待ちぼうけ 待ちぼうけ ある日せっせと野良稼ぎ そこにウサギが飛んで出て ころりころげた木の根っこ
待ちぼうけ 待ちぼうけ しめた これから寝て待とうか 待てば獲物が驅けてくる ウサギぶつかれ 木の根っこ
待ちぼうけ 待ちぼうけ 昨日鍬取り 畑仕事 今日は頬づえ 日向ぼこ うまい切り株 木の根っこ・・・・
北原白秋・作詞「待ちぼうけ」・・・・。
これは、中国の思想家・韓非子の説話が元になっている。
上手い具合にウサギを得た農夫は、今後も同じように上手く行くと思い込み、野良仕事を止めてしまった。しかし、ウサギは二度と獲れず、ただ田畑を荒廃させてしまっただけだった。
昔は、それで万事上手く行っていたとしても、時代が変われば同じように上手く行くとは限らない・・・・・。
過去の習慣や制度を理想と考え、それを守り続ける事を説く儒教に対し、韓非子はかような例え話で戒めたという。
2000~2005年の超就職氷河期は、大卒の半数、高卒の八割が就職できなかった。
新卒主義の日本では、新卒枠(新規卒業予定者を対象とする枠)を逃してしまえば、既卒後に中途採用枠を見付けるしかない。
だが、中途採用は、即戦力になり得る転職者が対象だ。不況下に、職務経歴書一つ用意できない(職歴の無い)、戦力外の若人を相手にしてくれる所は少なかった。
(現在、職安の求人の多くは“職歴・年齢不問”になっているが、これは雇用法が改正されて「職歴・年齢制限付の募集」が制限された為に過ぎず、採用の是非を職歴と年齢で判断する習慣は変わっていない)
新卒枠を逃した当時の私は、既卒後、職歴不問の仕事を探す日々を送った。
小さな町工場を中心に何社も面接を受けた。
私はその面接の度に、面接担当者から屈辱的な問い掛けを受けたものだ。
「君、今年卒業してるけど、なんで新卒の時に就職しなかったの?」
「就職氷河期?そんなの新卒は関係ないやろ?」
学生の自殺者まで出た超氷河期が到来している最中だというのに、当の求人側はそれを知らない人が余りにも多かった。
面接を担当したのは、大抵、バブル世代以上の人たちだ。“新卒は就職できて当たり前”の時代を生きた彼らには、新卒が何十社回っても内定一つ取れないという現象が理解できなかったのだ。
昔は、ちゃんと高校か大学さえ卒業していれば、新卒は就職できて当然だった。特に、高度成長期とバブル期は、大手を一、二社回るだけで良かった。ゆえに、職業安定所は、職務経歴書を用意できる離職者・失業者の受け皿としての役割をはたしてさえいれば良かった。
それで世の中は上手く機能していたのである。
だが、1993〜2005年に新卒市場を吹き荒んだ氷河期の吹雪は、それを濁った雪の下に眠る過去の遺物に変えてしまった。
新卒の段階で就職できず、非正規や底辺の正規職で食いつなぐ若者が、毎年、雪原の上に溢れた。失業し、雪原に放り出される中高年も増えた。
今、非正規で食いつないできた為に、まともな職務経歴書を用意できない求職者が沢山いる。
今、職歴があっても、採用されやすい人手不足の求人ばかりを選んできたが為に、転職を繰り返す事を余儀なくされ(人手不足の求人は、雇用が不安定だからこそ人手不足なのである)、綺麗な職務経歴書が用意できない求職者が沢山いる(一般的に、転職回数が多い職務経歴書は、マイナス評価される)。
今、綺麗な職務経歴書を用意できても、35歳を越えてしまったが為に、安定した求人に有り付けない求職者が大勢いる。
“新卒”が就職の保障となり得る時代は過ぎ去り、逆に『新卒主義』と『職務経歴書』が就職の障害になってしまう時代に変わっている。もはや、この制度と習慣は社会に適さないのだ。だが、いまだにこの悪制と悪習は改善されていない。
今回は、社会に適さなくなった新卒主義の弊害について、私は語りたいと思う。
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