試合前にウオーミングアップする浅尾(手前)。左は山井。中央は住田コンディショニングコーチ=ドミニカ共和国、サンペドロ・デ・マコリスのテテロ・バルガス球場で(木村尚公撮影)
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【サンペドロ・デ・マコリス(ドミニカ共和国)木村尚公】当地のウインターリーグに参加している竜戦士がカリブの洗礼を受けた。浅尾拓也投手(25)が所属するエストレージャスは11日、ヒガンテス戦だったが試合中、突然の暴風雨が吹き荒れ、さらに停電で球場全体が真っ暗闇になるアクシデントにも見舞われた。結局、試合はノーゲームとなったが、初参加の浅尾は平常心を強調。異国ならではの経験を糧に、精神的にも成長して来季に備える。
陽気なドミニカンは天変地異さえも楽しんでしまう。スタンドに観客たちの甲高い声が響き渡ったのはプレーボールから約50分たったころ。3回裏、ホームのエストレージャスの攻撃中に空模様が一変した。たたきつけるような雨と激しい風が猛威を振るう。まさにスコール。木々は大きく揺れ動き、球場脇の道路は一瞬にして洪水と化した。
協議するまでもなく審判団は試合を中断。その直後、今度はスタジアムが突然闇に閉ざされた。停電だ。観客たちは携帯電話の明かりを頼りに、漆黒の闇の中で顔を見合わせた。「ドミニカではたまにあることです」とは現地をよく知る桂川通訳。盗難を恐れてか、球場の売店はガラガラとシャッターを下ろした。
そんな騒然とした雰囲気の中で、泰然としていたのが浅尾だ。間もなくして停電が復旧すると、「いや、ボクは特に何とも思わなかったですよ。こっちにきてから雨が多かったですから」とケロリ。浅尾は山井とともにブルペンで待機し、登板のチャンスを待ち構えていた。真っ暗闇になっても慌てず騒がず、ゆったりとロッカーへ引き揚げてきた。
前日はバスで3時間かかるサンフランシスコ・デ・マコリスへ遠征。日帰りで宿舎へ戻ってきたのは日付が変わった午前2時すぎだった。日本では考えられないハードな移動。そんな厳しい環境も、若きリリーバーの心をさらに強くしていく。
「確かにシャワーのお湯が汚いとか、衛生面で日本との違いを感じることはあります。でもボクはそんなに気にしていません。野球をするうえでは変わらないと思っています」
チームメートとは順調にうち解けている。浅尾がストレッチを始めれば、「コンニチワ」と笑顔で声をかけられる。浅尾自身も同行している桂川通訳らにスペイン語を日々教わっている。「周りとはどんどんコミュニケーションを取っていきたい。何かを吸収したい」とどん欲だ。
8日、ドミニカでの初登板となったリセイ戦(サントドミンゴ)では1イニングを3者凡退に抑え、上々の“デビュー”を飾った。それでも浅尾は「前回はストライクを取ることに精いっぱいだった。次はもっと考えながら、1球1球投げます」と前を見据える。
気負いも、そして気後れもない。日本では考えられぬ環境の下、浅尾は心身ともにさらに一皮むけるべく修業を続ける。
【ドミニカ・ウインターリーグ】 九州より少し広い国土の5都市に次の6チームがある。カッコ内は本拠地の都市名。リセイ、エスコヒド(ともにサントドミンゴ)、アギラス(サンティアゴ)、エストレージャス(サンペドロ・デ・マコリス)、ヒガンテス(サンフランシスコ・デ・マコリス)、トロス(ラ・ロマーナ)
10月中旬から2月にかけて行われ、2段階のプレーオフがある。優勝チームは「カリビアン・シリーズ」に出場し、プエルトリコ、ベネズエラ、メキシコの各リーグ優勝チームとカリブ海地域最強を争う。参加選手の中心は米大リーグ傘下に所属するドミニカ共和国出身のマイナー選手。メジャー選手も出場する。所得の少ない選手は報酬、スカウトへのアピールなどが目的。大物メジャーも調整や地域貢献のために参加する。
【サンペドロ・デ・マコリス市】 首都サントドミンゴから東へ約70キロにある。サトウキビの生産地として知られ、それを原料としたラム酒の製造も盛んだが、市民は「大リーガーの街」と呼び、市の入り口には、「大リーガーの街へようこそ」という看板もある。
この街の出身者として、最も有名なのは、メジャー通算609本塁打のサミー・ソーサ(元レンジャーズ)。その他、ロッテでも活躍したフリオ・フランコ、メジャー屈指の遊撃手といわれ、西武にも在籍したトニー・フェルナンデス、ヤンキースの二塁手、ロビンソン・カノもいる。彼らは、市内に大邸宅を構え、ドミニカの野球少年のあこがれの的となっている。
広島が1990年に設立、アルフォンソ・ソリアーノ(カブス)を輩出したカープアカデミーも同市内にある。
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