きょうのコラム「時鐘」 2009年11月15日

 我慢を重ね、そのエネルギーを土壇場で爆発させる話を日本人は好むという文化論がある。耐えに耐えて討ち入りを果たす忠臣蔵、高倉健の任侠映画もしかり、と

歌舞伎の勧進帳もそのひとつ。作家の村松友視さんが本紙エッセーで松井選手を「弁慶」に例えていた。ケガに耐えながら最後に大爆発した姿を安宅の関を通るためにじっと耐えた弁慶に重ねたのである

オバマ米大統領が、日米間の相互理解に果たした松井選手の活躍をたたえたインタビューがあった。松井選手のMVPが日米両国に与えた衝撃は想像以上のものがある。耐えて最後に勝利する男の象徴にまでなった感がある

1泊2日の慌ただしさだった。日本は軽んじられたという見方も強いが、内実はどうだろう。最大の課題である普天間基地移転で「我慢比べ」になっている両首脳にとって、展望のないまま話し込むより形だけの会談は好都合だったかもしれない

我慢を強いられるのは沖縄県民だけだ。耐えるだけ耐えさせてなお我慢しろという。結論先送りとはそういうことだ。日本文化の美学には縁遠い首脳会談ではなかったか。