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「クロッシング・ザ・ブリッジ〜サウンド・オブ・イスタンブール〜」
トルコ版「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」との呼び声高い「クロッシング・ザ・ブリッジ〜サウンド・オブ・イスタンブール〜」、もうご覧になった方はおいでですか?
考えてみると、このブログで映画について話すのは珍しいかもしれませんが、実は、僕は大の映画好きです。今年は、誕生日のプレゼントにホームシアターセットも貰ったし、ますます映画を見るチャンスが増えそうです。 話を戻しますと、先日、「クロッシング・ザ・ブリッジ〜サウンド・オブ・イスタンブール〜」の劇場トークショーに出演しました。この映画には、知っているミュージシャンもたくさん出ていますし、トークショーのお相手のサラーム海上さんもトルコ語まで話せるトルコ文化通な方で、話も弾みました。ヨーロッパとアジアの文化がミックスし独特な世界を作り出しているトルコの音楽シーンを中心に、トルコ文化の一端にふれていただければと思います。 映画の詳細は、シアターNのHPでご覧ください。 追伸 いまやこのブログで、僕以上の人気者、チェムちゃんから誕生日のメッセージが届きました。笑 |
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誕生日会
六本木のP-Houseで僕の誕生会をしました。普段はアートギャラリーである素敵な環境で、仲良くしている友達や関係者約100人が参加してくれて、夜中まで楽しく過ごしました。みんなから、ホームシアターシステムをプレゼントしてもらい、あとはフラットスクリーンテレビを買えば、部屋が映画館になります。楽しみです。笑 4月から、僕の生活には、新しいことがいっぱい始まる予定です。まずは、6日出発でトルコ出張。世界の67国が参加して行われる「国際エレベーター学会」に講師として出席します。これは、エレベーター技術の未来を語るイベントなんですが、今回は特別講演を頼まれています。その時、日本から学会と関係ない6人が一緒にトルコへ行くことになっています。なぜだろう?笑 その理由は、その時期、このブログで報告します。4月の目玉ニュースになるので楽しみにしてください。 そして、現在「宇宙エレベーター」を題材としたアニメ映像を未来館が作成していて、僕が監修をしています。今年の夏くらいには、全国の科学館などで見られる予定です。また日程など詳しく決まったらお知らせします。是非ご覧ください。また今年も、本を出版したいと思い、書き始めています。講演や研究で、和歌山県の串本町や島根県にも行く予定です。7月と9月の国際学会に向かって、論文の準備もしないといなりません。そんな中、すぐ下の弟が、8月末に日本へ来ると言っています。これはかなり大変で、彼の奥さんと一緒に僕の家に2週間泊まりたいと言っているのです。いま、1週間にしてくれと交渉しています。笑 こんな感じで、これから先、とにかく予定がいっぱいあるけれど、取りあえず誕生会で友達と久しぶりに会えたことに感謝です。みんな元気で頑張っているようでした。お互い、ますますがんばって、今度また会える機会が来るまで楽しくやろうと思います。みなさん、忙しいところ参加してくれてありがとうございました。 |
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今日誕生日だ
今日34歳になりました。僕の誕生日です。 僕が生きてきた34年間で、一番鮮明に覚えている子供の頃の出来事は、5歳の時。父と一緒にケルンのトルコ大使館に行き、それまで母のパスポートに子供として登録されていたが、今度は個人として自分のパスポートを取るのだと言う。大使館には午前11時までにいかなければ、午前中の取り扱いには間に合わない。父と僕は間に合わなかった。午後の窓口は、14時からだ。父は、一度家まで帰るのは面倒くさいから、反対側の公園で2時まで待とうと言った。 父が、公園のベンチに座ってタバコを吸ってた時、僕は一人でサッカーをした。白い星が付いている赤いボールを蹴りながら、あちこち走り回っているうちに、気づいたら道路に飛び出しいて、ちょうど走ってきた車にひかれてしまった。そのまま、僕は救急車で病院に運ばれ、精密検査を受け、奇跡的に無事だったため家に帰った。 その日の夜は、母がずっと隣にいて泣いていた記憶がある。父とも、その後、一週間口をきいてくれず、父も自分に責任を感じ、その日からタバコをやめたそうだ。(まぁ、後でまた始めているけれど。笑) 事故の検証の結果、僕が走っている状態だったため、タイヤの下に巻き込まれずにすみ、無事だったとわかった。もし、僕が立ち止まっていたら、大変なことになっていたらしい。もし、その時に死んでしまったら、後に長野にくることももなかったし、日本での出会いも全てなかったのだろう。もっと言えば、もちろんこのブログもなかったし、セルカンと言う存在もなかったことになる。 存在の意味とは何だろう? 僕は、特に深く考える必要はないと思う。考えるべきものは「ただいま」だ。今までどうだったか、これからどうなるか、それは全て「ただいま」決めることだ。前のことで悩んだり未来のことで心配したりすることばかりに自分の労力を使いすぎると、「ただいま」の楽しさ、目の前にあるものの大切さ、全てが見えなくなる。それはもったいなことだと思う。 過去も未来も、全て今があるからだ。 今日も楽しく生きていきます。 みなさんも今日、一番楽しいあり方で暮らしてください。 34歳の僕も、よろしくお願いします。笑 |
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インフラフリー調査終了
ケニア郊外住宅地の調査が終了しナイロビに帰る日の出来事です。ナイロビから郊外に移動する時の交通手段は飛行機しかありません。もちろん大きな空港はなく、滑走路もコンクリートではなく土でできていて、小さな飛行機が離着陸するのがやっとという所です。当然、事故もあるらしくかなりスリリング。何とフライトアテンダントもいないし、パイロットが全てを一人でこなしています。ある意味、怖いけど非常に面白いです。笑 僕は、飛行機が離陸した頃を見計らい、パイロットに挨拶に行きました。僕が飛行機の免許を持っていて、宇宙飛行士候補であることを話すと、コックピットに誘ってくれて、ナイロビまで一緒に飛行機を飛ばしました。お客さんは、ちょっと心配したかもしれませんが、ケニアの草原をコックピットから楽しめたことに感謝です。日本では、ありえないことですね。笑 明日、日本に帰国します。不思議なもので、ケニアに来るまでの僕と、ケニアに来てからの僕は、全然違うような気がします。名前しか知らなかったケニア。危ないか汚いというイメージだったので、かなり覚悟もして訪れたつもりでした。けれど実際に自分で来てみると、人は世界のどこの人とも同じで、ただ幸せで楽しく生きたい、と願っているものなんだと感じました。今回の調査は、自分の研究をもっともっと頑張る気持ちにさせてくれました。 個人的にケニアで感じたことは、もうひとつあります。人は自力で頑張るより、人や政府の助けばかりに頼ってしまいやすいことです。彼らが、物理的に貧しい人だと言うのは間違いないけれど、それを理由に何でも政府やNGOにやってもらいたいという気持ちで物事を進めると、却って問題は解決されないだろうと思います。どんなに、つらくても苦しくても、自分で頑張って自分の力でで問題を解決することは、とても大切なことです。お互いに頑張れば、もっとスピーディーに解決することもあるかもしれません。 そこで、問題になるのは、やはり教育だと思います。教育レベルが低いため、情報に簡単に影響されやすく、自分で考えることができない。そして、自分はお金がないからここまでしかできないんだ、というあきらめの気持ちが強くて夢を持てないのです。小さいことでもとりあえず自分の夢のために頑張ろう、と思えれば、人は少しでも前に進めむことが可能なのではないかと感じました。僕がケニアに行ったことは、僕にとってもケニアの人々にとっても、お互いにとって経験になりました。それこそが、教育のひとつの方法なんだろうと思っています。 小さいことから大きなものが生まれる。 明日、日本に帰ります。 |
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真っ赤に日焼けしました
少し間があいてしまってすみません。ナイロビ市内での調査が終了し、マサイマラに移動していました。マサイマラ地域で郊外住宅地の再開発をインフラフリー研究の視点から調査するためです。ナイロビから、飛行機で約一時間位で到着しましたが、ここは天気が悪いと電話もつながらない状態になるのだそうです。なので、ネットも二日間つながらずレポートが遅れた、というわけです。明日、日本に帰る予定なので、今日ナイロビに戻ってきて、今、ようやくブログをアップしています。
最近、マサイマラは自然や野生動物を間近で見れるという観光スポットとして有名になり、いろんなリゾートホテルが建ち並んでています。今回は、その中でもっともこだっわって作れられ、日本でもよく知られているムパタ・サファリ・クラブに宿泊しました。このホテルのオーナーである小黒さんのお陰で、スタッフに紹介してもらい、マサイマラでのインフラフリー研究に協力をしていただきました。こうしたインフラのない環境下で、水、電源、エネルギー、ゴミといったホテルのお客さまに必要なインフラをどうしているのか、メンテナンスマネジャーと一緒に調査しました。この辺りは、今度「ソトコト」で記事にもなる予定です。是非ご覧ください。 また、現地の人々の暮らしは一体どうなっているのかを調べみたいと思い、ホテルのマサイ族の人にお願いし、彼の村を見にも行かせてもらいました。この村は観光地ではないので、通常白人は入れないところです。でも、今回は、マサイ族の彼の友人として行ったので、みなさん、マサイ族の伝統的な衣装を着たり、踊ったり、歌ったり、ものすごく温かく歓迎してくれました。お蔭でマサイ族の住宅も見学することができたのですが、予想通り、本当に、まったく電源や水のない家に住んでいました。「こうした環境は不健康ではないですか。」と聞くと、ある女性が「私は80歳です。まだまだ死なないよ。楽しく生きていくんだ。」明るく答えてくれました。素敵ですね。。。 マサイ族にはこんな神話が言い伝えられているそうです。「マサイ族はロープで宇宙から砂漠に降りてきました。水があるところを探すために、南に移動しケニアまでやって来て、今もその暮らしを守っています。そして、その時、人と一緒に牛も降りてきました。だからマサイ族は牛を大切にしているし、世界の牛は全てマサイ族のものです。」 今回のケニアの旅を振り返ると、やはりケニアまで来て本当によかったと痛感します。現地でずっとケアをしてくださった井上さん、どうもありがとうございました。井上さんのお蔭で、ここまでのスケジュールをこなすことができました。現地に15年住んでいるネットワークを駆使しご協力いただいたこと、心から感謝しています。今度は、調査ではなくケニアの人の役に立つインフラフリーコンセプトの応用で、また訪れることができるよう、がんばります。 |