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奈良・纒向遺跡
建物跡、魏志倭人伝の「宮室」か

古代政治の一等地

研究者ら「畿内説の根拠」


三輪山のふもと、箸墓古墳などに囲まれた纒向遺跡の調査地(奈良県桜井市で、本社ヘリから)=前田尚紀撮影

 奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で出土した3世紀前半から中頃の大型建物跡。小高い丘を大規模に造成した場所は、この時代の政治や宗教の中心地としてふさわしい“一等地”だった。約1800年前に生きた日本の歴史上で最も有名なヒロイン、邪馬台国の卑弥呼の居所を巡って、研究者や歴史愛好家の熱い視線が、この地に注がれている。

 調査地は、古代からご神体として信仰を集めてきた三輪山の優美な姿を南東に望み、南に「卑弥呼の墓」との説がある箸墓(はしはか)古墳が横たわる。西に目を転じると、勝山古墳や矢塚古墳など3世紀に築かれた最初期の古墳群が点在する。

 桜井市教委の調査で見つかった飛鳥時代の宮殿に匹敵する直径約32センチの柱を持つ大型建物跡は、この時代、一帯に政治や宗教の中心となる強大な権力が存在し、後の大和王権に続く可能性を示している。


纒向遺跡で見つかった建物群の復元模型。右が今回出土した大型建物(黒田龍二・神戸大准教授作製)

 約20年前から同遺跡の発掘を手伝ってきた俳優の苅谷俊介さんは「ここに卑弥呼の宮殿があると予想していたので、大変感激している」と顔をほころばせる。1971年に同遺跡を初めて調査した石野博信・兵庫県立考古博物館長も「ようやく邪馬台国が大和にあったことを裏付ける有力な根拠が出た。魏志倭人伝にある『宮室(宮殿)』かもしれない」と感慨深げだ。

 古代史に詳しいマンガ家の里中満智子さんは「卑弥呼はこのぐらい大きな宮殿に住んでいただろうと想像してしまう。これを機に、邪馬台国論争が一層盛り上がってくれれば」と期待する。

 卑弥呼が活躍したのは、魏の曹操ら三国志の英雄と同時代。SF作家の豊田有恒さんは「魏は呉と通じた遼東半島の公孫氏に対抗するため、邪馬台国を厚遇した。今回の成果から、そうした東アジア情勢も浮かぶ」とダイナミックな歴史に思いをはせる。

 畿内説論者の意気は上がるが、今回の発見は有力な傍証であっても、邪馬台国や卑弥呼と結びつく「直接証拠」ではないだけに、反論もある。

 九州説を唱える高島忠平・佐賀女子短大学長(考古学)は「大型建物跡は、土器の年代から4世紀以降の遺構と考えるべきだ。魏志倭人伝の記述から、卑弥呼の都は九州の環濠(かんごう)集落がふさわしい」と主張している。

2009年11月11日  読売新聞)

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