きょうのコラム「時鐘」 2009年11月14日

 修理で停止中の原発内部を見て回ったことがある。巨大な釜でわかしたお湯の蒸気でタービンを回す、単純にいえばそんな装置だが、周辺は数ミリ単位の精密機器で囲まれていた

巨大さと精密さが完璧に一体となったのが原発であり、それをコンピューターが制御するのだから人間のつけいる隙がないように見えた。が、志賀原発で相次ぐトラブルは余りにも人間臭い。初歩的で単純ミスともいう

布きれの糸くずがあったとか、配管弁の閉め忘れとか、溜めますの許容水量を作業手順に書いてなかったので必要以上に入れた等々。「見れば分かるだろう」という常識が欠けている。これは何を意味しているのだろう

どんな最新機器も、神ならぬ人間の作ったものであり完璧はあり得ないということか。あるいは、マニュアル以上のことはしないしできない作業員が増えたということか。防止策は、工学面と同時に精神文化的な人間学も必要かもしれない

便利な車も事故を起すと凶器となる。だからといって車を廃止する選択肢はない。原発もそうといえるか。これからの「安全運転」次第である。