今日の言葉

やはり「無」でないと駄目
私がこの1週間ほどフラッシュバックに入っていたとこのホームページに報告しています。そしてようやくその迷妄から解けたのですが、何と私が基本で間違えていたのです。これだから神経症脳を持った人間は悲しい。17年間も健康世界を生きてきたのに、簡単なきっかけから迷妄の世界に踏み込み出られなくなる。それは丁度、山で道を踏み間違えたような感覚でどうもがいても元の道に戻れなくなる。あせればあせるほど段々事態が悪化する。私の脳も神経症真っ最中の人と同じく脳の深部から”この苦しみを絶対に脱却しろ”の強い命令が聞こえてくる。その誘惑は凄く全ての理性を超えて迫ってくるから無為療法の指導者も「無」を忘れてしまった。

本来無為療法の雑用は「無」でなければならない。目的を持つ雑用は森田療法と同じであり、神経症の治りを取引材料にしているからやればやるほど神経症は悪化する。なのに私は気がついてみたら神経症を治す手段としての雑用をやっていた。これではやればやるほど不安は地下のマグマのように蓄積して、不安が消えるどころか倍加して襲ってきた。どうもおかしい、こんなはずではなかったと思い2,3日ほど前に自分のホームページの神経症を治す方法を読んで閃いた。治す方法の第3項を間違って解釈していたのだ。

● 雑用を「無」の状態で行う。
「無」とは神経症を治す目的が存在せず、ただ単にやるからやる、するからするの境地を意味する。

私はこうして短時間に健康世界に戻って来たけれど多くの読者は大体神経症を治す努力を止めるを最初から諦めているのではないだろうか。一生だろうが何だろうが神経症を治す努力を停止したら自分は無いと思いつめているのである。まあ病んだ脳を持っている諸君はしようがない。
例え雑用の良さを認識してもどうしても「無」になることを拒否する。神経症を治す取引を停止するのは自分を基本から否定するに等しいと感じて気持ちを変えない。

神経症を治したのは世界で私一人であるくらいだから、殆ど治すことは出来ないと宣言しても良い。だから私に出来るのは神経症の外側の世界はこれほど気持ちが良い、女性にもてる、やりたいことが出来ると宣伝する以外にない。



ホームページへ