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「普天間」の現場 辺野古ルポ 米軍と育ち、恩恵を受けた (1/4ページ)
このニュースのトピックス:安全保障
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題で、意思統一ができない鳩山民主党政権。ぶれる閣僚らの発言を揺さぶるように、8日には沖縄県内で「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」(主催・同実行委員会)が開かれるなど、県内世論の大勢は日米合意に基づくキャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古地区)への移転反対に傾きつつある。ところが、一番の当事者である辺野古地区を歩いてみると、全く違う反応が返ってきた。現場の声をリポートする。(那覇支局 宮本雅史)
◆アップルタウン
那覇から北へ約60キロ。
県道329号線から辺野古地区に入ると、「WELCOME APPLETOWN」と書かれた看板が目に飛び込んでくる。
「キャンプ・シュワブ」開設から間もない昭和33(1958)年、丘陵地帯だったこの地域を民政府土地課長のアップル中佐が中心となって開発したことから、米軍と辺野古住民との友好の証しとして「アップルタウン」と呼ばれるようになった。
街は区画整理されていて、15分ほどで一周できる。スナックやクラブなどの看板が目につくが、人けがない。飲食店が入っているとみられるビルも英語のロゴが消えかかり、外壁が崩れ、朽ちている。
53年前に移り住んだという金城秀夫さん(59)=仮名、自営業=は、米軍統治時代からの辺野古を身近に見てきた。
「ベトナム戦争(1965〜75年)のころは、スナックやクラブなどの飲食店が60軒近く並ぶ米兵相手の繁華街で、ホステスも1千人は超していた。当時の辺野古の人口は1500人ぐらいだったから、合わせると3千人近い人が住んでいたことになる」
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