黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

文学と政治

2009-11-14 09:30:42 | 文学
 昨夜(13日)遅く帰宅し、恒例になっている溜まっていた新聞に目を通していたら、気になる記事が目にとまった。それは「朝日新聞」11月12日号の「オピニオン・インタビュー」欄で、「東京五輪 再挑戦のわけ」と題して石原慎太郎東京都知事が、編集委員の質問に答えているものであった。
 一読して、改めてこの「作家兼政治家」は「困った人だ」という感想を持った。彼の小説にその性癖は典型的な形で現れているのだが(倫理的な不整合を平気で放置する「悪文」もだが)、「露骨な描写」はあっても、他者への「想像力」を全く働かせない自分勝手な世界を構築する作風(性癖)は、このインタビューでもいかんなく発揮されていて、先の「20016年のオリンピック招致」合戦に敗れた原因は自分たち(東京都・都知事)にあるのではなく、JOC(日本オリンピック委員会)の「無知」や「努力不足=根回し・ロビー活動)およびIOC(国際オリンピック委員会)の「狭量」「情緒的対応=南米初のオリンピックという言い方に偏った」にある、と厚顔無恥に言い放っている。僕など、「そのあなたの傲慢さが全ての原因なのでは?」とツッコミを入れたくなるほど、全く自分たちに「責任」はないという態度で「反省」の欠片もないが、この人の死刑はどうなっているのか、と思わざるを得ない。
 以前、この欄で石原慎太郎のことを「ネオ・ファシスト」「ネオ。ナショナリスト」と書いたら、何故彼のやっていることが「ファシズム」なのか、ヒットラーのナチズムと一緒にするのはけしからん、という意味のコメントが寄せられたが、そのコメントを寄せた人、この「朝日新聞」のインタビューを読んでも、彼のことを「好き」「支持する」と言うのだろうか。
 というのも、石原慎太郎は、同じインタビューの中で、オリンピック招致に使ったお金「150億円」(150億円ですよ!)について、そんなのは今東京都が保持している「1兆3000億円」の貯金(剰余金)の利息でまかなえるもので、たいしたこと無い、と嘯いており、その剰余金がどのようなことから生み出されたお金なのか、全く想像力の欠如した発言をしている。そもそもその剰余金は、1000万人を超える住民の「税金」を始め、主に日本の企業が本社を東京に一極集中させた結果の「法人税」によって生み出されたもので、彼の発案で発足した「新生銀行」などずっと赤字続きになっている現実を、彼は全く見ようとしていない。これは、どういうことなのか。
 それに、隅田川や多摩川を初めとして都内至る所の公園で見かける「青テント」(ホームレス)の存在が象徴する「貧しい人々」の存在について、彼は全く視野に入れていない。そうであるが故に「150億円などたいした額ではない」と言えるのだろう。そもそも、海外出張を豪華ヨットで何千万円もかけて行う石原知事のことだから、現在全国至る所で「格差社会」がその深刻度を増していることなど全く理解できないのだろう。来年度の税収が「40兆円」を下回るという国家予算が象徴する「貧困」問題など、「金持ち」の東京都は全く関係ないのかもしれないが、だとしても酷い話ではないか。
 そして何よりも僕が許せないと思ったのは、2020年のオリンピック候補地として「広島・長崎」画の乗りを挙げていることに関して、もし東京が2020年の開催地に決まったら、マラソンを広島で行ったらいい、広島から「平和」を発信するのに丁度いい、などと言っていることである。彼は一度でも広島の「原爆ドーム」や「原爆資料館」を訪れたことがあるのだろうか。もし訪れたことがあってもなお彼が「日本の核武装」を唱えるのであれば、ますます彼の「想像力」はどうなっているのか、と思わざるを得ない。オリンピック開催のためには、日頃の思想とは相容れなくとも、「ヒロシマ・ナガサキ」や「平和」を口にする、こういう輩こそ「品性下劣」というのではないだろうか。このような「品性」は決して作家のものではない。紛れもなく「政治家」のものである(僕が石原慎太郎を「作家」として認めたくないという理由、おわかり頂いただろうか)。
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