本の警察に謝意を表したい。 日曜日、都心の教会で行われる礼拝に歩いて向かっていると、右翼の独特の旋律が聞こえてきた。私は「またかよー」と思った。
しかし、今回はいつもの迷惑車両(街宣車)ではなかった。教会の外の角で、30〜40人ほどの抗議者が拡声器で叫んでいた。彼らの不満は、正義と平和のための日本カトリック協議会が靖国神社への見学ツアー含み の集会に対するものであった。
右翼が教会への乱入および集会への妨害をしようとしたことにより、集会は中止に至った。 そして、残された右翼たちは通りの角でどんちゃん騒ぎをしていた。私はこれら抗議者たちが、社会の断面を表わしていることに気づいた。スーツを着た男女、カジュアルな服装の若者、少なく
とも一人は着物で下駄を履いた男もいた。
少しばかり離れた所に、たくさんの警察車両が待機していた。制服警官らが右翼とは反対側の歩道で列を作っていた。私がこの2つの群れの間を歩いていると、右翼が私に向かって日本語で「日本から出てゆけ!」と叫んだ。驚いて、彼らを見ると、口に出して言うのもはばかれるアング
ロサクソンの言葉を吐いたのだ(※おそらくfuckyou)。
彼らはすぐさま私に向かって迫ってきて、拳と拡声器で私を殴りつけた。リーダーは私の髪の毛を引っ張れるほど近くまで迫ってきた。その時、警察官は私に迫り、攻撃者に体当たりをし、彼らを元いた歩道へと押し戻した。「走れ!」中年の警察官が私に叫んだ。
私は指示に従い、すぐさま教会の安全な所へ辿り着いた。私は無傷だった。しかし、もし警察官のとっさの対処がなかったら、私は確実にもみくちゃにされ、酷く殴られたことだろう。私は小柄な女性。私は白人ゆえに標的にされた。しかし、これらの右翼たちは、憎悪の中にさまざまなものを抱えている。その当日早くから、彼らは日本人礼拝者たちをヤジり、侮辱していた。 残念なことに、彼らは、彼らがナショナリズムに執り付かれる以前より、カトリック教会は古くから深く日本に根ざしてきたことに気づいていない。
※ ジャパンタイムズ
●「慰安婦=セックス・スレイブ」のデマを世界に広める原動力になったのがジャパンタイムズ。
●「慰安婦=性奴隷」
プロパガンダを繰り広げたジャパン・タイムズは、
いまだに「拉致は日本政府の捏造」暴言を吐いた反日豪州野郎のグレゴリー・クラークを 起用し続けている。
産経新聞の古森義久氏のブログより
「グレゴリー・クラーク氏が「拉致は日本の捏造」だと断言!! 信
じられない非人道的な暴言です。北朝鮮による日本国民の拉致と
いうのは、日本側による捏造だそうです。多摩大学の学長や文部省
大学審議会委員などを務めてきた在日オーストラリア人のグレゴリ
ー・クラーク氏が10月1日のアメリカのインターネット論壇「N
BR JAPAN FORUM」への日本からの投稿で、そんなひ
どいことを堂々と書いているのです。「反北朝鮮のキャンペーンを
打ち上げるために捏造された拉致問題を利用しようとする東京(日
本)の異様な努力は、韓国を日本からさらに離反させ、中国へと接
近させるだろう」クラーク氏は上記のことを英語で明記しています
。クラーク氏は安倍政権にも、小泉政権にも、猛反対です。両政権
とも日本に軍国主義を復活させる危険なナショナリスト政権だとい
うのです。「民族主義の日本は共産主義の中国よりずっと危険だ」
ともクラーク氏は宣言します。こんな外国人に日本の教育を任せる
というのだから、なにをかいわんや、です。」
グレゴリー・クラークの正体
↓
●ジャパンタイムズ The Japan Times Part1●
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/mass/1101947984/l50
グレゴリー・クラーク副学長の拉致問題暴言さらに拡大
「日本の拉致問題は日本側の捏造だ」と
横田めぐみさんの事件をもデマと言っている。
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1159913122/l50
●販売網は朝日新聞社系列
●毎日hentai新聞の『WaiWai事件』と同様に、国産英字新聞の老舗、『Japan Times』でも性的侮辱記事が数多く掲載されていました。これについても実は以前から散発的に批判があったそうですが、バレてなくて数が少ないのをいいことに、黙殺して掲載し続けていたようです。
例えば、次のような記事が掲載されていました。
2002年6月2日の記事は週刊朝日からの引用で、風俗に勤務する主婦の実態を紹介。業者が広告を雑誌に出すと、特に既婚女性からの応募が殺到するという。夫がリストラされた日本の家庭では、家計を支えるために主婦が売春することは今や普通であるという、風俗ライターのコメントもある。
以下 書くのがはばかられるような記事
詳しくはこちら「朱雀式」さんブログ
http://www.suzaku-s.net/2008/08/post_215.html
私は
バチカンに従い、靖国も大切にするカトリック信徒として、
今回の事件を公平な取材もせず、
カトリック正義と平和協議会の問題性を指摘もせず
偏向報道し 自らの反日思想のために
カトリックを利用する事に
抗議します。
2009-10-28 05:04
|
記事へ |
コメント(9) |
トラックバック(0) |
|
日本シルクロード科学倶楽部 /
キリスト教 カトリック /
靖国神社 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1094/
卒業生であり、カトリックの洗礼は受けておられない未信者さんで
聖トマス大学で 学ばれ卒業された方から
教えていただきました。
聖トマス大学 卒業生に郵便で送られたそうですが・・・
「学生募集停止決断さぜるを得なかった」
せざるを得なかった・・・とは、あきれます。
卒業生の悲しみ、元教育者の悲しみを
どのように 受け止めておられるのでしょうか・・・
おつるの以前の記事を あわせてお読みください↓
2009年06月08日(月)
◆カトリックの 聖トマス大学がつぶれる日
兵庫県の聖トマス大が募集停止
「学校運営が困難」
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/892/
2009年06月17日(水)
◆聖トマス大学がつぶれる日A
ある卒業生より「母校・英知大学の破綻について」
http://blogari.zaq.ne.jp/otsuru/article/900/
***********************************************
11/3
11時から
小田学長から、学生募集停止決断さぜるを得なかった理由説明会
13時から 同窓会
14時から
「教会の社会教説綱要」出版記念
カトリック3大学連続シンポジュウム
「人間共生の在り方と社会教説」
聖トマス大学創立50周年記念行事・第47回開学記念講演会
T シンポジゥム
マイケル・シーゲル
橋本昭一
本田哲郎
松本信愛
加藤賢一
U 交流会 池永大司教 パネリストの先生との交流
2009-10-28 05:03
|
記事へ |
コメント(5) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1092/
こんな最悪な 催しがあるのですね・・・
天皇のご即位をなぜ日本人でありながら
お祝いする事に抗議するのか・・・
また天皇陛下をガイコツにしたり、日の丸に汚物や
ナチスのマークの落書きをするのでしょうか・・・
反戦反天皇制は
入管法反対などで
カトリック正義と平和協議会
カトリック大阪大司教区社会活動センター・シナピスと
行動をともにする組織。
また主権回復を目指す会や在特会のみなさんが
阻止して下さるでしょう・・・
↓
以下は反日ブログ ↓
11 ・ 1 「天皇即位 20 年祝賀」反対!大阪集会
2009-10-16 18:29:55 | 集会情報反戦反天皇制労働者ネットワークの吉田です。
11月12日の「天皇即位20年祝賀」国家式典反対に向けて「天皇
即位20年祝賀」反対!大阪行動は下記の闘争に取組みます。多
くの参加を呼びかけます。
●11・1「天皇即位20年祝賀」反対!大阪集会
――戦争・貧困・差別のアキヒト20年を許さない!――
◇日時 11月1日(日)午後1時30分〜3時30分 3時40分か
らデモ
◇場所 国労大阪会館(大阪市北区錦町2−2 JR大阪環状
線「天満」下車すぐ)
案内図 http://www.doko.jp/search/shop/sc70390173
◇内容
【基調報告】 民主党政権下の天皇制攻撃 (大阪行動)
【発 言】
・日の丸・君が代と天皇翼賛―学校現場から
中野五海さん(大阪教育合同)
・国防婦人会のころ 樽美政恵さん(ふぇみん大阪)
・新たな貧困と若者と天皇制 金羽木あつしさん
◇参加費 1000円(資料込み)
◇「天皇即位20年祝賀」反対!大阪行動
―――――――――――――――――――――――――
なお、下記の全国闘争への参加も呼びかけます。
●〈天皇即位20年奉祝〉異議あり!政府式典反対11・12全国集
会・デモ
◇11月12日(木)午後1時〜/京橋プラザ体育館(東京・銀
座)
◇主催 〈天皇即位20年奉祝〉に異議あり!え〜かげんにせ
ーよ共同行動
(e-mail : igiari20@ten-no.net)
●11・11〜12反天皇制運動全国交流集会
◇11月12日(木)午前9時30分〜11時30分
◇千駄ケ谷区民会館(東京都渋谷区神宮前1‐1‐10)
◇主催:「天皇在位20年奉祝」やめろ!行動
------------------------------------------------------
●11・12「天皇即位20年祝賀」反対!大阪集会・デモ
◇11月12日午後1〜2時 大坂城公園教育塔前 集会後デ
モ
◇主催: 「天皇即位20年祝賀」反対!大阪行動
●11・16天皇来阪・即位20年祝賀反対闘争
天皇は11月16〜18日、府内を視察。以降に京都でお茶会。
「奉祝大阪実行委」は16日「提灯奉迎」。反対闘争で迎え撃と
う。
鳩山民主党政権は、自公政権を継承してか、「天皇在位20年
祝賀」国家式典を11月12日に東京の国立劇場で開催する。廃案
となった祝賀休日化法案も成立させるだろう。そればかりか、
自衛隊戦死者を慰霊・顕彰する国立戦没者追悼施設の具体化も
急いでいる。
なぜ祝うのか。なぜ急ぐのか。
それは、いまやアメリカの侵略戦争に参戦し自衛隊員の戦死
が現実味を帯びる戦争国家となったなか、天皇が戦争の中心に
座る必要が「待ったなし」となったからではないか。兵士が「
忠誠の対象」とする天皇、戦死を「お国のため」とたたえ「英
霊」として慰霊・追悼する天皇が必要なのである。侵略戦争と
植民地支配の責任をとらず居直り続けている日本国家と天皇が
、この国家式典を新たな天皇制戦争国家の本格的確立にむけた
跳躍台にしようとしている。
私たちは国家が主催する「祝賀」式典を断じて許すわけには
いかない。私たち日本の民衆はかつてと同じ誤りを犯してはな
らない。
11月12日には〈天皇即位20年奉祝〉に異議あり!え〜かげんに
せーよ共同行動が全国闘争を呼びかけており、東京でも大阪で
も全力で闘う。11月1日はその前段である。多くの参加を。
――――――――――――――――――――――――――
「天皇即位20年祝賀」反対!大阪行動
◇賛同を! 賛同費は個人・団体とも1000円。
郵便振込 00900−8−168991
口座名称 反戦反天皇制労働者ネットワーク(大阪行動と
明記を)
2009-10-28 05:00
|
記事へ |
コメント(15) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
靖国神社 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1095/
日曜日 久しぶりに 兵庫県リーグがありました。
チームメンバーの活躍の動画です。 (おつる撮影)
惜しくも0−1で負けましたが、いい試合でした。
水色ユニフォームが、バンヴェール兵庫です
ピンクはとっても強い北五葉ウイングさん。
2009-10-28 04:58
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
サッカー フットサル 大好き |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1093/
2009年10月25日(日)
2009-10-25 03:18
|
記事へ |
コメント(3) |
トラックバック(0) |
|
台湾 NHK抗議 /
日本シルクロード科学倶楽部 /
中国の核実験 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1091/
2009年10月24日(土)
おつるに似てるかなあ
寝返り成功♪
ハイハイももうすぐかな♪
たっちもお座りもできるよーって 4か月なのに!!
4か月検診異常なし。
2009-10-24 02:36
|
記事へ |
コメント(13) |
トラックバック(0) |
|
おつるの日常 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1090/
おつる三代目 なかなか元気でパワフルです
さすが、三代目の風格が漂う・・・
100日目のお食い初めは、鯛のおかしらつきとお赤飯♪
あーん。はじめてのおつゆ
いい湯だな〜〜
ママはいまだに、ギャルです笑
2009-10-24 02:28
|
記事へ |
コメント(10) |
トラックバック(0) |
|
おつるの日常 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1089/
先日の東京マリアカテドラルで、荘厳司教ミサの司式の司祭様の
おひとりであった、ヨゼフ・ピタウ氏のご講演です
第二バチカン公会議の本来の意味を語っておられます。
この本来の意味が、ゆがめられ左傾化と、典礼破壊、世俗化に
つながっている現状を私は憂いていますが
真の意味を理解することが大切だと思います。
ベネディクト教皇様は2006年11月にイスラム教のトルコをご訪問。9月に法王は、イスラム教と暴力を関連づける発言をして物議を醸し、トルコ国内では各地で訪問を拒絶する抗議がおこっていましたが、実際には、トルコでは歓迎を受け、対話により、
異なる宗教間の和解へとつながりました。
●海外メディア、ローマ法王訪土についての報道ぶり
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/newsdata/News20061130_4016.html
★立命館大学リレー講座 現代社会と宗教
第9回 ローマ・カトリック大司教
ヨゼフ・ピタウ氏
【講義詳報】
◆公会議招集の背景
カトリック教会がこの40年間、どのように改革され、世界での位置を考えているかについて話したいと思います。
ローマ教皇ヨハネ23世(1881〜1963)は1962年、だれも期待していなかったことを発表しました。世界に散らばる約2500人の司教様をローマに招集し、カトリック教会の刷新を夢見ました。それが「第2バチカン公会議(1962〜1965)」です。
第1の目的は、教会の「刷新」でした。第2の目的は、様々な教会や宗派に分裂したキリスト教界に「一致」を見いだし、もう一度、協力する態勢をつくることでした。
ヨハネ23世は、「刷新」という言葉で、中世という時代は終わり、新しい時代を考えなくてはならないということを主張しました。刷新は多岐に及びました。例えば、典礼です。その時まで、カトリック教会では、イタリアでも中南米でも日本でも、全世界でラテン語を使っていました。
全世界の神学教育のプログラムも同じでした。私は日本で神学部を卒業しましたが、日本の宗教的伝統について、科目は一つしかありませんでした。教科書もラテン語。日本人の同級生たちも、神学を学ぶより、ラテン語を理解し、日本語に訳す作業が中心でした。
世界は多元的で、カトリックだけでなく、プロテスタントも、キリスト教以外の人々も多い。第2次世界大戦後、経済や政治の分野では新しい問題も起こりました。共産主義のソ連という新しい政治が生まれました。東ヨーロッパはもちろん、イタリアやフランスでも共産党が強い影響力を持っていました。
新しい状態の中で、教会はどう考えなければならないか。教会は、どのような世界観を持てばいいのか。答えなくてはならなくなりました。それまでの神学の教科書は十分ではなく、現代に合った神学を構築する必要がありました。
◆全体主義への反省
一方、なぜ、カトリック教会はドイツのヒトラーや、イタリアのムソリーニのような指導者を認めたか。なぜ、ホロコースト(ユダヤ人の大虐殺)は起こったのか。当時の欧米の神学者にとって、自らの戦争体験は大きな課題でした。そうした反省は、ヨハネ23世が第2バチカン公会議を招集した大きな理由でした。
実際、第2次世界大戦中と戦後、優れた神学者たちはひどい苦しみを味わいました。なぜ、ユダヤ人が殺されているのを見て何もしなかったのかと。彼らは聖書を中心に研究し、自らの過ちを認めました。こうした神学者たちが、新しい神学、政治学に指針を与え、良心の呵責(かしゃく)の中で新しい世界をつくろうとし、第2バチカン公会議で大きな影響を及ぼしたのです。
◆一致への意志
刷新の中で、これまで分裂していたキリスト教界の「一致」の問題が生まれてきました。ヨハネ23世は、同じイエス・キリストの教えを伝えるなら、一致点を持たなければならないと考えました。
キリスト教界の最初の大きな分裂は1054年、東方教会と西方教会でした。この2つの勢力はいまだに分裂したままです。16世紀になると、プロテスタント、アングリカン教会(イギリス国教会)が分かれました。イギリス国教会はローマから独立、さらに、プロテスタントのルター派などの分裂もありました。イギリス国教会は、宗教的な理由よりも政治的、国民的な理由で分裂したのです。
ラテン語の問題もありました。ローマ・カトリックは、だれもが聖書を勝手に解釈するのを恐れて各国語で訳すのを禁じましたが、プロテスタントはドイツ語の聖書を出しました。
◆4つの検証
第2バチカン公会議で、多くの司教様はラテン語をあまり話せませんでしたが、自分の教区の優れた学者や専門家を呼び、相談役として使うことができました。第2次大戦の中で苦しんだ神学者たちは素晴らしい提案を出しました。公会議の公文書はとてもきれいな訳で、4つの中心的な検証を盛り込んでいます。これらの検証はカトリック教会の神学の中心に関するもので、大きな建物の柱に例えることができるでしょう。
検証の第1は教会の考え方です。カトリック的な教会の神学はこれまで、目で見えるもの、手で触れられるものを重視してきたが、神との関係で心の持ち方、精神的なものを強調するようになりました。そして、教会は組織体であるより、一つの精神的なものとし、外面的な典礼より、心の問題、精神的なものとしました。
16世紀のトリエント公会議(1545〜1563)では、教会は目で見えるもの、外面的なものを重視しました。例えば、教会で日曜日に何人が聖体を頂くか、何人が告白するかなどで、心はどうでもいいという傾向がありました。カトリックは、プロテスタントが外面的なものを否定したので、対抗するため、逆に外面的なものを強調するようになったのです。
トリエント公会議では、教皇を頂点とする位階的、形式的な共同体を強調しましたが、第2バチカン公会議は、共同体の位階より、平等な関係を強調、ローマ教皇の定義も「神の奉仕者」としたのです。教皇や司教、司祭は奉仕するために存在するのです。教会の定義も「御父と子と聖霊によって、一つに集められた共同体」としました。教会は神の恵みで集められた団体で、精神的なものが重視されています。
第2は、聖書についての検証です。聖書は、カトリック教会の中心的な存在で、だれもが自由に読めるようにしなくてはなりませんでした。カトリックでも聖書研究所で素晴らしい訳が作られ、みんなが聖書を持つようになりました。だれもが自分の聖書を読み、勉強できるようになったのです。
第3に現代世界の検証が行われました。政治や経済、文化の問題が取り上げられ、指針が示されました。
4つ目の検証は典礼です。カトリック教会はどこでもラテン語を使っていたが、各国の言葉で典礼をささげるようになりました。それは大きな革命でした。一般の信者も直接、ミサや祈りに参加し、理解できるようになったのです。典礼には司祭だけでなく、みんなが参加できるようになりました。
◆宗教間対話へ
第2バチカン公会議によって、カトリックの教会は開かれ、司祭や信徒みんなが典礼に参加し、具体的な活躍ができるようになりました。改革は、すべての場所で、同じように速いペースで進んだとはいえませんが、全体として教会は刷新されました。
そして、他宗教との対話の問題があります。カトリック教会は、ほかの諸宗教の中に見いだされる真実や行動、生活様式、戒律などを、尊敬の念を持って考察することになりました。
他宗教の欠点をあげつらう傾向があり、こうした態度は、以前にはありませんでした。「公に対話したい。公に助け合いたい。お互いの価値観を認め、そこから習いたい。協力したい」。このような指針は全く新しい考え方でした。
1986年、イタリア中部のキリスト教聖地・アッシジで、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が呼び掛け、世界の様々な宗教者が集まって平和のために一緒に祈りました。
このアッシジの精神は、お互いに知り合い、協力しあい、平和のため、貧困をなくすため、具体的な目的のために力を合わせることです。一つの宗教だけではできません。この精神は今も生きています。
つい最近のことですが、ローマ教皇ベネディクト16世が、ドイツで行った講義での発言を巡って、イスラムの指導者たちが怒りました。これは、昔の東ローマ帝国皇帝の発言を引用したもので、決して教皇が自分の言葉として言ったのではありません。
他宗教との対話は、真剣に考えないと、このような摩擦が起こることもあります。いかに難しいかということを示したケースだったと思います。
◇ヨゼフ・ピタウ氏の経歴
ローマ・カトリック大司教
1928年、イタリア・サルディニア島生まれ。45年、イエズス会に入会。上智大で神学を修め、米ハーバード大で政治学博士号を取得した。上智大で教べんをとった後、75年から同大学長。教皇ヨハネ・パウロ2世の要請でイエズス会本部に移り、教育省局長などバチカンの要職を歴任した。
(2006年11月22日 読売新聞)
2009-10-24 02:10
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1086/
******************************************
アースマラソンの間寛平が危ない!
シルクロードでカンペイちゃんが危ない! キャンペーン
詳しくは日本シルクロード科学倶楽部 ホームページへ
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/EKanpeiRisk.html
プロジェクトへ寄せられている日本人被害情報
・ 知人のNHKシルクロードカメラマンが肺がん死
・ 1980年代に観光した父親が悪性リンパ腫で死亡
・ 1980年代に観光した母が白血病で闘病中
*********************
kinaくん企画!!
@「シルクロードは危ないよ!
カンペイちゃんコースを変えよう!」 案内ビラ配り
アースマラソンで走ってるカンペイちゃん。予定経路にシルクロードが含まれております。
ご存知、支那政府が行った核実験の地、とっても危険です。
カンペイちゃんをひきとめましょう!
開始時間 13時
A「品川ヒロシ!外国人参政権に賛成?!抗議街宣」
こちらは、ろーちゃん企画
(日本シルクロード化学倶楽部と別企画)
偽善者、品川ヒロシが発言した「外国人参政権に賛成」。
この売国奴っぷりを皆さんにお伝えし、案内ビラ配りを行います。
開始時間 14時
@Aとも場所は同じ
なんば高島屋前 (北東角の横断歩道前)
********************************************
プロジェクトの缶バッチが出来ました!
可愛いでしょ♪
シルクロード科学プロジェクトの缶バッチが出来ました。
1個300円のカンパで、東京、関西、札幌の倶楽部の各拠点で、
販売します。
なお、倶楽部会員のみなさんには、無料で1個を配布いたします。
その3箇所での会合で受け取るか、
2月の倶楽部誌と一緒に送付します。
2009-10-24 02:02
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
日本シルクロード科学倶楽部 /
中国の核実験 /
東トルキスタン ウイグル |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1087/
2009-10-24 02:01
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
中国 /
酒井信彦先生 講演 /
政治 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1085/
「大阪読書研究会」のご案内
「大阪読書研究会」
日時:平成21年10月24日(土)午後6時より
講師:特定失踪者問題調査会理事 三宅 博先生
演題:現下の政治情況と、我が国の未来、為すべき事
場所:梅田東学習ルーム
大阪市北区茶屋町1-40(旧大阪市立梅田東小学校) TEL:06-6359-5832
http://www.kyoiku-shinko.jp/sisetu/08/index.html
会費:金1,000円
第6回「黒田裕樹の歴史講座」
日時:平成21年10月24日(土) 午後3時30分より
内容:「徳川綱吉 〜犬公方の真実」
講師:黒田裕樹
場所:梅田東学習ルーム
大阪市北区茶屋町1-40(旧大阪市立梅田東小学校) TEL:06-6359-5832
http://www.kyoiku-shinko.jp/sisetu/08/index.html
会費:無料(カンパを受け付けておりますので、ご協力をお願いします)
南木先生のメーリングリストより
今回の講師は 特定失踪者問題調査会理事で、前八尾市議会議員の三宅博先生に来ていただき、現下の状況をどう見るかについてお話しいただき、その後様々な議論をしたいと思っております。
三宅先生は先日もチャンネル桜のパネルディスカッションに出演され、外国人地方参政権問題に関して警鐘を鳴らされたばかりで、益々活発にご活躍中です。また、その場で南木からもいくつかのお願いや、提言が出来るかも知れません。
先般の総選挙では、日夜思索を重ねられ、我が国の進むべき道について深い洞察をお持ちの多くの方々が落選した一方で、たまたま名簿に名前を記載されていただけで、政治のことは何も知らず、本当は政治家になる気もほとんどなかった方々が多く当選しました。
本当におかしな世の中になったものです。
けれどもこれが現実であり、この延長上に我が国の未来も、我々の運命もあります。
ご自身、そのまま八尾市会議員を続けられれば、議員年金も支給される立場になる事が決まっているのに、途中で市議会議員を辞され、国政選挙に出馬された三宅先生は、何としても国会に行っていただきたかった方です。
三宅先生は今回惜しくも落選されましたが、その三宅先生の生き方、生筋は一貫しており、本物のリーダーとしての要件を今回、ますます完備されたと南木は思っております。
近く、必ず出番がやって来るでしょう。
多数の方のご参加と活発な議論を期待します。
(大阪読書研究会が今回、第何回目に当たるのか、カウントの仕方で変わってきます。近くしばらく更新していない大阪読書研究会のホームページを更新しますので、その時調整いたします。)
第6回「黒田裕樹の歴史講座」のご案内
次回(第6回)の歴史講座は、「徳川綱吉 〜犬公方の真実」と題して行います。
「人間より犬を大切にする稀代(きだい)の悪法」と今でも非難される「生類憐みの令」(しょうるいあわれみのれい)を施行し、当時の庶民に多大な迷惑をかけた「暗君」として、21世紀の現代においてもなお指弾され続ける江戸幕府の5代将軍・徳川綱吉ですが、彼の治世は本当に「暗黒時代」だったのでしょうか?
現代に生きる私たちが「空気のように」当たり前に感じている「あること」が、実は綱吉のお陰であるということ、さらに綱吉の評判が悪かった本当の理由が「彼の責任で起きたわけではない」という「隠された真実」を皆さんはご存知ですか?
今回の講座では、後世の人々によって「ねじ曲げられた」伝説をつくり上げられてしまった徳川綱吉の名誉回復を実践(じっせん)してみたいと思います!
尚、参考までに年末までの予定も紹介しておきます。
第7回「吉宗は名君か? 〜暴れん坊将軍の素顔」 平成21年11月28日(土)午後6時より (※この回は午後6時開始になります)
第8回「田沼意次と松平定信 〜悪人はどっちだ?」 平成21年12月19日(土)午後3時30分より
2009-10-24 02:00
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
日本シルクロード科学倶楽部 /
戦争 /
政治 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1088/
移民政策がさかんなヨーロッパ。ドイツにて、移民外国人の生徒からドイツ人の生徒が、いじめられている現状です。
日本も朝鮮人・中国人の移民により、このような状況が現実化するのも近い。在日外国人への差別がいけないと綺麗事を言って、我慢を重ねる日本人が将来的にマイノリティになり、差別される日は近い。
外国人参政権も憂うべきだが、もう現実となる。
それよりもさらに憂うべきは、簡易国籍取得法の恐ろしさ。
2009-10-24 01:09
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
外国人参政権 /
中国 /
日本シルクロード科学倶楽部 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1084/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【特別号】 陸軍史あちらこちら−(34) 荒木肇
『「陸軍少年兵制度」−現役下士官の主流は少年兵に−』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
□はじめに
長い伝統と歴史をもつ陸上自衛隊少年工科学校(神奈川県横須賀市)は、とうとう高等工科学校に名前を変えることになりました。もともと、技術下士官(陸曹)を養成するシステムとして発足したのが、この学校です。
制度の発足は1955(昭和30)年のことでした。中学校を出た生徒たちは、入校すると、少年自衛官となりました。少年がついたのは、もともと一般入隊の若者が満18歳からであり、それと区別するためだったのでしょう。
自衛官ですから階級がつきました。3等陸士です。左の上腕についている階級章の山形は一本の線だけであり、桜がないことで2士と区別がつきました。また、両襟には陸曹への有資格者であることを示す桜がついています。正式には「生徒」とよばれます。
3年間の合宿生活をすごし、武山の校舎を離れるときには陸士長になり、それぞれの職種学校へと旅立っていきました。また、防衛大学や、一般大学、海・空の航空学生などへ進む人もめずらしくありません。神奈川県立湘南高校の通信制課程に在籍しているからです(昨年度から県立横浜修悠館高校に変わる)。
何よりの特徴は、防衛大学校学生とはちがって、自衛官であることでした。防大生は定員外の自衛隊員ですが、少工校の生徒は階級をもつ自衛官です。防大生は学生手当を与えられますが、少工校生徒は階級に応じた給与を受けました。だから、同じく自衛隊の中の教育を受けながら、年齢が下の生徒の方が月収は良いといったことがあったのです。
なぜ、来年度から高等工科学校と名前を変え、制度自体も変わるのでしょうか。実は、自衛隊の定員削減と大きな関係があるのです。「小さな政府」をめざす政策は、選挙で見られるとおり、国民の支持を受けているのでしょう。一般国家公務員の定員を減らすというのが政策です。
防衛省・自衛隊も例外ではない。安全保障上の環境がむしろ悪化(いや、「友愛」でどこの国とも友好しようとしているから大丈夫だという考えもありましょう)しているのに、政府・議会は定員削減に突き進んでいます。自衛官を減らさなければなりません。すでに海・空自衛隊は「生徒課程」を廃止しました。残るは陸自だけ。とうとう、定員内だった生徒たちも自衛官ではなくなります。
高等工科学校と名前は変わり、身分は変わっても、生徒たちの学ぶ姿は変わらないことでしょう。16歳という幼さで、厳しい団体生活に身を投じた少年たち。その伝統は守られることと信じています。
▼少年飛行兵と通信兵の創設
何よりも有名だったのは、陸軍少年飛行兵でした。同時に通信兵もできました。1933(昭和8)年のことです。昭和8年の勅令には次のようなものがありました。
「陸軍補充令」の改正についてです。第66、67、68条にありました。
補充とは、昔の用語ですが、人員の採用をいいます。
『工兵科の現役下士官には陸軍通信学校(東京都下村山)の生徒課程を卒業して、下士官候補者に定められた者が、のちに1年間ほど在営した者を下士官にする』、同じように『航空兵科の現役下士官には所沢陸軍飛行学校の生徒課程……』とあります。また、『この下士官候補者には上等兵の階級を与える』とありました。
少年兵は、まず、陸軍通信学校、飛行学校の生徒課程に入ることになりました。でも、階級がないことが分かります。生徒課程を卒業して、下士官候補者になってから初めて、上等兵になることになっていました。
1935(昭和10)年には、航空科について改正がされます。所沢ではなく、「熊谷陸軍飛行学校操縦生徒または同航空技術学校技術生徒」に改めるという勅令が出ました。操縦と技術系に分かれたからです。所沢は陸軍発祥の地、いまも空自が基地をもっていますし、熊谷も教育隊があります。今はなくなった空自の生徒も熊谷で教育を受けていました。
▼現役下士官の補充の主流は現役兵から
もともと、第64条には次のように規定されていました。
『兵科(ただし憲兵は除く)現役下士官は、兵科下士官候補者として概ね2年在営して、軍教育隊の課程を修了するか、下士官候補者隊の課程をおえた者から採用する』
これが現役下士官の補充の本流です。軍教育隊とは、各軍に設置された教導団の後身にあたる学校でありました。少年兵にはこうした規定があてはまりません。
入営した兵士から志願した者を選抜して、下士官候補者にする。軍教育隊へ派遣するか、下士官候補者隊で教育するか、これが本流だったのです。だから、最短でも、伍長という階級になるのは23歳くらいでした。
昭和の初め、世の中が不況だった頃、税金は安い方が国民は喜ぶ。対外危機があろうが、安全保障上に困難さが見られようが、それは一部の人が考えること。国防費が削られるのは昔も同じでした。軍人の給与は削られ、装備の改変は進まない。これもまた同じです。
「大学は出たけれど」と言われたころ、陸軍は下士官志願者の増大に驚いていました。また、政府は、陸軍に学歴のある者をなるべく将校や、同相当官に採用してくれと圧力をかけています。不景気はいつでも、現役下士官の志願増に貢献していました。しかし、それは、両刃(もろば)の剣でした。志願者の素質が良いかどうかというと疑問だったのです。
すでに大正時代、陸軍当局は『下士志願者は社会の中では軽んじられている』という認識をもっていました。徴兵で現役兵になる人々の中には、学力が高い人も当然いるわけで、そうした人が上等兵になる。しかし、そういう人材は軍隊に居残るかというとそうではない。むしろ、世間でなかなか恵まれない階層から下士志願者は生まれてくる。だから、将校は下士を愛護して、兵たちから尊敬を集められるようにせよ。そういった通達もしばしば出されています。
▼少年飛行兵だけが「生徒」から「兵」へ
65条の2は少年戦車兵、同3は少年砲兵、4は少年高射兵の規定であり、66条は少年通信兵(ただし、航空科の通信専修者はのぞく)のことが決められています。ここで書かれていることは、みな共通です。
1)それぞれの少年教育学校の生徒課程を卒業すること。
2)下士官候補者と指定されること。
3)陸軍大臣の指定する部隊で概ね1年間在営すること。
ところで、67条は『前4条(少年戦車兵、同砲兵、同高射兵、同通信兵)の下士官候補者に対しては兵長の階級を与える』とあります。また、68条は航空関係の現役兵科下士官は……少年飛行兵にして下士官を志願し、概ね1年6ヶ月在営し下士官たるに適する者を採用ということが書いてありました。すると、少年飛行兵だけは生徒ではなく兵です。特別扱いがされたことが分かります。
まとめていえば、飛行兵以外の少年兵は、学校を卒業して下士官候補者になって兵長の階級を与えられる。おおむね1年在営して下士官になる。下士官になるまでは「生徒」の身分です。「兵長になる」のではなく、「兵長の階級を与えられる」ことに注目してください。
115条には、少年飛行兵学校生徒を「兵籍ニ編入ス」とあります。
ここで、基本法令をみましょう。『陸軍諸学校生徒採用規則』によりますと、少年飛行兵学校生徒に志願できるのは、満14歳以上17歳未満です。3回受験できました。学科試験の程度は国民学校初等科(旧制の尋常科、6年制)、国語、数学、歴史、理科の4教科が受験科目でした。
『陸軍少年飛行学校令』によると、召募試験(しょうぼしけん、採用試験のこと)に合格した者を生徒にして、少年飛行兵たるに必要な教育を1年間にわたって行うとあります。『陸軍志願兵令』によると、少年飛行兵は少年飛行兵学校の生徒のうちは「生徒」だけれども、卒業するとともに、「志願兵」たる「兵」の身分に変わりました。
素人にはやっかいな内容ですが、これが軍制の軍制たるゆえんです。
『陸軍志願兵令』をみると、昭和15年勅令第291号があります。
1)第3条 陸軍志願兵の兵種は飛行兵、通信兵、船舶兵又は軍楽兵とす。
2)第4条 ・・志願兵たる飛行兵は現役中之を少年飛行兵と称す。
3)第9条 陸軍志願兵の採用の際に於ける等級は飛行兵、通信兵及船舶兵に在りては上等兵、軍楽兵に在りては軍楽上等兵とす。
4)第17条 少年飛行兵は陸軍少年飛行兵学校生徒の課程を卒業したる者を以て之に充てる。
「兵種」という言葉が出てきました。1940(昭和15)年に、兵科の区別がなくなって、○兵上等兵などの言い方がなくなったからです。軍楽科は各部ですから、これまでどおり軍楽上等兵でした。「船舶兵」というのは、もともと工兵科の中にありましたが、上陸作戦や太平洋の島嶼戦で輸送船に乗り組んだり、上陸用舟艇を操縦したりといった兵種です。
偕行の記事で詳しく軍制を語られた山崎正男閣下は、「少年飛行兵学校を出た生徒は、卒業とともに兵役義務に服する少年飛行兵になる」と示されました。何のためにそんな規定があったかというと、「おそらく他の少年兵は伍長に任官するまで生徒の身分だけれど、少年飛行兵だけは、学校卒業と同時に兵役義務に服する少年飛行兵となることを明確にするためだろう」とおっしゃっています。その根拠として、第9条に、『上等兵とす』と規定してあることをあげておられる。なるほど、『上等兵の階級を与える』とはなっていません。
しかも、操縦教育が始まるとすぐに「兵」になりました。他の少年兵たちが伍長になるまでは生徒であるのに、飛行兵だけは「兵役義務を果たす」存在でした。おそらく、これは、訓練中に殉職する悲劇が多く、そんなときにも「兵である」方が、有利な扱いを受けられたからではないでしょうか。
▼各種少年兵の進路の比較
戦車兵、野戦砲兵、重砲兵、高射学校、通信兵の各学校の生徒たちは、年齢14〜17歳で、国民学校高等科卒業程度。また、陸軍兵器学校生徒は、年齢14〜19歳となっています。彼らは学校で2年、隊附下士官候補者として1年の後に各兵科伍長になりました。兵器学校(神奈川県淵野辺)生徒は課程が3年間と長くなっており、技術部伍長になりました。
飛行兵だけは、年齢が14〜16歳とせまくなっています。そして1年間の少年飛行兵学校生徒の課程をおえると、「兵たる少年飛行兵」になり、宇都宮・熊谷では操縦、航空通信学校(水戸市郊外吉田村)、所沢・岐阜の整備学校で2年間の修業をし、6ヶ月の隊附少年飛行兵をおえて伍長になったのです。
▼陸軍兵器(工科)学校生徒だけは最後まで少年兵とはいわない
1940(昭和15)年、勅令498号で、『陸軍工科学校を兵器学校に改める』とあります。新しい学校ができたわけではなく、名称変更がされたのです。ここでいう技術下士官ということが一般の方には分かりにくいと思います。軍隊は技術集団です。昔も今も、陸軍将校(陸自幹部)には工学博士もいましたし、現在の技術陸曹にあたる銃工長や、鍛工長、火工長といった技術下士官がいっぱいいました。
技術部は各部の一つで、昭和15年から新設されました。それまで、現役将校の中で技術系といわれる将校たちは、砲兵、もしくは工兵の出身でした。名称の起こりは不明ですが、「帝国大学工学部員外(いんがい)学生」として学んだり、大学院も出たりしました。他には帝国大学の理工学部を出て入隊する人もいました。
これに対して下士官たちは工科学校で教育を受けていたのです。
明治5(1872)年、東京の砲兵工廠の中に、「諸工伝習所」がおかれます。内容は四つに区分されていました。火工(3年)、銃工、木工、鍛工がいずれも4年間の履修です。これがのちに、砲兵工科学舎になり(明治23)、明治29年には砲兵工科学校になりました。砲兵がとれて工科学校になるのは1920(大正9)年のことです。
少年兵といえなかったのは、現役兵の中からも満23歳未満なら受験できたこと。そして、19歳までが受験年齢だったこともあります。
▼特別幹部候補生
戦争中の特例としての「特幹」です。この制度を初めて知ったときには、その字面(じづら)から見て、「予備役」のことだろうと思いました。というのは、陸軍では現役将校になる人は「士官候補生」、予備役幹部になる人は「幹部候補生」というのです。だから、制度を報じたマスコミの記事などに違和感をもちました。
たとえば、1943(昭和18)年の12月15日の『朝日新聞』には、「陸軍に特別幹候生 1年半で優秀な下士官を養成」とありました。また、1945(昭和20)年の新聞には、浦田耕作氏(昭和19年採用)によれば、「この制度が単に下士官のみの養成機関であるかに誤解している向きもあるが、実際には採用後1年半で伍長に任官、そのうち中等学校卒業者または特殊技術所有者中の優秀者はただちに軍曹に任官、その後、累進して軍曹、曹長、准尉の階級にある者には、己種学生の受験資格を与えられ、最も早い者は4年くらいで少尉に任官できる」と書いてあったというのです。中学卒業から4年で少尉とは、陸士卒にも負けないくらいのスピードになります。
勅令をみてみましょう。『陸軍現役下士官補充及服役臨時特例(昭和18年922号)』があります。それによると、「当分ノ内……補充スルコトヲ得」とあり、やはり、「当分の間の」臨時特例であり、「得」とあることから、「できるよ」という意味でもあるのです。そして、やはり「服役は特別幹部候補生に採用せられた月の1日から起算して2年に満つる日まで現役、その後は予備役に編入」。やはり、予備役だったのです。もっとも、「引き続き現役に服したい者は陸軍大臣の許可を得ればよい」ともあります。
勅令992号には、第4条として、「採用と同時に……兵籍に編入す」とあり、「入隊または入校と同時に、1等兵を命じ、その後おおむね6ヶ月後に上等兵、そして6ヶ月後に兵長に進級せしむ」とあります。正規の階級ですね。少年兵たちのように、生徒である期間はまったくありません。似た年齢であるから、学歴指定なども似ていますので、海軍の飛行予科練習生などと比べるむきもありますが、制度的にはまったくちがうのです。海軍の予科練は現役下士官養成でした。
▼苦労した下士官確保
陸軍は慢性的に下士官不足でした。処遇がよくない、社会的地位が低いなどが、その理由だったのではないでしょうか。伍長、軍曹では結婚もできないし、外出も不自由。給与も低いなどの具体的な例が、昔の文書などには残っています。
そこで、陸軍は、軍事技術者である下士官を確保するために、少年兵制度を考えました。当時の、貧しいけれど勉強したい。学校には進めなかったけれど、立身する道はないだろうか。そういう若者たちの希望の受け皿が各種の少年兵でした。
飛行兵だけは操縦教育が始まるとすぐに「兵」にしました。殉職したときに「生徒」の身分ですと「賜金」が貰えないのです。また、戦後になって、軍人恩給の算定では、生徒の期間は軍人(戦力を構成する)であったわけではないので、陸軍士官学校の生徒と同様に、恩給の対象になる勤務期間にはなりませんでした。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━
◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜
市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員
等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉
専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に
関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年
間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。
◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」
「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日
本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/
2009-10-24 01:07
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
戦争 /
自衛隊 /
荒木 肇 先生 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1083/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
荒木肇
『歩兵聯隊の動員計画」と火力装備−(下)』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
□おわび
コメントでご指摘を受けましたように、「済々黌(せいせいこう)」と「修猷館(しゅうゆうかん)」について、その位置を逆にしてしまいました。見落としでした。正しくは、福岡が「修猷館」、熊本が「済々黌」です。まことに申し訳ありません。卒業生の知人からもお叱りを受けました。
■はじめに
前回で少尉、あるいは中尉が指揮する歩兵小隊は4個の分隊に分かれることを書きました。そのうちの1個分隊は、分隊長以下12名、重擲弾筒(じゅうてきだんとう)3筒(とう)を装備しました。この重擲弾筒こそ、日本陸軍のオリジナリティそのものです。列国には、この装備はありませんでした。南方の島の戦いで、この兵器をみたアメリカ軍は、これを「ニー・モーター(膝撃ち迫撃砲)」と呼んだようです。
それは、筒の最下部には、地面にあてて発射反動を支えるための部品があったからです。まるで、膝上の太ももあたりにちょうどはまるような形をしていました。
歩兵の戦闘は間合い(敵との距離)によって、主になる武器が違いました。射程の長さの順にいえば、歩兵砲中隊の山砲(41式山砲)が6,300メートル、次が92式重機関銃の4,300メートル、92式歩兵砲の2,800メートル、99式軽機関銃の2,200メートルとなりましたが、これはすべて最大射程です。よく誤解があって、カタログを見て現実とはかけ離れた空想をされる方がいます。
山砲はたしかに6,000メートル以上も飛びますが、まず当たらない。ねらった所には落ちにくい。もちろん、砲の数がたっぷりあって、砲弾もふんだんにあるというのなら、砲手たちの疲労も考えなければ、いくらでも撃つことができます。それをやや精密にしたのが、1次大戦で行われた「弾幕射撃」の考え方です。
しかし、わが日本陸軍は、いつでも砲弾に不足していました。また、最大射程で撃つということは砲に大きな負担をかけます。だから、山砲の実用射程は、2,000から3,000メートルだったそうです。同じように、重機の弾丸は4,000メートル飛んだといっても、もっとも使われたのは600〜700メートル。軽機関銃も300〜400メートルくらいだったといわれます。そして、この89式重擲弾筒は、およそ600〜700メートルの位置に専用の榴弾を落とすことができました。
▼89式重擲弾筒(じゅうてきだんとう)
陸軍は世界大戦(1914〜18)をみて、多くのことを学びました。機関銃陣地を射撃する平射歩兵砲、また、迫撃砲と同じような曲射歩兵砲です。平射とは弾道が直線に近い。わが歩兵の接近を阻止する敵の機関銃を狙撃する歩兵のもつ砲です。重量は89キログラム。馬に載せて運びました。砲尾にある閉鎖機は、垂直鎖栓(させん)式です。金属製薬莢(やっきょう)で一体化された37ミリの砲弾を、開いている口に入れると自動で閉まりました。発射すると撃ち殻(がら)薬夾は自分で飛びだしてきます。
もう一つ、歩兵が装備する火砲がありました。11年式曲射歩兵砲です。迫撃砲のことです。世界大戦の塹壕戦では、敵の頭上から弾丸を落とすことが必要でした。そのためには、ゴルフのピッチング・ウエッジのように、弾丸を高く撃ちあげなくてはならない。世界大戦では大きく分けて2種類の砲がありました。1つはフランスのストークブラン社製の内部がツルツルの滑腔タイプ。もう1つはドイツ軍のライフリング(施条)されたタイプです。
滑腔タイプは、砲弾の後部に、飛行を安定させるために「羽根」がついていました。施条タイプは、これまでの砲弾と同じです。どちらの命中率が高いかといえば、やはり、ドイツ式でしょう。砲弾の生産量が少なく、バカバカと大ざっぱに撃つことに抵抗があった日本陸軍は、当然、これを選びます。なお、「迫撃砲」というネーミングではなく、「歩兵砲」としたのは、迫撃砲は編制上で砲兵の装備、歩兵砲は歩兵大隊の直接支援火器であるということからです。
これら両方の持ち味を統一できないか。そう考えて造られたのが92式歩兵砲です。これは、口径70ミリの専用砲弾を使う曲射も直射もできた小型砲でした。歩兵大隊に1個小隊2門が装備されました。これについては、詳しく後で述べます。
さて、重擲弾筒です。世界大戦では各国とも、手榴弾がたいへん重宝がられました。すでに日露戦争では、両軍が爆薬を投げ合い、次には空き缶などに火薬を入れて手榴弾のような物ができました。正式に手榴弾ができたそうですが、実物が見つかりません。
まず、手榴弾を遠くへ飛ばせないか。また、小銃から撃ちだせないかと考えました。手榴弾を遠くに飛ばすために開発されたのが「擲弾銃(てきだんじゅう)」でした。問題は重い500グラムほどもある手榴弾を小銃で撃ち出したら、小銃が壊れてしまう。それなら、専用の「筒」を造ったらどうか。これが擲弾筒です。
89式に重がつくのは、10年式擲弾筒があったためです。10年式は手榴弾を飛ばすものでした。89式は専用の89式榴弾(りゅうだん)を使いました。この榴弾は、重さが800グラムでした。弾底には発射薬がついていました。しかも、弾着精度をあげるために内部にはライフリングがされていて、TNT火薬150グラム入り、着発信管(固いものに当たると発火する)つきの榴弾を回転させながら飛ばします。最大射程は670メートルとあります。
3つに分解できました。陸自の武器学校(茨城県阿見町:土浦駐屯地)の広報館には実物が公開されています。榴弾の底部を見ると、発射薬はうすい銅板(今は安全上、外されています)に覆われていたらしく、発射時にはこれが広がって筒身内部のライフリングに食いつきました。なかなかに巧妙な仕組みです。半径10メートルに加害できたというので、けっこうな威力の小型砲といっていいでしょう。
擲弾筒手と弾薬手2人、それぞれ18発ずつ運んだそうです。つまり、0.8キロ×18ですから14.4キログラム。擲弾筒分隊はこれを3筒もっていました。筒手は筒だけをもちましたが(拳銃武装をしたらしい)、他の兵は歩兵銃も担いだわけでした。なお、筒の重量は4.7キロ。
1個小隊には3筒、中隊には9筒、大隊には36筒、聯隊全部では108筒にもなりました。1分間には3発の投射が可能でしたから、硫黄島のアメリカ兵も苦しめられた記録が残っています。毎分324発、重量にして259.2キロの発射弾量です。戦争映画には、まず出てきませんが。どうしてでしょうか。おそらく、撃たれた側にすれば、迫撃砲と区別がつきにくかったかも知れません。
▼MG(機関銃)中隊の編制と装備
歩兵大隊にはMG中隊がありました。MGとはドイツ語の「マシーネ・ゲベール」、英語ではマシン・ガンです。この中隊はもっとも人数が多い。
「敵性語」の追放で、帝国陸軍は英米語を使わなかったなどといいますが、あれも大げさにいわれてきたようです。MGはドイツ語でしたから、同盟国の言葉であり、敵性語には入らないと思いますが、自動車隊でも、ハンドルはハンドル、アクセルはアクセルでした。「転把(てんぱ)」とか「噴射践板(ふんしゃせんばん)」などと強制されたという人もいますが、部隊や現場で、いつでもどこでもそうかというと眉ツバです。
中隊には223人もおりました。それもそのはずで、中隊は重機関銃12銃(陸軍では挺とは数えない)を装備する「戦銃隊(せんじゅうたい:3個小隊)」と自動砲小隊(2個分隊)、さらに弾薬小隊(3個弾薬分隊)に分かれました。
92式重機関銃は、口径6.5ミリの3年式重機関銃の次に制式化された装備です。小銃が増口径化(6.5ミリから7.7ミリへ)する前に、重機関銃は1932(昭和7)年に7.7ミリ化に成功します。日本陸軍の銃器研究家の第一人者であられる須川薫雄氏(陸自武器学校展示館顧問)の名著『日本の機関銃』によれば、重機関銃の用法は次のように分類されます。
1) 危険地域。敵の身長より低い高度で直進する弾丸は、敵の前進を防いだ。
2) 集束弾道域。中間地点で、弾丸が上下のばらつきを生む地点では、縦長の楕円形の弾痕が生まれた。
3) 被弾帯。距離が遠いと、弾丸の落下角度が急で、被弾帯は円形にまとまった。固定された精度の高い機関銃は、射手が見えないところでも命中精度が高かった。
92式重機の弾丸は重く、横風の影響も少なく、しかも低く伸びたので連射されたら接近はずいぶん危険だったといいます。また、重量があり、(三脚架つきで五五・三キロ。銃本体は二八キロ)発射反動も十分吸収するので、弾丸はよくまとまり、弾着しました。連発した弾丸がばらつくのは、要するに発射反動が収まらないうちに次の弾丸が出るためです。
サイパン戦を描いた『ウィンド・トーカーズ』で、ニコラス・ケイジ扮する軍曹がサブ・マシンガンを連射します。威力が弱い拳銃弾をばらまくSMGがあれほど使えるなら、全軍、あれを装備すればいいのです。あの映画を観た若者が電車の中で、『バカだよな、日本軍て。小銃なんてガチャガチャやってさ、あれじゃ負けるのは当たり前だよ』などと言っていましたが、映画では歴史は学べません。
特徴的なのは、銃弾の装填方法です。金属リンクを使ったり、布帯(布ベルト)を使ったりした列国に対して、うすい真ちゅう製の「保弾板」を使いました。今も残る写真には、機関部の左横から突きだしている保弾板と弾丸を見ることができます。ホコリがひどく、雨が降れば泥だらけになるアジアでは、金属リンクや布帯では、ねじれたり、いたんだりしたことでしょう。
保弾板の一連には30発が組みこまれ、重さは実包(薬莢と弾頭がついて発射できる状態にある弾丸)が815グラム、保弾板が120グラム、紙函75グラムで合計が1,010グラムでした。頑丈な弾薬箱には20連=600発が入り、その総重量は30.043キログラム。2箱を駄馬の背に振りわけて運びました(並木書房『日本陸軍兵器資料集』ミリタリー・ユニフォーム・シリーズに詳しくかかれています)。
さて、機関銃の用法です。有名な銃器史研究家でもある某先生は、『南京の大虐殺は機関銃で撃ったのだ』とおっしゃっています。銃砲史の研究家なのに、ウソをついていると思うのです。それは拙著『静かに語れ歴史教育』(出窓社)でも書きましたが、機関銃や小銃ほど「人を殺す」という機能だけでいえば、不経済かつ、非効率なものはありません。もし、知っていてのウソつきではなく、ほんとうに2日間で30万人もの人を機関銃で殺したと信じているなら、その大先生は運用というものを考えていないと思います。
このころ、重機関銃はたいへん高価な兵器であり単価は2,000円もしました。軽機関銃が1,200円、小銃が35円と比べると、その貴重品扱いもうなずけます(昭和18年の価格)。しかも、少しでも大切に使わないといけません。替え銃身だって高価なものでした。
重機関銃は連射などするものではなく、点射といって3発から5発をていねいに撃ちました。30万人を殺すなど、何百、いや何千万発の弾丸が必要であり、またそれを運ぶことのどれだけの苦労が必要だったことでしょうか。
前にも編制表から、10頭の駄馬がいれば、その馬糧運搬のためだけに3頭の馬が要ることを書きました。重機は予備銃身や、付属の部品類、その他を運ぶために1頭、弾薬600発を運ぶためだけに1頭の馬が必要でした。アメリカ映画『シン・レッドライン』の中で、密林の中で92式重機を4人で搬送する日本兵が出てきます。きつかった……と本物の経験者が話してくれました。戦争末期の歩兵の思い出話ですが、入営して検査を受けた。米俵をもたされて、肩まで担ぎ上げたら「MG中隊だ」といわれた。何とか持ち上げたら「軽機関銃手」、それ以下は小銃手だったという分け方をされたという人がいました。
▼世界最高性能の対戦車ライフル
自動砲小隊は2門の口径20ミリ、97式自動砲をもっていました。これは対戦車ライフルのことです。制式の対戦車ライフルとしては、世界最高性能の折り紙がつけられています。半自動式、つまり、一発撃つごとに引き金を引きました。箱弾倉といって、大きな箱の中に、大きな弾丸がこめられます。ただし、排莢(撃ちがらをけり出す)や次発の装填はガスの圧力と発射反動を使いました。1分間に12発を撃てるとトリセツには書いてあります。
これは、全長が2メートルをこす大型で重量級の兵器でした。重機関銃より重い59キロもありました。運用は1門あたり9人もの人手が要りました。距離700メートルで30ミリの鋼鈑を撃ちぬいたといいます。これは、第二次世界大戦で戦車の装甲が50ミリをこえるようになったところで、威力不足になりました。
ところが、初陣のノモンハン戦では、ほとんど威力が発揮できませんでした。生産数が少なく、弾丸の補給にも不自由したせいでしょう。しかも、見通しの良いところでは、ソ連軍の45ミリ戦車砲に制圧されたのではないかと思います。
そこで生産が打ち切られますが、大東亜戦争の末期、生産が再開され、南方に多数が送られました。対魚雷艇や対戦車になんとか役に立ってくれという思いだったのでしょう。有名な村上兵衛氏の思い出の中にも自動砲が出てきます。氏が隊附候補生になったのは、近衛歩兵聯隊だったようですが、九段(現在、武道館があるところ)の堀端の訓練場で、この自動砲の操作を教えられたとありました。
▼92式歩兵砲−大隊砲といわれたミニ大砲
重擲弾筒のところで、平射も曲射もできる大砲として「大隊砲」にふれました。口径は70ミリ、歩兵大隊の中で歩兵砲小隊として2門がありました。口径75ミリの41式山砲は歩兵砲大隊の装備です。これは聯隊砲といわれました。砲兵の装備する分解可能な山砲のことをいいます。
92式歩兵砲は、ドイツの歩兵随伴砲をモデルにしました。わが国の、戦場を映した写真や記録映画の中でもしばしば登場します。砲身が短いので、バン!という強い音がしています。車輪は鉄製で、穴があいて軽量化の工夫がされていました。弾丸口径は70ミリで、弾丸重量は3.79キログラム、加害半径最大射程は2800メートルといわれます。もっとも、砲身が短いので命中率はあまりよくなかったようです。
▼歩兵砲大隊(人員311名、輓馬52頭)
歩兵砲大隊(人員311人)は二個中隊、つまり、口径75ミリの山砲を装備する中隊と、口径37ミリの速射砲をもつ中隊でできていました。歩兵砲中隊は戦砲隊(せんぽうたい、2個小隊4分隊、合計4門)と弾薬小隊(4個分隊)でできています。観測車、弾薬車8両をもち、弾薬小隊は弾薬車12両、器材車、器材予備品車4両と予備馬をもって准尉が小隊長。5個分隊にすると編制表にあります。
聯隊砲の41式山砲は、もともと山砲兵の装備でした。山砲とは、分解して駄載(馬の背に載せる)に積むことができる大砲です。弾丸は野砲と同じですが、火薬量を少なくしてあります。それは、軽量化するために強度を落としてあるからです。だから、当然、射程は野砲に劣ることになりました。当時の輓馬の駄載能力はようやく100キログラム。砲身だけで1頭が必要、全部で6頭の馬で運びました。総重量は539.5キログラムです。
歩兵の装備に山砲を加えることは、満洲事変(1931年)で生まれたアイデアでした。チチハルを攻略した第2師団が、鹵獲(ろかく)した山砲を歩兵聯隊に預けてみました。歩兵聯隊長が使ってみると、たいへん良かった。なんといっても75ミリです。これまでの歩兵砲の70ミリと比べれば、30%以上の炸薬量(砲弾内部につめられた火薬)と、倍近い射程が好評でした。
砲兵は新式装備として94式山砲が生産され始め、旧式になった41式は次々と歩兵聯隊に引き渡されていきました。なお、野砲との違いは、その閉鎖機でした。軽量化するために、野砲の自動鎖栓機(垂直に厚い板がおりる)ではなく、螺式(らしき、片側にちょうつがい式のピンがあり、手動で開閉する)を採用しました。それは、同時に、完全弾薬筒(金属製薬莢と弾頭が一体化している)ではなく、弾頭と薬筒(やくとう)を別々に装填することになります。もっとも、装薬(発射用火薬)が少ないので、その方が良かったのですが。結果、自動で排莢してくれる野砲よりも発射速度が遅くなりました。
▼速射砲中隊(人員106名、輓馬17頭)
戦砲隊(2個小隊)と弾薬小隊に分かれ、37ミリ対戦車砲、弾薬車4両、予備品車1両。弾薬小隊は弾薬車6両、予備馬若干、准尉を長として2個分隊になりました。
この16年度の37ミリ対戦車砲とは、今も武器学校で見られます。低い姿勢の、いかにも精悍な大砲です。1933(昭和8)年、陸軍技術本部は近い将来の対ソ連戦を考えていました。ロシア戦車の装甲がいずれ30ミリになるという情報から、これを撃ちぬく対戦車砲の開発を始めます。
ドイツのラインメタル37ミリ砲を参考に、重量328キロ、射程2,870メートル、初速700メートル毎秒の砲を造りました。ラインメタル砲と比べると、ちょっと性能が落ちました。それは、砲身の冶金技術に遅れをとっていたからです。また、部隊側からは、分解して駄載できるようにという要望がありました。またまた軽量化です。しかし、道路が整備されていない大陸の戦場では、馬で引っぱるのも大変でした。馬に載せる、それも駄目なら人が引く、あるいは担ぐ。昔の人はどれほど頑健だったことでしょう。
▼聯隊の総人員は
こうして人員合計は4,487人、馬が合計927頭にもなりました。もちろん、通信中隊142名、馬25頭もふくめた数字です。通信中隊は電話機20個、被覆線30キロメートル分、5号無線機5個、6号無線機12個をもっていました。中隊は2個小隊、小隊は6分隊に分かれています。
まとめておきましょう。聯隊は3個歩兵大隊、1個歩兵砲大隊と通信中隊で構成されました。合計12個歩兵中隊、3個機関銃中隊と3個歩兵砲小隊、歩兵砲中隊と速射砲中隊がそれぞれ1個でした。
火力は重機関銃36銃、70ミリ歩兵砲と20ミリ自動砲が各6門、75ミリ山砲が4門、軽機関銃が108挺、重擲弾筒108筒、他小銃およそ3,500挺となります。
対ソ連戦に備えた戦闘師団の1個聯隊の実力はこうなりました。なお、レイテで戦った歩兵第1聯隊の職員表(幹部=下士官以上のポストに人名が付されたもの)をみますと、まさに、このとおりの編制になっております。装備はもちろん、7.7ミリの99式小銃と、99式軽機関銃、92式重機関銃でした。大岡昇平氏の名作『レイテ戦記』には、『38式歩兵銃の銃声と野砲の響きが再現できたら』と書かれていますが、第1師団は少なくとも7.7ミリの重い銃声と、重擲弾筒の響きをとどろかせていたのではないでしょうか。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━
◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜
市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員
等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉
専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に
関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年
間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。
◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」
「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日
本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/
2009-10-24 01:05
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
自衛隊 /
戦争 /
荒木 肇 先生 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1082/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【特別号】 陸軍史あちらこちら−(32) 荒木肇
『歩兵聯隊の動員計画」と火力装備−(上)』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
□ご挨拶
すっきりとした秋晴れが、なかなか見ることができません。ただ、そのおかげで助かっていることもあります。秋の陽射しはけっこう強いものです。
近頃では、各地の陸上自衛隊の創立記念日が行われています。晴れ上がっての記念式典。そこに参列させていただくと強い陽射しにつらい思いをすることが多い。薄曇りくらいですと、式典の間整列される隊員のみなさんの負担も、少ないのではないかと思います。
先日は東北、仙台の方面総監部の記念行事にお招きをいただいたところです。式典、行事は広大な霞の目飛行場で行われました。そこは市内の総監部から車で15分くらいにあります。ふだんは方面航空隊や輸送隊などが駐屯しているところです。
案内して下さったのはT幕僚副長。長身の高射特科(砲兵)ご出身の若い将軍ですが、全国五つの方面総監部の中では、こうした広い会場があるのはただ一つとおっしゃっていました。
たしかに、市街地のまっただ中にある北方(札幌)総監部、練馬区大泉の東方、兵庫県伊丹市の中方、熊本市内の西方の各総監部などの環境に比べれば、アトラクションの訓練展示も十分、ゆとりをもって行うことができます。
空自の松島基地から5分で飛んでくるF2支援戦闘機、八戸からも海自のP3Cがやってきます。大・中型ヘリの編隊飛行も見物です。祝賀会食には格納庫があてられますから、多くの方々が隊員手作りの料理や、東北名物の芋煮を楽しめる。そば、うどんなどの模擬店も賑やかでした。
今回の訓練展示は、久しぶりに見る大きな戦闘訓練でした。戦車、対戦車ヘリコプター、野戦榴弾砲の支援を受けた増強普通科(歩兵)中隊が、空挺降下した部隊の協力を得ながら、戦車などで守られた敵陣を攻撃するシーンです。
ヘリからのドアガン(12.7ミリ重機関銃)によるドンドンドンという重い響き、戦車の車載機銃のバリバリバリという豆を煎るような軽快な射撃音、耳をつらぬく戦車砲のドンという轟音。空に突きぬけるような野戦特科のFH70の斉射。久しぶりに火力のすごさを目の当たりにし、機甲科かと一体になった普通科部隊の突撃の勇ましさに、頼もしい思いをしました。
同時に、こうした厳しい環境の中で訓練に励む隊員のみなさんに感謝の気持ちでいっぱいになりました。それは環境というような易しい言葉ですむようなものではありますまい。
空挺隊員も高度1000フィート、わかりやすくいえば、東京タワーのてっぺんから降下します。ヘリのパイロットによる「コウカ!コウカ!コウカ!」という緊張した声も、そのまま場内に放送されました。次々と開く落下傘。地上ではほとんど無風でしたが、ちょっとでも風があれば、その着地の危険は大きく増していくということです。
祝賀会食では、東北選出の国会議員の方々が挨拶に立たれました。その中で、一人の若い議員のご挨拶には、少し鼻白むものがありました。災害派遣への期待ばかりを、何度もいわれるのです。自衛隊が役に立つのは災害の時の活躍ばかりのように聞こえました。
今、目の前で起きたことの何を見ておられたのだろうと思うのは私だけではなかったことでしょう。会食にはインド洋対テロ給油活動、アフリカの海賊退治でなお、仲間が活動継続中の海自の隊員たち、それらを陰で支える空自の隊員たち、警備に出かけている陸自の隊員たちが加わっているのです。そのことへの感謝の言葉もなく、ただひたすら宮城県沖地震のこと(もちろん、大切なことでありますが)ばかり語るM党の議員さん。
佐藤正久参院議員のご挨拶が白眉でありました。国益とは何のことなのか、自衛官の活動が何につながるのか、どういう存在価値が自衛隊にあるのかをていねいに解説されました。『自衛隊は強くなければなりません』との御言葉が印象的でした。もちろん、現場で働く隊員諸官、支える組織の皆さんへの感謝の言葉を忘れずに。広い格納庫の天井までひびく拍手が鳴りやみませんでした。それを並んで聞いたM党の議員さんはどう思われたのでしょうか。まさか、ふん、身内褒めをして、などとは思われなかっただろうことを願います。
▼はじめに
旧陸軍の火力のことです。司馬遼太郎先生や、半藤一利先生などにより、すっかり定着した陸軍2流装備伝説。『日露戦争の頃には装備は一流、昭和に入っては二流、三流』という定説がすっかり広まっています。
『カチャパン(手動装填式)ばかりの小銃だけで戦ったからだめだ』という言い方もずいぶん、国民の常識化しているようです。ガダルカナルでもニューギニアでも、自動小銃、機関銃のアメリカ兵に肉弾で銃剣突撃した日本兵というイメージは大きなものでしょう。
以前、NHKのガダルカナル戦の特集でも、「こんなに長い」とか、「M1と比べると連射できない」などと批判されていたくらいです。こんなに技術軽視だったとまとめられるのが常になっています。
そうした主流の考え方に逆らうようで恐縮ですが、今回は、残された史料の数々から歩兵聯隊の編制を再現して、その中で歩兵の兵器についてみてみましょう。読者の方からいただいたコメントにも、部隊などの編成を載せてほしいというご要望もありました。今回、ご紹介するのは、『歩兵聯隊(甲)編制表』です。
編制(ヘンダテ)と編成(ヘンナリ)は少し意味が違います。どちらも「ヘンセイ」と読みますが、陸軍では(いまの陸自でも)、「ダテとナリ」は厳密に使い分けました。
まず、編制とは、当時、勅令によって定められた永続性のある部隊の組織をいいます。編成とは、ある目的のために決められた編制をすること。もしくは、臨時に部隊を編合(へんごう)し、組織することをいいます。
陸軍では、複数の軍隊(この言葉は総称ではなく、官衙、学校、特務機関と区別する戦闘組織をいう)を組みあわせるとき、軍令で定めるものを編組(へんそ)といいました。この一時的なものを軍隊区分といい、指揮命令関係はありますが、隷属関係はありません。隷属とは、人事までもふくむ上意下達の組織の関係を表す言葉です。ただし、戦時に、勅命による作戦軍の編組は「戦闘序列」といい、軍隊間に隷属関係が発生しました。
これらの言葉は、戦後、旧軍関係者でも、ときに正確に使い分けないことがあります。それは、軍制や軍法についても、たいていが無関心であること。私たちの中に、どうも制度や組織について、根元的なことに考えない習慣があるからではないでしょうか。
体験者でも誤解をもったままに書かれていることもあります。戦史や軍隊史に興味をもたれるとき、話者や著者が陸軍経験者だからといって鵜呑みにすると危険があるゆえんです。
▼昭和16年度動員計画「歩兵聯隊(甲)編制表」
師団には甲師団や乙師団という分類がありました。ひらたくいうと、戦闘師団と警備師団、あるいは治安師団などという分け方です。歩兵聯隊(甲)は、3単位制戦闘師団の歩兵団を構成する3つの歩兵聯隊のうちの1つです。
では、以下、数字が多くなりますがご勘弁ください。
まず、聯隊本部の人員と馬の数です。
聯隊長以下、209名(以下略)、乗馬27頭(同前)、輓馬103頭(同前)になります。聯隊長は大佐、もしくは中佐。少佐が1。兵器掛(へいきがかり)大尉もしくは中尉1。同じく副官1。暗合掛、少尉もしくは中尉1。瓦斯掛(ガスかかり)同1、聯隊旗手少尉1が将校の定員です。乗馬があるのは、佐官以上と聯隊副官の計3頭。聯隊旗手の少尉は副官の助手をかねており、暗合掛将校は情報主任ともいわれていたようでした。ガス掛は、対毒ガス戦用の教育を(この当時は「習志野学校」で行っていた)受けていた将校です。また、将校の中には、輜重兵少尉、もしくは中尉1名がいました。また、軍医・主計・獣医各部の大尉と同少尉が1名ずつ。主計大尉と同少尉もおりました。下士官も数多く、獣医務、技術系下士官もおります。兵隊は29。
歩兵大隊は3個。大隊本部は人員223。乗馬18。輓馬46。駄馬84。
各大隊には4歩兵中隊と1機関銃中隊と1歩兵砲小隊がありました。歩兵中隊は人員190。大尉もしくは中尉の中隊長が1。中・少尉が3、准尉と曹長が各1。軍曹、伍長の下士官が18、うち、兵器掛兼瓦斯掛、給養掛、連絡掛が各1名ずつ。兵162、合計186に衛生兵4で合計190になりました。この中隊は3小隊に分かれ、小隊は4分隊、第1から3までは長以下13名。軽機関銃1と小銃11挺、第4分隊は長以下12名、重擲弾筒3と小銃9挺でした。
このとき(昭和16年度)の軽機関銃は99式7.7ミリ口径です。わが国は、傑作小銃38年式歩兵銃、同騎兵銃(6.5ミリ)を使い続けてきましたが、世界各国の動静や、中国戦線でドイツ製モーゼルの7.92ミリに撃ち負けない銃弾を望む声におされて、とうとう7.7ミリへの増口径化に踏みきりました。まず製作されたのが99式「小銃」です。
よく米軍のガーランド(M1ライフル)が開発されたことと比べて、1939(昭和14)年にもなって、まだ手動装填式を採用したことを、そしる声があります。それが、戦後の神話となって、旧陸軍の精神主義や技術軽視体質を非難するのが流行しました。いや、いまだに、「だから駄目だったのだ」というのが常識でしょう。
しかし、一国の主力小銃の決定という問題は、想定される戦場や、そこでの使われ方を考えた上でのことだという認識がなければなりません。また、兵器産業を支える国家全体の技術水準や、自動装填式(引き金をひくごとに、次の弾丸が装填される)小銃の採用から予想される小銃弾の使用量の増大や、補給力の整備に耐えられるかといったさまざまな条件を考えての決断という側面もあります。それらを検討した上での総括、非難だったのでしょうか。いや、それは、絶対にちがいます。
経験者やら誰やら、マスコミや文化人が、無責任にいいふらした浅薄な戦前社会批判、軍隊非難のデマだったのです。
では、技術軽視でも、白兵大好きでもなかった陸軍が、自動小銃を採用できなかったわけについて考えてみましょう。
1)陸軍が想定した主戦場は、泥とホコリにまみれる中国大陸でした。すでに38年式歩兵銃、騎兵銃には、機関部に「遊底覆い」というカバーがつけられていたくらいです。大陸の砂塵は細かく、精密な機関部に入りこみ、装填動作がうまくいかなかったという実戦談がたくさん残っています。
そんな環境で自動銃は完全に動いたでしょうか。戦後、20年あまり過ぎたベトナム戦争でも、アメリカ軍のM14自動小銃は、しばしば故障したといいます。湿気が高く、泥が多かったベトナムの戦いでM16ですら、当初はトラブルが続いたそうです。
2)新型銃には38年式を超える機構が当然、要求されました。新型の機械は、つねに進歩していなければなりません。小銃でいえば、より軽く、よりシンプルに、それでいて強度が高くなければならないのです。軽いことは執銃者、ヘイタイさんの負担を少なくしました。『長い行軍をして、紙1枚でも捨てて歩きたかった』という主計将校の手記を読んだことがあります。
構造がシンプルであることは手入れの手間を少なくしました。銃は1発でも撃ったら、分解して掃除をしなくては、ならなかったのです。強度が高くなければ、より速い弾丸を撃ち出せません。
開発者にとって大変だったのは、完成された手動式小銃だった38年式を超える機関部を造れという要求に応えることでした。おそらく、当時も現在も、38年式は世界でも類がないくらいシンプルで強度がある銃です。
自動装填式は、当然、構造も複雑になりました。部品点数も多くなり、分解組み立ての手間も増えたのです。
3)小銃には、さまざまな付属品がありました。中でも主役は小銃弾です。昭和の初年に自動銃を開発した人たちの記録があります。実験すると、毎分あたりの発射速度は、自動銃12発くらい、手動銃7〜8発だったといいます。それほど大した差ではないことに驚く人もいますが、じっくりねらって撃つのが歩兵銃です。一部のアメリカの戦争映画のように、撃ちまくっていたら、それはほとんど当たっていない。まあ、限られた時間の中での弾丸密度を考えると、自動銃はやはり有利です。しかし、いざとなったときの、弾薬消費量はハンパなものではありません。おそらく、次々と乱射したら、1分間に50発や60発は撃ってしまうことでしょう。
しかも、戦場の背後には兵站線が続きます。銃弾は内地の工場を出て、兵站倉庫に集められ、そこから港へ運ばれて集積される。船に積まれて港に着き、倉庫に運びこまれて、その後に長い旅を経て師団集積所に運ばれる。そこからは師団輜重の領分です。輜重兵は馬の背につけ(駄載)、補給車にのせ(輓曳)、人が背負い最前線に運んでいきました。弾丸や薬莢が増えたら、負担は大きく増えるのです。
5発ずつ束ねられてクリップにまとまったタマをいれる弾薬盒。手入れ用具。オイル、予備部品、その他の備品など、すべてが38年式より高価になりました。小国の陸軍ならいざしらず、100万人単位の軍隊は、かるがると主要装備の変更などできるものではありません。
▼99式小銃
99式小銃は歩兵銃ではありません。99式には、38式のような騎兵銃タイプ、銃身を切りつめて短小・軽量化したモデルがないからです。
99式小銃のデータです。
全長1,117ミリ(38年式の1,275ミリより約16センチ短い)。重量は3.7キログラム(同じく4.00キログラムより軽い)。初速730メートル毎秒(同760メートルより若干遅くなる)。
弾丸を身につけるときには、前盒2つにそれぞれ30発、背中側の後盒に60発の合計120発でした。重量は1発で27.0グラム(38式実包より5.8グラム増える)だったので、全部で3.24キログラムにもなりました。銃が軽くなったかわりに携行弾重量が増えたのです。
99式実包はもともと92式重機関銃の弾丸を利用しようとしました。しかし、威力が高い重機の実包では小銃にそのまま使えないので、火薬量を減らし(弱装という)たのです。弾丸には赤色の帯がまかれた一般弾、同じく黒の徹甲(てっこう)弾、緑の曳光(えいこう)弾、赤紫の焼夷(しょうい)弾がありました。つまり、6.5ミリ弾は軽量で、小さく、なかなか加工が難しかったので、各種の特殊弾がつくれなかったのです。
99式は最後までには200万挺以上が製造されました。装備は戦闘師団、しかも対英米戦の先頭に立つ南方攻略の部隊から始められたようです。また、満洲に常駐した第1師団も持っていたといわれます。初期の製品は、たいへん美しく、実物をみても力強いデザインです。陸上自衛隊武器学校などに展示されています。
38式を見慣れていると、太くて、強そうだなと思えるくらいです。仕上げもていねいにできていて、特徴は何より銃身内部にあります。美しいクロームメッキがほどこされています。ふつう消耗品の制式小銃には、そんなぜいたくはしないのですが、日本陸軍はちがいました。これで、銃身の命数(寿命)は大きく伸びました。小銃の生命というべき、内部のライフリング(弾丸に回転を与えるスジ)が、すり減ることが少ないからです。
▼99式軽機関銃
小隊には4個分隊があり、3つが軽機関銃装備、1つが重擲弾筒(てきだんとう)装備でした。
1930年前後、6.5ミリ弾で自動装填式小銃を開発していた陸軍は、ドイツやソ連がその採用をあきらめたことを見て、やはり……と胸をなで下ろしました。ある資料によれば、槓桿式小銃が30円余りでできたとき、自動小銃の見積価格は70円あまりとのことです。
世界中でアメリカ軍だけが、1936(昭和11)年にM1ライフルを制式化しましたが、平時の米軍装備数はわずかでしたし、陸軍は中国戦線で戦っていたころです。まず、目の前のことからというのがふつうでしょう。
歩兵用の小銃を7.7ミリ化するということは、分隊支援火器といわれる軽機関銃は同じ弾丸を使うのが常識です。これまで陸軍は96式という6.5ミリ口径の軽機関銃を使っていましたが、その制式化からわずか3年で、新型軽機を採用したのです。ただ、96式はもともと7.92ミリのチェッコ機関銃を模倣したものでした。頑丈にできていたのです。7.7ミリにするのは難しくありませんでした。
チェッコ機銃というのは、チェコのスコダ社製の軽機関銃です。「ガス利用式」という、発射時に出る火薬ガスを利用して機関部を動かすタイプです。機関銃には、この他に「反動利用式」という精密な工作精度を必要とするタイプもありました。わが国の機関銃は、この高い精度を実現化できずに、重機も軽機もどちらもガス利用式でした。
わが国の機械工業の弱点です。頭脳はすぐに追いつきます。だから、設計図はいつも完璧なものができました。日米や、欧州諸国との差は、技術力ではなくて、生産力や製品管理能力でした。なんとも出来なかったのが、金属加工、素材開発、冶金技術などです。
戦争中にろ獲したり、見本を買って、すぐに真似をしたりしてみる。試作品ができてみると、どうしてか調子がでない。機関銃では連発がなかなかきかない。やっと、バリバリバリと撃ち始めると、すぐに薬莢がちぎれて次の弾丸が入らない。いったい、どこが悪いのだろう。技術者が首をひねっても分からない。これは、目に見えない百分の何ミリというような工作精度の問題でした。
機関銃は連続発射をします。薬室(弾丸がぴったり入る空間)への薬莢の出入りは、発射時には密着し、発射後の抜き出し(抽出)時にはスムー
スに抜けなければならないという厄介なものです。
次回は、この機関銃の詳細と重擲弾筒、そして機関銃中隊(人員223、駄馬48)について、その装備した92式重機関銃についてお話しします。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━
◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜
市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員
等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉
専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に
関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年
間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。
◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」
「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日
本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/
2009-10-24 00:34
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
自衛隊 /
戦争 /
荒木 肇 先生 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1081/
2009年10月15日(木)
大圓さんより教えていただいて、本日 参加します
大圓さんは、左翼が嫌いです。
大圓さんは、釜が崎で、個人で支援活動をされ続けています。
カトリックのシスターや 松浦補佐司教や本田神父も
御存じだということです。
でも釜が崎での、正平協の憲法9条の署名活動や
思想活動に疑問を抱いておられ、
一切 関わらず、個人で活動しているのです。
個人で、毛布や食べ物を配ったり・・・資金の面でも
たいへんな事です。
私は大圓さんを尊敬しています。
もし、急きょいける方は、おつるにメッセージで ご連絡を
関西防衛を支える会(関防会)濱野晃吉会長の講演を企画しました。
毎月私が開催しています「いのちと出会う会」でお話していただきます。
お近くでお時間がありましたた、ぜひご参加ください。
『第90回「いのちと出会う会」
10月15日(木)「命をかけていのちを守った日本の人々」』
100年以上前に日本近海で遭難したトルコ軍艦エルトゥールル号の
乗組員を命がけで救助した日本の寒村の漁民たちの物語と、百年後の
トルコから恩返しの物語のDVD上映。
そして若手経営者をも感動させる特攻基地、知覧から飛び立った若者
たちの物語を語っていただきます。
話題提供者: 濱野晃吉さん
関西防衛を支える会(関防会)会長
新しい歴史教科書をつくる会大阪会長
褐o営センター 取締役社長
時間: 18:30〜20:30
参加費: 1000円(應典院会員700円)
場所: 「應典院」 1階右奥の左側研修室
〒543-0076 大阪市天王寺区下寺町1−1−27
(地・谷町9駅から西へ坂を徒歩8分)
TEL06−6771−7641 FAX 06−6770−3147
司会 石黒大圓
毎月第3木曜日開催(1、8、12月を除く)
できましたら、ご予約をお願いします。
例会後に同会場で懇親会開催。
濱野晃吉さん
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%BF%B1%E9%87%8E%E6%99%83%E5%90%89&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4ADBR_jaJP238JP240&q=%e6%bf%b1%e9%87%8e%e6%99%83%e5%90%89+;%e9%96%a2%e8%a5%bf%e9%98%b2%e8%a1%9b%e3%82%92%e6%94%af%e3%81%88%e3%82%8b%e4%bc%9a
トルコ軍艦エルトゥールル号の遭難
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AB%E5%8F%B7%E3%81%AE%E9%81%AD%E9%9B%A3&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
【動画】エルトゥールル号の遭難
❶
http://www.youtube.com/watch?v=WOY2BcsmdpQ&feature=related
❷
http://www.youtube.com/watch?v=kRTrhXCQ3RA
「経営者の方は、一度知覧に行くといい」
http://blog.nishida-fumio.com/?eid=254420
http://smc-g.seesaa.net/article/88632471.html
http://blog.livedoor.jp/kigyouka/archives/50103362.html
http://www12.plala.or.jp/endou27/20080820_25nishinihon.html
應典院HP
http://www.outenin.com/about/index.html
應典院HPのなかの「いのちと出会う会」開催予定と趣旨、過去の開催記録(第1回〜)
http://www.outenin.com/otc/projects/inochi.html
應典院へのアクセス
http://www.outenin.com/about/accessmap.html
「いのちの風」通信「縁の花」支縁サイト
http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm
2009-10-15 17:36
|
記事へ |
コメント(129) |
トラックバック(6) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1080/
聖イグナチオ教会の抗議の日、
抗議団体の主権回復の会、西村修平さまと対話させて
いただいた時に教えていただきました。
主権回復の会の主張は 顧問であるこの酒井先生の
思いを反映したものです。
酒井先生とはお会いしていないので、お会いして
対話ができればと思います。
私は 講演会に参加します。
カトリック正義と平和協議会のみなさん、
大阪のカトリックのみなさんも、
今回の、聖イグナチオ教会の件について
何かご意見や 謝罪、要望があれば
講演会に行かれるといいと思います。
大阪の正義と平和協議会の拠点からすぐでしょう。
クリスチャンに必要なことは、隣人との対話。
主権回復を目指す会 関西支部発足のお知らせ
<発足記念講演とデモ行進>
この度、主権回復を目指す会は満を持して関西支部を発足します。支部長に中谷辰一郎を、荒巻靖彦を事務局長の体制で、
曲学阿世に陥らない道理を立てた正義を貫く<『語る』運動から『行動する』運動へ>を関西地区において展開します。その基
本理念は大和魂という民族精神の誇りを以て真の国家主権を回復することです。
<『行動』する運動>を進める当会の理論的支柱である酒井信彦先生と、運動推進の支柱である西村修平代表を関西にお
招きして現下のわが祖国を語って頂くと共に、在日シナ・朝鮮人の不逞を糺すデモ行進を行います。乞う!多数の御参加を。
【告知動画】<そこの朝鮮人 竹島を返しなさい!>
http://www.youtube.com/watch?v=hz5Ip-I1YFk
◆ 講演会
演題『民主党政権で推進される
日本民族の抹殺政策
―民族が滅亡すれば
国家の再生はあり得ない―』
日時:平成21年10月16日(金) 18:00会場 19:00開演
講師:酒井信彦(主権回復を目指す会顧問 元東京大学教授)
会場費負担金:千円
場所:大阪市立生涯学習センター(06-6345-5000)
大阪市北区梅田1−2−2−500 大阪駅前第2ビル6F
◆デモ行進
「朝鮮人に警告する!竹島を帰せ 対馬への侵略を止めろ」デモ行進
日時:平成21年10月17日(土)14:00集合 14:30出発
場所:東小橋北公園 JR環状線玉造駅東側スグ
主催:主権回復を目指す会関西支部
協賛:在日特権を許さない市民の会・関西
連絡:中谷(090-6600-7951)荒巻 (080-3802-0900)
※雨天決行 プラカードの持参歓迎
※両日とも懇親会あり
2009-10-15 17:02
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(3) |
|
キリスト教 カトリック /
日本シルクロード科学倶楽部 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1079/
2009年10月14日(水)
2009-10-14 00:06
|
記事へ |
コメント(9) |
トラックバック(2) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1078/
2009年10月13日(火)
抗議が終わった主権回復の会のみなさんが、歩いて
靖国神社に行かれた後、 私たちも靖国神社にむかいました。
福岡のノコさんも、お参りしたいということで
お参りをしました。
そして再度、靖国会の沼山様に出会い、
事務局次長の方を紹介してくださり、
西村修平さんに、ご紹介くださることになりました。
その前に茶店で お腹がすいたので おうどんを。
五右衛門さん、ノコさん、おつる、相方、maggieさん。
私は途中だった、バチカン大使館への手紙を仕上げる・・・
時間も限られた中で必死で書き続ける・・・
「靖国神社の茶店で、くわえたばこをしながら
なぜか バチカン大使館に必死で手紙を書いているおつる笑」 ・・
と、ノコさんに言われて ふと、自分の異常な状況に気づく
あははははは笑 不謹慎このうえない私
神様 ごめんなさい。
で、みんなで おうどんを食べ終わり休憩していると
そこに 主権回復の会の代表の西村修平様が
お話をしましょうと来られました。
かの有名な西村修平さん、
私たちは再度、ご迷惑をおかけしましたと心からお詫び。
「いえいえ、あなた方に謝っていただく必要はないんですよ」 と
そして、カトリックについて、今日の抗議について、
お話することができました。
本来のカトリック、クリスチャンというのは、
隣人を愛すること、そして対話することの必要性を説いているはず。
どうして、今回、抗議している方々に対して
カトリック正義と平和協議会は向き合わないのか・・・・
聖イグナチオの信徒代表の方も
神父様を守ろうと彼は彼なりに、勢いっぱいだったとは思いますが
嘘をついたり、カトリックなのに暴力的威圧的行動をしたり・・
誠意ある対応だったとは、言えないでしょう。
私は、普段、ウイグルの問題などに対して
中国領事館に抗議したり、NHKに抗議したり、
していますが、中国領事館やNHKは誠意もなく、無視です。
この中国やNHKと同じ対応を 正義と平和協議会はしていると
いうことです。
誠意があるなら、真のクリスチャンとしての姿勢があるならば
まず対話が必要なのではないでしょうか
私が、もし個人的に誰かを傷つけ、ネットでの誹謗中傷のような
姑息な手段ではなく、直接抗議に来られたならば
まず、誤解であれば、誠心誠意説明するだろうし
本当に傷つけたのであれば、心からお詫びするでしょう。
まして、自分が隠れて、逃げて、他人にまかせるような事は
しないでしょう。 逃げて隠れて、対応もせず無視とは
どういうことでしょうか。
カトリック正義と平和協議会は、クリスチャンの精神に
反しているのではないでしょうか
私たちは、西村修平さんが、本来ならば
初めてお会いする私たちカトリック信徒に対して、
激しい抗議をされてもおかしくはなかったはずです。
カトリックの名のもとに反靖国行為を繰り返し、反天皇行為をし
そんなカトリック正義と平和協議会は、カトリックの異常な一部の
組織とはいえ、私たちもその同じカトリックの信徒なのです。
しかも私たちは、今まで抗議の声をあげたり、バチカンに訴えたり
カトリック正義と平和協議会の司教様とも直接会って
質問してきたり、抗議してきたりはし続けていますが
結局、反靖国行動や今までの左翼的行為などを
阻止できなかった事は、見過ごしてきた、甘いと言われても
しかたのないことです。 ここに私たちは深く反省しているのです。
教会に政治的言動を持ち込んでほしくないと訴える私たちですから
逆に正義と平和に対する 抗議運動や署名運動やデモなどの
具体的行動は、できていなかったのです。
ですから、西村修平様や 靖国会の沼山様は
私たちに対して、激怒しても当然なのです。
なのに・・・なのに・・なんて紳士的なのでしょう。
しかもtontonさんは、ソフトクリームをぺろぺろなめながら
私と西村修平さんやノコさん、相方はビールを飲みながら・・笑
そして、私たちはバチカン大使館に行くということで
お別れのご挨拶をと思っていましたが
西村修平さんから、「せっかく大阪からわざわざお越し下さった
のですから、事務所でお茶でも御馳走させてください」とのこと。
「お疲れでしょうから」とご遠慮したのですが
仲間が、せっかくのお誘いですからご訪問させていただこうと。
というわけでバチカン大使館の後に行くことに決めました。
靖国にお別れを告げ・・・・今度は
<大バチカン大使館へ>
まず失礼のないようにお電話でアポイント
女性が出られ
今日は、大使も秘書の方もお出かけだということでしたが
とにくお手紙だけは手渡したいとお願いしました。
少し歩いて、
バチカン大使館
門をはいり、お庭を通り抜け、建物の入り口へ
チャイムを鳴らしてしばらく待つと、白い服のシスターが
にこやかに出迎えて下さいました。
大阪・神戸・福岡からまいりましたと ご挨拶。
昨日の荘厳ミサでの感動などをシスターにお話して
秘書の方に翻訳をことづけたいと手紙をわたしました。
手紙には、昨日の荘厳ミサの感動とお礼、
3月にお手紙をさせていただいたあと、セルフインティンクションに
ついて司教団にお叱りいただいたことへの感謝。
そしてカトリック正義と平和協議会、いまだに大阪教区の
左傾化、政治活動が続いていることへの懸念
そして・・・・本日の聖イグナチオ教会での出来事のご報告
tontonさんも 同じく昨晩寝ないで書かれた手紙をお渡ししました。
大使様とバチカンへ、私たちの思いが届きますように
バチカンへ別れを告げて・・・・
いざ、主権回復の会の事務所、西村修平様のところへ
本来ならば、カトリック正義と平和協議会が、ご訪問して
事務所で抗議を受けて誠意を持って対話し、謝罪すれば
聖イグナチオ教会への抗議もなかったかもしれないのに・・・
西村修平様のところでは、カトリックの事、今回の抗議の件
そして、ほとんどは、西村様が、ご自身の活動などについて
たくさんお話をしてくださいました。
私もかなり プライベートな事までいろいろご質問しました。
1時間半ぐらいもお話したでしょうか。
西村修平さんは、ルネサンスのポリフォニーやクラッシックが
大好きでいらして、それがうちの相方と趣味が同じ♪
うちの相方はドイツ国費留学で、ルネサンス、バロックの勉強
をしてきたリコーダー奏者ですし、西村さんもリコーダーがお好きで
よく、カトリック教会で行われるコンサートにも行かれた
そうです。
美しい高尚な音楽を愛する人に悪い方はいません
今後も、音楽の話ができればいいですねとお互いに
話しながら、お別れのご挨拶をしました。
今回のことで、ネット上では、私や埼玉の頬白親父さんが
まるで、この方々をけしかけたように批判されていますが、
そんな憶測の批判などどうでもいいこと。
真実は、神様がわかって下さいますもの。
今回の出来事は、すべて神様のお導きだと思います。
わたしは神様に感謝しています
今回の事で、聖イグナチオ教会でカトリック正義と平和協議会は
政治活動や、洗脳活動、反靖国の活動はできないでしょう。
この上、まだ繰り返す勇気などないでしょう。
聖イグナチオ教会の方々もやめてくれとおっしゃるでしょう。
そこに私は 靖国分科会が中止になった事と同じぐらい
喜びでいっぱいです。
教会の外で、未信者の団体が抗議しても
教会の方々の敬虔な信仰心がなくなる事はないでしょう。
しかし、反靖国・反天皇・反バチカン・典礼破壊の思想を
カトリック正義と平和協議会の手で、じわじわと
内側から長い年月をかけて、計画的に浸透させられることのほうが
より、卑劣で恐ろしい事です。
教会の子供たちまで、染まってしまうのですから。
そして、これは激しい抗議活動と違って、巧妙であり
阻止しにくく、防ぎにくい事なのです。
ですが、聖イグナチオ教会は 守られた。
わたしは そう思います。
しかし、今回の出来事に対して、
カトリック正義と平和協議会から声明も聖イグナチオの信徒さんへの
謝罪も、何の対応もないようであれば、それは異常なことです。
カトリック新聞には、今回の記事はのるのでしょうか。
とにかく今回の件を憂う信徒のみなさんには、ぜひ カトリック正義と平和協議会に対して
対応してほしい、聖イグナチオ教会の信徒様や神父様に迷惑をかけないでほしいと
謝罪や説明をしてほしいと アクションをおこすことが必要だと思います。
●カトリック正義と平和協議会
〒135-8585
東京都江東区潮見2-10-10
日本カトリック会館 tel: 03-5632-4444 fax:03-5632-7920
email: jccjp@me,com
●さいたま教区事務局 谷 大二司教
埼玉県さいたま市浦和区常盤6-4-12
TEL:048-831-3150 FAX:048-824-3532
info@saitama-kyoku.net
●大阪玉造聖マリア大聖堂 松浦補佐司教
大阪大司教座聖堂
大阪玉造カトリック教会
大阪大司教館および教区事務所
540-0004 大阪府大阪市中央区玉造2-24-22
TEL.06-6941-9700 FAX.6946-1345
鎮魂の祈りは絶へずこの夏も靖國神社に蝉鳴き止まず
西村修平氏のことばより
http://www.shukenkaifuku.com/KoudouKatudou/2009/091011.html
追記 抗議団体に参加されていて
名刺交換させていただいた、まきやすとも氏のブログより
〜
このように書くとカトリック教団全体が、反日で行動しているように誤解されるかもしれない。
しかし、実態としてはカトリック教団の中のごく一部指導者が政治活動に奔走。「憲法9条を守れ」「靖国神社解体」等の過激なスローガンを口走り、教団を私物化しているのだ。
当日も心あるカトリック信者は、分科会の開催に抗議しに来た。
http://makiyasutomo.jugem.jp/?eid=361#comments
**************************************************
ともに行動した仲間のブログもあわせて お読みください。
tontonさんのブログ
聖コルベの娘―あなたの火のような愛で主を愛したい―
分科会中止の余波 ― ネット対応に忙殺 ―(2)
旅日記
分科会中止の余波 ― 無責任な人々 ―(3)
迷走!正平協全国大会(4)
http://blogs.yahoo.co.jp/st_cuore/archive/2009/10
頬白親父さんのブログ
頬白親父の一筆啓上
最新記事
神の御旨を果たすため
第4分科会中止騒動に係るお詫びと御礼
長澤助祭、逃げないで!Part3
長澤助祭、逃げないで! Part2
長澤助祭、逃げないで!
反省の上で総括を求める
http://blog.livedoor.jp/kasahara_7524/archives/51444031.html
2009-10-13 00:55
|
記事へ |
コメント(5) |
トラックバック(1) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1077/
2009年10月12日(月)
抗議は 最初から最後まで そばで聞きました。
本当カトリック正義と平和協議会の行為はお恥ずかしい限りで
心から この方々、いや日本中の方々を傷つけ侮辱したことに
お詫びする気持ちでした。
今回の抗議していた団体の抗議の趣旨は、正平協の反靖国の見学会がきっかけですが
ずっと以前から松井やよりを代表とするVAWW-NETジャパンの女性国際戦犯法廷の問題に
抗議されていたようです。
VAWW-NETジャパンは、カトリック正義と平和協議会と以前、住所と電話が同じでした。
日本人の象徴であらせられる天皇陛下を女性への性奴隷の罪で糾弾し有罪判決を下した
女性国際戦犯法廷をバックアップした無数にある日本カトリック教団
↓
ここには、カトリック関係の名前がずらりと並んでいます↓http://home.att.ne.jp/star/tribunal/supporting.htm
また先日、靖国神社の境内の中で、大騒動をおこし、神社職員に怪我までさせ、
神社の拝殿にのぼろうとまで企図した高金素梅の事件はご存じでしょうか。
これは、カトリックにたとえて言えば、
聖堂に入り込んで抗議をし、神父に怪我をさせ祭壇にあがるのと同じことです。
高金素梅の反靖国運動は
「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会」の
毎年行っている、反靖国行動の一連の行動にともなうものであり
その実行委員会に 今回のカトリック正義と平和協議会が、靖国見学分科会の
講師として呼んだ辻子実 という名があるのです。
この事実を知れば、日本中、右翼や保守団体、靖国神社関係者でなくとも
誰しもが、傷つき、カトリック正義と平和協議会に対して、憤りを感じるのは当然です。
靖国神社の境内に入り込み、拝殿前で過激な行動をした高金素梅
そして、その実行委員会の辻子実を、カトリック正義と平和協議会が靖国見学会として
境内の中に入り込ませ、遊就館に入り込ませようとしたこと
この事に対する抗議なのです。
私も戦死した伯父の写真が遊就館に飾られています。
大切な大切な伯父さんです。
もし、この伯父さんの写真の前を 反靖国の方々が
ぞろぞろと通り、偏った説明で、まるで
日本のために、日本の子供たちのために命をかけた伯父さんを
戦争犯罪者かのように語り 指さし、ぞろぞろと
通ることなど、許すことはできないです。
一度も会ったことのない伯父に対しても個人的には
そういう思いを抱くのに
夫が祀られているご遺族の婦人、父親が祀られている方々
親友が祀られている方、ともに戦地で過ごして、その死を
見守った人・・・そんな人々の思いはどれほどでしょう。
これに対して、
今回の抗議団体は、
聖イグナチオ教会の敷地内には、一歩もはいられず
入口前で抗議したのでもなく、入口から離れた外側の交差点での抗議でした。
比較するというのは、おかしい事かもしれませんが
靖国内部に入り込んだ高金素梅の事件に対して、まだ全国的に抗議の声があがっている最中に その高金素梅と関係の深い辻子実氏を 靖国に入り込ませようとした正義と平和協議会
に対し、
今回の抗議団体は、聖イグナチオ教会に一歩も入らず、暴力的な行為も一切なかった。
この事実を信徒のみなさんは知るべきだと思うのです。
そばに近づいた私に、警察官の方が、抗議の方ですかと聞かれるので
「いえ、私はカトリックの信者です。抗議に参加しているわけではないですけれども
正義と平和協議会の反靖国行為などに反対しているものです」と説明しました。
すると「カトリックの中にそういう方がおられるのですか!!??」と非常に驚いて
おられました。
普段、靖国神社のまわりを警備され、高金素梅の反靖国運動、
「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会」、反天連の卑劣で
過激な行為に対して、警察の方々も内心、憤りを感じておられるのではないでしょうか。
そして警察の方々もカトリック信徒は、正義と平和協議会と同じような思想という
イメージを持っておられたのではないでしょうか。
私たちは、その警察の方とも親しくお話させて頂いて、
誤解を解くことができたことを嬉しく思いました。
別団体の街宣車の右翼の抗議は、驚きましたが、この右翼団体というのは
日教組への抗議などで有名ですよね。
今後も、カトリック正義と平和協議会が、一切声明も出さず、対応や説明を
しなければ、こういう抗議活動はずっと続くと思います。
その場合、信徒数が多く、東京の中心的な聖イグナチオは靖国神社のそばにありますから
カトリック内部の事情を御存じない抗議団体の抗議対象になることが続くと思われます。
私たちにできる事は、一刻も早く、カトリック正義と平和協議会に対して
何らかの対応をしてもらうよう求めることではないでしょうか。
抗議団体に対して憂いているだけ、掲示板やネットで悲観しているだけでは
同じ事は何度も続くはずです。今回だけで、終わることではないと思います。
今回の行動を憂う信徒のみなさんには、ぜひ カトリック正義と平和協議会に対して
対応してほしい、聖イグナチオ教会の信徒様や神父様に迷惑をかけないでほしいと
謝罪や説明をしてほしいと アクションをおこすことが必要だと思います。
●カトリック正義と平和協議会
〒135-8585
東京都江東区潮見2-10-10
日本カトリック会館 tel: 03-5632-4444 fax:03-5632-7920
email: jccjp@me,com
●さいたま教区事務局 谷 大二司教
埼玉県さいたま市浦和区常盤6-4-12
TEL:048-831-3150 FAX:048-824-3532
info@saitama-kyoku.net
●大阪玉造聖マリア大聖堂 松浦補佐司教
大阪大司教館および教区事務所
540-0004 大阪府大阪市中央区玉造2-24-22
TEL.06-6941-9700 FAX.6946-1345
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/
途中、西村代表が抗議文を渡しに行く時は
そのそばに行き見守りました。
途中、聖イグナチオ教会から出てくる男性のスーツの信徒さんたちが
「抗議している人の言ってることは正しいことだよ」 と
くちぐちに話しているのが、印象的でした。
聖イグナチオの信徒代表で入口の警備を担当されていた女性も
同じような事をおっしゃっておられました。
抗議が終わり、その団体は、靖国神社に歩いて行かれるということを
仲良くなった警察官の方にお聞きしました。
私たちも靖国神社に行ってから、バチカン大使館に行くつもりでした
が、立ちっぱなしと、この日のために新調したお靴で足が痛いので
「足痛いからタクシーで行こうよー」とおつる
お仲間のノコさんが「もう おつるさんはー 」と漫才みたいで
警察官の方が笑ってました。
Cにつづく
2009-10-12 16:07
|
記事へ |
コメント(9) |
トラックバック(1) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1076/
10/11(日)
この日は、聖イグナチオ教会のごミサへ
tontonさんと、バチカン大使館にお手紙を届ける約束もしていたので
朝からホテルで、バチカンへの手紙をしたためました。
昨晩は、疲れて寝ちゃったの・・・
しかし、今日の聖イグナチオでの出来事を書かなければと
その部分は、聖イグナチオ教会の出来事が終わってから
書きたすことに・・・
同じホテルに泊ったtontonさんとロビーで待ち合わせ♪
3月と同じ 半蔵門モントレホテルに宿泊したのです。
ここは、バチカン大使館のすぐそばで、靖国神社も近い。
イグナチオ教会にも近いのです。
相方と私とtontonさんと、そして九州のノコさんとも待ち合わせして
聖イグナチオ教会へ
途中、イエスの惑星BBSにご連絡を頂いた靖国会の沼山様に
ご挨拶をしていくことに。
靖国神社へ行きました。
到着して、私は、ニューギニアで戦死した伯父さんに
「久しぶりに会いに来たよ」とお参りしました。
そのあと 国立追悼施設反対の署名をしていると
沼山様のほうから お声かけいただきました。
沼山様には、今回、反靖国問題でカトリックがとても迷惑を
おかけしたことをお詫びしました。
本来ならば、カトリックに対して非情に憤りがあって
当然ですのに、私たちに笑顔で、対応下さいました。
胸に拉致被害者救済のブルーリボンバッジをおつけになった沼山様は
紳士で、「スーツに猫の毛がついてまして・・」 と笑
私も猫好きですが、沼山様も4匹も飼ってらっしゃるとのこと。
動物を愛する方は、いい人です。
そして、ご挨拶のあと、聖イグナチオ教会にむかいました。
聖イグナチオ教会のまわりや入口にこんな立て看板が。
教会の名前が看板で隠れてしまっています
↑ あらら、教会のしきたり、礼儀を守らない人は入れないなら
カトリック正義と平和協議会は入れないわよね笑
10時半ギリギリに到着、聖堂に入り、ごミサにあずかりました。
インフルエンザの影響で、口での拝領を禁じられたので
普段手で拝領しないので少しとまどいましたが、
ごミサは荘厳で、ひざまずき台もあり、
ベールをかぶった人も多くて、神父様のお話もとても素敵で、
聖歌隊もオルガンも素晴らしかったです!!
信徒様も上品な方、年配の方々が多く、子供さんもいて、
今日の抗議団体の 反靖国への抗議について、意味のわからない方
ばかりだろうなと気の毒に思いました。
このごミサでも、日本をお守りくださいとお祈りしました。
静かで美しいごミサが終わり、外へ出ましたが、
抗議の方々はどこにも見当たりません。
でも遠くから少し声が聞こえていました。
はじまったばかりのようです。警察官の姿が少し入口のあたりに
見えました。
頬白親父さんとご挨拶して、聖イグナチオ教会の信徒さんである
素敵なご夫婦をご紹介いただいて、お話しました。
頬白親父さんに抗議活動の場所を聞くと、教会の入り口ではなく
ずっと離れた交差点の場所でしているとのこと。
私は急いで、抗議活動の場所へ出向きました。
到着すると、たくさんの警官隊、私服の公安警察の方がいっぱい。
その中を抜けて、抗議活動をされている
主権回復の会、参加者さん40人ぐらいの方々のほうへ・・・
抗議の方は、右翼のイメージなどの人はおらず、
女性も、年配の方もいて、普通の市民の集まりという感じでした。
若い方もかなりおられました。
西村さんが演説をされ、参加者さんがシュプレヒコールを
あげるのを、受け、お聞きするために
私たちは、参加者さんの目前に立ちました。
私たちメンバーは、私、相方、tontonさん、福岡のノコさん
そして五右衛門さん。
五右衛門さんが、普段着の緑色の作務衣を着ていて、
警官隊に怪しまれてました・・・笑
私は、靖国神社を汚そうとし、天皇の名を汚し、靖国神社を冒涜するという反バチカン行為をした正義と平和協議会と、それを知らずとは言え、見過ごしてきたカトリックの信徒の一人として、目の前に立ち、抗議を受ける気持ちでした。
抗議団体の方々は、抗議活動の参加者ではない私たちが
教会のほうから、歩いてきて、目の前に立ち止まっていることを
カトリック信徒だと認識されていたと思います。
けれども怒号を浴びせるだとか、暴力的行為などは一切なく
整然と抗議をされておられました。
私は気づきませんでしたが、tontonさんによれば
私の相方が 「カトリック信者だろう!!」と
厳しく抗議を受けたそうです。
ただ、私たちの謝罪と思いを知り、
このあと、靖国にて 謝罪されたそうです。
この方々は、礼節のある方々だと思います。
私は前日 ギリギリに主権回復の会に対して、ホームページを見てメールをさせていただき、聖イグナチオの信徒様方は、
今回の靖国の件も御存じなく主任司祭様も責任者ではない旨はお伝えし、代表の西村修平様から、ご丁寧なお返事もいただきました。
その中には、神の僕ではなく白人の僕となり下がった
カトリックのこと、
戦前には、日本人の誇りを持ちながら、キリスト者として
立派な生き方をした人もいたこと。
酒井信彦先生のご見解など、非常に丁寧で紳士的なお返事でした。
私は最初から最後まで 仲間たちとともに
抗議団体の参加者さんたちの目の前に立ち、
抗議を受けるつもりで見守っていました。
主権回復の会の西村代表には、謝罪と、イグナチオの信徒さんは関係がないのですということを、お伝えし誠意を持って、抗議活動をされている合間にご挨拶しました。
普段の動画とは、違って、抗議に対してはいつもと違う、穏やかだと感じました。
靖国神社を焼き討ちから救ったビッター神父様のマッカーサーへの提言の文章を丁寧に読み上げられ、戦前のキリスト者の功績なども語られていました。
誤解されている方が多いのですが、主権回復の会というのは、右翼団体ではなく
東京大学の教授であり、退任されたばかりの酒井信彦先生が顧問をつとめる市民団体ですね
私はこの団体の方とお会いするのは初めてです。
スタッフさんは、スーツを着た、一般企業にお勤めのような
年配の知的な雰囲気の方の多い団体でした。
抗議の途中で、右翼団体の街宣車が
青い車が数台、また別組織の右翼団体の白い街宣車が数台
あらわれました。
さすがにその大音量と、日教組に対するような激しい抗議には驚き
ました。途中、主権回復の会の抗議の演説が、街宣車により
聞こえないことがあり、
主権回復の会の参加者さんが、「出ていけー」と逆に街宣車に抗議を
する場面がありました。
名刺交換をした、政経調査会のまきやすとも氏の街宣中にも
街宣車が妨害し、まきやすとも氏が堪り兼ねて、
「少しだまっていろ」というと黙りました。
街宣車に警察は騒音のレベルを測定し
忠告のプラカードを出したので 撤退していきました。
街宣右翼の車はたくさん来ましたが、あの右翼団体は、主権回復の会とは違う別団体です。
街宣右翼の方々が、来られるのは知らなかったので驚きました。
この方々の主張は、言葉は激しく、
主に松浦補佐司教にあてたものでした。
「マツウラ ゴロウ ゴラァ 出てこいー
テメー コノヤロー バーカヤロー」などと言う抗議でした。
私とtontonさんは大阪教区なものですから
その街宣車のお兄さんのマツウラゴロウの発音が標準語で
なんだか 不謹慎だけど 少しふふふっと笑ってしまって・・
街宣車のお兄さんも目の前で笑い顔の私たちに
面喰ったでしょうね。
関西弁の言葉に慣れている私たちには
「バカヤロウ」が、なんだかプロレスやアニメのセリフのように
聞こえてしまうんです。笑
言葉は乱暴でしたが、目の前に立ち耳を傾けると
カトリックに対して、「信者のみなさん、しっかりして下さいよ」
というような願いをおっしゃっているように聞こえました。
主張している内容は、こちらの方々も 乱暴な言葉ではあるけれど
間違ってはいないと感じました。
ただ、信徒の子供二人が、抗議団体の間をぬけて
街宣車のいる歩道をわたるときに、怖がってはいけないと思い
私は、つきそって歩道まで行きました。
でも、子供たちは案外、平気な顔してましたよ。
遠巻きに見ている大人たちのほうが、先入観からか
おびえているようでした。
残念なことは、カトリック正義と平和協議会の事務局の秘書N氏が
物陰からこっそりと見ていたのを発見しましたのですが
聖イグナチオの信徒さんたちが一生懸命対応していたというのに、
まったく何もせずにいて、他人のようにこそっと、
見ているだけでした。
主権回復の会などの方々に名刺をわたしてご挨拶しましたが、とても
礼節を持って、ご挨拶をかえしてくださいましたが、
それとは大違いで
この正義と平和協議会の秘書に、駆け寄り、名刺をわたして礼節を持って ご挨拶し、
「Nさんですか?今回の事についてどうお考えなのですか?
聖イグナチオの信徒や神父様がわいそうだと思われませんか?」 と質問もしたのですが
アメリカ人がよくやる わからない、知らない、関係ないというおどけたポーズをして
一言もしゃべらず、その場をさっさと立ち去られました。
彼は偵察するよう言われていたのか、それとも対応したくて来たが
勇気がなかったのか・・・それは私にはわかりませんが。
「正平協の○○さーん、なぜ逃げるんですかー!!!」
と私は
逃げていく後ろ姿に大きな声で何度も訴えました。
警察の人やまわりの方も聞いていて、驚いていました。
それとは反対に 敷地内から、聖イグナチオ教会の日本人の神父様と思われる方が
ずっとこの抗議団体に対して、抗議の声をあげていらしたそうです。
私は、正義と平和協議会に知らん顔されながら、顔を相手側に見せ
逃げずに信徒を守ろうとされていた行動には、敬意を表します。
が、できれば、敷地から出られ、抗議文の受け取りも信徒代表にまかせないで、対話なされば、よりよかったと思い残念です。
Bにつづく・・・
2009-10-12 14:04
|
記事へ |
コメント(2) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1075/
10/10(土) 新幹線に乗り東京へ。
今回の目的は、一年に一度のカトリックアクション同志会主催の
「荘厳司教ミサ」に出席する事とに出席する友人たち、先輩方
主催の方々と会うこと。
10/11(日)に行われる カトリック正義と平和協議会の全国大会
当初は、分科会に出席し、レポートする目的でしたが
聖イグナチオ教会で抗議活動が行われる事を知ったからには
その抗議運動をこの目で見て、カトリック側の対応を知り、
その抗議団体、主権回復の会の代表の西村修平様や
靖国会の沼山様と対話し、カトリックについて対話し
そして謝罪もすることが目的でした。
ではまず、10/10(土)に行われた
荘厳司教ミサのレポートです。
荘厳司教ミサを主催しているカトリックアクション同志会は
1951年(昭和26年)、元外務事務次官の吉沢清次郎氏が発起し、土井辰雄・東京大司教の承認のもとに、田中耕太郎博士(当時最高裁長官)を会長とし、設立された。
ローマ典礼の粋とも言うべきラテン語の典文、グレゴリオ聖歌による荘厳司教ミサを、1991(平成3年)から、毎年、W・Aカルー大司教(前教皇庁大使)あるいは白柳誠一枢機卿に主司式をして頂いて、献げて来た。2009年(平成21年)で19回目になる。
今回は、白柳誠一枢機卿様が、ご病気のため
駐日ローマ教皇庁(バチカン)大使、
アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教様の司式で
行われました。
このアルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教様には、
今年の三月、高田教授の東京シンポジウムのため一人で上京した時に
バチカン大使館により、お手紙をさせていただきました。
●2009年03月21日(土)
ジャンヌおつる東京へ 番外編@ 〜ローマ法王庁大使館(バチカン大使館)訪問編〜http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/754/
アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教様は、
日本カトリックの典礼破壊を憂い、セルフ・インティンクションを
禁止するよう働きかけて下さり、そのおかげで、大阪教区や京都教区には、その旨、通達が出たのです。
日本のカトリックの左傾化、世俗化、典礼破壊を救う大司教様です。
そのアルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教様の
お姿を拝見できることは、喜びでいっぱいでした。
会場に着いて、Rickさんご一家、美しい奥様とお嬢ちゃま
そして、息子さんの小学生
おつると仲良しのジャン・バティスタくんと合流
主催スタッフの 吉祥寺五右衛門さんにご挨拶。
ノムさんとお嬢さんもおられました。
頬白親父さんやtontonさんにもご挨拶をして、
端のほうではありますが、一番前列のほうのいい席に座ることが
できました。
荘厳司教ミサは、ラテン語、グレゴリオ聖歌がふんだんに歌われ
パイプオルガンの響きも美しく
聖歌隊の素晴らしさに感動しました。
聖職者入堂の時の歌が、
CHRISTUS VINCIT であることに感動しました。
この曲は、先日の大阪北摂大会で、私たちの聖歌隊が歌うために
何度も何度も繰り返し練習し、私の伴奏で、本番で歌い、
たくさんの参加者から、賛美をいただいた曲だったからです。
長いごミサですが、荘厳な音楽で、時間を忘れました。
私は、美しい音楽の中、日本の将来について
そして、麻生元首相やお亡くなりになった中川昭一さんのためにも
祈りました。
そして、どうぞ日本の守護であられる聖母マリア様、日本を
お守りくださいとも お祈りしました。
中国に苦しめられる民族に対しても祈りました。
拉致された横田めぐみさんの誕生会が明日、
新潟で行われるということに関して
拉致被害者の方々のためにも祈りました。
そして、私にもっともっと 力と勇気を下さいと。
そして明日の聖イグナチオ教会での出来事が
日本カトリック教会にとって、素晴らしい方向へ導かれる目覚めに゜
なることをお祈りしました。
聖体拝領では、ひざまずいて、フランシスコ会の
ペドロ・フォン・エッセン神父様より授かりました。
パイプ オルガンの音色は本当に素晴らしかった。
1300人ぐらいの方が集まるごミサで
ほとんどの女性がベールをしていて、古き良き伝統的なごミサの
再現でした。
隣の席に、この荘厳ミサをずっと楽しみにしている車いすの
お母様を連れた、私と同世代の女性の歌声が素晴らしく
ごミサの後、いろいろとお話させていただき、今日の感動を
喜びあえたことが 幸せでした。
ごミサが終わり、懇親会場でいろいろな方とお話しました。
神戸の六甲出身の女性の信徒さんとも仲良くなりました。
Rickさんご一家は感動して涙を流されたそうです。
このような美しいごミサのような、カトリックの美しい魂が
これからも 日本各地で継続されますように。
カトリックの荘厳さが、世俗化し、左傾化したものへと
変貌しませんように。
形式美というものは、心にも影響を与えるものです。
典礼の破壊と世俗化が、カトリックの精神までもを
破壊しないよう 私たちは、世俗化を防ぎ
真・美・善、聖なるものを求めて祈り続けていかねばならないと
強く感じました。
その後、カトリックアクションの侍者をつとめた
九州のノコさんや フランチェスコさん、五右衛門さんら
仲間たちと二次会へ
そして
本来は、それぞれが、カトリック正義と平和協議会の分科会に
わかれて参加する予定でしたが
やはり明日の聖イグナチオが心配であり、
全員で 聖イグナチオ教会に行くことを決意しました。
Aにつづく
2009-10-12 12:21
|
記事へ |
コメント(1) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1074/
2009年10月10日(土)
明日の外国人参政権反対デモへ行かれる皆さまへ。
明日頑張ってください。
********************************************************************:
鶴姫 おつる 中曽千鶴子
田中様、大圓様、松井様 そして手嶋さん
その他、明日の外国人参政権反対デモへ
行かれる皆さまへ。
カトリックの10/11の反靖国見学会が
中止になりましたが、主権回復を目指す会様が
その勉強会の場を提供した 聖イグナチオ教会(麹町教会)
に中止声明にかかわらず、抗議に行かれるようです。
当初、イグナチオの外人神父様は 左翼カトリック組織の
責任者でもないので、抗議は、
責任者である さいたま谷司教や大阪 松浦補佐司教に
していただくべきと思っておりました。
あまり今回の反靖国行動について
知らない聖イグナチオの信徒さんや
小中学生、小さな子供たちの信徒さんには、何の罪もないこと。
なんとか聖イグナチオでの抗議はやめていただきたいと思いました。
が、今回の外国人参政権反対デモの妨害予告の
賛同者のリストを見て驚愕しました。
カトリックのシスターがずらりと賛同しているのです。
たぶんシスターは、妨害行動に参加するわけではなく
何も知らないで、外国人差別がいけないと署名しただけの
人もいるかもしれません。
けれども シスターの中で、もっとも左翼的で
解放の神学にどっぷり浸った 弘田しずえ氏が名前を
連ねていることにきづきました。
こんな状況では、カトリック信徒全員が
同じようなイメージでとらえられてしまいます
このように 多くのシスターが妨害に参加しないまでも
賛同者として署名していることは
同じカトリックの信徒として お恥ずかしく
お詫びの気持ちでいっぱいです。
明日、東京で カトリック保守の仲間たちと
会議をします。
そして次の日、麹町教会 イグナチオへ出向き
抗議団体である主権回復を目指す会様に対して
左翼カトリックが謝罪しないのであれば
私たちが カトリック信徒の代表として
靖国を汚す行為を自浄できず、見過ごしたこと
左翼カトリックの跋扈を許してきていることに対して
謝罪をし、お話ができればと思っています。
靖国神社をマッカーサーの焼き討ちから救った
ビッター神父様の思いを無にできません。
西村慎悟先生の尊い生き方、
思いを踏みにじる行為を許せません。
主権回復を目指す会様にはメールで
まず、その旨をお知らせいたしました。
日本を愛し、靖国を愛する皆さま
外国人参政権反対の声を明日 大阪であげられる皆様
私は、このカトリック左翼の連中の恥ずべき行為を
同じカトリックの信徒として
心よりお詫びいたします。
誠に申しわけありません。
私の洗礼名の ジャンヌダルクは遠い昔
真実の道を歩まない堕落した教会、神父に
「お前は司教にさからうのか」と聞かれ
「まずは神に従うのです」
と答え 火あぶりにされました。
明日は、東京マリアカテドラルで
このカトリック左翼が撲滅し、本来の愛に満ち
排他主義ではない、
日本の神道や他宗教をも大切にするカトリックの道が
護られるよう お祈りしてきます。
おつる
2009-10-10 00:49
|
記事へ |
コメント(12) |
トラックバック(1) |
|
日本シルクロード科学倶楽部 /
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1073/
2009年10月08日(木)
本日、カトリックの左翼化組織
「カトリック正義と平和協議会」のホームページで
全国大会の中の
10/11 靖国見学分科会の中止の速報が出ていました!
長年にわたる カトリック正義と平和協議会の
左翼化全国大会で、このようなギリギリの中止は
はじめての事だと思います!!
カトリックの名前をつけての
反靖国の行動を、事前阻止に至ったことは
大きな喜びです。
といっても、私は署名運動もまにあいませんでしたし、
抗議文なども持参しようと計画していただけで
まだ、なにも行動していない状況でしたので、
どなたかが抗議をして下さったのではないかと感謝しています。
在特会、主権回復の会、靖国会などが
大きな問題として注視して下さり
ブログや掲示板などに掲載して下さったことも
大きな影響があったのではと思います。
また、私も祈り続けていましたが
お祈りして下さった方々の思いが
神様に届いたのだと思います。
本当にうれしく、心から感謝しています。
有難うございました。
今後ともカトリックの左傾化とは、戦っていきたいと思います。
もしかしたら、完全なる中止ではなく、場所を変えて
などという姑息な手段をとり勉強会だけは
行われるかもしれませんが
とりあえず 神聖なる靖国神社、英霊が汚されることが
ないということは、大いなる喜びです。
前日の10/10に
東京カテドラル聖マリア大聖堂 で、
こちらは、カトリックの保守が集う、荘厳ミサがあります。
このごミサと後の懇親会で保守系仲間と喜びあいたいと
思います。
東京カテドラル聖マリア大聖堂 は
1900年に前身の教会がたてられたのですが
東京大空襲で全焼、1964年に今の場所に再建。
そのすぐあとに
故吉田茂首相の葬儀が行われた場所です。
麻生元首相がクリスマスに家族とともに過ごされる場所。
吉田茂元首相のゆかりの教会で
しかも 日本の国の守護である聖母マリアの
日本を代表する一番の教会
ここで、最後のメッセージ「国が危ない」という言葉を
残され、拉致問題やチベット問題にも深く関わられた
中川元大臣のために、心からの祈りをささげてきます。
反靖国の行動が中止に至ったことへの感謝の祈りも
してきます。
************************************************
正義と平和協議会ホームページより
速報
都合によりイグナチオ教会での第4分科会、
及び靖国見学ツアーは中止いたします。
第4分科会参加者の皆さんには、大会事務局から追って連絡いたしますので、
しばらくお待ちください。
この件のお問い合わせは、
正義と平和協議会事務局!!
http://web.mac.com/jccjp/justice_and_peace/home.html
*****************************************************
>
> 上記のカトリック左翼の全国大会では、
> 分科会として反靖国の講師を招いての靖国見学会という
> 姑息で、巧妙な反靖国活動が行われます。
>
> 私はデモで忙しく署名運動などをたちあげるつもりが
> ネット署名TVというサイトで認可待ちでしたが
> 結局却下され、署名を集める時間がありませんでした。
> 無念です。が、
> 東京のバチカン大使館に直訴しに行きます。
> そして抗議文、中止を求める文章をカトリック中枢組織
> 左翼組織に送付します。
> カトリック内部から、左翼カトリックを
> 崩し、つぶしていくことが必要です。
>
> この件について、カトリック保守の掲示板に
> 靖国会、主権回復の会の方より
> メッセージをいただきました。
>
> 在特会や主権回復の会の厳しく激しい抗議行動には
> 賛否両論もあるとは思います。
> 私自身が、今、行動をともにしたりお手伝いを
> したりはしていないのですが
>
> 子供たちに悪影響を与える従軍慰安婦展を阻止したり、中高生や大学生にも陰謀論からおもしろおかしく興味を
> 抱かせ、やがて左翼思想へと洗脳するリチャード・コシミズ
> に対する抗議など、
>
> そして反天連への抗議など・・・
>
> 過激ではありますが、今まで戦後60年間
> 左翼が過激な行為をし続けて左傾化した世の中を
> 戻すには、これぐらいの激しさもひとつの方法論として
> 必要なのではないかと
> 思い、子供たちへの洗脳を阻止してくれる行動には
> 感謝する気持ちがあります。
>
> また、カトリック左翼を外部から
> 圧力をかけてくれる団体は今のところ
> この在特会、主権回復の会だけですので、
> 感謝しています。
>
心より感謝しています。 有難うございました。
おつるの相方の問題提起
>
> > 10月10日〜12日に開催される正平協全国集会さいたま大会の案内書をWeb上で確認したところ、前回の大阪大会以上に思想的・政治的に偏った内容になっていることに、今更ながらに驚き呆れています。
> >
> > http://web.mac.com/jccjp/justice_and_peace/%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%BE%E5%A4%A7%E4%BC%9A.html
> >
> > 中でも、2日目の18個に及ぶ分科会・現地学習会は、これがカトリックのキリスト者としての勉強会ですか? と疑問符の付く内容と講師陣の多いこと!
> > 特に、「おいおい、これはいかんやろ」と気になったのが、第4分科会「憲法20条と靖国神社〜解説と現地見学で考える〜」
> >
> > 「戦前、国家神道の中心であった靖国神社は、戦後64年経過する今も、国家護持、首相の公式参拝、遺族を無視した合祀など、問題・議論が続いています。国家神道への反省から確立されている憲法20条(信教の自由と政教分離)が憲法改正、形骸化の中で危機を迎えようとしています。その中心的存在、靖国神社について、研究者のお話を聞き、現地見学しながら考えましょう。」
> >
> > との内容紹介が書いてあり、聖イグナチオ教会で主日のミサ後、午後1時からなんと、辻子実をガイドにして靖国神社と遊就館へ見学だそうです。
> >
> > このような不純かつ失礼な動機の下に、反靖国の急先鋒と言える人物を先頭にして、英霊が安らかに祀られているまさに聖域である空間へぞろぞろと見学に行くなぞ、カトリックの恥さらしではないですか。こんな愚かで失礼なことは断固中止していただきたい。
> >
> > ただ、もしかしたら参加者の中には、すべてを見て体感して、自分たちのやっていることが間違っていると気づいてくれる人がいるかも知れない。靖国神社や遊就館がどんな所なのか何も知らないよりはいいのか?
> >
> > いや。でもやっぱり動機が間違っている! その風景を想像するだけでもおぞましいワイ!
> http://yasukunikai.com/
中止ではありますが聖イグナチオ教会での抗議が
行われるようです。
聖イグナチオ教会よりも
やはりカトリック正義と平和協議会の一番の
中枢は、
大阪 玉造の 松浦吾郎補佐司教
さいたま 谷 大二司教 の お二人です。
この二人に対して 抗議していただきたいものです。
このような情報を見つけました。
速報 都合によりイグナチオ教会での第4分科会、
及び靖国見学ツアーは中止いたします。
http://web.mac.com/jccjp/justice_and_peace/home.html
10.主権回復を目指す会事務局 投稿日:2009/10/07 16:52 >>9
緊急阻止行動について
「正義と平和協議会」は嘘とでっち上げをその布教理念としてきている。
いわばシナ・朝鮮・反日極左と一体となって歴史捏造を煽ってきた確信である。わが国益を如何に害してきたか、その罪は計り知れない。
主権回復を目指す会はこの「中止声明」を問題としないで、当日は告知通りの抗議行動を実施する。
さらに、会場を彼らに提供した「聖イグナチオ教会」のドメニコ・ヴッタリ大司教の責任を追及する。
主権回復を目指す会事務局
この情報に驚きましたが
もし 実際に聖イグナチオ教会で抗議活動が行われるとすれば
松浦補佐司教や 谷 大二司教は
責任をとらねばならないだろう!!!!
靖国神社 焼き討ちから救った ブルーノ・ビッター神父
靖国神社を守ったブルーノ・ビッター神父のお話。
この神父様はマッカーサーが靖国神社を焼き払おうという計画をたてたとき次のように反対されました。
「自然の法に基づいてかんがえると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意を払う権利と義務があるといえる。それは戦勝国か敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解できるはずである。もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。はっきり言って、靖国神社を焼却することは米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。われわれは、信仰の自由が完全に認められ、神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教などいかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものはすべて靖国神社にその霊がまつられるようにすることを進言するものである。」
稲田朋美伝統と創造の会より
http://www.inada-tomomi.com/dento-souzou/d_20060330.html
2009-10-08 01:27
|
記事へ |
コメント(7) |
トラックバック(2) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1072/
2009年10月07日(水)
シルクロードへのロマンをかきたてるためにNHKが隠蔽し続け る、核実験場のあった楼蘭遺跡周辺の「不都合な真実」 について
そして、間寛平アースマラソンの危険について
2009-10-07 02:40
|
記事へ |
コメント(5) |
トラックバック(2) |
|
東トルキスタン ウイグル /
日本シルクロード科学倶楽部 /
中国の核実験 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1071/
大阪での青山繁晴講演会の時に、
羽田様より、ご提案をいただいた
「間寛平アースマラソン」 について
高田教授が、ご自身のブログにもとりあげられ、
また
本日のチャンネル桜にご出演の際にもこの問題を大きくとりあげられました。
●チャンネル桜 本日ご出演の映像をぜひご覧ください!
http://www.youtube.com/watch?v=XXN_ujBlKtw
羽田様 有難うございます!!
日本シルクロード科学倶楽部としてこの問題を周知させましょう。
羽田様は、青山繁晴さんを通して、
関西テレビにもはたらきかけてはと
ご提案の時におっしゃって下さいましたが、私は青山氏とご挨拶できたものの時間の都合で 詳しくお話はできませんでした。
日本シルクロード科学倶楽部会員の皆様より、各報道機関やテレビ局、
そして吉本興業などへ
メールやFAXなどではたらきかけては、いかがでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。
また会員以外の皆さまも この問題について
ご協力をぜひお願いいたします。
**************************************************************
高田教授 日本シルクロード科学倶楽部ブログより
アースマラソンの間寛平が危ない!
http://www.earth-marathon.com/
昨日10月3日、未明のコペンハーゲンからアースマラソンに挑戦している間寛平が、生中継でテレビ出演していた。その時見たヨーロッパ後の予定走
行経路地図には、カザフスタンから天山南路あたりが描かれていた。
現在のその地は、世界で最も危険な核の砂漠地帯である。中共がメガトン級の核爆発を1996年まで繰り返し、多数の人々が虐殺された地である。今も
放射線障害を受けた100万以上のウイグル人たちが苦しみ放置されている地獄地帯である。
マラソン中の深呼吸で、プルトニウムを含む砂が肺細胞に吸着するため、肺がんリスクが高まるのである。NHKのシルクロード番組に関わったカメラマ
ンが今年、肺がん死したとの情報が寄せられている。
寛平、シルクロード天山南路周辺を走るな!!!
アースマラソンに挑戦する寛平を応援している科学者より
高田純 理学博士 札幌医科大学教授 放射線防護学
アースマラソンの公式ブログの日記の欄へ、本日、この件をコメントしました。
寛平を応援しているみなさん、是非、彼にこの危険を知らせてください!!!
関連情報
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/SSP-J5.html
********************************************************************
2009-10-07 02:32
|
記事へ |
コメント(4) |
トラックバック(1) |
|
中国の核実験 /
日本シルクロード科学倶楽部 /
東トルキスタン ウイグル |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1070/
2009年10月06日(火)
チャンネル桜
NHKが放送しなかった楼蘭遺跡周辺の不都合な真実
チャンネル桜 今晩 10月6日 放送
放送時間
20:00−21:28
新刊「核の砂漠とシルクロード観光のリスク」を材料に語ります。
1 日本人観光者の家族から寄せられた情報
2 タリム盆地油田と地下核爆発
3 アースマラソン・間寛平が危ない
チャンネル桜のHPより
もう一つの「NHKの大罪」Part2
http://www.ch-sakura.jp/programs/program-info.html?id=1520
キャスター:三輪和雄・児玉麻衣比
ゲスト:高田純(札幌医科大学教授
チャンネル桜のHPより
もう一つの「NHKの大罪」Part2
http://www.ch-sakura.jp/programs/program-info.html?id=1520
冒頭、水島社長から、NHKのJAPANデビュー隠蔽工作の事実が語られます。
こちらも、興味深い報告です。
2009-10-06 18:44
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(1) |
|
中国の核実験 /
日本シルクロード科学倶楽部 /
東トルキスタン ウイグル |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1069/
2009-10-06 02:32
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(1) |
|
チベット・ウイグル・サウスモンゴル 三民族 /
日本シルクロード科学倶楽部 /
中国の核実験 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1068/
2009-10-06 02:21
|
記事へ |
コメント(2) |
トラックバック(1) |
|
中国の核実験 /
日本シルクロード科学倶楽部 /
チベット・ウイグル・サウスモンゴル 三民族 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/1067/