『地獄に導いた朝鮮総連の帰国事業 裁判ニュース』第三号より
一応、知っている話だが、もっと知られてよい話だと思うので、アップ。
なぜ韓国に帰らなかったの?
戦前から現代にいたるまで日本で暮らすコリアンは一貫して朝鮮半島南部の出身者が圧倒的多数を占めています。帰国運動時にその人たちが地縁血縁のない北朝鮮へ「帰って」行ったのはなぜだったのでしょう。日本での差別がいやだったのなら韓国へ帰ればよかったじゃないか――こういう疑問を持つ人もいるのではないでしょうか。
済州島の悲劇
独立直後の早い段階からソ連軍の後押しで強固な共産主義体制を作り上げた北朝鮮とはちがい、南では政治的混乱が続きました。革命を企図する左翼政党が跳梁する一方で、それらを敵視する右翼政党も乱立し抗争を繰り広げていたのです。なかでも最大の悲劇が1948年4月3日に済州島で起こった「4・3事件」です。共産ゲリラの武装蜂起に端を発したこの事件は、軍・警察・右翼民兵隊(彼らの多くは北の共産体制下で土地を奪われたり家族を殺された人々で「アカ」に対する復讐心に駆られていました)による住民虐殺を引き起こしました。3万人が犠牲となったこの悲劇は、1950年に起こる朝鮮戦争の地獄図を予感させる出来事でした。
在日の対韓感情
戦前、大阪と済州島の間に定期航路があった関係で在日のなかには済州島出身者が大勢います。4・3事件当時、これらを頼って多くの島民が日本へ密航してきて、韓国軍警の残虐行為を伝えました。貧困と差別ゆえに左傾していた在日にとって、韓国へ帰ることは死を意味することだったのです。ちなみに高政美さん――TAMO2註:朝鮮総連による帰国事業を告発して、裁判闘争を闘っている人、ちなみに朝鮮総連が「時効」を主張、したらば同様の論理で日帝36年も免罪されるべき、こっちのほうが古い犯罪だからね! 勿論皮肉である(どちらにも時効なんかない!)――の実父母・養父とも済州島の出身です。
80年代の民主化まで韓国では過酷な反共政策が続き、在日にとっては恐怖と嫌悪の対象でした。朝鮮総連はそれにつけ込んで在日同胞たちを北への「帰国」に駆り立てていったのです。
(守る会会員)北村 武則氏

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