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 2009年11月12日(木) 19:15
B-29から撮影された写真で新事実
昭和20年6月29日未明、岡山市は米軍のB-29に襲われ、市街地の大半が焼け野が原となりました。
この時、B-29から撮影された燃え盛る岡山市街地の航空写真が山口県内の研究者の手でアメリカ公文書館から探し出され、どこを撮影しているのかということもはっきりしました。

昭和20年6月29日に岡山市街地の上空3000メートルから4000メートルの高度で撮影された写真。
アメリカ軍は空襲する際に、天候の許す限り攻撃されている街の様子を爆撃機から撮影していました。
写真はその1枚だと言うのです。
写真は山口県の徳山工業高等専門学校教授で、空襲の研究者でもある工藤洋三さんが、かなり前に日本空襲の莫大な資料を保管するアメリカ公文書館から見つけ出し、一部の人には知られていました。
工藤さんは、岡山市のデジタルミュージアムが毎年行っている戦災展に多くの資料を提供をしています。
しかしこの写真には、岡山と言う文字とオンリーワンというクレジットが付けられているほかに詳しい場所を示す資料が見当たりません。
このため本当に岡山市街地を写した物かどうかもはっきりしないため、これまで展示を避けてきたと言います。
ところがこのほど、工藤さんが最新のコンピューターソフトを使って写真の場所の特定に成功したとデジタルミュージアムに知らせが入りました。
工藤さんが目を付けたのは、写真の中央下側にぼんやりと見える模様でした。
工藤さんはこれまでの経験から、この模様を燃え盛る焼夷弾の火に照らされた街路と建物だと推測したのです。
その街路と思われる模様を、アメリカ軍が空襲直前に撮影した市街地写真を照らし合わせ、まずそこが現在の瀬戸大橋線大元駅の南辺りではないかと推定しました。
さらにそのコンピュータソフトを使って他の地点も照合し、空襲の写真が岡山駅の南から厚生町清輝橋辺りまでを撮影したものだということを突き止めました。
写真では激しい炎を上げて燃えていた岡山市下石井の一角、今は大型のショッピングセンターやゲームセンターが立ち並んでいて、そうした過去があったことを感じさせるものは何もありません。
戦争から64年がたち、当時を知る人も少なくなりました。
しかし今、1枚の写真によって改めて確認されたように、この岡山の街がかつて焼夷弾によって炎に包まれた事実だけはしっかりと記録に残しておきたいものです。

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